ロストケアのレビュー・感想・評価
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誰もが一度は観るべき作品
これは日本が抱える重大なテーマの一つです。
日本は医療水準が非常に高く平均寿命が長いため超高齢化社会となりました。
それ故に日本社会にもたらす影響も大きいです。
毎日の様にニュースで家族や介護士による虐待や殺人、無理心中といった記事を見かけます。
そのためPLAN75や今作のような作品が次々と作られては、話題となり観客の興味や共感を集めていると思われます。
私は医療従事者なので常日頃からこの問題に直面しています。国内では約100万人が寝たきりであると言われています。日本人の平均寿命と健康寿命の間には8〜12年の差があります。つまり多くの方が寝たきりなど要介護となった状態でその期間を過ごして最期を迎えています。
そこには家族の精神的、肉体的、金銭的負担が計り知れず、その苦悩を上手く描いた作品だなと感じましたね。
自分語りになってしまい恐縮なのですが‥
絶縁していた親の介護が突然始まりました。その時は鬱病にもなり親の介護、援助を拒否するべきか悩みました。
しかし、作中の大友の様に親を見放し死亡してから再会するのを危惧して介護を了承しました。この決断が正しかったのか未だに分かりません。恐らく、正しい答えは今後も出ることはないと思います。だけど後悔をしていないのが、また難しいところではあります‥
人間の感情とは複雑で、その事柄が実際に起こるまでは所詮、机上の空論でしかありません。
誰しもが、親の介護問題に悩む可能性があります。
全ての親が大友の母の様に老後に向けて貯蓄をして、自らの意思で介護施設や老人ホームに入所してくれる訳ではありません。
「安全地帯にいる人の言葉」だというセリフがとても心に響きました。そういう方々は自分が仕事を退職して介護をしたり金銭的困窮の中、介護をする可能性が低いと自分でも分かっているため理想論ばかり並べるというのは実際によくある話です。私も経験してそう感じました。
彼らは介護施設に入居する難しさ、生活保護の申請や受理までの苦労を知りません。
作中にもありましたが実際に福祉課の窓口で同じ対応を受けました。何度も足を運んで話を聞いてもらわないと申請書すら頂けません。家族の職業や生活などを調査し、全てを手放してからでないと生活保護は受けられないと言われます。税金から生活保護費を賄うため当たり前の話かもしれませんが、預貯金までも見せないといけませんでした。
在宅介護については言葉に形容できないほど皆が疲弊します。
「殺してくれ」と口にする親を家族みんなで泣きながら介護するのが日課となります。これは要介護のレベルによって差はあると思われますが寝たきりになると本人も将来に対する希望がなくなり絶望して、こういう言葉が目立ってきます。
要介護となる主な原因である認知症や脳梗塞の後遺症に対する根本治療は現段階では存在しません。
また、排便排尿コントロールができなくなることで本人や家族を悩ませます。赤ん坊のおしめとは違い、いつかオムツが外れることもありません。そして次第に家族みんなが生きている価値を見出せなくなっていきます‥
もちろん嘱託殺人を推奨している訳ではありませんが、それを容認してしまうくらい在宅介護は大変だということは間違いありません。
今作を観ていて、こういう被害に遭ったとしても介護が終わるのであれば救わるかもしれないと考えてしまいました。医療従事者らしからぬ意見ですが、これが本音です。
仕事では人の命を救うのが最優先であり、その後のことは家族や介護事業に丸投げです。
日本も安楽死に対して向き合うべきではないかと日々感じています。
家族の誰かが手を下しニュースにならないことを願いながら生活している自分にとっては非常に考えさせられる作品となりました。
何が悪で何を正義とするか、まさにその通りです。
重要な題材と思われながら、この映画に対する私的5点の疑問
(完全ネタバレですので鑑賞後に必ずお読み下さい)
この映画『ロストケア』は、現在の日本にとって大変重要な題材を扱っています。
それだけでも鑑賞の必要があると個人的にも思われています。
しかし映画を見ていて、私的には5点の疑問をこの作品には感じました。
まず1点目の疑問は、これは予告を見た完全なこちらの思い込みでしかなかったのですが、てっきり2016年に起こった知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」での45人殺傷事件(19人殺害、26人に重軽傷/相模原障害者施設殺傷事件)の植松聖 死刑囚を題材にした映画だと思って見始めてしまったところです。
もちろんこの映画の原作の葉真中顕さんによる「ロスト・ケア」は(鑑賞後に知ったのですが)2013年に出版されていて、2016年の「津久井やまゆり園」での事件(相模原障害者施設殺傷事件)より前に書かれています。
つまりこの映画は「津久井やまゆり園」での事件とは関係がないのですが、原作未読で関係がある映画だと勘違いして見始めた私のような観客も少なくないと思われます。
なので、例えば予告で”この映画は相模原障害者施設殺傷事件より以前に発表された予言的物語”など、実際の事件とは違う物語だとの事前周知は必要だったと思われます。
これは広報戦略から意図的な現実事件との混同を狙ったのかもしれませんが、1観客としては映画の前半での実際の事件の題材とは違うとの頭の中の訂正で、映画への集中を削がれたとは思われました。
(なぜなら、生まれた時からの知的障害者と、若い時の多くは健常で後に痴呆を含めた高齢者になってから必要とされる介護者とでは、周りとの人間的な関係性も微妙に違っていると思われるからです。)
2点目の疑問は、検事の大友秀美(長澤まさみさん)が斯波宗典(松山ケンイチさん)の殺人を捜査して暴いて行く場面です。
もちろん検事がドラマ「HERO」のように補充捜査の意味で刑事事件を捜査するというのはなくはないのかもしれません。
しかしこの映画『ロストケア』は、リアリティをもって介護の問題に切り込んでいる映画だと思われます。
であれば、刑事捜査の方も現実に匹敵するリアリティラインで描く必要があったと思われました。
斯波宗典が42人の殺人を犯していたのであれば、警察での捜査が主体になり、検事の取り調べはあくまでその警察の捜査が正当か起訴出来るかの判断になると思われます。
テレビドラマ的な、検事である大友秀美が主体になっている殺人事件の捜査の描写は、私的には小さくない違和感が残りました。
3点目の疑問は、介護施設で斯波宗典が殺害した41人はそれぞれで多様な人々であったはずなのに、そこが描かれていないと思われた点です。
斯波宗典は(おそらく脳梗塞などでの半身麻痺などが合いまった)父の斯波正作(柄本明さん)に対する介護の経験、行政などの助けのない中での疲弊と絶望から、父を殺害します。
斯波宗典は、父を殺害することによって、自分自身も父も「救われた」とその時に確信します。
しかしだからと言って、斯波宗典が殺害した彼の父以外の41人やその家族も、斯波宗典や彼の父と全く同じである(殺害によって逆に「救われる」)とは(経済的な状況も含めて)実際は限らないと思われるのです。
事実、家族の生活や父の介護で疲弊しているように見えた梅田美絵(戸田菜穂さん)は、法廷で斯波宗典に対して、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫びます。
この映画は、41人の家族の様々に違う人生や感情や内面を描き、それを斯波宗典にぶつけた上でなお、斯波宗典の主張はそれを乗り越えることが出来たのか描く必要があったと思われます。
41人の被害者家族の内で殺害後の心情が映画の中盤辺りで描かれるのは、斯波宗典の殺害動機にとって都合の良い(と私には思われた)、羽村洋子(坂井真紀さん)の「私、救われたんです」との心情だけでした。
この映画の弱点は、斯波宗典とはまた様々違うだろう被害者家族の中で、斯波宗典とは違う考え心情の人々を出しても耐え得る構成になっていなかったところだと思われます。
なので、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫ぶ梅田美絵を最終盤でしか心情を(叫びという1言でしか)語らせられなかったのだと思われます。
この映画は、「人殺し」と叫ぶ梅田美絵の心情を映画の中盤で斯波宗典にぶつけ、それでも斯波宗典の意志は揺らがなかったのか描く必要があったと思われました。
4点目の疑問は、母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と言っていた羽村洋子が、映画のラスト辺りで春山登(やすさん(ずん))に「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の話をするところです。
しかしこれはおかしな話だと思われました。
母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と語った羽村洋子は、家族との関わりで「迷惑の掛け合い」がどれだけ過酷な事かを既に深い底まで経験で分かっていると思われるからです。
この映画『ロストケア』は、羽村洋子が(斯波宗典と同様の)介護を通して家族での「迷惑の掛け合い」がいかに残酷かに到達し得たのに、そこを「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の言葉で最後に適当にごまかしてしまったと私には思われました。
羽村洋子のラストは、春山登から「迷惑を掛けるかもしれません」と言われたら、その過酷さを分かった上でそれでも一緒にいたいと、無言で春山登の手を握るといった表現の方が良かったのではと思われました。
5点目の疑問は、この映画というよりこの国の社会保障政策についてです。
映画『護られなかった者たちへ』でも思われたのですが、今回でも生活保護に対するこの国の冷淡さが描かれています。
そしてそれぞれの映画を見た観客は、なんて冷淡で悪の行政なのだ!と日本の行政を攻めて終わる構図になっていると思われます。
しかし本当はそれだけが要因ではないのです。
日本の国は今、世界一の超少子高齢化社会です。
にもかかわらず(例えば消費税などの税や保険料などを含めた)国民負担率は驚くべきことにOECD諸国の中ではかなり低いのです。(2020年で36か国中22位の国民負担率)
つまり、生活保護に回せるお金を増やすには、消費税や所得税や法人税・社会保険料などの国民負担を上げる必要があるのです。
加えて、超少子高齢化による生産年齢人口が減少している逆ピラミッドを早急に是正して、高齢者の介護を含めた社会福祉を支えるには、手遅れになっている少子化対策を超えて、(納税などでの)高齢者の支え手である生産年齢人口を増やすために、移民の大幅解禁が必要になります。
なぜ生活保護などについて行政が冷淡かというと、国民が消費税などの増税や社会保険料の引き上げ、あるいは大幅な移民解禁に反対しているのが大きな背景としてあるのです。
国民の負担や移民の必要性から目を逸らし自らの負担の必要性を棚に上げたまま、一方で行政を都合良く叩くのも間違っていると思われます。
以上の5点から、この映画『ロストケア』は大切な題材を描きながら、傑作には届かない作品になっているなと、個人的には僭越ながら思われました。
しかしながら、それでも介護における現在の日本の過酷な状況は是正される必要があり、私達はこの問題から目を逸らしてはいけないと、一方では強く思わさせる映画でもあると思われました。
また、主人公の斯波宗典 役の松山ケンイチさんと主人公の父の斯波正作 役の柄本明さんの2人の場面は圧巻の2人の演技だと、掛け値なしに思われました。
松山ケンイチさん、柄本明さんの2人の演技を見るだけでも十分価値のある映画だと思われました。
過去の関連作品との異同と自分自身への戒め
"PLAN75"を観たとき、『楢山節考』以来のいわゆる安楽死問題に関わる議論の中間的総括として、社会的孤立のために安楽死や自死の選択に追い込まれたり、推奨したりする空気を撥ね返していく風を吹かせ続ける風土を培う作品の制作が今後とも期待される、と考えた。しかし、本作ではむしろ家族の絆からの解放のために第三者による嘱託殺人が肯定されても良いのではないかという提起があった。まさに"PLAN75"が取り上げ損ねた2019年の ALS(筋委縮側索硬化症)患者嘱託殺人事件、そして"PLAN75"で暗示しようと試みた相模原殺傷事件の加害者の実相とも極めて似ていると思われた。けれども本作の原作は、相模原殺傷事件の発生より3年前に書かれたものなので、その慧眼には驚く他ない。戸田菜穂氏演じる美絵が、親が死んだことで重荷から解放され、宗典に対する信頼を残しているかにみえ、ひょっとすると減刑嘆願を申し出る一人になることさえ想像したが、そうはならず、殺人者への正当な感情を表明できていた。親による障がい児殺しに対して、かつては同情的な世論が沸き起こった時代もあったけれども、相模原殺傷事件の被害者の親たちは、施設に預けていたけれども、その子の生きる未来にまだ希望を強く持ち続けていた点で、宗典を演じた松山ケンイチ氏が想定したような、本人と家族の救いの実現とは大きく異なると言わなければならないであろうし、そこに相模原殺傷事件の加害者の誤算があったとも言えるであろう。
善の顔と悪の顔とを兼ね備える役柄は、様々な作品に存在するので、本作での松山氏だけが適任というわけではないだろうけれども、松山氏なりの持ち味が表れているのは確かであろう。相対する検察官の秀美を演じた長澤まさみ氏は、本作では女性であるがゆえに揺れ動く価値観を表現していると思われるけれども、"MOTHR"では、悪役に徹した演技をしていたので、女性の役者だからこのような展開になっていったとは言えないだろう。
少し前にやはり孤立した高齢者を犯罪で救うという試みを描いた『茶飲友達』でも最後に処罰されたし、そこでは殺人は行われなかったことが救いではあった。随分前の『日本の悲劇』は、引き籠もり親子をめぐる暗部を描いたものであり、その系譜も感じられる。本作を制作した前田哲監督が少し前に制作した『老後の資金がありません!』は、その題名にもかかわらず、少しゆとりのある階層を取り上げていたが、本作では、どん底に追い込まれた階層と少しゆとりのある階層とを対比的に描いていることでも秀逸であると言えよう。
洋子演じる坂井真紀氏とやす氏演じる登とは、外見上は年齢的に釣り合わないようにみえたが、実年齢は1歳しか違わないので相応なのであろう。宗典は秀美に対して、「裁く」という表現を使っているが、裁くのは裁判官であって、検察官ではないはずであろう。
本作だけでなく、『日本の悲劇』の主役の演じる局面は、自分の実生活にも切実な問題であるので、改めて戒めとしていきたい。
神にはなれない
刑務所で大友検事が斯波に母の事を告白しているシーンはキリスト教の「告解」をイメージしているのだと気づいた。
斯波は一人の人間であり、神になることはできなかったが、キリストのように利用者家族の罪を代わりに背負い、自ら犠牲になる(殉教する)事を望んだのだと感じられた。
迫真につぐ迫真
いい青年は
いい人間であるとは限らない
いい職業についている人も
いい人間であるとは限らない
大事な事はどの本にも書いてない
極端な面もあるが
どれも迫真につぐ迫真
実は全てを見透かしてるのは
ケアセンターのおばさんなのかも
しれない
憧れの先輩が事件をおこして
いなくなったとしても
3ヶ月で風俗にいく見習いの子も
諦めの早い今の子を写している
のかもしれない
いい映画だ
フィクションの意義の一つはこういうテーマを描くこと。
介護と家族、そして切り離せない貧困。
現実を直視すると重いこのテーマを正面から描いたとても良い作品だった…。
モチーフになっている事件はあれど、フィクションだからこそできる社会的タブー(社会がなるべく目を逸らしているテーマ)への切り込み。フィクションの力と意義を感じる。
サスペンスというより、社会派ドラマ(しかもかなり骨太なやつ)と呼んだ方が良さそう。
訪問介護施設の職員による利用者(要介護者)の大量殺人。
斯波のしたことは事実だけ切り取るなら社会的に許されないことだ。
でも、彼の行動や思想といった背景を見ると斯波がただのシリアルキラーではないことがわかる。
彼がこの行動に至った経緯、この辺の積み上げや描写が本作は本当に丁寧で、だからこそ私たちは正面から斯波のしたことの是非を問うという、本作のテーマに向き合わざるを得なくなる。
本作では斯波の行動に救われた(とは作中で明言されないけど、そうと観客にそう感じ取らせる)被害者家族、斯波の行動を糾弾する被害者家族、斯波の(特に父親殺害に関する)心情、それを裁こうともがく司法、という様々な視点から問題が描かれていたのが素晴らしい。
なんというか人物に対する描き方がフラットであろうと努められていたのを感じた。
法律と社会通念の面から斯波を裁くなら彼はおそらく死刑になるのだろう。
でも斯波の人となりや彼の過去、彼の行動を見れば、彼がただの大量殺人をおこなった狂人であると、私たち観客は言えなくなる。
そして本作で斯波を裁くことに1人の人間として苦悩する大友検事と共に苦悩することになるのだ。
私がこの作品を観て改めて思ったのは、法律や司法は社会全体をスムーズに回すためのもので、それ以上でもそれ以下でもないということ。
法律は私たちが安心して暮らすために大切なものだけど(例えば殺人が許された世界では私たちはスムーズに暮らしていけない)、個人の救いにはならないこともままあるのだ。
そして「法律でそうなってるから」と思考停止し、やむをえず追い詰められている人々(セーフティネットからこぼれ落ちてしまった人々)の実情を知らず、知ろうともせず、そこで踏ん張る人たちの叫びを黙殺して、断じてしまう人間にはなりたくないな、と思う。
今は安全圏にいても、いつ私たちは同じ状況になるとも限らない。
直視するのが辛くても、自分事として社会で向き合わなければいけないのだろうなと思う。
(本作が作られた意図もそこにあるのだろう。)
演者の皆さんもとても素晴らしかったのだけど、やはり本作は終始静かで理知的な態度を崩さない斯波を演じた松山ケンイチさんが良かったし、そして斯波の父を演じた柄本明さんが圧巻だったな。
私の亡くなった祖父母も認知症で要介護だったのだけど、祖父母の様子を鮮明に思い出した。認知症で身体が自由に動かせない人間の様子をなぜあんなにリアルに演じられるのだろう…。
そして斯波がアパートで父の介護をしながら2人で暮らしているシーン、どんどん部屋が荒れ、斯波がやつれていき、でもたまに穏やかに語らう瞬間がある、あの一連のシーンは本当に胸が苦しくて苦しくて、忘れられないと思う。ずっと嗚咽をこらえながら観ていた。
斯波の父が斯波に「殺してくれ」と言うシーンなんてもう劇場なのに嗚咽がこらえきれなかった…。
本作でも描かれてたけど、認知症の方って行動や言葉で周りを傷つけることもあれば、フッと以前の優しくて理性的な姿や意識に戻る瞬間があって、だから介護してる家族は苦しいんだよね…。
思い出もあるから憎みきれない、見放せない。
そういうのもエグいくらいにリアルで、だからこそ観ていて本当に辛かった…。
観ていて本当に辛くもあるのだけど、目を逸らしてはいけないテーマを真摯に描いた良作だと思う。
強いインパクトは残った、ただ介護に苦しむ人達の唯一の解決策が殺人にも思えてしまう、それで良いのかとの疑問は残った
前田哲 監督による2023年製作(114分)の日本映画。配給:東京テアトル、日活。
原作は読んでいないが、犯人不明のミステリー作品の様であり、介護により地獄の様に苦しんでいる多くの人々が存在しているという問題に光を当てたものかと思われる。しかし、映画は、早々と犯人は分かり、松山ケンイチ演ずる斯波宗典が主張する介護する人及び介護される人、その両者を救済するための殺人、映画自体がそれをまるで理解・肯定しているとも思える様な作りとなっていて、驚いてしまった。
松山ケンイチが勤めるケア施設の介護対象者が他施設に比べとても多く亡くなっていること、更にも特定の曜日に多く死んでいることを、数学が得意な検察事務官の鈴鹿央士が発見して物語が動いていく展開は、とてもワクワクとさせられた。
また松山をとても尊敬していた新人介護士の加藤菜津は、殺人を知ってショックを受けたせいかケア施設を辞め風俗嬢になってしまう。そんなこと現実ではないだろうと思ったが、調べてみると、掛け持ち風俗嬢で最も多い職業が介護職だそうで、他人をケアという共通性からか、実は親和性が有る職業移動らしい。
長澤まさみ演ずる大友検事は、救済のための殺人を当初は全面的に否定していたが、自分が会いたがっていた父親を見捨てたまま死に至らしめた経験もあり、松山ケンイチ斯波の考えを否定しきれなくなってしまう。さらに一歩進み、共感・納得してしまった様にも見えた。何だかとても怖い映画だが、脚本の不備により、そう見えてしまったところはあるのかもしれない。
法廷では松山のことを「人殺し、父を返せ」と叫ぶ戸田菜穂の声もあったが、彼の殺人により坂井真紀演ずる母と彼女の娘は救われて、新しい恋愛相手まで見つけてしまったエピソードが強く印象に残り、叫び声が製作者たちのアリバイ的なものに思えてしまった。
松山と長澤の移りゆく表情を超クローズアップで迫る映像が特徴的で、印象に残った。確信犯で自信に満ちた松山ケンイチの表情に狂気を秘めた説得力があり、それに飲み込まれていく長澤まさみに、リアリティの様なものを感じた。
まあ、監督・脚本家をはじめ製作者たちの問題意識は強く感じた。殺人方法提示も含めて、誤解を恐れない潔い、ある意味勇気ある映画とは思った。ただ、解決の方向性は見せず、唯一の解決策が殺人であったとも解釈されかねず、その点では残念な気もした。
現実的には難しいかもしれないが、またインパクトは少し弱まるかもしれないが、介護を1人で背負い込むな、社会にSOSを発信しよう、といった別解決策のヒント提示があっても良かったのかもしれないとは感じた。
監督前田哲、原作葉真中顕、脚本龍居由佳里 、前田哲、製作鳥羽乾二郎、 太田和宏、 與田尚志 、池田篤郎 、武田真士男、エグゼクティブプロデューサー福家康孝、 新井勝晴、プロデューサー有重陽一、ラインプロデューサー鈴木嘉弘アソシエイトプロデューサー、松岡周作、 渡久地翔、撮影板倉陽子、照明緑川雅範、録音小清水建治、美術後藤レイコ、衣装荒木里江、装飾稲場裕輔、ヘアメイク本田真理子、音響統括白取貢、音響効果赤澤勇二、編集高橋幸一、音楽原摩利彦、主題歌森山直太朗、VFXスーパーバイザー佐藤正晃、助監督土岐洋介、キャスティング山下葉子、制作担当村上俊輔 、松村隆司。
出演
松山ケンイチ斯波宗典、長澤まさみ大友秀美、鈴鹿央士椎名幸太、坂井真紀羽村洋子、戸田菜穂梅田美絵、峯村リエ猪口真理子、加藤菜津足立由紀、やす春山登、岩谷健司柊誠一郎、井上肇団元晴、綾戸智恵川内タエ、梶原善沢登保志、藤田弓子大友加代、柄本明斯波正作。
良かった。けど好きじゃない。
介護問題をフィクション使って伝えたいのはなんとなくわかったし、伝わったので良かった。
だた正直好きじゃないジャンル。
もう少し謎解きがあってから、犯人がわかると良かったかもしれない。
終わりもスッキリしない。
制度設計は慎重に
1年半要介護の母(94歳)と生活をともにし、つい最近失った者として、果たして冷静にこの映画と向き合うことができるだろうか?と少し危惧しましたが、共感できる点共感できない点それぞれあり、意外に大丈夫でした。シリアスなテーマを扱った映画ながら、きちんとエンタメの要素もおりまぜて飽きさせない工夫があるのが功を奏しているのでしょう。(以下ネタバレありです。)
多分主人公の原体験にあったのは、「自らの死を望んだ」父の言葉を聴いたときの衝撃だったのだと思いますが、実を言うと私の母も同じような言葉を発したのは一度や二度ではありませんでした。
介護保険制度はありがたいです。訪問介護には本当に助かりました。まさにエッセンシャルワーカーです。が、会社の仕事を実家在宅で消化しながらの下の世話とか家事一切はそれなりに大変ではありましたので、「その言葉」を聞くときは「これだけ一生懸命やってあげているのに」と寂しさと一抹の悔しさ・怒りがないまぜになった気持ちでブルーになることも多かったです。(最近鑑賞した、フランソワ・オゾン監督が描いた安楽死を巡る「すべてうまくいきますように」にもそうしたシーンがあリ、大変共感しました。)
なので、純粋な主人公が「その言葉」をきっかけに、涙ながらに「その行為」に走ったことは、環境や人によっては、ありうるかもしれないなと思いました。その点が共感した点です。
しかしながら、例えば私の場合、幸いにして母からは、同時に「幸せだった」や「いつもありがとうね」の言葉があったのです。毎日お互い冗談や軽口もありました。なので、「その言葉」もそうしたものに中和されて、母との大切な最後の時間の1シーンとして、少しビターではありますが私の中の幸せな記憶の一つとして刻まれています。なのでそうした行為に繋がる余地は少なくとも私の心の中には、1ミリも発生しませんでした。多分例外はあるかもしれませんが、多くの要介護者を抱える家族も同じ気持ちなのではないだろうか。そう思いました。
斯波と比べるといろいろな意味で恵まれていたのだと思いますが、聞くところによると要介護者の安楽死願望は珍しくはないそうです。なので安易にその願望を充足させる行為を「善意として」行った斯波については、やはり共感することはできませんでした。
日本にもスイスのような安楽死立法を目指す動きがありますが、仮にそうしたものが実現するにしても制度はやはり慎重に設計すべきではないか・・・そんな風に思いました。
愛のある介護殺人はアリということですか?
真犯人探し的なミステリーかと思ったら全然違った。ずんのやすをずっと疑ってた自分がいた。
家族愛がテーマなのかもしれないけど自分的にはこの内容ではまったく感動しない。割と泣き上戸なのですが。
でも隣の女性がボロ泣きだったので好みの問題なのかもしれない。
映画が悪いというより好みの問題で★2とします。
深い問題
本当に考えさせられる。
自分の周りに、今は、
このような問題に直面してる人がいないのだが、
それは今だけであって、
これから自分にも降りかかる問題だと思うと、
本当に深い問題だと感じた。
松山ケンイチと同じことが起きたら
同じように考えてしまうと思う。
答えはないが、考えないといけないことを教えてくれた。
心が壊れていく
介護士斯波を松山ケンイチさんが、検事を長澤まさみさんが熱演。
斯波の深い悲しみをたたえた瞳、日々疲弊していく心、溢れた涙で歪む顔…、検事として対峙し、一人の人間としてガラス越しに涙を浮かべ語る…。松山ケンイチさん、長澤まさみさんの熱演に息を呑む。
これからの日本の映画界を牽引されるであろう主演お二人の演技に引き込まれた。斯波の父を演じた柄本明さん、峯村リエさん、戸田菜穂さん、他キャストの皆さんの演技も素晴らしい。
超高齢化社会が抱える悲しみが余りにも切ない。
映画館での鑑賞
法定での一言に救われた
この映画は、早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された事件をめぐる物語です。疑われるのは、献身的な介護士として知られる斯波宗典(松山ケンイチ)。検事の大友秀美(長澤まさみ)は、斯波が働く訪問介護センターでの老人の死亡率が異常に高いことに着目し、彼と対峙します。斯波は自分の行為を「救い」と主張するが、大友は真実を明らかにするために奮闘します。
観終わった後、松山ケンイチの演技力に感銘を受けました。特に最後の発言で、彼が法定で主張する「救い」に引き込まれ、納得しかかっていた自分がいました。しかし、法廷で遺族から「人殺し!」と叫ばれた瞬間、自分が救われた気持ちになりました。彼の演技が、観客の心に揺さぶりをかけることができる力を持っていると感じました。
この映画は、現代日本の高齢化社会の問題を描いており、観る者に深い考えを促します。社会のセーフティネットにかからない人たちの存在や、介護家族の厳しい現実を知ることができました。これにより、私たちが今後どのように高齢化社会に対処していくべきか、より具体的に考えるきっかけとなりました。
さらに、この映画は自分自身の親の介護が近づいていることを改めて感じさせてくれました。家族を介護する際の心情や責任、そして選択の難しさがリアルに描かれており、心に響く作品でした。
総じて、この映画は現代社会の問題を浮き彫りにし、観る者の心に訴えかける力がある作品だと感じました。演技やストーリーの面でも見ごたえがあり、そろそろ介護を迎える現役世代にオススメできる作品です。観終わった後、介護や高齢化社会について真剣に考え、自分自身や家族の将来についても見つめ直すきっかけを与えてくれました。家族や友人と一緒に観ることで、映画の内容について話し合いながら、より深く理解し合えることでしょう。
この映画はまた、高齢者への理解や支援が必要だけでなく、介護家族の苦労や犠牲も見逃してはならないというメッセージを伝えています。介護を担う家族が、心身ともに疲弊している場合も少なくありません。社会全体が、介護家族に寄り添い、支えることの大切さを再認識する機会となるでしょう。
また、映画の中で描かれる検事・大友秀美(長澤まさみ)のキャラクターも印象的です。彼女が被害者の家族を調査する中で、法の正義と斯波の信念に直面し、葛藤する様子が繊細に描かれています。このことからも、映画は単純な善悪の対立ではなく、人間の複雑さや多様性を浮かび上がらせる力がある作品だと言えます。
最後に、映画は観客に高齢化社会に対する課題や解決策について考える機会を提供し、私たち自身が何ができるのか、どのように社会に貢献できるのかを問いかけてくれます。今後もこのような問題提起がある作品が多く作られることを願いつつ、私たち一人ひとりが映画のメッセージを胸に、高齢化社会の問題解決に向けて歩んでいくことが求められます。
考えさせられる映画ではあるが
社会問題であり、とても関心のある内容ではあるが、映画の感想としては、壮絶な介護に苦しむ家族と、その苦しみから解放するために事件を起こす介護士という観る前からわかっていた内容だった。
その後どんな展開になるのか、どんな判決が下されるのかが気になって映画を観たのに、その前に終わってしまった感がある。介護疲れによる事件の報道が珍しくないから、新鮮味が感じられないのだと思う。映画化の時期が遅かったのかもしれない。
柄本明をはじめ、出演者の演技力が素晴らしかった。
坂井真紀のように、自分の人生を歩めるようになった人。
戸田菜穂のように、介護に苦しんではいたが、返せと叫ぶ人。どちらの側面も描かれているし、それぞれに両方の感情があるのだと思う。
現実的なところでは、
将来自分がどうなるのかも予想がつかないので、家族に迷惑をかけないために、貯金をしっかりしておかなければと思った。
さもありなん
42人を殺した連続殺人犯とその事件の検事が対峙する人間ドラマ。今の日本にとって、切っても切れないテーマの映画でした。
殺人犯の動機が必ずしも間違っているとは言えないのもテーマとして強いものだと思いました。殺した人たちは1人を除き、家族などに介護されている老人たちで、セバは介護士としてその人たちを介護していましたが、ニコチン入りの注射で全員を救ったと謳っています。
これだけ見たらただただ残虐のように思えるのですが、セバの父親も同じように介護していて、自身に限界が来てしまい、殺してしまうけれど、同じように介護で苦しむ人を救うために介護士になり、殺していく…なるほどなと思わされました。
殺し方も決して残虐ではないですし、近年の日本の高齢化問題もあって、こういう先駆者が出てきてもおかしくないのかなとは思いました。
役者陣は文句なしです。長澤まさみさんと松山ケンイチさんの1vs1の対峙は最高でした。柄本明さんはどんな映画でも唯一無二の輝きを解き放っていて、今作でもそれを更新する勢いの熱演に脱帽でした。やすさんが上手すぎるのも良かったです。
少し引っかかったのが、とんとん拍子で進んでいくので、この題材に匹敵するエグさが無かったかなと思いました。
前田監督の作品の雰囲気があまり好きではないので、今作も進め方が合わないなと思いました。自白までのスピードや、元介護士が仕事を辞めて風俗嬢としてチラッと登場したりするシーンや、急に怒鳴り込んで法廷に現れた被害者家族だったりと、どこかしらで伏線を敷いた上で進めて欲しかったです。
オチもそこまで自白しないでも…勿論連絡を無視して見殺しにしてしまったという罪悪感はしょうがないとしても、あの対峙を演出したかったのか…?こればかりは原作を読んでないのであまりとやかくは言えませんが小骨がつっかえて取れないです。
日本がこれから長いこと付き合っていく介護の問題。安楽死という選択肢もありなのでは、とつい考えてしまう自分がいます。自分の両親はまだまだ元気ですが、うん十年と経てばどの様な感じになるのか、またどこかでこの作品を観たら多くを考えさせられるかもしれません。
鑑賞日 4/4
鑑賞時間 17:50〜19:50
座席 H-8
急性ニコチン中毒苦しいぞ~
安楽死や尊厳死の問題はまた別の問題。
斯波は検察官の大友(長澤まさみ)の取り調べの際、社会の穴に落ちた自分と安全地帯にいる大友の状況の違いを引き合いに出し、尊厳死の必要性を盾に自分の犯したことを正当化します。死刑を求刑するアンタも殺人者だと大友を揺さぶってきます。斯波の父親役の柄本明が観るものの判断をあやふやにしてしまう迫真の演技。つい同情してしまいます。高橋伴明監督も「夜明けまでバス停で」でバクダン役の柄本明に「底の抜けた社会」というセリフを言わせて、行政の不備を訴えていました。本当の息子の柄本佑が斯波役だったらよりリアルになるかなと一瞬考えましたが、それではコントになってしまいそう。松山ケンイチはとても適役だったと思います。自分の父親だけでやめておけば、自殺幇助罪止まりで、ある程度正当性はありますが、他人に対して反復大量殺人をやってしまうのは明らかに病的な心理が働いていると言わざるを得ません。また、看過できない松山のセリフとして、介護老人の不審な死亡例のほとんどは親族によるものだと大友に言ってのけます。ネグレクトを含む未必の故意のみならず、介護者が隠れて殺人を犯しているのだと言うのです。急性ニコチン中毒はとても苦しいと歌手の山本譲二さんがラジオで言ってました。みちのく一人旅が売れる前、キャバレーのどさまわりをしていた頃、酔客がタバコの吸殻を入れたビンビールを飲まされ、三日三晩のたうちまわるほど苦しんだそうです。この映画を観て、スパイ映画を参考に注射痕が目立たない足の指の間の血管からタバコの葉っぱの抽出液を注射する模倣犯が出ないかとても心配。斯波が被介護者にもそれを行ったのは父親にやった時にバレなかったからだとはっきり言っています。
その背景には確かな検死能力のある監察医がいないことや警察官が遺族や介護者を疑っていてはキリがない現実があります。
映画は在宅介護の話しですので、事業者にとって契約者が減ってしまうことは減益に直結するのでメリットはありません。しかし、民間の有料老人介護入所施設だとしたら、部屋の回転率をあげることは増収につながり、組織的とはいわないまでも犯行の動機になり得ます。所長を含めて施設の被雇用者が手のかかる介護度の高い入居者を忌避する心理が意識的あるいは無意識に働き、医療機関受診のタイミングを遅らせてしまうことは十分に考えられます。親を預ける子供の罪悪感にも訴える非常にセンシティブで多くの人にかかわってくる題材。
介護保険法が建設業界の介護医療産業参入を促しただけとまでは言いませんが、
原作の殺人事件モノのミステリー小説が映画化されるときには、脚本や過剰な演出についてよく吟味、評価する必要があるなと思いました。
蓋をあけ、何をするか
光の照らさぬ穴の中で斯波は父の望みをかなえた。
そして、彼は同じような41の穴の先を照らす光になるべく道を選んだ。
介護士として関わる人への殺害を自供した斯波は、それを〝救い〟と呼び、担当検事・大友は驚愕する。その被害は41人に及び、さらにその前にもう1人、彼が父親を殺していた事実も発覚する。
共に信じる正義をかかげ譲らない取り調べで、斯波が穴と安全地帯とたとえて語る社会への不満は社会的地位を持ち淡々と職務をこなす大友に対する一方的な線引きのようにもみえた。
だが、それは大友が向き合わずにやり過ごしてきた自分の内面にぐさりと突き刺しえぐる言葉の数々だった。
彼女には、長いこと疎遠だった実父の壮絶な孤独死の現場に立ち会った経験と認知症が始まり介護施設にいる母に、自分への気遣いでその暮らし方を選ばせてしまったという後ろめたさがか潜んでいた。
(経済力の差は生きる上で確かに大きく影響する。
しかし、お金があることだけが必ずしも心のバランスをとり、安定をもたらし続けるわけではないようだ。
幾度となくある人生の選択時に誰にどのような理解と納得があったかが色濃くのこるのも事実だということだろう。)
また、介護士としての斯波が優しく感謝されていたこと、遺族の中には、実は自分も助かったと漏らす人がいたこと、斯波が父を懸命に世話した事実、経済的弱者の世の中との隔たりとその孤独、介護に伴う家族の疲弊や崩壊、制度の問題点など、差し伸べる手がない社会の落とし穴という闇の部分が次第に顕になり、大友は激しく惑う。
平静を装いながら斯波と対峙する大友が、ついに「関係ない」と叫び立ち上がった。
斯波の問いかけがプライベートに踏み込んできたからだけではない。
あえてピントを合わさずにいた彼女の心が、安全地帯と穴のどちらの意味も体感しているからこそ自問自答に追い込まれたのだろう。
目の奥を逸さずにみつめて語る斯波により、リアルに。
法側の立場でルールに生きる自分とひとりの人間、一組の親娘としての狭間にある葛藤、動揺。
そして、ついに自覚した裸の本心。
そこで、冷静さを守り、焦りを断ち切ろうと発してしまった自分自身への言葉だったと思う。
法廷でまっすぐ見据える大友と斯波。
その張りつめる空気が突然割れ、被告・斯波を激しく罵しり責める遺族の声が響きわたる。
あの声は、斯波の確固たる信念〝救い〟という正義を覆えすのか?
あの声で、大友の検事としての〝法〟にのっとる正義は、本音とたてまえのゆらぎを跳ね除け再び目覚め責任感を増していくのだろうか?
それとも…?と、投げかける。
いや、そんな生やさしさではない。
袋小路の壁の奥でどーんと突きつけられ、これはあなたのことだ、と言われたのだ。
そう、あの法廷に立たされたのは今この超高齢化+少子化社会に生きる私たちだ。
生き抜こうとする家族たちを最後の瞬間まで守れる社会の仕組みが成り立っていなければ、〝救われない〟家庭はあとをたたず〝救う〟ための切ない犯罪は増えていくだけだと。
生ぬるく傍観し停滞している空気、正解を見出しにくい世界にあえてこのショッキングな内容で切り込み、本作は〝蓋〟をあけた。
いつものように母を訪ねた大友が認母がもらす想いにふれ、その膝に泣きくずれる場面。
母は全てをわかっているように優しく頭を撫でる。
大友は、ようやく母に父の死を伝えることができたようだ。
それは、穴をみないようにするための蓋をあけた瞬間だった。
そして、彼女が以前、斯波に問われ敢えてこたえなかった父のことを伝えるために面会にいくきっかけにもなる。
斯波の父が折ったあの赤い鶴を手渡しながら。
そこで彼女の口から出た言葉。
一瞬、変化する斯波のあの表情。
(松山ケンイチの繊細な演技に震えるこの作品の貴重なシーンだとおもう)
斯波が1+41=42の殺害を犯した罪はたしかに許されない。
だが、ひと言でかたずけてはならない意味がそこに確かに息づいているのを見逃すことはもうありえないのだ。
辛いから考えたくない問題😭
見たくない物は、見ない様にする、正に自分だ!時がくれば、対処するしかない、まだ、自分は安全地帯にいるのだな~
両親共に無くしましたが、この映画をレイトショーでポップコーンかじりながら、呑気に見ている自分は貧困だが安全地帯にいたんだなーとこの映画を見て気が付きました。人は、救いがなければ生きていかれないょ、そんなに強くは生きられない。
もう見たくはないが、見て良かったです。
アホ見たいに、生きていないでこれからの事を真剣に、考えよう。
泣けた😭
大事なテーマ
楢山節考を改めて鑑賞したくなりました。
もう少し丁寧に斯波の人物像を描き 介護職に就いてからの葛藤等描いていたら 感情移入できたと思います。
…救ったことにはならないと思います。
誠実で真面目なキャラクターとしての日記の文字なのでしょうが あまりにも美しい文字過ぎて
白けてしまいました。
すみません…。
新人の介護職の女性は ショックのあまり風俗嬢となっていましたが 設定が安易すぎる気がしました。まるで介護職に相反する職業と描かれているようで。
鏡を使った演出もやや過剰に感じました。辛口ですみません…。
10年以上寝たきり 意思疎通が叶わなくなった母がいましたが 療養病院にお世話になりました。
安全地帯にいたのかもしれませんが それなりの葛藤、苦しみはありました。
PLAN75の方が刺さりました。
何が正しいのか解らなくなる。「深く考える」素晴らしい作品
「介護問題」という大きな論題について可視化した様な作品だった。
終始静かな展開で進み、深く深く考える話なので動きや驚きが欲しい方にとってはめちゃくちゃつまらないと思います。(アンチじゃないです)
自分は本当に作中ずっと頭を凝らしよくよく考えるこの時間がとても楽しくて素晴らしい作品を観れたと心から思います。
介護問題、特に自宅介護について。
現実でも起こっている介護の過酷さ、年老いていって身体もボロボロで老人は介護されてもなお生きているのが幸せなのか?
介護されてる側もする側も…それが幸せと呼べるのでしょうか。
法律が正義なのか。命に対して何が正しいのか。
表面上では善人で居る事が当たり前の世の中ですが
本質はどうなのか、本当に幸せになれる方法はどの手段なのか。
作中の検事と介護士の掛け合いはとても息を呑みました。
松山ケンイチの演じる介護士、斯波宗典(しば むねのり)の検事への返しのひとつひとつが凄まじく重みのある言葉で、介護する側は無理して自分が苦しまなくても自分の人生をもっと生きれるし、介護される側も無理して生きていても苦しい
本来このように思ってる人はたくさん居るんじゃないか…と思います。
このシーンは一言一言なんて答えるんだろうと凄く見入りました。
実際、母を亡くしたスーパーで働く娘さんは余裕が無く子供への接し方も酷くなってしまっていたが
最後には子供と楽しく会話したり、新しいパートナーとも出会えたりと全てがうまくいって自分の人生を生きれていました。
自分は感情論を抜きで斯波の方に共感しました。
ただ、父の最後には斯波も父からの家族の絆(折り鶴の中のメッセージ)を受け取っていてこのシーンには胸がギュッとなりました。
ただただ、現実問題に立ち向かう
【悲しい】という感情を味わえる名作だと感じました。
あからさまに感動させようとしてくる映画と違い、ちゃんと自分なりに考えて噛み締めれる作品で本当に観てよかったです。
あと松山ケンイチの演技ホント好き
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