ロストケアのレビュー・感想・評価
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「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」 マタイによる福音書 7章12節
松山ケンイチと長澤まさみの丁々発止。人の死は誰のものなのか、と自問させられる。斯波の行為は犯罪である。しかし、道義的にはどうなのか。それで救われた人はいるのかいないのか。当事者はそれを知っても感謝するのか非難するのか。立場が異なる人の数だけ、答えがいくつもある難問。それでも殺人は決してダメだ、といいきれない虚しさ。
同じテーマを扱った小説「命の終わりを決めるとき」(朔立木)を思い出した。こちらは限りなく"尊厳死"という課題に寄った内容だった。映画にもなった。この先、生きていくとき、その"生"が、自分にとって、周りの家族にとって、けして好ましい状況だと思えないとき、死を選ぶことの難しさ。目の前にあるその"死"を決めるのは、本人なのか、家族なのか、事情をよく知る他人なのか。はたまた、偶然という名を借りた"神"なのか。
「人には、見えるものと見えないものがあるんじゃなくて、見たいものと見たくないものがあるんだなって。」と言っていた。信じたいものと、信じたくないものもある、と思った。この映画を、いま現在、"絆"という"呪縛"に縛られている人が観た時、はたしてどう感じるのだろうか。でも、そうやって自分の時間も感情も抑え込んで人のために働いている人たちは、一本の映画を観る余裕さえもないのかもしれない。
正義と悪の境界
とても引き込まれるカメラワーク、編集、演出、ぐいぐいと検事と犯人の間にある正義と悪の境界を引きずり回され、最後は泣いてました。
印象深いシーンは、4枚の斜めの鏡に鋭い視線で尋問する検事が映るとこです。
大理石のテーブルに反射する検事や犯人の場面も、二面性を象徴するようで好き。
成人の日本人全てに観てほしい作品です。
家族との絆
今年は泣ける映画が沢山あるが、本作は群を抜いている。ラスト15分間、大号泣だった。悲しくて、辛すぎる。思い出しただけでも泣けるくらい、秀逸な演出と構成であった。胸が張り裂けそう...。
「ドクターデスの遺産」を思い出させる内容。
あの作品は映画こそ〈クソ作品〉であるが、小説はとても丁寧に描いており、深く考えさせられ見応えのある秀作だ。実は映画版では、柄本明が出演しているという、共通点があるのだけど...全然違う笑 「ドクターデスの遺産」は、生きることを苦しむ人々に安楽死という選択を与える、医師の話。延命治療が当たり前とされているこの国は、人に寄り添う心が何処か欠けている、そんなことを語る作品。そして、本作「ロストケア」は、親の介護で苦しむ人々に〈救い〉を与える、介護士の話。家族という絆が、家族をどれだけ苦しめているのか、ということを強く語る作品。
ドクターデスという医師はネットでの申し込み制、家族の了承があっての実行だったのに対し、本作の斯波という介護士は全て自分の判断、家族の承認一切無しでの実行であったため、少し倫理感が欠けている部分はある人物。快楽じみている。しかし、ドクターデスの場合だと、申し込むことに罪悪感を感じ、また今の刑法だと、共謀者として罪に問われる可能性もある。が、斯波の場合は、全ての事件を彼1人で行っているため、無論他の逮捕者が出ることもないし、身勝手な行動のあまり批判もあるだろうが、自然な形で苦しみから解き放たれ、救われる人も少なくないはず。
どちらが正しい行いをした正義なのか、というのは分かり得ない。だが、どちらも『この国は下を向かない。見えないんじゃなくて、見ない。』と訴えている。本作の斯波の犯行は、〈お父さんを返せ〉という言葉がある時点で、大きな罪に問われるのだけど、同時に〈救われたんです〉という言葉もあるため、100%間違いを犯したとは言いきれない。少なくとも、救いの手は差し出すことが出来た。
辛い思いをしている家族を楽にしてあげる。
これの、何処が悪いのだろうか。生きる権利があるなら、死ぬ権利があってもいいはず。特に本作は老人に焦点を当てた作品であったため、当人も自分のせいで家族が苦しんで欲しくない、と考えるはず。私がその立場に立ったら間違いなくそう思う。小説「ドクターデスの遺産」よりは、犯行に抜け目が多く、許されない行いだが、とてもリアリティがあって頭を抱えるほど考えさせられた。松山ケンイチと柄本明の演技力がお見事である。
感想と言うよりも解説が多くなってしまいました。
せっかくなので、原作も購入し、できれば改めてレビューに追記しようかなと。淡々と描いているために少しあっさりとした作りではあったけど、優れた演出で涙が止まらない、いい作品でした。ぜひ。
ズシっと重たく心に刺さる
かなり重たい内容だったけど、色々考えさせられるような良い映画だった。
長澤まさみ演じる感情的な検事と松山ケンイチさん演じる冷静で親切だけど淡々としてる介護職員のコントラストがとても良く、どっちにも正当性や正義を感じた。
過酷な介護、家族の認知症、そして貧困、人としての尊厳を守るためにする行動、観終わってしばらく自分だったらどうするかなぁと悩んでしまった。
観た方が良い映画!考えさせられる。
公開劇場が、少ないのが不思議でもっと大勢の人に観て欲しい映画だった。
いつかそれぞれの立場 環境などあるかもしれないが色んな形で起こりうる事だと思う。
前もって考えておくことを思い知らされた映画だった。
松山と長澤のやり取りを観ていてどちらにもわかる感情が行き来して 自分似は答えがわからなかった
但し、法律としては長澤の検事が正しいのだろう。
じゃどうすれば……。
これからも悩むのだろうと思う
答えがない問い
斯波が言った『僕を死刑にするあなたは正しい。しかし、(苦しむ老人を送る)僕も正しい』という言葉がとても心に残っています。
裁判の前、斯波が殺したことによって、介護から開放されて、『救われた』と述べた遺族の姿が描かれました。
しかし、裁判の途中斯波を『人殺し』と叫ぶ遺族の姿も描かれました。
この映画は本当に中立的に物事を描いていて、どちらの正しさも思わず納得してしまいます。
映画を観終わった今ですらどちらが正しいのか明言出来ません。
斯波も大友検事も、より良い社会を理想としています。
そこは一緒です。だからこそ観ていてすごく胸が締め付けられました。
この映画を観て、自分の親、恋人の介護の可能性、未来を考えました。
恐らくこの映画を観たたくさんの人が同じように感じたと思います。
とてもいい映画でした。
松山ケンイチ、長澤まさみ、柄本明の血気迫る演技の拍手。
自分で介護をしたことある人には刺さる作品
自宅介護したことある人なら刺さります。
介護師さんの気持ちもわかります。
ロストケアの意味もわかります。俺自身も介護していて自暴自棄になりそうになったことあります。
とくに痴呆症になってくると大変なのもわかります。
解放ってなんなのかを考えさせられるストーリーも素晴らしい。
折り紙の鶴がキーワードになってるのもすごくよい。同じ境遇にありながらも介護師のした行為を追い込んでいく女検事の苦悩もわかります。
最後の赤い折り紙の鶴の指し示すものとは?是非とも劇場にてご鑑賞ください。
安全基地にいるのか、穴の淵にいるのか
介護制度ができてから、ずいぶんと時間が経っているというのに。
制度の穴はすぐに開くんだ。
介護サービスを受けない、受けられない人にとっては、なんの意味もないんだ。
介護、まさに目の前にある現実。
いや、それよりも自分の行く末を考えさせられたか。
家族が誰か分からなくなっても、それでも生きていたいか?そう問われているような。
厳しい現実の日々、汚物を素手で握り、食べたことすら忘れてしまう親を看ていて、それでもいつまでも面倒をみるからと、言い切れるだろうか?たとえ安全基地にいたとしても、罪悪感は否めないのでは?
いつまでつづくんだろう?
この問いが浮かばない介護者がいるのだろうか。
どんなにがんばっても、「これでよかった」と思える介護があるのか。
あっという間の114分。
松山ケンイチの演技に拍手。
それにしても、今どき、あんな生活保護担当いるかな〜?あれは、制度の穴じゃない。人災としかいいようがないでしょ。
本年度の邦画ベストワン候補
まだ4月だが、ワタシ的には本年度のベストワン候補。
まずリアリティがハンパない。途中で退出する事を考えたほど辛く、そしてリアル。
“正義”を振りかざして“倫理”で切りつける検事、それを“本音”で受け止めて“現実”で突き返す容疑者。
ガチすぎて、震える。
介護と救いと絆、何が正しいのか
人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。
穴に落ちた側と安全地帯にいる側。
目に見えるものと見えないものではなく、
見たいものと見たくないもの。
迷惑かけていいんだよ。
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色々考えたり、思い出したりして
涙なしには見られなかった。
私の母は、
認知症の祖母の介護で苦労しており、
祖母が亡くなった時、親戚の人から
楽になれるねと声をかけられていた。
そんな私の母は、突然の孤独死だった。
私は母を亡くした時、
これから親孝行したかったのにと
悲しみのどん底にいたが、
親戚のおばさんから、
私の母は、娘孝行した、
と言われたことを思い出した。
何が正解か分からないが、
母の娘で良かったと生前に伝えられた
ことは今も私の救いである。
ひとつじゃない正義の行方
●公式サイトからあらすじ
介護士でありながら、42人を殺めた殺人犯・斯波宗典に松山ケンイチ。その彼を裁こうとする検事・大友秀美に長澤まさみ。社会に絶望し、自らの信念に従って犯行を重ねる斯波と、法の名のもとに斯波を追い詰める大友の、互いの正義をかけた緊迫のバトルが繰り広げられる。
***
かつてドラえもんはこう言った。
「どっちも自分が正しいと思っているよ。戦争なんてそんなもんだよ」
本作は文字通り、松山ケンイチ演じる殺人犯・斯波と長澤まさみ演じる検事・大友のそれぞれの正義をかけた戦争である。だが、明らかに正義であるはずの大友の分がどうにも良くない。大友が正論を吐けば吐くほど、斯波の覚悟を決めた眼に吸い込まれていく。斯波の瞳の奥に、自らの両親の姿を見たであろう大友が静謐な検事室で声を荒げるシーンは印象的だ。
劣勢の大友にとって数少ない救いは、裁判官に促された斯波が朗々と自説を述べる場面で、傍聴席から戸田菜穂演じる被害者遺族が発した「人殺し!」の一言だろう。
検事がつけるバッジは、秋の冷たい霜と夏の烈しい日光という意味の「秋霜烈日」という四字熟語がモチーフになっており、転じて、厳正な検事の職務とその理想像を示しているという。
検事役の長澤まさみはいつもながら美しいのだが、本作ではその美貌やスタイルを殊更に際立たせるような演出は鳴りを潜めた。赤いマフラーくらい。むしろ、年相応の皺やありきたりなパンツスーツなどで、彼女自身の年輪をそのまま魅せていく映像を用いて、ラストの「検事の担うべき厳正」に収まりきらない、ひとりの娘としての情動に見事に収斂させた。
圧巻は柄本明である。
検事室でのやり取りが「それぞれの正義」の対峙であるなら、かれと斯波との日々は「それぞれの愛」の対峙であり、後の連続殺人に正義があったというある種の倒錯を生み出したのは、かれの圧倒的なリアリティに依るところが大きい。
大友がぼつりとこぼした、「この世の中には"見えるものと見えないもの”があるのではなく、“見たいものと見たくないもの”があるのだ」という台詞が、観客であるわたしたち居心地の悪さと共に問う。要所で出てくる折り鶴の多義性をじっくり考えてみたくなる良作である。
どちらも、自分に有りうる、現実!
とても、リアル
今の、高齢化社会では実際こんな事が
本当に起こっても不思議はない気がします
老老介護は当たり前…
ヤングケアラーもふえつつある
もし、自分が自分らしく生活出来なくなって
しまったら
自分の愛する人に、迷惑をかけ、いがみ合うように
なってしまったら
そんな事を考えただけでも、ゾッとします
でも、そんな将来がいつか来る
自分も、生きていく意味を見失ってしまうかも
知れません
もし、自ら生きる事を諦めた時、それすらも
自分で出来ない時
わたしも、彼にお願いしてしまうかもしれない
そう、思ってしまいました
考えさせられる内容ですが
鈴鹿央士くんが、データから事件を探っていく所が、
今どきで、良かったです!
正解はない。
在宅介護で介護崩壊、、、
はたから見てると、大丈夫か?
どんなにボケてても、親は親でずっと生きていてもらいたいと思ってる家族もいる。いつ死んでもおかしくない介護度5の親でもコロナで死んで欲しくないと、救急要請してフルコースを望む。
だから医療崩壊が起きる。
医療従事者目線と一般人目線。あるいは在宅介護の経験者で思うことは当然違う。
松ケンの場合は、父親に殺してくれといわれた事と生活苦から涙ながらにやってしまった。その後殺人を繰り返すが自分の思いと、同じ人間と違う人間もいたとを、あの法廷でどう感じたろうか。非常に重いテーマでした。
気づいたら泣いていた
正義や救い、そして家族の絆というのは時に身勝手でやるせない。片側一方通行の善、その形の危うさが未来の日常を作っていると思うと不安しかない。穴に落ちてしまった人間は、もがき足掻いて力尽きて、ただ悲観にくれるしなくて、その穴に入ったことがない人には理解も想像もできないのだ、と言った彼の目が忘れられない。他人事じゃないから胸が痛い。
穴に落ちる者、穴を無視する者、そして、そんな穴を無いものとして蓋をする国。しかもその蓋は布切れ一枚で、いつ誰が落ちてもおかしくない状態。
俳優たちの静かな演技と言葉に引き込まれました。柄本さんや戸田菜穂さんなど、それぞれの立場から発せられた叫び声が耳から離れない。
泣ける映画と宣伝して泣けない作品は五万とあります。気づいたら泣いていた、という作品こそが秀逸なんだと思います。まさにそんな素晴らしい作品でした。
そして、主題歌の森山直太朗さん『さもありなん』に癒されました。
社会の穴
他人事とは思えないので
色々と考えさせられた
社会のルールが追いついていない
もしくは助けたくても
今の日本には助ける余裕がなく
放置されてしまっている
自分の時間を人に奪われたか与えたかの
捉え方により救ったのか殺したのか
変わりそうと思えた
ケアをロスト
胸クソが悪くなった。それは老人介護の現実を見せられて…ではなく、この作品の指し示す方向についてだ。この展開とラストでは、介護疲れで要介護者を殺すことに正当性を与えて、親を介護施設に入れることが罪であるように思え、こんな大変な現実がありますよという話を通り越して、日本人の自己責任論・意識をさらに強化するよう働きかけているように見える。成田悠輔が老人は集団自決しろと言ってるのと何が違うのか。
生活保護申請が却下されるシーンがあるが、サラッと流される。そんな行政に不満の声を上げ政治に解決させる、足りない部分を民間でフォローするというのがつらい現実に立ち向かう方法だと思うけど、ケン・ローチだったらそこにアプローチするはずなのに、本作は家族の絆を持ち出して殺人でお涙頂戴にもっていく。うんざり。
そう思うと映画の作りもひどく見えてくる。ラストで父を殺めたことに泣いたマツケンが、そもそもなんで自首せず41人も殺すことにしたのか。正常な判断能力がないほど認知症の進んだ柄本明が息子へ感謝の言葉を書いた折り鶴をもってるとか、大量殺人犯に父親を見捨てた話をする感情的なマチャミ検事とか、マツケンが殺人犯と知って同僚の若い女が騒いで室内の飾りつけを破るとか、さらになぜか風俗落ちとか、作り話にしても安すぎるよ…。
今どき誰でも知ってる介護の現状を追認し、最も安易な方法を想起させてるようにしか自分には思えないわけで、高評価がついてることにまた暗澹たる気分。すべてうまくいきますようにの感想で触れたけど、PLAN75の制度といい、なぜ社会が個人を死に追いやろうとするのか。老人になるのが心配なら、すぐにシニタイヤツハシネばいいのでは。
ミサイル買ってる場合じゃない。
去年見たジェシカ チャスティンとエディ レドメインが出てた「グッドナース」という映画(ほぼ実話)を、法廷に軸足置き、日本の介護、貧困問題に落とし込んだストーリー。
マツケンや坂井真紀みたいな上手い人のなかで長澤まさみがどう頑張るか興味が有って観に来た。
感情的になる部分は良かったけど、いつも通り真面目な部分で硬さ、不自然さが感じられた、、もう少しなんだけど惜しいなぁ。見てる私の問題、先入観かなぁ、、、。
日本の介護問題、低所得者問題をリアルに描けていたと思うが、、、、こんなのあり?的な地方の検事事務所での取り調べや、そこの机インテリアが妙にオシャレなのがずーっと気になってしまった。
実際に身の回りでセイフティーネットに引っかからず、穴から這い上がれない人を何人か知っている。
自己責任で片付ける事が出来ない状況を「プラン75」みたいな解決策を選択する世の中にはならないでほしいと思う。
ミサイル買ってる場合じゃないのよ。
リアリティが感じられない
作為的な演出というか、観客の感情を誘導しようとする意図を感じてしまう。
まず、引っかかったのは、斬波の父親が認知症の症状がかなり進んでいる段階で、「自分を殺せ」と息子に言っている点。リアリティを薄めるより、貧困と疲労の極限で父親を殺めた。その方が介護の現実として突き刺さる。
それと、後輩の若い介護士。斬波が逮捕されたことを聞いて、狂ったように暴れまくった上に、風俗に闇堕ちするってどういうこと?
斬波の殺人を知ったら、怒りじゃなくて、絶望で茫然自失でしょ。そこは百歩譲ったとして、風俗嬢の待機所でやさぐれた表情を見せる意味が全く理解できません。
高い評価に水を差すようですが、ノイズが多すぎて、自分には響かなかったです。
自己申告あっても。。。
PLAN75同様に高齢化問題。
まだ介護の経験者では無いがそう遠くは無い。自分自身も病気や寝たきりになるくらいなら自身でピリオド打てるものなら打ちたい。。命有る限りとは言うものの、何かしらフォロー出来る社会でいて欲しいと願うばかり。。ラストは涙無しではいられませんでした。良作です。
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