ロストケアのレビュー・感想・評価
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単なる復讐劇になってしまった。
まずは私は福祉業界が長い医療者なので、デイサービスや施設、訪問などにも携わっていたことがある。この映画のキャッチフレーズである”自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であるという主張”について。ここが今回の映画で知りたかった重要な点。だけど斯波(松山ケンイチ)における「救い」と述べる点については説得力があまりになさすぎた。これでは救いではなく単なる復讐劇。国の問題、生活に困窮して苦しく追い詰められた挙句に父親を殺してしまったことへの単なる正当化。
そこら辺り…現実にはこういう事件を起こした人がいる中で、ぜひ映画ではここをもう少し偶像化してほしかったん。せっかく聖書の言葉までエピソードに挙げたんだからもったいない。
斯波の人物像がぼやけてしまったせいか、松山ケンイチさんも演じるにあたって残酷なのか、いい人なのか、その狭間をどうやって演じたらいいのか迷っているようにも見えました。元々人柄的にイイ人だしね。ちょっとこの役難しそうに見えた。
流浪の月で松坂桃李さんが最後まで役が掴めなかった、という発言を言われていたのを聞いて本当にそうだな、と思ったのです。人物像が中途半端だと役者さんも自分の中の役を作り上げられないと思うから。
その中で次のアカデミー賞候補になるんじゃないか、と思えるほどの演技をされたのは柄本明さん。麻痺もリアル。虐待をされたあとの表情なども涙を誘う。
この映画を観た時は平日で満員。ほとんどが中高年以上の方々で私の両隣の方も嗚咽をもらすほど泣いていたのはやはり柄本さんのシーン。
老年期に思うように体が動かなくなった時、家族に迷惑をかけることを想像して胸を痛める方もいた。それくらい重い題材だったしメッセージ性も強くなるのが当然のような作品。映像化するまで何年も時間をかけたそうですが、私は現場人間なもので、もう少し斯波に肩入れできるような(現実ではしちゃいけないんだけど)作品を期待していたので到達できなかったのが残念。私の中ではPLAN75の方がリアリティがあった。
心臓ぎゅーってされる感覚だった。
予告の時点で悲しい結末になることは予想が着いていたのですが、開始5分でしんどい内容になると確信しました。
私に介護の経験はありません。祖父が介護が必要な時があったのですが、身内に介護職が多いので、基本的に見ていることしか出来なかったことを覚えています。
他人事では無いなと、わかってはいるけれど、将来どうしようかなんて考えたことがまだないです。
見ている側としては、殺人に対して"確かに救いの面もあるかな"って感情を抱いたまま見ることになります。そして、それを自分や家族に当てはめたりもします。
だから、検事(長澤まさみ)としば(松山ケンイチ)の会話で精神的にすごく揺さぶられて、心臓グイグイされている感覚になりました。
2年くらい前に、"護られなかった者たちへ"という映画がありましたが、考えさせられるものとしては近しいものがあります。
考えながら、主要登場人物すべてに自分を重ねながら見て欲しいです。
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終盤、法廷にて、松山ケンイチに対して、「人殺し!お父ちゃんを返せ!」と女性が叫ぶシーンがあります。
そこまでのストーリーで、"確かに救われている面もあるな"と思いながら見ていた自分はそこで、ハッとしました。
作品としては、殺人を擁護する終わりにすることは出来ないので、"松山ケンイチが悪ですよ〜"って私たちに示す必要があったのだと思いますが、ちょっと無理やりに感じました。
新米の女の子が松ケンの書類送検をきっかけに介護職を辞め、風俗(キャバクラ)で仕事している様子が写ります。あれは信じていた人に裏切られたことによる失望だと思うのですが、今作に何が関係しているのかはちょっと分かりません。
正直このように良くできた映画になるとは思わなかった。殊に柄本明の父親役は原作超え。(帰りに母親に美味しいものを買って帰りたくなった。我ながら甘い。)
(原作既読)
①着地点の難しい話だから(原作もその点では成功していない)、どう締めるのかと思っていたら、冒頭のシーンの伏線回収をすることで検事をなぜ原作の男性から女性に変えた理由を明らかにするという捻り技で幕を下ろした。
②他人事ではないが、身につまされる程ではない塩梅。
胸にズンと来る程の社会派ではなくエンタメとのギリギリの境くらいに位置しているかな。
そういう時代なのか、着地点が難しいせいなのか分からないけれど。
③映画化すると聞いた時点で原作の持つミステリーとしての面(叙述トリック)は無くなるだろうな、と思っていたが、最初の四分の一くらいの間で上手くミステリーの味わいを残した脚色になっていて、ちょっと感心した。
特に犯人を炙り出すくだりは原作に負けず劣らずスリリング。
④冒頭の刑務所に入りたいがために軽犯罪を繰り返す老婆役に何と綾戸智恵。原作ではもっと身につまされる感じだったが、綾戸智恵の怪演で此処は笑ってしまった(私も年を取ったら刑務所暮らしも良いかな、と思ったことがあるクチなので本当は笑えない話だけれども😅)。
⑤長澤まさみは、役のせいもあるだろうけれど『涙そうそう』の頃からすると、だいぶん年を老けたなあという印象。
だが表情で演技できる良い女優になってきた。特に中盤、雨の日に椎名との二人芝居の時に大変良い表情を見せる。
⑥柄本明はどの出演作でも上手いが(最近では『ある男』でも短い出演シーンながら強烈な印象を残す)、本作でも、半身不随になり認知症になり挙げ句寝たきりになって、”死んでくれたらどんなに楽か”と思いながらも手に掛けられなかった(普通はこちらが当たり前)息子に、“自分が自分でなくなる前に殺してくれ”と頼み、とうとう息子が一線を越えてしまうのも納得の父親の姿を「これこそ演技だ」と云える芝居で見事に造形している。
⑦その息子役の松山ケンイチは一線を越えるシーンを粘り強く熱演して感心した。但し、そのあと赤い折鶴の裏に書かれていた父親の遺言(?)を読んで泣き崩れるところはありきたりの演出でもう一つ胸に迫らず。
⑦刑務所で検事と死刑囚が面会するラストシーンは原作にはないが、向かい合う二人をまるで鏡で自分を見ているような演出で描く(そういえば、あちこちに鏡や窓に映るreflectionが多い映画でしたね)。
勿論、二人は社会的には相反する立場だし、人間として似ているわけでもないが、片方は実際にその手で父親を殺し(物的に殺し、しかし心の中からは消していない⇒後悔していない)、もう一方は父親を見殺しにしたことを後悔している(物的に殺したわけではないが、自分の人生からその存在を亡いものと思っていた)という法や倫理を超えたところで共有する物がある人間として対峙させている。
何かを解決しているわけではないが、映画らしい終わり方だったと思う。
⑧
自分がして欲しい事は、他人にしても良いとは限らない
最近何でもかんでもSDGsじゃないですか。
17項目ありますよね。
なんか中途半端に感じません❓
奇数だからかな❓
実は、ハッキリと宣言できない、
「第18項目」があるらしいのです。
それは、
「生死の選択」
と言われています。
最近、成田某氏が
「集団自決」云々と言ってたのも、
強ち間違いではないのです。
確かに、それをメディアで表すれば、
あんなのTVに出すな❗️💢
となるのは当たり前。
斯波宗典へのデモと同じ。
日本は世界に類を見ない、
超超高齢化社会。
老人に手厚い国です。
その割に、高齢者介護事業には
手厚く無いです。
恐らくは介護事業に手厚くするには、
被介護者が限界突破してるのだと思います。
私は介護の現場に近い者です。
様々な被介護者がいる中、
認知症は一番手が掛かり、
精神的な負担も大きいです。
昔はドリフのコントでしか聞いたことのない
「あたしの夕飯はまだかい❓」
「おばあちゃん、さっき食べたでしょ」
というやりとりを、
30分置きに5回、
しかも真顔でやられると、
正直手を出したくなります。
「お金を取られた‼️」と
騒ぎ出す方もいます。お金持ってないのに。
今では慣れましたが、
「アンタが犯人かぁ⁉️」
なんて言われたら、
微かな殺意も覚えます。
認知症の方の親族に会う事もあります。
携帯電話の使い方は覚えているので、
毎日の様に電話がくるそうです。
ここはどこ、家に帰りたい、
いつ来るんだ、お金はどこだ、
あたしは親だぞ、
ほぼ毎日同じ内容の電話。
皆さん揃って疲弊してます。
斯波宗典は、
自分が手を下さなきゃいけない
こんな世の中間違ってるよ、
とでも言いたいのだろうが、
本当にどうしたら良いのか、
行政は分かっているのか。
案外斯波は間違ってないのかも、
と思う自分が怖い。
その分、裁判で叫ぶ戸田菜穂と、
公園で手を繋ぐ坂井真紀、やすには、
「救われた」気がした。
「PLAN75」が礼賛されたのは、
世界では、
微かにその流れはあるのかもしれない。
一つ言いたい。
柄本明は白眉の演技。
セリフシーンは字幕が欲しかったけど。
良くも悪くも“問題提起”映画
最後に大友の信念が揺らいだところで終わっており、物語としては尻切れトンボな印象。
そこはそれぞれで考えて、ということなのだろう。
両親とも介護が近い歳なのに、方法やお金のことなど何も準備ができてない自分には堪えた。
しかし、脚本面で余計な描写も多い。
所長の空き巣や刑務所入りたがりおばちゃんなど、別の問題が入りすぎて気が散る。
遺族の恋愛描写も、意図は分かるものの全体の中では浮いていた。
由紀の不自然な発狂と、唐突で無意味な風俗転身カットには愕然。
「早めに処理しろ」とか「数学科出の変わり者」とかも活かされていない。
父親が懸命に折ったであろう鶴をいきなり開くなど、物語のための不自然な行動もいくつか。
また、台詞がモロに文語体のままなのが非常に気になった。
作品によっては問題ないが、せっかくリアルな題材を扱っているのに現実感が薄まってしまい、残念。
原作があるとはいえ、そこは上手く口語に直してほしかった。
しかし、圧巻だったのは柄本明の演技。
表情や仕草は元より、リアルさと聞き取りやすさを両立した台詞回しは絶妙過ぎる。
松山ケンイチも良かったが、アタマ二つくらい抜けていた。
個人的には、本人・親族双方の合意があれば、安楽死は認められてもよいと思う。
ただ、どちらの意志も無視した斯波の行為は肯定できない。
日本の未来
検事に殺人を続けた理由を聞かれた主人公が「バレなかったから」だと答えたことがとても引っかかった。
積極的に殺人を犯したい精神性ではなかったのに、バレなかったことがなぜ殺人を続ける理由になったのだろう。
また同時にバレないように絞殺などの痕の残る方法を選んだのではなく、純粋に父親を苦しめたくなくて毒殺を選んだ主人公の優しさがとても悲しかった。
この時もし殺人に気付かれていたらきっと、彼は素直に罪を償ったし、殺人を救いだとは思わなかったのではないか。
でもバレなかった。
それで介護殺人とは正しいこと、殺人によってもたらされた平穏は救いだと錯覚してしまったのではないだろうか。
(これが錯覚かどうかというところに議論の余地があるのが日本の現状の社会問題でもありますね)
彼の行った殺人によって、本当に救われた人もいて……でも裁判の場面では最後、家族を返せと力の限り叫ぶ人もいた。
他人の心は目には見えないですね。
幸せそうに見えても本当は辛い思いをしてる人もいるし、辛そうに見えても実は幸せを感じている人もいると思うんです。
彼の大きな罪は他人の幸不幸を自分の物差しで勝手に判断したことではないだろうか。
絆は呪縛。
またもや柄本明さんの迫真の演技が光る作品でした。
ある男、シャイロック。。どこにでも出演されているけれど、毎回違う人物なのに本当にいそうな人達ばかり。そして、
今回の役どころ、脳梗塞に倒れ、片手が動かしづらくなり骨折で寝たきりになって認知の進んだ高齢のおじいさんを見事に演じられていました。
話もだんだん上手くできなくなる老人、だけど映画だから本当に聞き取れなくては映画にならないから、観客が聞き取れるギリギリのセリフ回しで話していて見事でした。
祖父もそうでしたが、やはり加齢などにより手がうまく動かせなくなり、細かい作業などがおぼつかなくなると、若い頃の上手く色んな作業が出来ていた頃の自分を思い出してやるせなくて高齢者はかんしゃくを起こしてしまいがち。。だけど見守る家族にはその手などを治してあげることも出来ないので、何もしてあげられないもどかしさと、高齢の親や祖父母の苛立ちを感じて周りの家族も苦しい。
そんな家族のやるせなさを、柄本明さんと松山ケンイチさんが見事に演じていました。
最後に父親を手にかける主人公の場面で、松山ケンイチさんが泣いていても涙の量はあまり多くなく、代わりに喉の辺りが激しく震え、本当に嗚咽にあえいでいる人物になっており、喉の動きだけで主人公の全ての悲しみを表現していた松山さんの演技力もやはり凄い、と圧倒されました。
そして「絆は呪縛」という言葉が深く胸に沁みました。。
絆は普段なら喜びを感じるものだけれど、場合によってはそのために苦しみや耐え難い苦痛を伴うこともある。
絆を断ち切ることが場合によっては救いになることもある、というのは腑に落ちました。勿論断ち切ってほしくない人にとっては主人公は悪なんでしょうけど。。
悪には思わない、救われたと思う遺族もいて、とても難しい問題でした。
穴に落ちた人と安全な所にいる人
一度穴に落ちたら二度と這い上がれない境遇にいた犯人(松山ケンイチ)と安全な場所にいる検事(長澤まさみ)。
人としての優しさを感じたのは犯人斯波でした。
彼は脳梗塞で倒れ認知症になった父を介護するために一緒に住みバイトも辞め貯金も底をつき三食食べられない状態で生活保護を申請するも断られてしまう。
一方検事の長澤まさみは母親を老人ホームに入れて月に一度だけ母親に顔を見せるだけ。母親(藤田弓子)は認知症にかかっており娘に「そんなに毎週来なくていいのよ」と。子供時分に離婚して離れて音信のない父親を捜そうともしない。
決して許されることのない殺人ではあるが、斯波の行いにより救われた人が何人もいた。検事が斯波を極刑にするために遺族に問うと「救われました」と。また、小さな女の子を一人でパートで働き育てている女性には新たなパートナーが見つかり幸せな道を歩み始める。
斯波の父親役柄本明が素晴らしい。脳梗塞を患った人をよく研究してると思った。亡き父の事を思い出し涙が溢れました。
鈍感な社会
高齢化社会の裏で、福祉の穴からこぼれ落ち、誰にも気付いてもらえない人々は確実にいる。殺すことでそれを救ったと主張する介護士斯波(しば)と、対決する検事大友の、どちらが正義なのか。もう目を背けてはいけないテーマです。
自身の辛い経験から、確固たる信念を持っている斯波(松山ケンイチ)に対して、正義と法の遵守精神で断罪しようとする大友(長澤まさみ)の方に迷いがあります。
当人の意思を確認せずに大量殺人を行なった斯波に正義など無い、はずなのに、本当にそうなんだろうか、と観る者に思わせてしまう松山さんの説得力ある演技でした。
映画としては、演出にわざとらしさもあって、残念でした。
由紀ちゃんの取り乱し方が中学生みたいだったし、風俗嬢になっていたのには、はぁ?と思いました。戸田菜穂さんも、表情だけで分かるのに、食器をひっくり返したり、ヒステリックに叫んでましたね。
大友は裁判の後で斯波に面会して自分の胸中を告白します。父親と連絡を取らなかった後悔はあるにしても、大友の自己責任のように罪悪感を持たせるのは違うかなと感じました。それに、検事が被告に告白をして楽になりたいのだろうか、とすっきりしませんでした。
図らずも浮き彫りになる「人の一生」ってやつ
いきなりの脱線からスタートで、しかも政治の話からです。
セキュリティ・クリアランス制度(法)の今国会成立を目指す高市早苗経済安全保障担当大臣への、野党とマスコミの執拗な攻撃には、さすがに怒ってます。作成者も作成時期も不明な「行政文書」なんつー、仰々しく呼ばれている、ショボいメモを盾に取り、辞任要求。マスコミは関係者の証言を切り取って、逆の意味にしか理解できないであろう内容で報道を続ける。今のネット時代、そんなんに騙される有権者が、どんだけいると思ってます?
思い起こせば。
2009年の夏に政権を取った民主党。その年の秋、某在日外国人のための「社団」の会長は、その年次のパーティの壇上で、「これで、日本社会は裏も表も我々が牛耳った」と高々に宣言。さすがに、このカミングアウトのインパクトたるや。夏の総選挙以降、O一郎の「私の母は済州島出身の海女」をはじめとした、数々のカミングアウトで、その正体が明らかになった、と言うか、自爆的に明かしてしまった彼らですが。さすがに「まずいぞ、これは」って事で、大慌てで放送法を改正。「偏向報道したら停波」ってことにしてしまったのは、その直後と記憶。
暴力団潰し・パチンコ潰し・K国への援助の停止・NKへの制裁、などなどは暗殺された安部元首相を憎悪するに十分だったでしょうが、セキュリティ・クリアランスは、更にインパクトがあると思われ。だってですよ。特定機密保護法と組み合わせれば、国会議員すら出自を明らかにしなければ、安全保障委員会への参加が認められない、ってことになりかねませんから。
で、なんで、こんな話からになるのかと言うと。
こういう人たちが作った、製作に名を連ねた映画が多すぎるんですよ。事実に基づかない虚偽にあふれたドキュメンタリーもどきはもとより。でたらめ内容の社会派の物語も乱発。手を変え品を変え、よくもまぁ、これだけの嘘を思いつくもんだと。
と言うわけで、特定の新聞社・特定のTV局・特定の広告代理店が絡む映画の大半が、大嫌いなワタクシですが。
この映画、製作に、それらが入ってないんですよ。
日活と東映&東映の関連会社のみ。
映画屋が作った、社会派の映画。
もうね。それだけで好感度、爆上がりなんだけどw
生活に行き詰まり、生活保護の申請を行うも、冷淡な態度で追い返される斯波。京都で起きた、母と息子さんの心中未遂事件と重なります。制度運用の問題点を、改めて突きつけます。共産党に付き添われた者や、暴力団が持ち込んだホームレスには簡単に生活保護を認めていると言われており、現実に、そうした実態を暴露する人も多いという、今の世の中。本当に支援を必要をしている人たちを、救えていない行政に憤りを覚えつつ。
親の世話になり成長し、年老いた親の面倒を見る。自分も年を取れば、誰かの世話になる。親子と言う関係は、途切れることが無い。いかなる事情があれども、いかなる状況であっても、それだけは忘れてはならない。人として生きていくのならば。
って言う結び。
それでもなお。
斯波の主張する「救済」が必要だというのも、真っ向から否定できないところはある訳で。
私たちは、どんな答えを出せばいいのでしょうか?
って言う映画でした。
でですね。「しんかめ」鑑賞直後に、これを観たんですよ。
もうね。このGAPの凄まじさですよ、長澤まさみのw
日本アカデミーが、まともに機能するのであれば、と言うか、まともな選は期待しちゃいけない代物にはなってるけどw
もしも、まともに選ぶのであれば、主演女優は、ここ数年の邦画で圧倒的だったと確信できる、この長澤まさみに確定ですわ。
良かった。
とっても。
そこで一つ。真面目に質問したいんですよ。
長澤まさみさんに。
「サソリオーグは楽しかったですか?」
救いとは…⭐︎
介護施設で働く松山ケンイチ演じる斬波が、施設利用者をニコチン注射で殺す。
発覚して、事件となった際の担当が長澤まさみ演じる大友。
全編、この二人の闘いとも言える映画。
聖書の黄金律と言われる「何事でも人々からしてもらいたいことは、すべてその通り人々にも
してあげなさい」、この言葉を自身の解釈で行動していく斬波。
斬波を批判し、弾劾しようとしながらも自身の状況と重ねて揺れる大友。
この二人の演技が素晴らしい。
他の方がコメントされているように、また柄本明が斬波の父親として登場した時は
本当に良く出演すると思ったが、やはり彼じゃないとこの役は演じられないのでは
ないかと感じてしまった。
冒頭の孤独死した人が、大友の別れた父親だったという伏線の回収も見事だった。
もちろん、斬波の行動は犯罪なのであるが、それが彼が言う救い(ロストケア)に
なるのか…
答えは、きっと誰にもわからないものなのではないか。
自分も父が認知症になって、半年弱 同居した際は家族崩壊の瀬戸際だった。
斬波が言うように、安全地帯にいる人には何も言えないと思う。
逆に安全地帯から外れてしまっても、ずっと寄り添い続けられる人はいる。
救いかどうかは今もわからないが正義とは何か違うのではないか…
そんなことを考えさせられたすごく気持ちに刺さる作品だった。
救われるとは
圭作だと思います。
作り話なんですが、映画にありがちな全く突拍子もない話ではなく、実際そういうようなことがあってもおかしくないような内容でした。(42人はちょっとやり過ぎかな)
ミステリーではなく、心理戦みたいな感じもよかったし、過剰な演出がないのもよかったと思います。
私も父を老人ホームに入れてまして3年前に亡くなったんですが、自分は「安全地帯」にいたんだなと改めて思いました。確かに(仕方ない事情で)穴に落ちてしまう人も少なからずいるんですよね。
私はホームに二週に一度面会に行っていましたが、そこにいる方々は認知症の症状があるのか会話も表情もない人も多く、生きているというより「生かされている」というように感じていました。(そのような方々は家族もあまり来ないようでした)
安全地帯にいると家族は壮絶な状況にはなりませんが、ホームにいる当人は本当に「救われている」と言えるのだろうかとも、この映画を観て考えさせられました。
42人を殺したのか?それとも救ったのか?
久しぶりに、胸の奥に突き刺さる作品を観た。当初、42人の介護ケア老人を殺したサイコパス・サスペンスの要素が強い作品か、と思っていた。しかし本作は、老人介護について、改めて考えさせられる、前田哲監督らしい社会派のヒューマン・ドラマとして仕上げていた。
親の介護というのは、身内だからこそ、簡単には考えられない現実。しかし、いつかは、誰もが辿り着く社会の課題ともなっている現在、寝たきりや認知症を患った親に対して、私達は、どう接すればよいのか?もちろん、私達も歳をとり、介護される側となり、子供の世話になった時、迷惑をかけないようにするにはどうすればいいのか?それぞれの立場において、とても身につまされる内容であり、現代社会に対しての問題提起とも思える内容。
普段は、とても優しく、親身になって老人の介護にあたる松山ケンイチ演じる介護士・斯波。しかし斯波には、これまでに自分が介護にあたってきた老人を42人も殺してきた裏の顔があった。ストーリーの前半で、その事件は判明し、逮捕されるのだが、そこには、「ロストケアは、殺人ではない、救いだ」という、斯波なりの確固たる正義が存在していた。そして、斯波がなぜ人を殺めるようになったのか、彼と父親との過去に遡って、物語は展開していく。
その事件の検事として、斯波と対峙するのが、長澤まさみ演じる大友。大友もまた、シングルマザーで育ててくれた母が、認知症で介護施設に入居しており、仕事を理由に、母の介護をおざなりにしている後ろめたさも感じていた。そして、冒頭のショッキングな事件シーンが、実は大友と深い結びつきがあったことも、ラストに明らかになっていく。
先日、親の介護支援を依頼してきた自分にとっても、正直、とても重い内容であり、斯波の正義と大友の正義の両面での葛藤と、弱い者が生きづらい悲しい社会の状況に対して、後半は、涙腺も緩みっぱなしだった。
そのように感情移入できたのは、松山ケンイチと長澤まさみの、本音と建て前の両端な想いに揺れ動き、感情を露にした演技もさることながら、脳梗塞で身体の不自由が効かずに、認知症も進んでしまった、斯波の父を演じた、柄本明の鬼気迫る演技にあったと思う。介護に悩み、苦しんでいる人々の生活が、非情なまでにリアルに描かれており、柄本明の役者としての底力を、改めて感じた。
マツケンがカッコ良過ぎた
テーマが面白いと思って見たものの、
斯波のアパートにあった書物、持ち物がないシンプルな部屋であることの、裏付けとなる描写が少なく、斯波の人となりが伝わってこなかった。
それに加えてマツケンご本人の存在感が前面に出過ぎて見えた。
(最後のシーンは泣けましたが)
長澤まさみの演技も、動揺が表情に出過ぎで、
検事にマッチしていなかったかな。
大画面でTVドラマを観ているかのようだったのは、何故だろうか。
テーマは面白いはずなのに、考えさせられるほどでもなかったのは、何故だろう。
所長の窃盗問題、これこそが現実的過ぎてゾッとした。
予告で完結
予告映像に惹かれて見に行きました。
介護センターに勤める松山ケンイチ演じる斯波は、老人から実の息子のように慕われる優秀な介護士だったが、その実は、担当する老人42人を殺害したサイコパスであり、長澤まさみ演じる検事が真相を追求するというもの。
個人的な感想は、物語の展開が少なく、予告映像で完結していると感じてしまいました。
まず、長澤まさみは役にはまっていないと思います。
斯波と対決し正義を突きつけるのですが、演技どうのよりイメージと合っていない感じがしました。
マツケンの演技はよかったですが、白髪が不自然でずっと気になってしまいました。
あのカツラ感はもう少しなんとかならなかったのでしょうか。
柄本さんの演技は神がかっていました。
実家のお父さん的な役はエゴイストでも演じていましたが、こちらでもばっちりはまっていました。
どんな理由があろうと殺人は犯してはならないという理屈だけでは解決できない問題を突きつけらえ、考えさせられる作品です。
しかし、この点は予告を見てなんとなく分かっていることであり、それ以上のミステリー的な展開はありません。
42人目が斯波の父であることや冒頭の腐乱死体が検事の父親であり、取調べや面会室で2人は対決しているようで実は同じような立場だった的な展開も見え見えすぎてしまいました。
分からなかったのは、下着の女性が何人か出てくる場面は何だったのか。
新人介護士の亜紀が風俗で働き始めたということだったのでしょうか。
何を伝えたかったのか分かりませんでした。
皆が通る道
誰も自分が、長生きするかどうか
わからない。
若くして、病や事故で誰かの介助が必要になるか
歳を重ねても、誰にも頼る事なく
独りで生きる人もいる。
自分の未来なんかわからない。
護られなかった者たちへ…を思い出したけど
介護や年金…生活保護
色々あるが、自分が知らない事が多く
せめて、身体が動かなくなった時に
子供や家族に頼らなくていい
気兼ねない場所があればいいのに、と思う。
松山さんに「救われた」坂井さんが言うシーンと
裁判中に「父を返せ」戸田さんが叫ぶシーン
があり、人が人の人生の最後を決めてしまった事に
曖昧さを残したと感じた。
柄本さんが、亡くなった時に息子に
折り紙に手紙を残していて…
あれは反則。
柄本さんの演技もうますぎて泣く。
…皆、自分の幸せと家族の幸せ祈ってるけど
満足する人はいない。
後悔のない人生なんてないんだろうな。
また柄本明!
ここ最近、見る邦画全てに出ているのでは!?
というくらい、柄本明が出ている。
また、この作品でも存在感を発揮していて
介護される老人役を見事に演じていた。
(めちゃくちゃ泣かされた。)
テーマとしては高齢化社会をどうしていくかという
「PLAN75」でも取り扱った内容
ただ「自ら安楽死を選択できる制度が国で決定」
という内容に
ややリアルさを欠く「PLAN75」に比べると
本作はかなりリアルに起こりそうと思った。
し、あれは障害者施設での出来事だったが
「社会の役に立つ」という意思で殺害を行った植松某と斯波は似ていると思う。
あの被害者の中にも「救われた」と思う人が居たかもしれない。
まだまだ考えなければいけないし、答えが出せない。
綺麗すぎるのか?
前半はすごく良かった。介護の現場で斯波たち介護士が働いている姿や、苦しんでいる家族たちの様子に、揺さぶられた。
こういう、身につまされる映画は、心がえぐられるから苦手なんだと思いながら見ていた。
検察事務官の青年が、すごく良かった。斯波の話に動揺する様子とか印象的だった。
このまま抉られて言って、最後は大号泣か?と思いきや後半失速(個人の見解です)
なんかねぇ、主役のふたりが綺麗すぎる。長澤まさみは凛と美しすぎ、松山ケンイチは真っ直ぐに揺らぐことが無さすぎて美しすぎる。
しかも、見ているうちに、だんだんと過剰な映像の演出が鼻につくような気がしてきた。泣かせに来る良いシーンぽいのだけれど、説得力がなくて、ただ綺麗なだけ。
話が泣けるんだから、小道具とか映像とか(鏡とかガラスの演出がうるさい)いらんねん。
そもそもこの映画、2人の対立が主眼なのが違和感。大友のキャラが、斯波と対決するには弱いのだ。彼女に対して共感できる要素もゼロ。説得力のない空虚な正論を振りかざすのみで、全然響かない。かといって正論が空回りしている、という意図でもないらしい。よく分からない。
斯波に引きずられて崩れた訳でもないのに、大友検事の突然の揺らぎにはついていけず。彼女のパートの物語としての必然性が分からず、少し白けてしまった。(それをなぜ斯波に告白するのだ?)
こういう映画だと父親は必ず柄本明で、母親は藤田弓子だ。キャストのマンネリも、邦画が苦手な理由の一つなんだよな。
あと、主役ありきの無理のある展開も。
うーむ、原作を読んでみようと思う。
すごく良さそうな物語だったのに、なんか消化不良。
国家にロストケアのための殺人を裁く資格があるのか⁉️
ロストケア(=介護からの解放)のために、人を殺める行為が、一般の殺人罪と同等に扱われていいのだろうかというのが、率直な感想です(-_-;)
戦争による殺人が許されて、地獄のような介護から解放させるためにやむなく命を断つ行為が許されないなんて、どう考えてもおかしいと思う😨
親子だから、親族だから、扶養義務があるから、介護も仕方ない面もあるだろうが、それも限度があってしかるべきで、限度を越える介護は、本来、国=行政が対処すべき問題である。
国が何も手を差しのべてくれないから、こういう問題が起こるのに、それを差し置いて、何でも人を殺せば殺人罪で裁くというのはいかがなものだろうか⁉️
私には、ロストケアのための殺人は、緊急避難的な行為として、殺人罪には当たらず、それどころか、救済行為として、讃えられるべき行為ではないかと思えてならない‼️
全108件中、81~100件目を表示