劇場公開日 2023年3月3日

  • 予告編を見る

「おバカの好きな秀才監督が知的にこねくりまわしてできたおバカ映画は果たしておバカといえるのか。」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0おバカの好きな秀才監督が知的にこねくりまわしてできたおバカ映画は果たしておバカといえるのか。

2023年3月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

祝・アカデミー賞主要部門ほぼ完全制覇!!
というわけで、受賞の当日に重い腰を上げてレイトショーを観に行く。

旦那役の顔をどっかで見た気がすると思ったら、『グーニーズ』でも『魔界の迷宮』でもなくて、老け込む前の町山智浩だった(笑)。
で、パンフを開けたらきっちり町山さんが見開きで解説書いてて、さすがのムーヴだなと。

まあ、面白かったは面白かった。
充分に満足したから、いちおう4つ星はつけてみたり。
でも……意外に語るのが難しい映画ではあるよね。

結局、いろいろと手をかけてミッチリつくってはあるんだが、それで本当に面白く仕上がってるのかといわれると、ちょっと疑問も残る。
頭ではたしかに面白いと思いながら観ていたけど、結局最初から最後まで、実際にはほぼ笑うことも興奮することもなく、しらーっと観ていたのも事実。
体感的に無理やり根こそぎ持っていかれる『RRR』みたいな感じは、まるでない。
少なくとも調布のその日の観客は、みんなすげえ真剣に観てる感じで、場内では笑い声ひとつあがっていなかった。

突き詰めて考えてみると、以下の思考実験にたどり着く。すなわち、
「幼い頃からバカな映画を浴びるように観て育ち、バカな映画に執着したまま大人になった頭の良い監督が、理詰めで好きなことを片端からぶち込んで組み上げたおバカ映画っていうのは、おバカ映画として果たして無心に楽しめるものなのか?」

要するに、ちょっと「小賢しい」映画ではあるんだよな。
くだらないことをやってるわりには、完成度が高すぎる。
逆に言えば、真面目な内容だけで押すんじゃなくて、そこに「頭の悪そうな下世話」を適当に混ぜれば、なんとなく「世論がゆるむ」ことをわかってやってる、みたいな。

人種問題や、LGBTQの要素についても、それは言える。
監督コンビは、間違いなくエスニシティやLGBTQ的な要素を「映画の評判を上げる」ために巧みに利用している。
ヒロインは、「ADHDで」「老齢の域にさしかかってる」「中国人」。
旦那も、戯画的なまでの「キンキン声で話す挙動不審のチャイニーズ」だ。
反抗期の娘は、「ゴス系」の「レズビアン」で、どうみても「ふとりすぎ」。しかも「ニヒリスト」で「世界を終わらせようとしてる(銃乱射犯の思考)」。
まさに、役満コースの取り揃えぶりである。
ほとんどの要素を、最近流行りのネタで埋め尽くしているといってよい。

しかも終盤は完全に女性映画の様相を呈して、「母と娘」の和解という東ちづる/青木さやか的な展開を示す。『MEN』や『ザリガニの鳴くところ』同様、「蓋を開けてみれば女性の共感性を当てにした映画にきっちり仕上げてある」ってのも、最近の映画界の傾向をしっかりつかんでいる感じで、ちょっと「いやらしい」。

で、あまりにマイノリティ礼賛一辺倒になると、アンチ勢力から叩かれやすくなるということで、バランスをとるように散りばめられるのが、LGBTQを小馬鹿にするような下ネタの数々だ。
娘の振りまわすどうみても男性●にしか見えないヌンチャクとか、延々繰り返されるゲイ風マッチョマンの肛●貫きネタ(ここだけ声を出して笑ってしまったw)とか、レズビアンの老女二人が絡める指ソーセージから吹きだす白濁液とか、やってることがとにかく、くっだらない(笑)。

中国人の描き方もそうだけど、「こういうのはよくないよ」って振りをしながら、本当はステロタイプの中国人ネタ、同性愛ネタにとことん固執してるのは、むしろ監督たちのほうなんじゃないだろうか、とまで思えてくる。
あと、散歩紐でぶんぶんモーニングスターみたいに振り回されるワンコ(これ、平山夢明の『メルキオールの惨劇』の冒頭シーンと全くおんなじだよねw)を観ながら、はっと気づかされた。
この下ネタ&動物虐待ギャグ・オンパレードの淵源って、『メリーに首ったけ』なのね。
アメリカのインテリ系シネフィルって、インタビューとか読んでると、なんでかみんな『メリーに首ったけ』が大好きだし(笑)。

こうして、マイノリティ&LGBTQサイドにはきっちりわかるように目配せをし、
反LGBTQにも、あまり気づかれない程度に目配せをし、
東洋と娯楽の融合点として「カンフーアクション」を導入し、
もっとも現代的なSF的要素として「マルチバース」を選択する。
で、古い映画のパロディをガンガンに注ぎ込んで、シネフィルの虚栄心をも充足させる。
で、ちゃっかり、時流をつかまえてアカデミー賞まで獲得してしまう。
まあ、近年のアカデミー賞はメキシカン→コリアン→チャイニーズ(女性)→オーストラリアン(女性)と、白人男性はおいそれと監督賞が獲れない仕組みになってきているし、作品賞もマイノリティか障碍者を出さないと獲りづらくなっちゃってるから、むしろ東洋系監督&俳優にとっては今がまさに「獲り時」なのだが。
やっぱり、よくいえばマーケティングが行き届いているし、
悪くいえば、小賢しい。

頭のいいシネフィルがジャンク映画への郷愁を胸に、頭でこねくりまわして「ジャンクまがい」の映画を撮るというのは、古くはクエンティン・タランティーノやティム・バートンに顕著な傾向だったし、世評の高いJ.J.エイブラムスなんかも基本はそういう類の監督だと僕は思っている。
ただ結局ジャンクというのは、そもそもは作り手もしくは製作体制が「壊れている」からジャンクなのであって、製作者がちゃんとしているジャンクなどあり得ない。
ジャンクの魅力というのは、「抑えきれない作り手の暴走」や「いいかげんさの末に生まれた奇跡のような瞬間」といった「無作為」の魅力なわけで、それを計算ずくで作為的に再構築してみせたところで、すでにそれはジャンクではない。
『エブエブ』の「面白いけど、どこか胡散臭い」感じというのは、たとえば教室で「ほんとうにバカなのでしょっちゅう笑えるバカなことをするボンクラ学生」とは友達になれるけど、「ほんとうは頭がいいのだが空気を読んで受け狙いでバカをやってみせるお調子者」はイマイチ信用できない、というのに近い。
まあ、バカのふりをしてる賢いヤツってのは、時にこっちの足元をすくってくるから警戒を怠れないと決めつけて、つい引き気味に評価してしまう僕自身の「狭量さ」がいちばんの原因なんだけど。

― ― ― ―

『エブエブ』が日本で、アメリカほどに評価されていない理由はいくつかあると思う。

まずはあけすけな話で恐縮だが、そもそも日本人はハリウッド映画の主役に同じ東洋人を望んでいないというか、ぶっちゃけアメリカ映画観るなら白人の美男美女が観たい人間のほうが大半だということ(かつて『ポカホンタス』が引き起こしたガッカリ感を思い出せ)。

それから「移民賛歌」ともいうべきマイノリティへの絶対的な共感が、日本で娯楽映画を観に来るメイン層にはさしてピンと来なさそうなこと(それが良いことかどうかはさておき、日本で同じ話を焼肉屋経営の在日韓国人を主役に作っても、残念ながらアメリカのようにはヒットしないと思う)。

なにより、気づくと日本はノベルゲー→美少女エロゲー→ラノベ→なろうというユースカルチャーの変遷のなかで、世界に名だたる「異世界転生」&「タイムリープ」創作大国になっていて、少々のマルチバースものを見せられても簡単にはひれ伏せないくらいに鍛えられてしまっているということ。

なにせ、過去20年くらいの世評の高かったアニメ&漫画のことを考えてみてほしい。
『涼宮ハルヒの憂鬱』『時をかける少女』『四畳半神話大系』『STEINS;GATE』『魔法少女まどかマギカ『Reゼロから始める異世界生活』『僕だけがいない街』『君の名は。』『東京リベンジャーズ』『サマータイムレンダ』『タコピーの原罪』……。
驚くほどに、ループものと平行世界もの「ばっかり」である。
これに加えて、星の数ほど無限増殖中の『異世界いったら○○でした』『転生したら○○の悪役令嬢でした』といったタイトル群(2023年冬クールの深夜にやってる異世界転生アニメだけで「二桁」以上もあるんだから、もはや言葉もない)。
思えば『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』やKeyゲー全盛の時代から、あるいはもっと昔の『ドラえもん』の時代から、日本では常に「別の世界に行けたら」とか「時間を巻き戻せたら」とか「もう一度やり直せたら」とか、そういう「現実逃避型フィクション」ばかりが、サブカルの中核を占め続けてきたのではないだろうか?

「失敗した人生をやり直すこと」に、ほぼすべての想像力と妄想力をフル回転させてきたといっても差し支えないであろう、日本のユースカルチャー(笑)。
そんな日本において、『エブエブ』のマルチバースというのは若干「ぬるい」印象を与えるかもしれない。
『エブエブ』のマルチバースは、「無限の選択肢で分岐した多元宇宙」というよりは、単なる「ヒロインのパワーアップアイテム」くらいの扱いに落ち着いていて、日本のラノベ・ゲームカルチャーでいえば、「ステータス付与」くらいの使い方しかされていないからだ。
たしかに「駆け落ちしなかった世界線」など、うまく「IF」が機能している世界線もあるが、総じて「選択肢」が世界線を分ける面白さは追求されていない。
というか、コインランドリー店主としての世界線をハッピーエンドに導くために、他の世界線が援用されるような構造で、意外に「マルチバース」を最大の売りにしながら、あえて深入りしないで「家族のドラマ」に集中していく感が強い。
これって、数多の作品の主人公たちとともに、世界線を乗り換えるたびに引き起こされる不都合とさんざん戦い続けてきた日本のコミック&ラノベ&アニメファンにとっては、「なんだそんな程度か」って感覚があってもおかしくないのでは。
少なくとも僕は、この手の設定でドラマを練ることに関しては、日本のサブカルに一日の長があるかも、とちょっと思ってしまった。

― ― ― ―

とはいえ。
僕個人の関心領域でいえば、なんといっても還暦のミシェル・ヨーが頑張ってヒロインとして君臨し、カンフー技を披露してくれているだけで、満足といえばもう満足なのだ。

『プロジェクトS』や『グリーン・ディスティニー』の頃の圧倒的な美貌はもはや望むべくもなく、大楠道代と香山美子を混ぜたみたいなおばあさんになってしまっているが(あと特殊効果かと思うくらい手がしわくちゃで引く)、神々しい女優オーラは健在だし、監督たちもきちんと彼女の美しさを際立たせるように撮ってくれている。

しかも、あちこちに「くすぐり」みたいな小ネタが仕掛けてあって、その辺は本当にずるい。まずは、監督自身が「『マトリックス』で始まり、『マグノリア』で終わるような映画を作りたかった」と述懐しているし、今敏の『千年女優』や『パプリカ』、湯浅正明の『マインド・ゲーム』あたりからの影響もあったと認めている。
その他、カンフーで敵の顔を踏みつけそうになるのはブルース・リー・ネタ。
襲ってくるジェイミー・リー・カーチスは『ターミネーター』ネタ。
犬のシーンは『メリーに首ったけ』に加えて『キル・ビル』の要素もありそう。
ウェイモンドが眼鏡をかけたり外したりするのは『スーパーマン』ネタだろうか。
監督がシネフィルであることを恥じず、むしろ声高に語りながら先行作の影響を積極的に認め、客にもわかるように作中に散りばめまくる。まさに「A24」っぽい監督たち&作風だと思う。

それから、物語のなかにミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァン自身の、移民としての挫折と成功の実話をオーバーラップさせることに成功しているのも、本作の評価ポイントだろう。
指がソーセージとかベーグルがどうしたとかいうのは、正直なにが面白いのかと思ったけど、終盤の「目のシール」の使い方は、ちょっと普通には考えつかない凄いアイディアだと感心した。

あと、不満があるとしたら、娘の扱いかなあ。
こいつ、別人格だとはいえ、多元宇宙のいたるところで母親殺して回ってるんだよね。
さすがに甘くないか? まあいいけどさ。

じゃい
Mさんのコメント
2023年4月4日

なぜ日本では受けないかの考察が、的を得ていそうで、おもしろかったです。
私のこの作品に対する評価はとても低かったのですが、このレビューにいちいち感心しながら読ませていただきました。

M
kossyさんのコメント
2023年3月16日

読み応えたっぷりのレビューに嬉しくなりました!
異世界ものアニメはとにかく多過ぎです。それだけ需要があるのでしょうかね~小説投稿サイトなんかを覗くと、「異世界」なるジャンルがあるんですから、まぁ、みんな別世界に行ってみたいんですね。

kossy