ロストケアのレビュー・感想・評価
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図らずも浮き彫りになる「人の一生」ってやつ
いきなりの脱線からスタートで、しかも政治の話からです。
セキュリティ・クリアランス制度(法)の今国会成立を目指す高市早苗経済安全保障担当大臣への、野党とマスコミの執拗な攻撃には、さすがに怒ってます。作成者も作成時期も不明な「行政文書」なんつー、仰々しく呼ばれている、ショボいメモを盾に取り、辞任要求。マスコミは関係者の証言を切り取って、逆の意味にしか理解できないであろう内容で報道を続ける。今のネット時代、そんなんに騙される有権者が、どんだけいると思ってます?
思い起こせば。
2009年の夏に政権を取った民主党。その年の秋、某在日外国人のための「社団」の会長は、その年次のパーティの壇上で、「これで、日本社会は裏も表も我々が牛耳った」と高々に宣言。さすがに、このカミングアウトのインパクトたるや。夏の総選挙以降、O一郎の「私の母は済州島出身の海女」をはじめとした、数々のカミングアウトで、その正体が明らかになった、と言うか、自爆的に明かしてしまった彼らですが。さすがに「まずいぞ、これは」って事で、大慌てで放送法を改正。「偏向報道したら停波」ってことにしてしまったのは、その直後と記憶。
暴力団潰し・パチンコ潰し・K国への援助の停止・NKへの制裁、などなどは暗殺された安部元首相を憎悪するに十分だったでしょうが、セキュリティ・クリアランスは、更にインパクトがあると思われ。だってですよ。特定機密保護法と組み合わせれば、国会議員すら出自を明らかにしなければ、安全保障委員会への参加が認められない、ってことになりかねませんから。
で、なんで、こんな話からになるのかと言うと。
こういう人たちが作った、製作に名を連ねた映画が多すぎるんですよ。事実に基づかない虚偽にあふれたドキュメンタリーもどきはもとより。でたらめ内容の社会派の物語も乱発。手を変え品を変え、よくもまぁ、これだけの嘘を思いつくもんだと。
と言うわけで、特定の新聞社・特定のTV局・特定の広告代理店が絡む映画の大半が、大嫌いなワタクシですが。
この映画、製作に、それらが入ってないんですよ。
日活と東映&東映の関連会社のみ。
映画屋が作った、社会派の映画。
もうね。それだけで好感度、爆上がりなんだけどw
生活に行き詰まり、生活保護の申請を行うも、冷淡な態度で追い返される斯波。京都で起きた、母と息子さんの心中未遂事件と重なります。制度運用の問題点を、改めて突きつけます。共産党に付き添われた者や、暴力団が持ち込んだホームレスには簡単に生活保護を認めていると言われており、現実に、そうした実態を暴露する人も多いという、今の世の中。本当に支援を必要をしている人たちを、救えていない行政に憤りを覚えつつ。
親の世話になり成長し、年老いた親の面倒を見る。自分も年を取れば、誰かの世話になる。親子と言う関係は、途切れることが無い。いかなる事情があれども、いかなる状況であっても、それだけは忘れてはならない。人として生きていくのならば。
って言う結び。
それでもなお。
斯波の主張する「救済」が必要だというのも、真っ向から否定できないところはある訳で。
私たちは、どんな答えを出せばいいのでしょうか?
って言う映画でした。
でですね。「しんかめ」鑑賞直後に、これを観たんですよ。
もうね。このGAPの凄まじさですよ、長澤まさみのw
日本アカデミーが、まともに機能するのであれば、と言うか、まともな選は期待しちゃいけない代物にはなってるけどw
もしも、まともに選ぶのであれば、主演女優は、ここ数年の邦画で圧倒的だったと確信できる、この長澤まさみに確定ですわ。
良かった。
とっても。
そこで一つ。真面目に質問したいんですよ。
長澤まさみさんに。
「サソリオーグは楽しかったですか?」
救いとは…⭐︎
介護施設で働く松山ケンイチ演じる斬波が、施設利用者をニコチン注射で殺す。
発覚して、事件となった際の担当が長澤まさみ演じる大友。
全編、この二人の闘いとも言える映画。
聖書の黄金律と言われる「何事でも人々からしてもらいたいことは、すべてその通り人々にも
してあげなさい」、この言葉を自身の解釈で行動していく斬波。
斬波を批判し、弾劾しようとしながらも自身の状況と重ねて揺れる大友。
この二人の演技が素晴らしい。
他の方がコメントされているように、また柄本明が斬波の父親として登場した時は
本当に良く出演すると思ったが、やはり彼じゃないとこの役は演じられないのでは
ないかと感じてしまった。
冒頭の孤独死した人が、大友の別れた父親だったという伏線の回収も見事だった。
もちろん、斬波の行動は犯罪なのであるが、それが彼が言う救い(ロストケア)に
なるのか…
答えは、きっと誰にもわからないものなのではないか。
自分も父が認知症になって、半年弱 同居した際は家族崩壊の瀬戸際だった。
斬波が言うように、安全地帯にいる人には何も言えないと思う。
逆に安全地帯から外れてしまっても、ずっと寄り添い続けられる人はいる。
救いかどうかは今もわからないが正義とは何か違うのではないか…
そんなことを考えさせられたすごく気持ちに刺さる作品だった。
救われるとは
圭作だと思います。
作り話なんですが、映画にありがちな全く突拍子もない話ではなく、実際そういうようなことがあってもおかしくないような内容でした。(42人はちょっとやり過ぎかな)
ミステリーではなく、心理戦みたいな感じもよかったし、過剰な演出がないのもよかったと思います。
私も父を老人ホームに入れてまして3年前に亡くなったんですが、自分は「安全地帯」にいたんだなと改めて思いました。確かに(仕方ない事情で)穴に落ちてしまう人も少なからずいるんですよね。
私はホームに二週に一度面会に行っていましたが、そこにいる方々は認知症の症状があるのか会話も表情もない人も多く、生きているというより「生かされている」というように感じていました。(そのような方々は家族もあまり来ないようでした)
安全地帯にいると家族は壮絶な状況にはなりませんが、ホームにいる当人は本当に「救われている」と言えるのだろうかとも、この映画を観て考えさせられました。
42人を殺したのか?それとも救ったのか?
久しぶりに、胸の奥に突き刺さる作品を観た。当初、42人の介護ケア老人を殺したサイコパス・サスペンスの要素が強い作品か、と思っていた。しかし本作は、老人介護について、改めて考えさせられる、前田哲監督らしい社会派のヒューマン・ドラマとして仕上げていた。
親の介護というのは、身内だからこそ、簡単には考えられない現実。しかし、いつかは、誰もが辿り着く社会の課題ともなっている現在、寝たきりや認知症を患った親に対して、私達は、どう接すればよいのか?もちろん、私達も歳をとり、介護される側となり、子供の世話になった時、迷惑をかけないようにするにはどうすればいいのか?それぞれの立場において、とても身につまされる内容であり、現代社会に対しての問題提起とも思える内容。
普段は、とても優しく、親身になって老人の介護にあたる松山ケンイチ演じる介護士・斯波。しかし斯波には、これまでに自分が介護にあたってきた老人を42人も殺してきた裏の顔があった。ストーリーの前半で、その事件は判明し、逮捕されるのだが、そこには、「ロストケアは、殺人ではない、救いだ」という、斯波なりの確固たる正義が存在していた。そして、斯波がなぜ人を殺めるようになったのか、彼と父親との過去に遡って、物語は展開していく。
その事件の検事として、斯波と対峙するのが、長澤まさみ演じる大友。大友もまた、シングルマザーで育ててくれた母が、認知症で介護施設に入居しており、仕事を理由に、母の介護をおざなりにしている後ろめたさも感じていた。そして、冒頭のショッキングな事件シーンが、実は大友と深い結びつきがあったことも、ラストに明らかになっていく。
先日、親の介護支援を依頼してきた自分にとっても、正直、とても重い内容であり、斯波の正義と大友の正義の両面での葛藤と、弱い者が生きづらい悲しい社会の状況に対して、後半は、涙腺も緩みっぱなしだった。
そのように感情移入できたのは、松山ケンイチと長澤まさみの、本音と建て前の両端な想いに揺れ動き、感情を露にした演技もさることながら、脳梗塞で身体の不自由が効かずに、認知症も進んでしまった、斯波の父を演じた、柄本明の鬼気迫る演技にあったと思う。介護に悩み、苦しんでいる人々の生活が、非情なまでにリアルに描かれており、柄本明の役者としての底力を、改めて感じた。
マツケンがカッコ良過ぎた
テーマが面白いと思って見たものの、
斯波のアパートにあった書物、持ち物がないシンプルな部屋であることの、裏付けとなる描写が少なく、斯波の人となりが伝わってこなかった。
それに加えてマツケンご本人の存在感が前面に出過ぎて見えた。
(最後のシーンは泣けましたが)
長澤まさみの演技も、動揺が表情に出過ぎで、
検事にマッチしていなかったかな。
大画面でTVドラマを観ているかのようだったのは、何故だろうか。
テーマは面白いはずなのに、考えさせられるほどでもなかったのは、何故だろう。
所長の窃盗問題、これこそが現実的過ぎてゾッとした。
予告で完結
予告映像に惹かれて見に行きました。
介護センターに勤める松山ケンイチ演じる斯波は、老人から実の息子のように慕われる優秀な介護士だったが、その実は、担当する老人42人を殺害したサイコパスであり、長澤まさみ演じる検事が真相を追求するというもの。
個人的な感想は、物語の展開が少なく、予告映像で完結していると感じてしまいました。
まず、長澤まさみは役にはまっていないと思います。
斯波と対決し正義を突きつけるのですが、演技どうのよりイメージと合っていない感じがしました。
マツケンの演技はよかったですが、白髪が不自然でずっと気になってしまいました。
あのカツラ感はもう少しなんとかならなかったのでしょうか。
柄本さんの演技は神がかっていました。
実家のお父さん的な役はエゴイストでも演じていましたが、こちらでもばっちりはまっていました。
どんな理由があろうと殺人は犯してはならないという理屈だけでは解決できない問題を突きつけらえ、考えさせられる作品です。
しかし、この点は予告を見てなんとなく分かっていることであり、それ以上のミステリー的な展開はありません。
42人目が斯波の父であることや冒頭の腐乱死体が検事の父親であり、取調べや面会室で2人は対決しているようで実は同じような立場だった的な展開も見え見えすぎてしまいました。
分からなかったのは、下着の女性が何人か出てくる場面は何だったのか。
新人介護士の亜紀が風俗で働き始めたということだったのでしょうか。
何を伝えたかったのか分かりませんでした。
皆が通る道
誰も自分が、長生きするかどうか
わからない。
若くして、病や事故で誰かの介助が必要になるか
歳を重ねても、誰にも頼る事なく
独りで生きる人もいる。
自分の未来なんかわからない。
護られなかった者たちへ…を思い出したけど
介護や年金…生活保護
色々あるが、自分が知らない事が多く
せめて、身体が動かなくなった時に
子供や家族に頼らなくていい
気兼ねない場所があればいいのに、と思う。
松山さんに「救われた」坂井さんが言うシーンと
裁判中に「父を返せ」戸田さんが叫ぶシーン
があり、人が人の人生の最後を決めてしまった事に
曖昧さを残したと感じた。
柄本さんが、亡くなった時に息子に
折り紙に手紙を残していて…
あれは反則。
柄本さんの演技もうますぎて泣く。
…皆、自分の幸せと家族の幸せ祈ってるけど
満足する人はいない。
後悔のない人生なんてないんだろうな。
また柄本明!
ここ最近、見る邦画全てに出ているのでは!?
というくらい、柄本明が出ている。
また、この作品でも存在感を発揮していて
介護される老人役を見事に演じていた。
(めちゃくちゃ泣かされた。)
テーマとしては高齢化社会をどうしていくかという
「PLAN75」でも取り扱った内容
ただ「自ら安楽死を選択できる制度が国で決定」
という内容に
ややリアルさを欠く「PLAN75」に比べると
本作はかなりリアルに起こりそうと思った。
し、あれは障害者施設での出来事だったが
「社会の役に立つ」という意思で殺害を行った植松某と斯波は似ていると思う。
あの被害者の中にも「救われた」と思う人が居たかもしれない。
まだまだ考えなければいけないし、答えが出せない。
綺麗すぎるのか?
前半はすごく良かった。介護の現場で斯波たち介護士が働いている姿や、苦しんでいる家族たちの様子に、揺さぶられた。
こういう、身につまされる映画は、心がえぐられるから苦手なんだと思いながら見ていた。
検察事務官の青年が、すごく良かった。斯波の話に動揺する様子とか印象的だった。
このまま抉られて言って、最後は大号泣か?と思いきや後半失速(個人の見解です)
なんかねぇ、主役のふたりが綺麗すぎる。長澤まさみは凛と美しすぎ、松山ケンイチは真っ直ぐに揺らぐことが無さすぎて美しすぎる。
しかも、見ているうちに、だんだんと過剰な映像の演出が鼻につくような気がしてきた。泣かせに来る良いシーンぽいのだけれど、説得力がなくて、ただ綺麗なだけ。
話が泣けるんだから、小道具とか映像とか(鏡とかガラスの演出がうるさい)いらんねん。
そもそもこの映画、2人の対立が主眼なのが違和感。大友のキャラが、斯波と対決するには弱いのだ。彼女に対して共感できる要素もゼロ。説得力のない空虚な正論を振りかざすのみで、全然響かない。かといって正論が空回りしている、という意図でもないらしい。よく分からない。
斯波に引きずられて崩れた訳でもないのに、大友検事の突然の揺らぎにはついていけず。彼女のパートの物語としての必然性が分からず、少し白けてしまった。(それをなぜ斯波に告白するのだ?)
こういう映画だと父親は必ず柄本明で、母親は藤田弓子だ。キャストのマンネリも、邦画が苦手な理由の一つなんだよな。
あと、主役ありきの無理のある展開も。
うーむ、原作を読んでみようと思う。
すごく良さそうな物語だったのに、なんか消化不良。
国家にロストケアのための殺人を裁く資格があるのか⁉️
ロストケア(=介護からの解放)のために、人を殺める行為が、一般の殺人罪と同等に扱われていいのだろうかというのが、率直な感想です(-_-;)
戦争による殺人が許されて、地獄のような介護から解放させるためにやむなく命を断つ行為が許されないなんて、どう考えてもおかしいと思う😨
親子だから、親族だから、扶養義務があるから、介護も仕方ない面もあるだろうが、それも限度があってしかるべきで、限度を越える介護は、本来、国=行政が対処すべき問題である。
国が何も手を差しのべてくれないから、こういう問題が起こるのに、それを差し置いて、何でも人を殺せば殺人罪で裁くというのはいかがなものだろうか⁉️
私には、ロストケアのための殺人は、緊急避難的な行為として、殺人罪には当たらず、それどころか、救済行為として、讃えられるべき行為ではないかと思えてならない‼️
42人の高齢者殺人は、天使の仕業か悪魔の仕業か?
予告編やチラシで、「42人連続殺人犯VS真相に迫る検事」というキャプションが踊っていたので、観る前はひょっとすると猟奇殺人物なのかなと思ったりもしたのですが、実際に観てみると全く違っていて、超高齢化社会となった日本の抱える過重な介護問題とか、公的支援のあまりの少なさを訴えた力作でした。一応ミステリーに分類されていますが、警察や検察が殺人事件の犯人を突き止め、犯行の方法や動機を解明していくという意味ではミステリーと言えますが、実際はミステリーという形態を非常に上手に使って、まさに前述した介護の問題だったり、人の生死に関わる話を考えさせる展開になっており、極めて質の高い作品だったと思います。
キャプションにもあるように、松山ケンイチ演ずる介護ヘルパーの斯波は、合計42人の老人を殺害します。内訳は、病気で寝たきりとなった自分の父親を皮切りに、仕事で介護を担当していた老人41人の合計42人という訳ですが、本作のテーマとしては、この斯波の行為が、「天使の仕業なのか、悪魔の仕業なのか」ということを問うていました。これは比喩表現でもありますが、同時に映画の冒頭で「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイによる福音書7章12節) という聖書の一節を紹介して物語が始まることから、宗教観も絡んだ非常に重層的なテーマでした。
事件直後の現場付近に設置された監視カメラ映像に斯波が写っていたことから斯波の犯行が疑われ、長澤まさみ演じる検事の大友が取り調べを行う。この過程で、大友は通り一遍の正義や法秩序を振りかざして斯波を有罪に持ち込もうとしますが、実はその大友にも、認知症を患って高級老人ホームに入所している母親がいる。父親は大友が幼い時に離婚していたが、後々驚くべき事実が明かされることになる。
それはさておき、斯波は取り調べの中で、自らの父親が病気で動けなくなったことをきっかけに仕事を辞め、自ら父親の介護をしていた経験を語る。収入は父親の僅かな年金のみ。それも家賃と光熱費を払えば殆ど消えてしまうため、満足に食うことも出来ない極貧状態。そこで生活保護を申請しに行くものの、「あなた(斯波本人)が働けばいいので、生活保護は受け取れません」と窓口ですげなく断られてしまう。その結果、タバコから抽出したニコチンを注射する方法で父を殺害するに至る。
そうした経験から、斯波は「この世の中には穴が開いている。穴に落ちたら抜け出せない」、「大友検事はじめ世間は自己責任だと言うが、そういう人は安全地帯から話をしている」といった話をする。
一方の大友検事は、斯波と同じく親一人子一人という境遇ではあるものの、母親は高級老人ホームで何不自由ない生活をしている。確かに斯波の指摘通り、大友の通り一遍の正義や法秩序など、安全地帯で宣うお気楽な建前論とも思えてくる。
そうした斯波と大友のやり取りを軸に物語は展開していきますが、ラストで刑務所(もしくは拘置所)の面会室で仕切り越しに行われたこの二人の会話は、本当に心動かされました。判決内容は分かりませんが、恐らくは最終判決が下っていると思われる段階での面会でしたが、ここで大友は自分の境遇と反省を斯波に初めて打ち分けます。まるで教会の懺悔室で神に懺悔するかのように。勿論神は斯波(斯波はクリスチャンという設定なので、宗教は違うけど、「斯波」という名前は「シヴァ神」から来てるのかな?)。
大友は、母親を老人ホームに入れたことをはじめ、幼い時に離婚して離れ離れになっていた父親から連絡がありつつも無視をしていたこと、連絡から数か月後、父親が孤独死して腐乱した状態で発見されたことなどを、反省を込めて斯波に語ります。斯波は取り調べの際に、大友は穴に落ちていないと指摘し、そんな大友に自分のことを理解できる訳もないと言っていましたが、実は穴に落ちていないと思われた大友にも、それなりの苦悩があったということで映画は終わります。
いろいろとストーリーまで話してしまいましたが、現代日本が抱える問題を、ミステリーという娯楽作品に投影して分かりやすく観客に提示し、考えされるという展開は、実に見事でした。
去年「PLAN75」という倍賞千恵子主演の映画がありましたが、あれは75歳になったら自ら死を選択できるという制度が出来た近未来映画でした。「PLAN75」の製作者は、もちろんこうしたディストピアのような未来が到来することを予測させる兆候を嗅ぎ取った上で作品化していた訳ですが、この「75歳になったら自ら死を選択できますよ」という制度は、独居老人の悲哀とか過重介護に苦しむ本人や家族の問題を、上(国家)から解決しようと試みる制度と言えるでしょう。
ただこれは、社会保障費用を圧縮しようという上(国家)の都合や、75歳以上の人を死なす国家事業すらも、何処かの人材派遣業者や広告代理店のような企業が儲けの種にしていることが描かれており、要は一般庶民の側に立った解決策を偽装しながら、実際は安全地帯の連中による安全地帯のための施策であるように思えました。
一方で本作で斯波が行った行動は、いったん落ちたら這い上がることの出来ない深い深い穴の中の苦しみを、穴に落ちてしまった当事者が自ら解決しようとしたものと言えます。つまり下からの解決です。ただこの解決方法は、PLAN75のような上(国家)からの解決法ではないため、普通に犯罪行為となり、場合によっては死刑になってしまうかも知れないという、なんともやりきれないものでした。というか、ここまで来るとまさに宗教の領域であり、つまりは下からの解決策を個々の人間が下すことは、実際には無理というところでしょう。
そうした意味で、「PLAN75」と本作は、現代日本の問題を全く正反対の方向から眺めた作品で、高齢の親を持つ自分としても、グサッと刺された感のある映画でした。この二つの作品とも、じゃあどうすればいいのかと言った具体的な解決策が明示されている訳ではありません。ただ先ほども触れたように、本作では斯波が生活保護申請をいったものの、断られてしまう下りがあります。あの場面も参考にすれば、直接的な公的扶助をもっと強化することはもちろん、低賃金で人手不足と言われる介護業界の賃金水準を引き上げるなど、国としてやれることはいくらでもあるのではと思います。国家財政が逼迫していることや、個人の問題は自己責任だということを理由に、こうした措置に反対する向きもあるでしょうが、防衛費を2倍にすることが出来るなら、社会保障費も増額することは可能じゃないのかな、と思うところです。
最後に、本作とは全く関係ありませんが、直近に公開された「シン・仮面ライダー」でサソリオーグとして登場した長澤まさみが、本作では松山ケンイチとともに主人公の大友検事を演じ、実にいい演技をしていました。サソリオーグは、派手な登場の割にあっさりと退治されてしまい、一部では長澤まさみの無駄遣いとも言われていましたが、本作で全く毛色の違う役柄を演じ、幅の広いところを魅せてくれました。
涙腺崩壊、アイメイクに気をつけて
何故ウォータープルーフのマスカラにしなかったのか…
これほど後悔した作品は久しぶりでした。
お母さんに会いたい。
お父さんにも会いたい。
近々会いに行こうと思います。
子供の頃、父方の祖母と同居していました。
排便を失敗した廊下の汚物を片付けていたのは母でした。生涯忘れられないショックな光景です。
この前まで元気だったお婆ちゃんが老いる様。
認知症も始まっていましたが、そこまで酷くなる前に他界しました。
初めて父が、大人の男の人が声を上げて泣く姿を見ました。
そんなことをバーっと思い出しました。
老いとは、介護とは、死とは何か。
誰しもに訪れる逃れられないその道を真剣に考える素晴らしい機会をくれる作品です。
同じように「救った」という遺族からの「救われた」という言葉と「お父さんを返して」という言葉の意味。
冒頭の孤独死が意味していたこと、ラストシーンの対峙する人間同士となった2人の涙。
深く複雑な、難しいことをこれでもかと描いてきます。
柄本明は悪役から言葉が不自由になった認知症の人まで、どこまでも名演技でもはや化け物ですか。
マツケンも長澤まさみも戸田菜穂も坂井真紀も、みんなスゴい。鈴鹿くんもすごかった。
レビューの文章が散らかっていますが、心が乱されていてどうにもなりません。
落ち着いてから頭で色々考えて整理した言葉を書くよりも、これが観終えたばかりの率直な感想なのでこのまま掲載してしまいます。
もしこれを読んでくれた、鑑賞を迷っている人がいたら悪いことは言いません。
観た方が良いですよ。
隙間からこぼれ落ちる砂
…いま直面する問題
高齢者の孤独死も含め
介護する人の負担が大きい
検事役の長澤まさみが
殺人犯役の松山ケンイチを質問攻め
して問い詰める場面で…
殺人犯の松山が殺人ではない
……救いであると
介護を通して家族が
抱える問題を現状を問うところで
検事の長沢が国としての法律を
切々と話すが全く心に響いてこない
表面上の様に感じてしまった
苦しんでいる人たちがいる現状
を見ないでいる
松山ケンイチの語るところで
死刑は殺人じゃないのか
という場面で法で定められているから
…正義としている
私たちの固定観念を揺らがす
松山が検事の長沢に問いかける
私達にも問いかけられている
ようにも思えた
長澤まさみが涙を流すところは
…感極まり
二人の演技に釘づけになった
そしてラストの部分も・・
父のことがあったから
殺人犯の気持ちに少し寄りそえた
裁判の時に
父ちゃんを返してと叫ばれて
ハッとした
皆、それぞれの想いあって
苦しくても生きていて欲しい
…家族の想い
殺害は
決して許される事ではない
けど…
一概に善し悪しを
決めることは出来ない
これから一層進む高齢化社会に
課題を含んだ問題
…映画
PLAN 75を思い出した
【”黄金律。”高年齢化と貧富の格差が進む日本のセーフティネットの綻びと”救いの形””家族の絆”とは何かという重いテーマを描いた作品。松山ケンイチと長澤まさみの渾身の演技が素晴しき作品でもある。】
ー 黄金律:何事でも人々からしてもらいたいことは、すべてその通り人々にもしてあげなさい、というキリスト教の思想である。
今作では、この言葉が見る側に重く響いてくるのである。-
◆感想
・セーフティネットの綻びによる社会的弱者の姿や家族の絆を描いた映画としてはケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」「家族を想うとき」や、是枝監督の「万引き家族」を思い出すが、今作は更に”認知症”に罹患した親の介護という現在社会の喫緊の課題をも加えて描かれている。
・今作は、誰にでも慕われる白髪の目立つ介護士、斯波を演じる松山ケンイチと、彼を大量殺人者として告訴する大友検察官を演じる長澤まさみの渾身の演技に支えられた作品でもある。
・斯波は自ら手に掛けた認知症が進み、周囲の家族が疲弊し切っている老人にニコチン注射をする事で老人とその家族を”救った”と主張し、大友は彼の所業を”大量殺人”として断罪しようとする。
■中盤明らかになった斯波の脳梗塞で倒れ、認知症が進む父(柄本明)を懸命に介護する姿。斯波の黒髪がドンドン白くなっていく。
だが、行政は彼の生活保護申請を無情にも拒否し、追い詰められて行く斯波親子の姿。
そして、父が一時的に理性が戻った際に斯波に言った言葉。
”殺してくれ”
そして、斯波が父にニコチン注射を打ちながら、”父さん!”と言って涙を流しながら抱き付く姿や、父がリハビリのために折った赤い折り鶴の裏にたどたどしく書いてあった”おれのこどもになってくれてありがとう”という言葉。
観ていてキツイシーンであるが、涙が滲んでしまった。
・構成として巧いと思ったのは、冒頭に大友が死後二カ月経った独居老人の部屋に入り、その遺骸が運びだされるシーンと布団の上に遺った人型の跡を複雑な状況で見ているシーンを持ってきた事である。
・大友も、20年位以上会っていない父からの電話やショートメールを”仕事が忙しいから”と自分に言い聞かせ、父からの接触を拒否していた事を刑務所に入っている斯波に涙を流しながら伝えるシーンも印象的である。
ー 斯波は、中盤、大友を安全地帯に居る人間だと頻繁に口にし”貴方の両親はお元気ですか。”と問いかけた時に激昂する大友の姿の意味が分かるシーンである。
大友も間接的に、父殺しをした人物として自覚している事を描いているのである。-
<今作は観ていてキツイ映画であるが、高年齢化と貧富の格差が進む現代社会が抱える喫緊の課題をテーマにして、観る側に様々な問題提起をしてくる映画である。
そして今作のリアリティさを醸成しているのは、松山ケンイチと長澤まさみと、柄本明の確かなる演技なのである。>
行き着く先は、高齢者不要論か
介護士の斯波(松山ケンイチ)が容疑者となる42人の殺人事件の物語です。
映画としては終始見応えがあり、引き込まれました。
まず、斯波は父親が「殺してくれ」と依頼しているので、嘱託殺人が成立します。
ただ、他の41人の介護利用者については、本人の同意なく殺害しているので、一般の殺人と変わらないのかなと思います。
斯波の父親を殺害したからといって、安易に他の介護利用者を殺人と結びつかない気がします。相模原障害者施設殺傷事件の犯人と考え方が似ているなと思いました。「救う」という名目で、自分の考え方で他人を殺してはいけませんよね。
この映画のラストは、「いのちの停車場」のラストと対照的なんですが、個人的には、生き抜く選択の方が前向きかなと思います。
ただ、安楽死を求める声が世間で多くなっているので、そういった意味では意義深い社会派ドラマと感じました。
それは救いなのか
今後日本の問題になる事を扱った映画。
重い。が、目を背けてられない問題。
相模原であった某事件を思い出す犯人の主張
それは救いなのか。
松山の演技には引き込まれた。
そして柄本明の演技は凄かった。
善とは?
連続殺人犯として逮捕された介護士と真実を追う検事の話。
利用者の家族、会社の後輩からも信頼、慕われる心優しい斯波宗典、彼の優しさの向こうにあるものは・・。
劇場へ向かう前にめざまし8に映画の宣伝で出演してる松山ケンイチと長澤まさみ、こんだけキャリアあってベテランな二人だけど、まさかの初共演とのこと。
この二人は本作の役柄もあり、撮影中は挨拶は交わすもほとんど必要最低限の会話しかしてないみたい。てか、あえてそうしたみたい。松山ケンイチの言葉で「初共演は一回しか無いんですよ!」、だから初共演の初々しさでこの役に挑みました!と、なのでお互い会話しなかったんです!・・・という言葉を聞いたら前々から気になってた作品だったけどさらに追いうちをかけられて観たくなりました!
斯波(松山ケンイチ)逮捕され大友検事(長澤まさみ)のやりとり、斯波に家族の事を聞かれ問い詰められる大友演じる長澤まさみの言葉荒げる「関係ない!」が迫真の演技で印象的。
斯波演じる松山ケンイチは落ち着きながらも静かに、ナチュラルな感じの演技も素晴らしかった!
作品ではあるけど彼のとった利用者、利用者家族を救ってあげた行動、私の両親は健在なので介護経験はまだ無いですが、実際に介護疲れしてる人は間違いなくいる、そんな人からしたらこの斯波のとった行動を否定する者がほとんどだと思うが、肯定してくれる者も少なからずいるような気がする。
あと前に百花を観た時も同じ気持ちになったんですが、自分の親が介護が必要になった時、ちゃんと対応してあげられるのか心配。
終始作品に引き込まれました!
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
介護問題を扱った作品の正統派切り口のストーリー展開である
配給が有名会社故、そこまでは踏み込まない、抑制の利いた演出や表現で、印象とすれば安心感は保たれているのではないだろうか
只、自分とすれば直近でもっと苛烈な演出の作品を鑑賞したせいか、甘さを感じたのが正直な感想である
とはいえ、この問題の解決の糸口さえみつからない深い問いかけを映画界として避けずに取り組み続ける意義は大事であると考える 片や積極的に、片や消極的に、父親を殺めた立場の対峙する二人の懺悔・・・ ラストの帰着はそこまで深さを表現しなかったのは、制作陣の優しさだったのであろう
一つ、もう少しアイデアが欲しかったのは、主人公殺人犯を慕っていた若い見習が、その事件を期に風俗嬢に転向してしまった件 まず全員、あんな下着姿で事務所待合室にタコ部屋のように待機してはいないと思うのだが・・・ 本来ならば蛇足感があるあのカットと演出は、なかなか考察が難しい差込である やさぐれてしまったということなんだろうが、それ以上に何かストーリーに絡むことがない
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