エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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カオスはどこからきてどこへ去るのか
どれだけ深読みしてもいいし、スッパリわからんといってもいいんだと思う。
我ながらなんとも中途半端な書き出しである。
公開当時の宣伝文句に「カオス」がなんとかってあったと思う。確かにたっぷり2時間はカオスを浴び、鑑賞者としての軸をどこに置くべきかグルングルンと振り回された。
このカオスはなんなんだ?そもそもカオスに意味など求めてもいけないんだろうけど。
エヴリンにすこーし共感しながら観てた。まさにタイトルどおり、いつでもどこでもひっくるめて「諦めとイラつきとなんかわからん負の感情」がエヴリンと私の心の中に渦巻いてたからだと思う。エヴリンの心の中がカオスなんだよ。岩のシーンでちょい涙出ちゃった。わかってんのよ、「優しく」ってさ。それが大事ってことはわかってんの。でも出来ないから心がカオスなの。
カオスの表現方法を面白いと感じられるか、不快と感じるかってのもあるんだろうけど私は許容範囲。
黒いベーグル化に対抗するために
泣かせるなバカヤロウ!!!
なんでフツーのおばさんが国税局に税の申告に行ったら、マルチバースの世界を知ってしまい、意味が分からない超能力で巨大な悪に立ち向かう物語に涙するのか。
それがきっと平凡な人生を肯定する物語だからであろう。
前述のように意味がよく分からない話であるが、結局のところ壮大な母娘のケンカ話なのである。母・エヴリンの理想とかけはなれてしまった娘・ジョイ。思春期にグレて、大金をはたいて進学させた大学は中退し、おまけにレズビアンに「なってしまった」娘。そんな娘の「ガールフレンド」を父に単なる友達と紹介したことで関係はさらにこじれていく。エヴリンは娘に後悔する。そして夫に父に仕事に人生にも。もしも夫と結婚していなかったら、駆け落ちしても引き留めないほど忌み嫌われた父から生まれていなければ、破産寸前のコインランドリーなんて経営していなかったら、こんな平凡な人生でなければ私は幸福だったのではないか…。ありえたはずの人生と幸福を彼女は想像するのである。
それがきっと本作にマルチバースの世界が登場する意味なのだろう。誰しもがありえたかもしれない幸福な人生を想像するはずである。もしも今日、映画をみにいっていたら、この仕事を選んでいなければ、この人と結婚していなかったらと日常のささいな選択から、もしもハリウッドスターになっていたら、凄腕の料理人になっていたら、人類の指がソーセージである世界があったらと壮大なものまで。またグローバル化とSNS全盛時代であることも関係するだろう。私たちは容易に他者の人生と幸福のありようを可視化することができ、そこにありえたかもしれない人生の可能性を見出すのである。
そんなありえたかもしれない人生の可能性が可視化された世界で、改めて自らの平凡な人生を振り返れば虚無に陥ることは否めない。可能性はゼロではないのに、結局のところつまらなく平凡な人生なら無意味でありカオスに陥っても問題ない。そのような発想になってしまったのが精神が壊れるほどバースジャンプしたジョブ・トゥパキであり、彼女がつくった黒いベーグルはカオス化した世界なのである。その黒いベーグルで最も理想的な世界は、目玉をつけた石だけが存在する世界。つまり人類が生まれなかった世界なのである。そこには平凡な人生を後悔する発想がない。そもそも人間が生まれていないのだから。それは反出生主義の世界でもある。
だがエヴリンは抵抗する。例え自分の理想とする人生ではないとしてもそれを黒いベーグル化はしないのである。ではエヴリンがジョブ・トゥパキに抗うために何をするのか。それはジョブ・トゥパキ≒ジョイを娘だと認めることである。それはありきたりな答えかもしれない。けれど家族であることは幾多の可能性の中で偶然そうなった奇跡のようなものである。と同時に家族とはそうなったに違いない統計的必然とも呼べるに違いない。だからこそ今の家族を、娘を、そして人生を肯定しようとするのだ。本作のバトルアクションに殺傷が少ないのも、ジョブ・トゥパキがエヴリンを殺せる場面はたくさんあるのに殺さないのは、彼らのバトルが友敵に分かれて敵を打ちのめすのではなく他者の理解や肯定を目的にしているからといってよいだろう。そしてそれは夫の日和見主義な優しさとも違う。他者の理解や肯定のためには、傷つける可能性があるほど他者と関わらなければいけないのだ。
自らの人生を肯定することは、他者の人生を肯定することにもつながるはずだ。〈私〉が他者と家族になったり、関わることは幾多もあった可能性の中で実現された奇跡と捉えることができるし、名前も顔もしらない他者についてももしかしたら家族になったかもしれない存在、関わることになったかもしれない他者と捉えることができるはずだからだ。
現代はニヒリズムの闇が広がっている。自らの人生を他者や別の人生と比べ虚無化させ、他者に不寛容で抹消しようとする世界が。そんな黒いベーグル化に対抗するために。私たちには本作を肯定しようとするバースジャンプが必要なのである。
主人公・エヴリンと、マルチバースの描写が好みに合うか否かで感想が変わる。
◯作品全体
主人公・エヴリンのバースは他のバースと違って、あらゆることで失敗をしてきたのだという。そのバースにいるエヴリンが他のバースのエヴリンの力を使って、最終的に愛の力を持って宇宙の危機と家族の危機を救う。
各バースと繋がるときの奇抜な演出は面白かったけれど、そこが一番の見せ場になってしまっていて、家族との和解や、エヴリン自身の物語は二の次になっていた印象があった。
そもそもの話になってしまうけれど、あらゆることで失敗してしまった人物が夫を持ち、子を持ち、人並みに生活していることがすごく疑問だ。エヴリンの他のバースと比較して一番失敗している、としても、幾重にも別れたマルチバースの世界でこれがワースト、というのは正直説得力がない。なにもない人物がなにかを得て、最終的には愛を持って道を拓く…というプロットは凄く好きな部類だけど、出発の地点がイマイチだと終盤のカタルシスも少ない。
エヴリンのキャラクターとしての魅力もあまり感じなかった。ラストを愛の強さを軸にする以上、序盤はそうでない人物として描いているのだろうけど、自分中心に世界を回すことに固執してる感じに嫌悪感を抱く。嫌悪感を抱くということは表現としてリアルだからなのかもしれなけれど、作品を見ていて「上向きの世界に進んでほしいな」と思えないのは少しつらい。個人的には客に向かって中国語で「鼻の大きい人」と声をかけるのがなんか凄い最悪だった。コメディっぽい演出でやってるつもりなんだろうけど、言葉を知らない人間を下に見るような感じが嫌だったな。生活の中でエヴリン自身もそういう目にあってきたのだろうから、マルチバースの世界のエヴリンよりも主人公・エヴリンが前へ進むことを後押ししたくなる深掘りが欲しかった。
アクションのアイデアは凄く面白かった。マルチバースからいろんな能力を手に入れていって、どんどん強くなる。いろんな自分が一致団結して戦っているような見せ方が良い。ただ、それが単純な強さの基準になっていた時間が凄く短かかったのが残念。
他のバースの描写が悪い意味で癖が強い。手がソーセージになってる世界とか、軽く触れる程度であればフフッと笑えるけれど、そこで同性愛も盛り込んだドラマとかやられても、どういう顔して見てればいいのか困惑する。性表現っぽいものをケチャップとマスタードでやってたのが最悪だった。マルチバースのジョイの格好とか強化された小指の表現とか、なんかちょっと品がないというか、気色悪いというか。それが作品の色味として使われてるならまだしも、ちょっと一発芸っぽい感じだった。逆に石だけの世界は作品全体に漂う下品さが削ぎ落とされていて、とても良かった。
今いる世界に憎悪しているエヴリンが、ウェイモンドやジョイ、そして別のバースの自分と向き合うことで世界を愛し始める。その場面はもちろんあったけれど、もう少しそのドラマを見ることができたら、エヴリンというキャラクターも、マルチバースの描写ももっと好きになっていたのかもしれない…という別のバースの『エブエブ』を考えてしまった。
◯カメラワークとか
・この作品がアカデミー賞編集賞を受賞した理由としてマルチバースの世界がそれぞれのドラマとして独立していて、それがカットバックとかで繋がれているからだと思うんだけど、別に整理されているわけでもないし、それぞれの世界が独立してる以上、どう繋ごうが似たような印象になるんじゃないかなあと思ってしまった。
◯その他
・ビッグノーズの人が犬を振り回して戦ってたけど、飛ばされた犬主観のカメラワークが『空飛ぶギロチン』っぽい。「飛ばすべきものでないものが飛ぶ」という意味でもカンフー映画という意味でもパロディっぽい気がする。
・この作品にアカデミー賞が7部門の賞を与えたことは、今の時代に生きてれば理由がわかるけど、後々振り返ると頭にハテナが浮かぶんじゃないかなあと思う。
子育ては全身全霊!
上映館が少なくなってきたので急いで鑑賞。やはりこの映画は映画館で観てよかった!
・序盤の「せかせかした中国映画感」に、これはババ引いたかと思ったが、、、中盤からガンガン魅きこまれた!
・「貴方と会わない宇宙の方が成功して良かった。」の言葉にええッ!?そのまま終わらないよね。ホッ。
・夫の「一緒にコンランドリーと税金やりたい」にグッとくる。
・監査官との愛、、、。
・殴られて神経痛治って、倒れながら小さな声で「ありがとう、、。」には笑った。
・石だけの無音のシーン。超斬新!
・エンドロールで流れた『This is a Life』の歌詞。まさに。
・娘が泣きながら「この世界では良い時間は少ししかない。」と言えば、母は「じゃあ、その時間を大事にするわ。」 良いっ!!
なんと泣ける映画だったとは!
遊園地みたいにテンコ盛り&ハチャメチャなのに、しっかり全編通して背骨が通されていて作品として完成されていた。凄い手腕だ。
この作品を観るべき人、観なくてもよい人
先日の米アカデミー賞では、主要8部門中6部門受賞という快挙で、オスカーの歴史を塗り替えた本作品。
ノミネートされていることも、最有力候補になっていることも知っていたのですが、何故か観ようという気分になれなかった作品のひとつ。
しかし前評判通りの輝かしい結果を受けて、
「やっぱり観とくべき?」と
重い腰を上げたわけですが…
結果からいうと(あくまでも個人の主観としてですのでご容赦を)
う~ん、
よっぽどの映画好き以外の人は、
あえて観なくてもよいのでは?
と率直に思いました。
「カンフー」 × 「マルチバース」
確かに面白い組み合わせではある。
最近ハリウッドでは、
アジア系がじわじわきている気はします。
韓国映画「パラサイト~半地下の家族」とか「ミナリ」で韓国女優ユン・ヨジョンさんが受賞した記憶はまだ新しいし、「カンフー」とか「サムライ」とかそういうの基本好まれてるね。
そいういう映画界の潮流的なものでいえば、
受賞したのも頷けないこともない。
でもでも、
「半地下の家族」はまだ作品として面白かったし作品賞受賞も納得の映画だったと思うのですが、本作品のみなさんの評価はというと、割とはっきりと分かれているように思います。
一般人★★★ < 映画評論家★★★★
といったところで、
もちろん一般人のほうが圧倒的に多いので平均は3.5を割ることとなる。
で結局、
「これって観るべき映画なん?」
はい、
まとめますね。
【観るべき人】
毎年アカデミー賞受賞作品は、もれなく観ることにしている人
カンフーが好きな人、マルチバースな人
最先端のカオスを体験してみたい人
【観なくてもよい人】
上記以外の人
米アカデミー賞7部門受賞の今話題の作品
「カンフー」×「マルチバース」×「家族の物語」
最先端のカオス体験は、ハマる人にはハマるかも
何にも考えずに楽しみたい人にはおススメ♪
まだ観ようか迷っている方の少しでも参考になれば幸いです♪
黒人ばかりかまってちゃんじゃないYO!
まずはキー・ホイおめでとう。
ジャッキーの代役で、ジャッキーみたいな立ち回りで、キーがオスカー獲ったら、これまでのジャッキーの功績をどこで称えるのか、ともジャッキーブチギレ!とも密かにニヤニヤしていたが、本件においては、心が広いようで今のところ、そんな喜劇は起こっていない。
そんなこんなの、時代にドンピシャでオスカーを総ざらいした、
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」
・・・
本作の監督ダニエルズの前作「スイス・アーミー・マン」については、レビューにある通り、やってみれば「少しも奇抜でない」設定と「自分さえよければそれでいい」発奮(放屁)ストーリーが、オタク臭が充満した、(ある意味ものすごいパワー)映画で、連れの評価を尻目にこき下ろした。
で本作はというと、おんなじである。
ただし、オタク臭については、とても上手く誤魔化す、紛れることに成功している。
それが、アジア人俳優の映画という点。
アジア人俳優のこれまでの待遇と、MCUが全くうまくいっていないことを鼻で笑う「マルチユニバース」の舞台設定。アジア人もハリウッド「大作っぽい」設定の映画が作れるよ、ということを、猛烈にアピールしている。
ちょうどいい具合に、「パラサイト」「ミナリ」「ドライブ・マイ・カー」と時代の後押しもある。
とにかく、うまいやり方だ。そしてここぞ、というタイミング。映画は時代とともに、ということがよくわかる。
もっというと、この映画の最大のアピールポイントは
「黒人ばっかりかまってちゃんじゃなく、アジア人もかまってYO!(かまってあげてYO!」
ということである。
なかなか気づかないが、実は本作、黒人が全くといって出ていない。
・・・
こんな人生ではなかった。
親ガチャで外れを引いた。
そういえばちょっと前に観たような、シン・エヴァの親子喧嘩を丸丸パクって
青臭い説教臭さを「家族愛」と感動するのもかまわないが、This is the Lifeとか
I Love Youとか、声高にアピールされても、げっぷがでるほどで、そこはしらけてしまう。
他のユニバースからの力の拝借、バカをやればやるほど、力が得られる。
人からバカだと思われてもいいんだよ、「他のユニバース」=「選択していなかったが本来もち得た能力」と、オタク臭爆発の設定は健在だが、その説教臭い「家族愛」。
毒と毒と感じる人もいれば、中和とみるか、ごまかされているか、が各人の評価、ということだろう。
これが「アジア人俳優」の真の評価だと言わんばかりのメタ構造が相まって、コッテコテに。
バカバカしさのバリエーション、とにかくぶっこんでおけばよいだろう、というわけではなく、結構緻密な編集には頭が下がる。見せ方は前作に比べ、大幅に上手くなっている。
しかし本作、それ以上に、これ以上ないタイミングと条件で作られた映画ということで、作品の価値そのものよりも「目撃者」として、今この瞬間に観るべき映画であることは間違いない。
追記
余り語られていないラストについて
この世界の主人公は、家族含め、円満に幸せになり、全ユニバースで最も最低な存在ではなくなった。
他のユニバースから「ほかの最低の主人公」に力を貸した(拝借された)のか、
それとも、
夢落ちなのか(オール・アット・ワンス、なだけに)。
(ニヤニヤ)
シュールなマルチバースの冒険が内包する普遍的なメッセージ
「あの時違う方を選んでいたら今どうなっていたのかな」という空想が脳裏をよぎったことは、誰しもあるのではないだろうか。単なる思考の遊びか、または痛切な後悔と共になのか、漠然と現在の人生に自信が持てないゆえの気の迷いか、それは人それぞれ。
本作では中年のそんな空想を映像化……どころか、マルチバースには人間の生まれなかった世界も登場し、多元宇宙を救うための闘いが繰り広げられる……主にカンフーで。
しがないクリーニング屋を夫と経営する中年女性のエブリン。ある日突然「別の宇宙のウェイモンド」からのコンタクトを受け、さまざまなマルチバースの自分と接触しては能力を取り込みつつ、宇宙規模の巨悪(娘のジョイ)と対峙する。
マルチバースの他のエブリンたちがメインで動き出すことはないし、おのおのどういう人生を送っているかはあまり深堀りされない。突拍子もない行動をトリガーにマルチバースにアクセスし、並行世界の”自分”の能力(肺活量とかカンフーとか)をゲットして、メイン(物語における)の世界で闘う。
そして、ブラックベーグルの虚無に吸い込まれつつあった娘を救うのだ。
(娘が宇宙のラスボスで虚無に吸い込まれるというのも、反抗期の親子関係などを彷彿させる、なかなか含蓄のある設定)
家族愛やさまざまなギャップ(世代間、ジェンダー、庶民と体制、etc.)の存在と相互理解の必要性といった、俯瞰すればオーソドックスと言っていいテーマを内包したストーリーなのだが、見ている間はマルチバース間の目まぐるしい行き来に目と心を持っていかれる。そのマルチバースのバリエーションがエブリンの「選ばなかった選択肢」だけではなく、意表をつくというかシュールというか、よく分からないものが結構混じっているのだ。
手指がソーセージの世界とか、頭にアライグマを乗せたライバルシェフとか、ポメラニアンをリードでぶんぶん振り回す敵とか、しまいには石とか(石からは何か能力をもらっていたのか、その能力は何だったのかよく分からなかった)。
宇宙の巨悪状態のジョイが序盤で振り回す棒状の武器がもろアレの形とか(そういう用途に使ってなければ、ぼかしもレーティングもなしでいいのか……)、マルチバースへのトリガーとしてお尻にいろいろぶっ差すキャラとか、エブリンが派手にリバースするシーンとかもあったが、最近そういうお下品表現を含む映画が多かったので何だか慣れてきている自分がいた。
それにしても、ミシェル・ヨーはやはり素晴らしい。疲れ切ったクリーニング屋のおばさんも、きらびやかなドレスをまとったゴージャスなスターも同じレベルでさまになっている。カンフーアクションもばっちり。コメディエンヌとしての感覚も冴えている。
その上このキャリアながら奇天烈な格好も厭わない。終盤でさまざまなマルチバースのエブリンの姿が目まぐるしいスピードで流されて、鑑賞中にはひとつひとつを視認できなかったが、パンフレット(本棚で保管しにくい立体目玉付き)に84パターンの写真が載っていた。いやダニエルズ、よくこんなのミシェル・ヨーに頼んだな。
ジェイミー・リー・カーティス、あんな体型だっけ?ボディスーツかな?と思って調べたら、なんとガチであの体型だそうで驚愕した。本人いわく、これまではこの「本当の体型」を隠してきたとのこと。それを本作で解放することに決めたのだそうだ。
A24魂が息づく、表現の癖強めな本作が賞レースを独走している理由はふたつあるのではないか。
ひとつは、意地悪な見方になるが審査員受けのいい要素が多いこと。キー・ホイ・クァンの大復活という物語をはじめ随所に散りばめられたアジア系要素、LGBT、家族愛。ジェイミー・リー・カーティスが晒したありのままの体型は、アンチルッキズム的だ。
年齢の壁を壊しているとも言える。取り柄のない平凡な人間が超常的な理屈で突然無双、なんて話の主人公は、映画ではだいたい若者が相場。
もうひとつは、自分の人生や今いる場所、目の前の誰かを肯定し、愛してみようという、あたたかくて希望を感じるメッセージに帰着することだ。
ナンセンスでぶっ飛んだ冒険譚の後に残る童話「青い鳥」のような余韻。それがこの一見エッジィな作品に、多くの人に共感され得る普遍性をもたらしている。
家族間のいざこざを最大限に拡大解釈する試み。
親子のいざこざを描くためには、これだけの大風呂敷が必要である!というダニエルズの居直りが素晴らしい。家父長制や古い文化の継承、親に認められたいというコンプレックス、クイアへの不寛容などなど、この家族もさまざまな問題をはらんでいるが、ひとつひとつは決して特殊なものではない。しかし当事者にとっての苦悩は、他人の目には取るに足らなくても、全マルチバースの存亡と同じくらいのレベルでデカくて深い。正直、所見のときは王道の家族ドラマとしてまとまっているので、ダニエルズのメジャー化戦略かと疑ってしまったが、見返すほどに真摯さや細やかな配慮が伝わってきて、ケツネタに代表される悪ふざけメインの作品ではない。
カットされた未公開シーンを見ると、ダニエルズが完成形に落とし込むためにどれだけ大鉈を振るったのかがわかる。ハチャメチャでやりたい放題に見えるかも知れないが、編集段階で考え抜き、物語を伝える上でノイズになるものを慎重に排除している。映画は完成形で判断すればいいが、製作の過程を知ると、ダニエルズがこの物語にいかに真剣に向き合ったかがわかる気がして、作品のことがさらに好きになった。
マルチバースの虚無感との戦い
マルチバースは数多の可能性に想いを馳せる物語装置だ。だが、あらゆる可能性があるということは、不老不死が空しいみたいなことと似ていて、虚無へと通じる何かでもある。この作品は、そんなマルチバースの虚無との戦いが描かれ、最終的には、ぱっとしない自分の唯一の人生もまたかけがえのないものだという着地をする。
主人公は、コインランドリーの経営が火の車で、確定申告に悩んでいる。娘が同性愛者であることも彼女には受け入れにくいものとして悩みの種になっている。税務署でマルチバースのいざこざに巻き込まれて、別次元の自分と接続されてすごい力を発揮しながら、自分の人生の分岐点に想いを馳せる。自分にはこんな可能性もあったのだなと。対して、あらゆる次元を経験してしまった娘の方は、この世界がどうでもよくなり、消滅させようともくろむ。
哲学者の千葉雅也的に言うと、過剰な接続を「切断」することが幸福につながる、というような、そういうメッセージがここにはあると言える。一度しかない冴えない人生であっても、他のどの次元とも異なる唯一性を慈しむこと。幸福の秘訣はそれだと本作は描いている。
ミシェル・ヨー×キー・ホイ・クァンで感涙
本作のヒーローは、家族の問題やコインランドリーの赤字経営に頭を悩ます普通の中年女性であるのが画期的だ。そんな彼女が、全宇宙にカオス(混沌)をもたらす強大な悪を倒せる存在というのだから奇想天外な展開が待っている。しかも、生活に追われて疲れ果てていたその女性エヴリンを演じるのが、約30年前、ジャッキー・チェン主演の「ポリス・ストーリー3」(1993)で鮮烈なアクションを披露したミシェル・ヨーである。彼女が主演ということであれば期待が高まる人もいると思うが、マルチバースにカンフーアクションが掛け合わされる展開に、香港映画ファンならずとも歓喜しないわけにはいかない。
さらに、優しいだけで頼りにならないエヴリンの夫ウェイモンドを演じたのが、1980年代の大人気作「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984)や「グーニーズ」(1985)で、天才子役として一世を風靡したキー・ホイ・クァンである。この2人の共演というだけで胸アツになる世代、映画ファンは多いはず。長い間俳優業から離れて助監督やアクション指導をしていたクァンが、本作で復帰を遂げたことは非常に感慨深い。中年になった彼が息をのむカンフーアクションを決める姿に、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」でスクリーン内を飛び回っていた姿がオーバーラップし、それだけで目頭が熱くなる。
過度な期待をせずに見るのが正解だと思う、奇抜で独創的なアクション・エンターテインメント映画。
本作は、第95回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞(ミシェル・ヨー)など最多の10部門11ノミネートを果たしています。
そのため、見る際には期待値が上がると思いますが、個人的には、そこまで期待値を上げずに見るのが正解だと考えています。
というのも本作の監督・脚本は、あの奇想天外な「スイス・アーミー・マン」(2016年)を生み出した(ダニエル・シャイナートとダニエル・クワンの)コンビ「ダニエルズ」だからです。
ちなみに「スイス・アーミー・マン」はポール・ダノが死体(ダニエル・ラドクリフ)と共に旅をするという風変わりなサバイバル映画です。
そして、その「ダニエルズ」が湯浅政明監督作「マインド・ゲーム」や今敏監督作「パプリカ」などからインスパイアされ、カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせるという独特な世界を表現しています。
イメージとしては「マトリックス」が近いのかもしれません。
情報量はとても多いので、キチンと睡眠をとってから見るのがおススメです。
20年以上前にアメリカに移民した中華系の家族の物語ですが、主役のエヴリン(ミシェル・ヨー)がマルチバースを行き来することになり、様々な分岐点にいる自分を見つけます。
そして「もし、あの時、こっちの選択をしていれば、こうなっていた」というエヴリンが登場し続けるのですが、これがミシェル・ヨー本人が辿ってきた現実とリンクもするので、ミシェル・ヨーが、これ以上は考えられないくらいの「ハマり役」となっています。
また、様々な世界を見せ続けていく、カオスでありながらも視覚的に理解できる領域にまで整理した編集能力は秀でています。
では、本作で描かれた結論的なテーマは何なのかというと、これがかなり「普通」なものなので、「Don't think. Feelな映画」として捉えるのが多くの人にとって楽しめる見方だと思います。
カンフー、多元宇宙、家族の危機、名作パロディ、下ネタジョークまで全部盛りのメタメタでカオスな爆笑活劇!
あいにくオンライン試写での鑑賞だったが、自室でこれほど何度も大笑いした映画は久しぶり。映画館の大スクリーンならさぞかし盛り上がることだろう。
今年のアカデミー賞の最多ノミネートと、ミシェル・ヨー主演ということぐらいしか事前情報をチェックしていなかったので、いろんな設定をもりもりに盛り込んだ奇想天外なストーリーと、「変な行動をすると、別の宇宙にジャンプするパワーを得る」といういかれたルールにより繰り出されるおバカなシーンの数々に爆笑しつつ、こんなヘンテコ映画を一体誰が作った!?と考えながらの鑑賞だったが、「スイス・アーミー・マン」の監督コンビ“ダニエルズ”と聞いてなるほど納得。あのカルト的作品も、死体内の腐敗ガスが屁になってジェットスキーのように海を進むなどという馬鹿馬鹿しすぎるアイデアが最高だった。
ブルース・リーが映画の世界に持ち込んだカンフーに、ジャッキー・チェンが加えた笑いの風味と、「マトリックス」が重ねたメタバースなどのSF要素が、昨今のハリウッドにおける多様性尊重の波にもうまく乗り、この“エブ・エブ”に合流して結実したといったところか。
ただこれ、映倫の区分が「G」になっているけれど、家族やカップルで鑑賞するつもりなら要注意。アダルトグッズそのものや、それを模した物を使った下ネタジョークのアクションシーンもいくつかあり、下ネタに対する受容度やリアクションが大きく異なる同伴者と観ると、「あんなネタでこんなに笑うなんて…」と呆れられるリスクがあるからだ。気心の知れた仲間と行けるなら、きっと愉快な鑑賞体験になるだろう。
イマジネーションと映像力が大爆発している
これは凄い。イマジネーションが大爆発している。これまでも既成概念の枠組みを超えた秀作を手掛けてきたA24だが、ここにきてマルチバースを扱うなんて想像もしなかった。それも驚きの発想でいくつもの次元を股にかけ、あらゆる可能性の限界を取っ払っていく。言うなれば『マトリックス』と『ドクター・ストレンジ2』を掛け合わせ、さらに量子論と『2001年 宇宙の旅』を融合したかのような・・・いや、やめよう。こんな言葉の説明なんて全く役に立たない。要はビッグバン級の奇想天外な映像世界を物の見事にビジュアル化し、それでいて何が起こっているのかを観客がきちんと理解できる。これが本当に信じがたく、凄いのだ。怒涛の展開に翻弄されまくりのミシェル・ヨーと魅力全開のキー・ホイ・クワンをはじめキャスト陣も宝石のよう。こんな楽しく、笑えて、涙さえこみ上げる家族アクション、壮大な洪水のようなアイデンティティ・ドラマは初めてだ。
食わず嫌いしなくて良かった
まず先に陳謝🙏
予告を何度観ても「これハマらんわ」と
高を括っておりました。
こんなはちゃめちゃでお下品でお下劣なのに
そこにはもう「愛」がギューギューに
詰め込まれていて、何ならあの家族愛に泣けた🤣
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本来こんなドタバタコメディ色が強い作品は
好きではないのだけど
まぁそれも年とともに感性も変化してきたのかも。
マルチバース、なんでもありだね🤣
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ぶっ飛びすぎて、
世界観もごちゃごちゃしているし
確かにこれは好みが分かれる作品だけど
A24だからと
(いままであまり波長が合わなかった)
観ないままにしなくてよかった。
うん、なんなら本年度最多の10部門11ノミネートも
鑑賞後のいまなら至極納得しています🏆
エヴリンは敵を倒すために 戦いを強いられてしまう。これはすごく変な映画である。 すごく変な映画ではあるが、 面白くないわけではない。 説明するのはすごく難しいので実際に映画を見てほしい。
動画配信で映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を見た。
2022年製作/139分/G/アメリカ
原題または英題:Everything Everywhere All at Once
配給:ギャガ
劇場公開日:2023年3月3日
ミシェル・ヨー(エブリン)61才
ジェイミー・リー・カーティス(税務官)65才
ミシェル・ヨーは中国系マレーシア人。
漢字では杨紫琼と書くらしい。
日本語で言うとヤンさんだろう。
この映画の監督ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナートは知らないが、
制作のアンソニー・ルッソは知ってる。
アベンジャーズやキャプテン・アメリカンの監督だ。
ほとんど予備知識なしで見はじめる。
これはマルチバースの話のようだ。
マルチバースと言えば最近見たのは「ザ・フラッシュ」(2023)だ。
簡単に説明すると「パラレルワールド」のことで、
別の世界の自分がいる感じ。
「バックトゥザフューチャー」もそうだろう。
現在のマーティと過去のマーティが存在する。
コインランドリーを営むエブリン夫妻。
朝、台所でご飯が炊きあがったメロディが流れる。
音楽はアマリリス。
これは日本語の歌詞がついているがフランス民謡らしい。
エブリンの炊飯器は象印だと思う。
うちの炊飯器も同じだからわかる。
エブリン夫妻はずっと何かを話している。
ほとんど中国語の普通語だが、
英語交じりだ。
20年来の移民の夫婦の家庭内言語は中国語と英語のチャンポンだった。
エブリンは税務署の監査を受けるらしい。
理由は必要経費の一部に疑義があること。
これはつらいと思う。
オレも自営業者なので確定申告の2月から3月は気がピリピリする。
税理士からこの経費は通りませんと言われると本当につらい。
税務官はジェイミー・リー・カーティス。
もう65才か。
もうおばあちゃんだな。
ちょうど春節の時期でエブリンの父親が来ているらしい。
登場すると、なんと広東語を話している。
中国語の映画を見ていると、
ときどき、普通語話者と広東語話者がそれぞれの言語で会話する場面がある。
章子怡や刘德华の映画で見たことがある。
普通語話者の知人に尋ねてみた。
こういうことは普通にあることらしい。
話さなくても(話せなくても)相手の言っていることは判るらしい。
なるほどそういうことかと腑に落ちた。
エブリンは娘ジョイとは関係がこじれている。
ジョイはうつになっている。
中国系ではない恋人ベッキー(女性)をエヴリンが受け入れられずにいる。
エブリンが税務署で監査を受けているとき、
エブリンの夫の体が別のバースから来た夫に乗っ取られた。
エヴリンは娘の体を乗っ取っているジョブ・トゥパキという敵を倒すために
戦いを強いられてしまう。
はっきり言って、これはすごく変な映画である。
すごく変な映画ではあるが、
面白くないわけではない。
説明するのはすごく難しいので実際に映画を見てほしい。
映画のテーマは親子愛と夫婦愛と家族愛である。
ミシェル・ヨーはもうおばさんだが、
映画の中のミシェル・ヨーは可愛らしくて、きれいで魅力的だった。
彼女の魅力を十分引き出している。
ミシェル・ヨーの代表作であることは間違いない。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
❇️『浅野温子さんとジャッキーチェーンさん出てる?』
エブリシングエブリウェアオールアットワンス
❇️『えぶりしんぐえぶりうぇあ… …なんやっけ?長いねんほんま💢』
🔵かーるくあらすじ。
コインランドリーを営むおばさんが主人公。
夫、娘、痴呆症の父がいる。
税務署申告、同性愛の娘の恋人紹介、ランドリーの管理など忙しい今日の日をどう乗り越えるかしている所に、未来からやって来た夫のメッセージや襲われていく!カオスな状態を家族はどの様に乗り越えていくのか❗️ファミリー難解アクション映画。
◉64D点。
★彡浅野温子さんとジャッキーチェンさんの共演作の様でストーリーも破茶滅茶映画。
私は理解できませんでした。
🟢感想。
1️⃣『頭に入ってこない感がある意味凄い』
2️⃣『この映画。人になんて説明すれば?悩む』
3️⃣『ぶっ飛びすぎて説明不可能。でも観れる』
4️⃣『変な事をすると歴史が変更される設定がカオスやった』
5️⃣『母親と娘こんなにも複雑で解くのか大変が伝わった。』
🌀後でこの監督だと知ってしゃーないなと思えた。
🪰🤯👩🏻🍳🤷♀️👗🦮🍩🏕️⁉️
とんでもない
映像はリッチ
難解?いや単純な話なのよ
本作の話をする前に本作とは全く関係の無い話をしておきたい😐
先日、ヴァル・キルマーの訃報をネットニュースで知った🥲
「ヒート」でのヴァル・キルマーの演技以外、マ王の印象としては、酸っぱい、という感じがしてならなかった彼だが、決してコレは悪口ではない。
そういう雰囲気が漂うのがヴァル・キルマーだった。
渋いとかニヒルとかではなく彼から滲み出る臭い的な何かだ。
お世辞にも二枚目とは言えない彼の執念にも似た表現方法だったんだと思うが、嫌いな俳優ではなかったので悔やまれて仕方無い。
そんな夜にマ王が選んだ映画は「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」だったのよ🥸
別に本作とヴァル・キルマーには何の関係も無いんだが、何故か今夜は観るのを躊躇していた本作を選んでみた✨
一見するとマルチバースだの宇宙の危機だのSF映画チックな感じがするが、実は物凄く小さな規模の物語なのよコレ😬
一人の女性が人生を振り返り再生していく過程を描いているだけで、SFって部分は本来物語から切り離すべきカテゴリーである🌀
ともすると、難解な映画に判断されるトコだけどテーマは【家族愛】というだけで140分も引っ張ってる(引っ張らされてる)作品なので見所や語り所は存在しない😂
あの美しかったミシェル・ヨーがかなり老けてたのと「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」のキー・ホイ・クァンが50歳にして銀幕に戻ってきた、ぐらいかなぁと😅
家族間のいざこざ(離婚、育児、父との確執)を色んな世界で描写している所為でクドくて解りにくいトコにSF持ってくるから変な期待が膨らむのに反してオチがハッピーエンドとくれば、マ王が無料公開まで待った判断には間違いは無かったとしか感想がない🤣
マ王自身は20年くらい前になるけど離婚してるし反抗期だった頃の妹を見てきたし幼少期のマ王んトコは人に言えないくらい複雑な家庭環境だったので観ていても、この程度で悩むかね、としか感じないのよ😆
もっとヘヴィな家庭なんて履いて捨てる数でいると思うから、主人公の抱えてた悩みなんて言ってしまえばタラレバの世界😑
そりゃ夢を諦めるって部分には痛感させられたけどさぁ~
でも進行形で今の自分の人生を振り返る時、全てが自分で選択してきたハズなのよ。
例えば「○○がこう言ったからコッチを選んだ」とか曰わる方がいらっしゃる。
他人の所為にするのなら何故に自分で決めなかった?
「○○がこう言ったからコッチを選んだ」と決めたのは紛れも無い自分自身であり、ソコに○○なんて人生の分岐点は存在しないからね。
人間てのは後悔の積み重ねで成長、学習しか出来ないスットコドッコイなワケさ。
勿論、後悔だけが学習要素ではないけど後悔や失敗から学ぶべき事は兎に角多い。
膝を付いて悔やむより先に脚は前へと出すが正解。
寝て覚めればもうソコは明日なんだから。
とまぁ、解り切った説教を2時間近く食らっても大丈夫なマゾ気質な方向けの映画であり、マ王のような生粋のサディストには少々退屈な内容でした🥸
映画館での鑑賞オススメ度★★☆☆☆
「スイス・アーミー・マン」の監督なら仕方無い度★★★★☆
てかPG12では無いのね度★★★☆☆
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