ロストケアのレビュー・感想・評価
全355件中、281~300件目を表示
両親に会いたくなる
あなたは大切な人をどのようにサポートしますか
柄本明さんの演技に自然と涙が出てきました。日本で生きている以上!そして人として向き合わなければいけない問題であり、1人でも多くの人に見てほしいです。正解はない。何歳であっても心の中は子どもであり、体と環境が勝手に成熟な大人に変えていく。何歳になっても死を恐れている子どもであり、自分の一番いいところや楽しい記憶が続くと願うばかりの子どもである。認知症になることは防ぐことができないうえ、体がだめになっていき、脳が勝手にボケていく辛さは本人の心とまだ鮮明さがある脳と思考で悲しくなる。一生懸命闘病したり、認知症と戦っているけどどんどん悪化してしまう。介護する人と介護される人にしかわからない気持ちがある。子に迷惑をかけたくない親と、親を支えたいけど限界が来てしまう子は介護の課題であり、問題である。人が人の命を立たせたら必ず罪にとわれなければならないのか。同じ生命がある命を簡単に立たせている。法律はすべて正しいのか。国の指示はすべて正しいのか。なども考えさせられる映画でした。相手を思う気持ち、為になる行動、事情を把握してから行動するは簡単に見えて難しいことです。感情があるとどうしてもコントロールできなくなります。しかし、感情があることで好きな人をずっと気になっていたり、愛する我が子のためにどんな体や脳になっても最大限の愛情表現を不器用におこなっている。今後を感がさせられる映画でした。あなたは介護する側として認知症のご両親に何ができますか?
どちらが正しいのか分からない…
まさに現代社会に突きつけられた問題に
正面から取り組んだ作品
長澤まさみが扮する検事
対
現代日本が抱える介護問題の代弁者
松山ケンイチ
の構図の映画です
日本の刑法上
人を殺すこと = 殺人罪
となってますが
介護に困窮を極めた人達にとって
果たしてそんな単純な数式だけで
人を裁いて良いのか
ということを
心の底から考えさせてくれる作品です
リアルに
検事である長澤まさみ
人殺しである松山ケンイチ
のどちらが正しいのか
分からなくなるような感覚に襲われます
最後に二人が対峙する場面の
カット割りも秀逸で
本作品のテーマが
監督の力によって
より引き立てられてると感じました
役者、監督を含めたスタッフ
双方共に素晴らしい作品でした
それにしても
柄本明さん
様々な作品に出てきますが
どの作品の演技も
超ナチュラルにハマっており
本当に毎作品
感心させられております
日本を代表する
名脇役ですね
観ているのが辛くなる
長澤まさみと松山ケンイチが初共演を果たし、検事と連続殺人犯として逮...
長澤まさみと松山ケンイチが初共演を果たし、検事と連続殺人犯として逮捕された介護士の対峙を描いた社会派サスペンス。
戸田菜穂演じる梅田が法廷で叫んだとき、大友検事を演じる長澤まさみが正論を語っていると思わせてくれるいい場面なのだぁ!!考えさせてくれるおもしろい映画です。
人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい。
彼の行為を批判はできない自分がいる
日本に住んでいる全員に観てもらいたい。
絆か呪縛か、答えはバラバラ
なかなか重いストーリー、重いテーマでした。
高齢化社会における、介護、認知症・・・
立場により見え方も感じ方も違うのだろうな。
安全地帯、穴に落ちた家族、それを介護する職員・・・
正解がなにかわからない、いや人によって正解が異なるのか、
尊厳死、安楽死という考えもあるが、さすがに人殺しはどうかと思う。
現代社会の大きな問題を描いた映画であった。
私も同じような立場になったとき、介護する立場、される立場になったとき、
どのように思うのか、何ができるのか。。。
ロストケアは悲しいラストケア…
原作未読で、内容は全く知りませんでしたが、主演の二人の演技合戦を期待して鑑賞してきました。期待どおりの演技と練られた脚本で作品としての満足度は高いですが、内容は鑑賞後も深く考えさせられるものでした。
ストーリーは、ある民家で認知症老人とその訪問介護を請け負っていた施設のセンター長の死体が発見され、心優しく誰からも慕われる介護士・斯波宗典が犯人として浮上し、取り調べに臨んだ検事・大友秀美が同様の死亡老人のデータを分析して詰め寄ると、斯波は自分の犯行を認めるものの、それは「救い」であると主張し、二人の信じる正義が激しくぶつかり合っていくというもの。
劇的な場面はほとんどなく、物語は淡々と進行していくように見えますが、一つ一つの場面から登場人物の背景や思考が窺い知れ、それが本作のテーマに密接に絡んでいるため、ぐいぐい引き込まれていきます。圧巻だったのは、取り調べシーンで見せる主演二人の演技のぶつかり合いです。その役の人物背景から発せられる説得力のある言葉が、もはや演技を超えているとさえ感じさせます。
そんな中、終始押され気味の検事・大友が感情的に声を荒げます。それは理詰めで論破されているからではなく、彼女自身の後ろめたさや現在の状況に起因していることが、ラストで明かされます。そして、その布石が冒頭のシーンにあったことに気づかされ、構成の妙を感じます。
本作は、厳しい介護の現場をまざまざと見せつけますが、私自身は介護経験はなく、知人の話やテレビで見知った程度の知識しかありません。私のように本当の意味での介護の苦しさを知らない人は多いと思うので、それをこうして本作で突きつけられたことに衝撃と意義深さを感じます。本作が、実際に介護で苦しんでいる方の背中を間違った方向に押すことはないと思いますが、行政の側には真剣に現行制度を見直すなり何らかの方策を打つなりするきっかけとなってほしいと切に願います。
超高齢化社会へ突き進む我が国において、介護問題は目を背けてはいけない喫緊の課題です。そんな課題に対して、斯波が出した答えの一つがロストケア。しかし、これは取り返しのつかない、もう後がない最終手段。ラストケアがロストケアだなんて悲しすぎます。では、どうすればよかったのか。その答えはわかりません。わからないからこそ、議論し模索し続ける必要があるのだと感じます。救いのない闇の中でもがく人、もがく気力さえ失ってしまった人たちがいることが本当に切ないです。
主演は松山ケンイチさんと長澤まさみさんで、二人の迫真の演技が秀逸で、介護問題の深刻さを際立たせています。特に松山ケンイチさんにいたっては、揺るぎない自身の正義に従う斯波を圧倒的な存在感で演じきり、役の上でも実力的にも長澤まさみさんを凌駕していたように思います。脇を固める柄本明さんも、主演の二人を引き立たせる抜群のアシストで作品に奥行きを与えています。坂井真紀さん、戸田菜穂さんらも、被害者遺族を好演しています。
深い話でした とても考えさせられる
育児にも通ずる
身につまされる映画
対
「絆」と書いて「じゅばく」と読む
巷間語られている、
自助・共助・公助の順序が
さも当然のように。
しかし、元々我慢強いのに、
お上に頼ることを善しとしない国民性から、
介護する側、される側が共倒れになるケースも多いと聞く。
また、生活保護についても、
受給までのハードルは高く、
本当に必要な世帯に届いていない可能性も
常々指摘されるところ。
本作は、そうした社会の歪みから生まれる悲劇を
極大化し描写。
とは言え、こうした痛ましい事件は、
単発では新聞やテレビのニュースでも
折々に目にすること。
『斯波(松山ケンイチ)』は
訪問先の家族からも職場の所員からも評判の良い介護士。
対応は真摯、思いやりの態度も自然で、
そのたたずまいはさながら聖職者のよう。
ただ、年齢の割にはかなりの白髪で、
「随分と苦労したのでは」とは同僚の噂話。
そんな彼が殺人事件の、
それも四十人以上の老人を殺害した容疑者として取り調べを受ける。
対峙するのは長野地検の検事『大友(長澤まさみ)』。
ここで驚くのは、本人があっさりと容疑を認めてしまうこと。
勿論、嫌疑を掛けるまでの検察側の丁寧な捜査はあるものの
(上司は一過性の単純な事件として急ぎ処理するよう、
いかにも免罪を生むような指示をしていたのだが・・・・)、
その過程は一本道。謎解きの要素は弱め。
ではどこに尺が割かれているかと言えば、
『斯波』が(「救った」と表現する)殺人を犯すようになった経緯と
『大友』自身が抱える家族の問題。
彼はシリアルキラーでは全くなく、
冒頭「聖書」の一節が提示される如く、
あくまでも介護される老人と
その家族を慮ってのことと言い切る。
前者は尊厳を、後者は慰撫を意識してのものだと。
実際に要介護の親族が居ると
相応の時間を費やさねばならぬことは間違いなし。
また、外からの助けを当人が拒否するケースもあり
家族は次第に疲弊していく。
そうしたことへの救済であるのだと。
裁判に当たっての被害者家族の反応も複数通り。
「(殺された)父親を返せ!」と声高に叫ぶ者、
一方で肩の荷が下りたの如く
自身の幸せに改めて向き合える者、
どちらも真の姿ではあるのだろう。
とは言え、根底に在るのは
親族への愛情と、肉体的疲労から来る戸惑いとの
血の繋がりが生む、抜き差しならない
アンビバレンツな感情なのには違いない。
もう一つのテーマ、
家族の関係性が浮かび上がって来る。
ストーリーの主線はあくまでも
『斯波』の物語も、
並行して『大友』の事情も語られ。
幼い頃に両親が離婚した彼女は
女親の手一つで育てられ、
しかしその母親は娘に迷惑を掛けまいと
独り逍遥と老人ホームに入所。
が、次第に痴呆の症状が出始め
将来への暗雲が広がりつつある。
二十数年間音信不通であった父親との関係性も、
日々の多忙な業務を言い訳にし、先延ばしにした経緯。
そうしたわだかまりが、
『斯波』が触媒となり一気に爆発、
場所を変えて二人が向き合う最後のシークエンスは一種の「告解」。
『大友』が映る多くのシーンでの鏡像の多用は二面性の表現。
加えて、『斯波』の科白回しや外見の造り込みは
全てこの場面に集約する目的だったのだなと感嘆する。
顔が皺だらけやぞ、長澤‼️❓そんなこと、あるわけ❓鏡を見て❓ホンマやサンマさん‼️❓
全355件中、281~300件目を表示














