「感覚を押し付けてくる」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)
感覚を押し付けてくる
この映画が面白いかどうかと言う前に、私はこの映画が結局好きになれないまま、ラストを迎えることになった。
アクションもジョークも家族ドラマもSF要素も、全てにおいて、作り手が自らの「オモシロ」を押し付けてくる感じが堪らなく嫌だった。
「どうです?ぶっ飛んでるでしょ?」
「トガッてるでしょ?」
「こんなの観たことないでしょ?」
「でも、最後は泣けちゃったりして?」
いや、作品の印象とか楽しみ方はこっちが決めるからさ。
世代としては、あのキー・ホイ・クァンの姿が見られるのは感慨深いってのはある。
そもそも多元宇宙ってモノがもてはやされるのは良いけど、物語を進める上で「何でもアリ」の四次元ポケットとして利用されるのは、観ている側としては勘弁して頂きたい。
その特性や、出来ることと出来ないことが具体的に説明されないまま「実は、こんな使い方もできる!」「こんな平行世界もある!」が羅列されても、「はぁ。あ、そーなんですか。じゃ、さっきまでの私のドキドキとかはあんまり意味なかったですね。」「さっきのも避ける方法があったかも、ですね。」
…はあぁ。
こんな感じで、物語にノるのがバカバカしくなってくる。
駅のホームで待ってて、乗るはずの列車の中では何やら楽しそうに大騒ぎしてるのは窓越しに見えるけど、私を列車に乗せてからやって欲しいな、って感じ。
「アカデミー賞作品賞候補!」って謳い文句が先行して走っちゃってる一方で、過去の作品賞受賞作とは明らかに異質だし、一時期のアフリカ系アメリカ人や同性愛をテーマにした作品が作品賞の常連だった時代から、明らかに今はアジア系に「アカデミー賞的なブーム」がシフトしてきている印象。
それは市場の変化も含めれば必然なのかも知れないけど、少なくとも我々が劇場で観る限りにおいて、アカデミー賞ウンヌンは作品の本質とは関係ないのに、そういう前評判がこの作品をもっとフラットに楽しませてくれない要素にはなってるかも。
もしそうなら、それは観客にも作品にとっても不幸な話だなぁ…と。