ロストケアのレビュー・感想・評価
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溜飲は下がらなくてよい
いつもの映画館で
水曜日は1200円で観られる
公開当初デカいところで観たかったが時間が合わず見送った
こっちでやると知って楽しみにしていた
この監督 そしてバトンは とか 老後の資金 とか
まとめ方着地がうまい 力量がある
割とはじめの方で事件の全貌が明らかになる
チラシにも描かれてある あとは主人公の掘り下げ
原作者のコメントがチラシに載っていて
主人公2人へのクローズアップは
原作と異なるといいながら絶賛していた
原作は多分もっとミステリー要素が強いのだろう
しばらくしたら読んでみたい
戸田菜穂の傍聴席からの叫びは
それまでの流れからはちょっと戸惑うが
現実ってそういうものかと
例えば報道に影響されるとか
自分の行動や気持ちとバランスをとろうとする
坂井真紀の反応は正直だ 人それぞれだ
そういう一律でないところがちゃんと描かれている
一方マイナスポイントは
新人の女の子が錯乱して後に風俗業界に行くところとか
生活保護申請窓口の職員の態度
ちょっとステレオタイプかなと
行き先ボードの名札は捨てるだろ 特に所長のは
折鶴の裏の手紙 ちとあざとい
長澤まさみの非の打ち所のない美しさが
検事の仮面というか強がりを補強
ラストの慟哭も秀逸だ
彼女か佐々木希にしかできない役だ
冒頭のシーンは単なる現場検証かと騙された
松山ケンイチはBLUEから好きになった
最近の出演作に誠実さを感じる 青森出身だし
柄本明の演技にも唸った
オラの親父の晩年の喋り方はあんな感じだった
オラを甥っ子と勘違いしていた
総括するといかにもきれいにまとまりすぎ
溜飲は下がらなくてよい
戸田菜穂と坂井真紀の違いのようなバラバラとか
是枝作品のような余白が 最近のオラの好みだ
(ここから映画と無関係の備忘録)
終了後は市役所前あたりでベンチでビールを計画していたが雨…
降りだしはもっと遅いとの予報だったのだが
このところこのバターンが多い うまくいかない
〆は王将で餃子と決めていたので最初から王将へ
傘を持っていなかったので地下鉄ひと駅乗車
王将では生ビール2杯と餃子 コロッケ 中華そば チャーハン
映画は安かったのに 結構な出費になってしまった
見たいものと見たくないもの
本作では、反射物(鏡や机、ガラスなど)を用いた人物描写が多用されているが、これは劇中で大友(長澤まさみ)が語る「見たいものと見たくないもの」の象徴である。
斯波(松山ケンイチ)は自身の経験から、見たくないものに目を向け、殺人を「救済」と捉えた独自の正義を貫く。一方で大友は、法の観点から斯波の行為を殺人と捉えながらも、斯波の思想に耳を傾け吟味している。
その結果、大友は見たくないものであった父や母との関係性を見つめ直し、自分なりの答えを見つける。そして斯波は、いつしか見たくないものを見続けるあまり、人を失う辛さを見ていなかったことに気がつく。つまり、それぞれは表裏一体であり、白黒つけられるものではない。その点に言及するのが、羽村(坂井真紀)である。
羽村は作中で唯一、斯波に救われたと語り、梅田(戸田菜穂)とは対照的描かれている。特に、終盤での春山(やす)との会話の中で、「人は人に迷惑かけ合うもの」だと話しており、この言葉に表裏一体への理解が表れている。その上で、殺人の否定と救済の恩恵を提示し、本作の結びとして位置付けられている。
終活してぽっくり死にたい
長澤まさみちゃんが見たくて何も知らずに鑑賞。え。思ったより重かった。。2日前にMER観て「死者ゼロ!」良しっっ!ってやってたのに(╹◡╹)
大友(長澤まさみちゃん)検事だし加代さん(藤田さん)あんな高級老人ホーム入れるよね。欺波(松山さん)介護士で安月給だよね。あの白髪はやり過ぎだけども、勝ち組負け組の話しかな?って思ったら。それにとどまらず。。。加代さん女手一つで保険のセールスでお金貯めて自分で入った言ってたけど、どんだけ稼いだんよw娘も検事にしてるしwって、ちょっとふざけないと触れるのがしんどいです。。
私が父子家庭で育ち、実妹は少しハンデがあり信じられない事をしでかすので疎遠気味です。わかっていても続くと怒りが抑えられません。そして初めての妊娠中に義母の介護、看取りを経験しました。家族、絆、呪縛、見たいもの、見たくないもの。。突き刺さるワードが多く辛いシーンが続きます。大友、欺波の掛け合いもお涙頂戴的な感じでなかったので、フィクションを見ているかの様でした。正解がわかりません。。殺人は絶対だめなんだけど。。何なら欺波間違ってないのかも。と思ったり。。でも裁判で戸田さんが叫んだとこで、心が少し戻りました。介護中は死んでくれって思ったかも。死んでしまったけどホッとしたかも。でもやっぱり他人に殺されたっていう事実には怒る感情。人間的。一方で酒井さん。介護から解き放たれて安らぐ時間をもてた。現実味がある。やすナイス^ ^
自分が将来寝たきりとかボケたら安楽死したいなって思うけど(出来ないけど)もし父ならば、、1日でも長く生きて欲しい!と思う矛盾。もうそれは本人がどう思うかじゃなくて自分の気持ちが優先になってしまうと思う。正作さん(柄本さん)は殺してくれって頼むけど。わかるけど!欺波の事を思ってだし、このままじゃ共倒れ確実だし、自分もはっきりした意識のまま死にたい。って。わかるけど!子供にその選択をさせないでおくれよ泣泣 と、もう私では正解はわかりません。。
そんな正作さん演じる柄本さん!最近は息子さん達大活躍だけど、父ここにあり!で見事でした!足立由紀さん(加藤さん)はなぜそーなったw
前半は見たのを後悔した
仕事で高齢の方と接する機会が多かったころ「老いる」ことが、本当に怖かった。まだまだお元気な方ばかりだったのに、どうしてこんなことが出来ないのだろう、どうしてこんな簡単なことがわからないのだろうと、不思議だったしこれが老いかと恐ろしく思っていました。この映画を見始めて、すぐに見なければよかったと後悔しましたが、徐々にひたすらに映画の世界に没頭しました。自分を愛して育ててくれた親を、介護の辛さに憎んで死んでほしいとまで思ってしまう、自分を愛してくれなかった親を捨てられず人生を破滅させられる無念さ、人生の過酷さを目の当たりにして苦しくなります。
柄本明さんの演技は圧巻でしたね。なんとか聞き取れるギリギリの発声に、まるで自分の親の訴えを聞き取ろうかとするように、全身全霊で耳を傾けていました。自分だったらどうするだろうか、斯波のような選択をするのだろうかと、ずっと考えていました。
大友が抱える罪悪感は理解できますが、貧困の末に自分の親を直接手にかけた斯波と、幼い自分と母親を捨てた父親を見捨てたと罪悪感を持ち続ける大友。同じか?の疑問が最後まで消えませんでした。
洋子さんと春山さんの熟年カップルの幸せを祈ったり、やっぱり猪口さんは頼りになるなぁとホッとする場面もあり、重いだけの映画ではありませんでした。鑑賞後は、意外とすっきりした気持ちになったのは不思議でした。
松山VS長澤
重厚過ぎるテーマ。
演技のガチンコ対決。
前半は謎解きサスペンス。
後半は法廷人間ドラマ。
全体として変わり身キャラが多い。
斯波(演:松山)はもちろん、所長や、
見習いの女のコ、足立由紀(演:加藤菜津)など、
よりにも風俗て(笑)
まぁ、それだけ壊れてしまった…とも取れるが。
被害者の娘、梅田美絵(演:戸田菜穂)も、
「あんないい人が…⁉」みたいな感じだったのに、
判決時には「人殺し!」と気も狂わんばかりに取り乱していたのは何故か?何があった?
同じ被害者の娘の羽村洋子(演:坂井真紀)との対比にしてるのかもしれないが。
最後の面会の後、斯波の様子をちょっと描いて欲しかったところ。
ある意味、柄本劇場(笑)
ナガクイキル
紡がれる言葉は辛辣だ。
でも、俺は斯波が間違ってるとも思えない。
長寿大国と呼ばれて久しい日本。
長生きは良い事だとされてきた。それはおそらく歴史との対比であろう。生きたくとも生きられない理由がたくさんあった時代。戦争や栄養失調や事故や流行り病やら…途絶えてしまった命が多かった時代。
誰でも近しい人との別れは辛い。
なのだが、長く生きる事で出てくる問題があるのも事実。癌による死亡が多くなったのは長寿によるものとの記事を見た事がある。なんでも癌細胞は皆持っていて、それが高齢化すると発症率が上がるのだとか。人口が増えすぎない為の自爆装置だとの乱暴な意見もある。
正直、キツかった。
斯波の台詞は本音のように聞こえてくる。
容認も推奨もできないし、共感や賛同をしたら人として間違ってるようにも思う。
だけど、否定しきれない。
俺の子供には言っておきたい。
「ボケてまで生きたくはないので、寝たきりとかになったら殺してくれ」と。
これから死んでいく命よりと、これからも生きていく命の方が大事なのだから、と。
とは言え、そんな決断を子供にさすのも残酷だ。
自死は…単純に怖い。幼き頃より刷り込まれている、自らの命を自らで断つ愚かさや、それ以降の魂の所在やら。事実かどうかも確認できないのに恐れてる。
大友の台詞には建前を感じる。
お節ごもっとも、そんな事は分かりきってる。
けれど、それだけでは背負えきれない問題はどうする?何か対処法を教えてくれるのか?
突き詰めて議論したら、その価値観は破綻したりしないのか?
そんな双方の観点が絶妙に描かれていた。
自分にどんな決断が待っているのかは分からない。
そのタイミングが訪れるのかも定かではない。
けれど遠くない未来に、そこそこな確率で起こるような予感はある。
祖母は老衰で亡くなった。
最期は病院で息をひきとった。寿命を全うしたようにも思う。ただ母からは相談されてた。
「延命治療はやらんとこうと思う。どう思う?」
俺は同意した。
「ばぁちゃんも、多分望んではないと思う」
ある意味、実行しなかっただけだ。
医師に、法に、慣習に委ねた。
自分の生命に連なる者たちを殺すなんて十字架を、現代では背負いきれない。
斯波の「絆って何ですか?」の後に続く台詞が強烈だった。それすらも見失っていく事や、意味合いが変わっていく事があるのだろう。
裁判のシーンで斯波の独白がある。斯波よりな意見で終わる流れに得心もしてる。だけど「人殺し!」との絶叫が入る。凄いバランス感覚だと思う。最後まで白黒をつけさせない。斯波の観点からしたら、それすらも自衛行為なのかもしれない。
本年度のアカデミー主演男優賞に松山氏を。
助演男優賞には柄本明さんを。
助演女優賞には戸田さんを。
個人的に進呈したい。素晴らしかった。
にしても鈴鹿氏は、とてつもなくニュートラルで、そこそこ作品とか出てるのに素人臭が抜けない。最早、それが彼の武器であり素養なのだと思われる。
不思議な存在感を醸す役者さんだ。
大友は言う。
「人には見たいものと見たくないものがある」と。その通りなのだけど、この作品が地上波で流れないような事態になるのなら、その推論の裏付けにはなるのだろう。
説教くさいと思う人達はいるのだろうけども、松山氏の変遷を見るだけでも、じゅうぶんな価値はある。
「バレなかったからですよ」
あの演出に、制作サイドの温情を感じてたりする。
あの一言に、斯波のサイコパスな一面を見たような気がした。それによって、コイツは異常者なのかもしれないと思え、普通とは違うのだと思えたから。
もし、そんな意図があったのなら、監督なのか松山氏なのかは知らんが、恐れ入ってしまう。
誰もが一度は観るべき作品
これは日本が抱える重大なテーマの一つです。
日本は医療水準が非常に高く平均寿命が長いため超高齢化社会となりました。
それ故に日本社会にもたらす影響も大きいです。
毎日の様にニュースで家族や介護士による虐待や殺人、無理心中といった記事を見かけます。
そのためPLAN75や今作のような作品が次々と作られては、話題となり観客の興味や共感を集めていると思われます。
私は医療従事者なので常日頃からこの問題に直面しています。国内では約100万人が寝たきりであると言われています。日本人の平均寿命と健康寿命の間には8〜12年の差があります。つまり多くの方が寝たきりなど要介護となった状態でその期間を過ごして最期を迎えています。
そこには家族の精神的、肉体的、金銭的負担が計り知れず、その苦悩を上手く描いた作品だなと感じましたね。
自分語りになってしまい恐縮なのですが‥
絶縁していた親の介護が突然始まりました。その時は鬱病にもなり親の介護、援助を拒否するべきか悩みました。
しかし、作中の大友の様に親を見放し死亡してから再会するのを危惧して介護を了承しました。この決断が正しかったのか未だに分かりません。恐らく、正しい答えは今後も出ることはないと思います。だけど後悔をしていないのが、また難しいところではあります‥
人間の感情とは複雑で、その事柄が実際に起こるまでは所詮、机上の空論でしかありません。
誰しもが、親の介護問題に悩む可能性があります。
全ての親が大友の母の様に老後に向けて貯蓄をして、自らの意思で介護施設や老人ホームに入所してくれる訳ではありません。
「安全地帯にいる人の言葉」だというセリフがとても心に響きました。そういう方々は自分が仕事を退職して介護をしたり金銭的困窮の中、介護をする可能性が低いと自分でも分かっているため理想論ばかり並べるというのは実際によくある話です。私も経験してそう感じました。
彼らは介護施設に入居する難しさ、生活保護の申請や受理までの苦労を知りません。
作中にもありましたが実際に福祉課の窓口で同じ対応を受けました。何度も足を運んで話を聞いてもらわないと申請書すら頂けません。家族の職業や生活などを調査し、全てを手放してからでないと生活保護は受けられないと言われます。税金から生活保護費を賄うため当たり前の話かもしれませんが、預貯金までも見せないといけませんでした。
在宅介護については言葉に形容できないほど皆が疲弊します。
「殺してくれ」と口にする親を家族みんなで泣きながら介護するのが日課となります。これは要介護のレベルによって差はあると思われますが寝たきりになると本人も将来に対する希望がなくなり絶望して、こういう言葉が目立ってきます。
要介護となる主な原因である認知症や脳梗塞の後遺症に対する根本治療は現段階では存在しません。
また、排便排尿コントロールができなくなることで本人や家族を悩ませます。赤ん坊のおしめとは違い、いつかオムツが外れることもありません。そして次第に家族みんなが生きている価値を見出せなくなっていきます‥
もちろん嘱託殺人を推奨している訳ではありませんが、それを容認してしまうくらい在宅介護は大変だということは間違いありません。
今作を観ていて、こういう被害に遭ったとしても介護が終わるのであれば救わるかもしれないと考えてしまいました。医療従事者らしからぬ意見ですが、これが本音です。
仕事では人の命を救うのが最優先であり、その後のことは家族や介護事業に丸投げです。
日本も安楽死に対して向き合うべきではないかと日々感じています。
家族の誰かが手を下しニュースにならないことを願いながら生活している自分にとっては非常に考えさせられる作品となりました。
何が悪で何を正義とするか、まさにその通りです。
重要な題材と思われながら、この映画に対する私的5点の疑問
(完全ネタバレですので鑑賞後に必ずお読み下さい)
この映画『ロストケア』は、現在の日本にとって大変重要な題材を扱っています。
それだけでも鑑賞の必要があると個人的にも思われています。
しかし映画を見ていて、私的には5点の疑問をこの作品には感じました。
まず1点目の疑問は、これは予告を見た完全なこちらの思い込みでしかなかったのですが、てっきり2016年に起こった知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」での45人殺傷事件(19人殺害、26人に重軽傷/相模原障害者施設殺傷事件)の植松聖 死刑囚を題材にした映画だと思って見始めてしまったところです。
もちろんこの映画の原作の葉真中顕さんによる「ロスト・ケア」は(鑑賞後に知ったのですが)2013年に出版されていて、2016年の「津久井やまゆり園」での事件(相模原障害者施設殺傷事件)より前に書かれています。
つまりこの映画は「津久井やまゆり園」での事件とは関係がないのですが、原作未読で関係がある映画だと勘違いして見始めた私のような観客も少なくないと思われます。
なので、例えば予告で”この映画は相模原障害者施設殺傷事件より以前に発表された予言的物語”など、実際の事件とは違う物語だとの事前周知は必要だったと思われます。
これは広報戦略から意図的な現実事件との混同を狙ったのかもしれませんが、1観客としては映画の前半での実際の事件の題材とは違うとの頭の中の訂正で、映画への集中を削がれたとは思われました。
(なぜなら、生まれた時からの知的障害者と、若い時の多くは健常で後に痴呆を含めた高齢者になってから必要とされる介護者とでは、周りとの人間的な関係性も微妙に違っていると思われるからです。)
2点目の疑問は、検事の大友秀美(長澤まさみさん)が斯波宗典(松山ケンイチさん)の殺人を捜査して暴いて行く場面です。
もちろん検事がドラマ「HERO」のように補充捜査の意味で刑事事件を捜査するというのはなくはないのかもしれません。
しかしこの映画『ロストケア』は、リアリティをもって介護の問題に切り込んでいる映画だと思われます。
であれば、刑事捜査の方も現実に匹敵するリアリティラインで描く必要があったと思われました。
斯波宗典が42人の殺人を犯していたのであれば、警察での捜査が主体になり、検事の取り調べはあくまでその警察の捜査が正当か起訴出来るかの判断になると思われます。
テレビドラマ的な、検事である大友秀美が主体になっている殺人事件の捜査の描写は、私的には小さくない違和感が残りました。
3点目の疑問は、介護施設で斯波宗典が殺害した41人はそれぞれで多様な人々であったはずなのに、そこが描かれていないと思われた点です。
斯波宗典は(おそらく脳梗塞などでの半身麻痺などが合いまった)父の斯波正作(柄本明さん)に対する介護の経験、行政などの助けのない中での疲弊と絶望から、父を殺害します。
斯波宗典は、父を殺害することによって、自分自身も父も「救われた」とその時に確信します。
しかしだからと言って、斯波宗典が殺害した彼の父以外の41人やその家族も、斯波宗典や彼の父と全く同じである(殺害によって逆に「救われる」)とは(経済的な状況も含めて)実際は限らないと思われるのです。
事実、家族の生活や父の介護で疲弊しているように見えた梅田美絵(戸田菜穂さん)は、法廷で斯波宗典に対して、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫びます。
この映画は、41人の家族の様々に違う人生や感情や内面を描き、それを斯波宗典にぶつけた上でなお、斯波宗典の主張はそれを乗り越えることが出来たのか描く必要があったと思われます。
41人の被害者家族の内で殺害後の心情が映画の中盤辺りで描かれるのは、斯波宗典の殺害動機にとって都合の良い(と私には思われた)、羽村洋子(坂井真紀さん)の「私、救われたんです」との心情だけでした。
この映画の弱点は、斯波宗典とはまた様々違うだろう被害者家族の中で、斯波宗典とは違う考え心情の人々を出しても耐え得る構成になっていなかったところだと思われます。
なので、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫ぶ梅田美絵を最終盤でしか心情を(叫びという1言でしか)語らせられなかったのだと思われます。
この映画は、「人殺し」と叫ぶ梅田美絵の心情を映画の中盤で斯波宗典にぶつけ、それでも斯波宗典の意志は揺らがなかったのか描く必要があったと思われました。
4点目の疑問は、母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と言っていた羽村洋子が、映画のラスト辺りで春山登(やすさん(ずん))に「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の話をするところです。
しかしこれはおかしな話だと思われました。
母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と語った羽村洋子は、家族との関わりで「迷惑の掛け合い」がどれだけ過酷な事かを既に深い底まで経験で分かっていると思われるからです。
この映画『ロストケア』は、羽村洋子が(斯波宗典と同様の)介護を通して家族での「迷惑の掛け合い」がいかに残酷かに到達し得たのに、そこを「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の言葉で最後に適当にごまかしてしまったと私には思われました。
羽村洋子のラストは、春山登から「迷惑を掛けるかもしれません」と言われたら、その過酷さを分かった上でそれでも一緒にいたいと、無言で春山登の手を握るといった表現の方が良かったのではと思われました。
5点目の疑問は、この映画というよりこの国の社会保障政策についてです。
映画『護られなかった者たちへ』でも思われたのですが、今回でも生活保護に対するこの国の冷淡さが描かれています。
そしてそれぞれの映画を見た観客は、なんて冷淡で悪の行政なのだ!と日本の行政を攻めて終わる構図になっていると思われます。
しかし本当はそれだけが要因ではないのです。
日本の国は今、世界一の超少子高齢化社会です。
にもかかわらず(例えば消費税などの税や保険料などを含めた)国民負担率は驚くべきことにOECD諸国の中ではかなり低いのです。(2020年で36か国中22位の国民負担率)
つまり、生活保護に回せるお金を増やすには、消費税や所得税や法人税・社会保険料などの国民負担を上げる必要があるのです。
加えて、超少子高齢化による生産年齢人口が減少している逆ピラミッドを早急に是正して、高齢者の介護を含めた社会福祉を支えるには、手遅れになっている少子化対策を超えて、(納税などでの)高齢者の支え手である生産年齢人口を増やすために、移民の大幅解禁が必要になります。
なぜ生活保護などについて行政が冷淡かというと、国民が消費税などの増税や社会保険料の引き上げ、あるいは大幅な移民解禁に反対しているのが大きな背景としてあるのです。
国民の負担や移民の必要性から目を逸らし自らの負担の必要性を棚に上げたまま、一方で行政を都合良く叩くのも間違っていると思われます。
以上の5点から、この映画『ロストケア』は大切な題材を描きながら、傑作には届かない作品になっているなと、個人的には僭越ながら思われました。
しかしながら、それでも介護における現在の日本の過酷な状況は是正される必要があり、私達はこの問題から目を逸らしてはいけないと、一方では強く思わさせる映画でもあると思われました。
また、主人公の斯波宗典 役の松山ケンイチさんと主人公の父の斯波正作 役の柄本明さんの2人の場面は圧巻の2人の演技だと、掛け値なしに思われました。
松山ケンイチさん、柄本明さんの2人の演技を見るだけでも十分価値のある映画だと思われました。
過去の関連作品との異同と自分自身への戒め
"PLAN75"を観たとき、『楢山節考』以来のいわゆる安楽死問題に関わる議論の中間的総括として、社会的孤立のために安楽死や自死の選択に追い込まれたり、推奨したりする空気を撥ね返していく風を吹かせ続ける風土を培う作品の制作が今後とも期待される、と考えた。しかし、本作ではむしろ家族の絆からの解放のために第三者による嘱託殺人が肯定されても良いのではないかという提起があった。まさに"PLAN75"が取り上げ損ねた2019年の ALS(筋委縮側索硬化症)患者嘱託殺人事件、そして"PLAN75"で暗示しようと試みた相模原殺傷事件の加害者の実相とも極めて似ていると思われた。けれども本作の原作は、相模原殺傷事件の発生より3年前に書かれたものなので、その慧眼には驚く他ない。戸田菜穂氏演じる美絵が、親が死んだことで重荷から解放され、宗典に対する信頼を残しているかにみえ、ひょっとすると減刑嘆願を申し出る一人になることさえ想像したが、そうはならず、殺人者への正当な感情を表明できていた。親による障がい児殺しに対して、かつては同情的な世論が沸き起こった時代もあったけれども、相模原殺傷事件の被害者の親たちは、施設に預けていたけれども、その子の生きる未来にまだ希望を強く持ち続けていた点で、宗典を演じた松山ケンイチ氏が想定したような、本人と家族の救いの実現とは大きく異なると言わなければならないであろうし、そこに相模原殺傷事件の加害者の誤算があったとも言えるであろう。
善の顔と悪の顔とを兼ね備える役柄は、様々な作品に存在するので、本作での松山氏だけが適任というわけではないだろうけれども、松山氏なりの持ち味が表れているのは確かであろう。相対する検察官の秀美を演じた長澤まさみ氏は、本作では女性であるがゆえに揺れ動く価値観を表現していると思われるけれども、"MOTHR"では、悪役に徹した演技をしていたので、女性の役者だからこのような展開になっていったとは言えないだろう。
少し前にやはり孤立した高齢者を犯罪で救うという試みを描いた『茶飲友達』でも最後に処罰されたし、そこでは殺人は行われなかったことが救いではあった。随分前の『日本の悲劇』は、引き籠もり親子をめぐる暗部を描いたものであり、その系譜も感じられる。本作を制作した前田哲監督が少し前に制作した『老後の資金がありません!』は、その題名にもかかわらず、少しゆとりのある階層を取り上げていたが、本作では、どん底に追い込まれた階層と少しゆとりのある階層とを対比的に描いていることでも秀逸であると言えよう。
洋子演じる坂井真紀氏とやす氏演じる登とは、外見上は年齢的に釣り合わないようにみえたが、実年齢は1歳しか違わないので相応なのであろう。宗典は秀美に対して、「裁く」という表現を使っているが、裁くのは裁判官であって、検察官ではないはずであろう。
本作だけでなく、『日本の悲劇』の主役の演じる局面は、自分の実生活にも切実な問題であるので、改めて戒めとしていきたい。
神にはなれない
刑務所で大友検事が斯波に母の事を告白しているシーンはキリスト教の「告解」をイメージしているのだと気づいた。
斯波は一人の人間であり、神になることはできなかったが、キリストのように利用者家族の罪を代わりに背負い、自ら犠牲になる(殉教する)事を望んだのだと感じられた。
迫真につぐ迫真
いい青年は
いい人間であるとは限らない
いい職業についている人も
いい人間であるとは限らない
大事な事はどの本にも書いてない
極端な面もあるが
どれも迫真につぐ迫真
実は全てを見透かしてるのは
ケアセンターのおばさんなのかも
しれない
憧れの先輩が事件をおこして
いなくなったとしても
3ヶ月で風俗にいく見習いの子も
諦めの早い今の子を写している
のかもしれない
いい映画だ
フィクションの意義の一つはこういうテーマを描くこと。
介護と家族、そして切り離せない貧困。
現実を直視すると重いこのテーマを正面から描いたとても良い作品だった…。
モチーフになっている事件はあれど、フィクションだからこそできる社会的タブー(社会がなるべく目を逸らしているテーマ)への切り込み。フィクションの力と意義を感じる。
サスペンスというより、社会派ドラマ(しかもかなり骨太なやつ)と呼んだ方が良さそう。
訪問介護施設の職員による利用者(要介護者)の大量殺人。
斯波のしたことは事実だけ切り取るなら社会的に許されないことだ。
でも、彼の行動や思想といった背景を見ると斯波がただのシリアルキラーではないことがわかる。
彼がこの行動に至った経緯、この辺の積み上げや描写が本作は本当に丁寧で、だからこそ私たちは正面から斯波のしたことの是非を問うという、本作のテーマに向き合わざるを得なくなる。
本作では斯波の行動に救われた(とは作中で明言されないけど、そうと観客にそう感じ取らせる)被害者家族、斯波の行動を糾弾する被害者家族、斯波の(特に父親殺害に関する)心情、それを裁こうともがく司法、という様々な視点から問題が描かれていたのが素晴らしい。
なんというか人物に対する描き方がフラットであろうと努められていたのを感じた。
法律と社会通念の面から斯波を裁くなら彼はおそらく死刑になるのだろう。
でも斯波の人となりや彼の過去、彼の行動を見れば、彼がただの大量殺人をおこなった狂人であると、私たち観客は言えなくなる。
そして本作で斯波を裁くことに1人の人間として苦悩する大友検事と共に苦悩することになるのだ。
私がこの作品を観て改めて思ったのは、法律や司法は社会全体をスムーズに回すためのもので、それ以上でもそれ以下でもないということ。
法律は私たちが安心して暮らすために大切なものだけど(例えば殺人が許された世界では私たちはスムーズに暮らしていけない)、個人の救いにはならないこともままあるのだ。
そして「法律でそうなってるから」と思考停止し、やむをえず追い詰められている人々(セーフティネットからこぼれ落ちてしまった人々)の実情を知らず、知ろうともせず、そこで踏ん張る人たちの叫びを黙殺して、断じてしまう人間にはなりたくないな、と思う。
今は安全圏にいても、いつ私たちは同じ状況になるとも限らない。
直視するのが辛くても、自分事として社会で向き合わなければいけないのだろうなと思う。
(本作が作られた意図もそこにあるのだろう。)
演者の皆さんもとても素晴らしかったのだけど、やはり本作は終始静かで理知的な態度を崩さない斯波を演じた松山ケンイチさんが良かったし、そして斯波の父を演じた柄本明さんが圧巻だったな。
私の亡くなった祖父母も認知症で要介護だったのだけど、祖父母の様子を鮮明に思い出した。認知症で身体が自由に動かせない人間の様子をなぜあんなにリアルに演じられるのだろう…。
そして斯波がアパートで父の介護をしながら2人で暮らしているシーン、どんどん部屋が荒れ、斯波がやつれていき、でもたまに穏やかに語らう瞬間がある、あの一連のシーンは本当に胸が苦しくて苦しくて、忘れられないと思う。ずっと嗚咽をこらえながら観ていた。
斯波の父が斯波に「殺してくれ」と言うシーンなんてもう劇場なのに嗚咽がこらえきれなかった…。
本作でも描かれてたけど、認知症の方って行動や言葉で周りを傷つけることもあれば、フッと以前の優しくて理性的な姿や意識に戻る瞬間があって、だから介護してる家族は苦しいんだよね…。
思い出もあるから憎みきれない、見放せない。
そういうのもエグいくらいにリアルで、だからこそ観ていて本当に辛かった…。
観ていて本当に辛くもあるのだけど、目を逸らしてはいけないテーマを真摯に描いた良作だと思う。
強いインパクトは残った、ただ介護に苦しむ人達の唯一の解決策が殺人にも思えてしまう、それで良いのかとの疑問は残った
前田哲 監督による2023年製作(114分)の日本映画。配給:東京テアトル、日活。
原作は読んでいないが、犯人不明のミステリー作品の様であり、介護により地獄の様に苦しんでいる多くの人々が存在しているという問題に光を当てたものかと思われる。しかし、映画は、早々と犯人は分かり、松山ケンイチ演ずる斯波宗典が主張する介護する人及び介護される人、その両者を救済するための殺人、映画自体がそれをまるで理解・肯定しているとも思える様な作りとなっていて、驚いてしまった。
松山ケンイチが勤めるケア施設の介護対象者が他施設に比べとても多く亡くなっていること、更にも特定の曜日に多く死んでいることを、数学が得意な検察事務官の鈴鹿央士が発見して物語が動いていく展開は、とてもワクワクとさせられた。
また松山をとても尊敬していた新人介護士の加藤菜津は、殺人を知ってショックを受けたせいかケア施設を辞め風俗嬢になってしまう。そんなこと現実ではないだろうと思ったが、調べてみると、掛け持ち風俗嬢で最も多い職業が介護職だそうで、他人をケアという共通性からか、実は親和性が有る職業移動らしい。
長澤まさみ演ずる大友検事は、救済のための殺人を当初は全面的に否定していたが、自分が会いたがっていた父親を見捨てたまま死に至らしめた経験もあり、松山ケンイチ斯波の考えを否定しきれなくなってしまう。さらに一歩進み、共感・納得してしまった様にも見えた。何だかとても怖い映画だが、脚本の不備により、そう見えてしまったところはあるのかもしれない。
法廷では松山のことを「人殺し、父を返せ」と叫ぶ戸田菜穂の声もあったが、彼の殺人により坂井真紀演ずる母と彼女の娘は救われて、新しい恋愛相手まで見つけてしまったエピソードが強く印象に残り、叫び声が製作者たちのアリバイ的なものに思えてしまった。
松山と長澤の移りゆく表情を超クローズアップで迫る映像が特徴的で、印象に残った。確信犯で自信に満ちた松山ケンイチの表情に狂気を秘めた説得力があり、それに飲み込まれていく長澤まさみに、リアリティの様なものを感じた。
まあ、監督・脚本家をはじめ製作者たちの問題意識は強く感じた。殺人方法提示も含めて、誤解を恐れない潔い、ある意味勇気ある映画とは思った。ただ、解決の方向性は見せず、唯一の解決策が殺人であったとも解釈されかねず、その点では残念な気もした。
現実的には難しいかもしれないが、またインパクトは少し弱まるかもしれないが、介護を1人で背負い込むな、社会にSOSを発信しよう、といった別解決策のヒント提示があっても良かったのかもしれないとは感じた。
監督前田哲、原作葉真中顕、脚本龍居由佳里 、前田哲、製作鳥羽乾二郎、 太田和宏、 與田尚志 、池田篤郎 、武田真士男、エグゼクティブプロデューサー福家康孝、 新井勝晴、プロデューサー有重陽一、ラインプロデューサー鈴木嘉弘アソシエイトプロデューサー、松岡周作、 渡久地翔、撮影板倉陽子、照明緑川雅範、録音小清水建治、美術後藤レイコ、衣装荒木里江、装飾稲場裕輔、ヘアメイク本田真理子、音響統括白取貢、音響効果赤澤勇二、編集高橋幸一、音楽原摩利彦、主題歌森山直太朗、VFXスーパーバイザー佐藤正晃、助監督土岐洋介、キャスティング山下葉子、制作担当村上俊輔 、松村隆司。
出演
松山ケンイチ斯波宗典、長澤まさみ大友秀美、鈴鹿央士椎名幸太、坂井真紀羽村洋子、戸田菜穂梅田美絵、峯村リエ猪口真理子、加藤菜津足立由紀、やす春山登、岩谷健司柊誠一郎、井上肇団元晴、綾戸智恵川内タエ、梶原善沢登保志、藤田弓子大友加代、柄本明斯波正作。
良かった。けど好きじゃない。
介護問題をフィクション使って伝えたいのはなんとなくわかったし、伝わったので良かった。
だた正直好きじゃないジャンル。
もう少し謎解きがあってから、犯人がわかると良かったかもしれない。
終わりもスッキリしない。
制度設計は慎重に
1年半要介護の母(94歳)と生活をともにし、つい最近失った者として、果たして冷静にこの映画と向き合うことができるだろうか?と少し危惧しましたが、共感できる点共感できない点それぞれあり、意外に大丈夫でした。シリアスなテーマを扱った映画ながら、きちんとエンタメの要素もおりまぜて飽きさせない工夫があるのが功を奏しているのでしょう。(以下ネタバレありです。)
多分主人公の原体験にあったのは、「自らの死を望んだ」父の言葉を聴いたときの衝撃だったのだと思いますが、実を言うと私の母も同じような言葉を発したのは一度や二度ではありませんでした。
介護保険制度はありがたいです。訪問介護には本当に助かりました。まさにエッセンシャルワーカーです。が、会社の仕事を実家在宅で消化しながらの下の世話とか家事一切はそれなりに大変ではありましたので、「その言葉」を聞くときは「これだけ一生懸命やってあげているのに」と寂しさと一抹の悔しさ・怒りがないまぜになった気持ちでブルーになることも多かったです。(最近鑑賞した、フランソワ・オゾン監督が描いた安楽死を巡る「すべてうまくいきますように」にもそうしたシーンがあリ、大変共感しました。)
なので、純粋な主人公が「その言葉」をきっかけに、涙ながらに「その行為」に走ったことは、環境や人によっては、ありうるかもしれないなと思いました。その点が共感した点です。
しかしながら、例えば私の場合、幸いにして母からは、同時に「幸せだった」や「いつもありがとうね」の言葉があったのです。毎日お互い冗談や軽口もありました。なので、「その言葉」もそうしたものに中和されて、母との大切な最後の時間の1シーンとして、少しビターではありますが私の中の幸せな記憶の一つとして刻まれています。なのでそうした行為に繋がる余地は少なくとも私の心の中には、1ミリも発生しませんでした。多分例外はあるかもしれませんが、多くの要介護者を抱える家族も同じ気持ちなのではないだろうか。そう思いました。
斯波と比べるといろいろな意味で恵まれていたのだと思いますが、聞くところによると要介護者の安楽死願望は珍しくはないそうです。なので安易にその願望を充足させる行為を「善意として」行った斯波については、やはり共感することはできませんでした。
日本にもスイスのような安楽死立法を目指す動きがありますが、仮にそうしたものが実現するにしても制度はやはり慎重に設計すべきではないか・・・そんな風に思いました。
愛のある介護殺人はアリということですか?
真犯人探し的なミステリーかと思ったら全然違った。ずんのやすをずっと疑ってた自分がいた。
家族愛がテーマなのかもしれないけど自分的にはこの内容ではまったく感動しない。割と泣き上戸なのですが。
でも隣の女性がボロ泣きだったので好みの問題なのかもしれない。
映画が悪いというより好みの問題で★2とします。
深い問題
本当に考えさせられる。
自分の周りに、今は、
このような問題に直面してる人がいないのだが、
それは今だけであって、
これから自分にも降りかかる問題だと思うと、
本当に深い問題だと感じた。
松山ケンイチと同じことが起きたら
同じように考えてしまうと思う。
答えはないが、考えないといけないことを教えてくれた。
心が壊れていく
介護士斯波を松山ケンイチさんが、検事を長澤まさみさんが熱演。
斯波の深い悲しみをたたえた瞳、日々疲弊していく心、溢れた涙で歪む顔…、検事として対峙し、一人の人間としてガラス越しに涙を浮かべ語る…。松山ケンイチさん、長澤まさみさんの熱演に息を呑む。
これからの日本の映画界を牽引されるであろう主演お二人の演技に引き込まれた。斯波の父を演じた柄本明さん、峯村リエさん、戸田菜穂さん、他キャストの皆さんの演技も素晴らしい。
超高齢化社会が抱える悲しみが余りにも切ない。
映画館での鑑賞
法定での一言に救われた
この映画は、早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された事件をめぐる物語です。疑われるのは、献身的な介護士として知られる斯波宗典(松山ケンイチ)。検事の大友秀美(長澤まさみ)は、斯波が働く訪問介護センターでの老人の死亡率が異常に高いことに着目し、彼と対峙します。斯波は自分の行為を「救い」と主張するが、大友は真実を明らかにするために奮闘します。
観終わった後、松山ケンイチの演技力に感銘を受けました。特に最後の発言で、彼が法定で主張する「救い」に引き込まれ、納得しかかっていた自分がいました。しかし、法廷で遺族から「人殺し!」と叫ばれた瞬間、自分が救われた気持ちになりました。彼の演技が、観客の心に揺さぶりをかけることができる力を持っていると感じました。
この映画は、現代日本の高齢化社会の問題を描いており、観る者に深い考えを促します。社会のセーフティネットにかからない人たちの存在や、介護家族の厳しい現実を知ることができました。これにより、私たちが今後どのように高齢化社会に対処していくべきか、より具体的に考えるきっかけとなりました。
さらに、この映画は自分自身の親の介護が近づいていることを改めて感じさせてくれました。家族を介護する際の心情や責任、そして選択の難しさがリアルに描かれており、心に響く作品でした。
総じて、この映画は現代社会の問題を浮き彫りにし、観る者の心に訴えかける力がある作品だと感じました。演技やストーリーの面でも見ごたえがあり、そろそろ介護を迎える現役世代にオススメできる作品です。観終わった後、介護や高齢化社会について真剣に考え、自分自身や家族の将来についても見つめ直すきっかけを与えてくれました。家族や友人と一緒に観ることで、映画の内容について話し合いながら、より深く理解し合えることでしょう。
この映画はまた、高齢者への理解や支援が必要だけでなく、介護家族の苦労や犠牲も見逃してはならないというメッセージを伝えています。介護を担う家族が、心身ともに疲弊している場合も少なくありません。社会全体が、介護家族に寄り添い、支えることの大切さを再認識する機会となるでしょう。
また、映画の中で描かれる検事・大友秀美(長澤まさみ)のキャラクターも印象的です。彼女が被害者の家族を調査する中で、法の正義と斯波の信念に直面し、葛藤する様子が繊細に描かれています。このことからも、映画は単純な善悪の対立ではなく、人間の複雑さや多様性を浮かび上がらせる力がある作品だと言えます。
最後に、映画は観客に高齢化社会に対する課題や解決策について考える機会を提供し、私たち自身が何ができるのか、どのように社会に貢献できるのかを問いかけてくれます。今後もこのような問題提起がある作品が多く作られることを願いつつ、私たち一人ひとりが映画のメッセージを胸に、高齢化社会の問題解決に向けて歩んでいくことが求められます。
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