「芸術映画ではなく喪失と再生の物語。タイトルの『線は、僕を描く』の意味深な言葉に深く感動しました。」線は、僕を描く 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
芸術映画ではなく喪失と再生の物語。タイトルの『線は、僕を描く』の意味深な言葉に深く感動しました。
水墨画を題材にした砥上裕将の小説が、主演・横浜流星で映画化されました。手がけたのは、競技かるたをテーマにした「ちはやふる」シリーズの小泉徳宏監督。わたしはタイヨウのうた(2006年)以来、小泉監督のファンです。毎作品多くの人にはなじみがない世界の話や、舞台裏の苦労を描いてきた小泉監督ですが、本作でも普段接することの少ない水墨画の世界の魅力がよく分かる上、心も揺さぶる青春ドラマとしてなかなか良くできていました。
主人公は、大学生の青山霜介(横浜流星)。親友の古前巧(細田佳央太)から、簡単な飾り付けだからと頼まれた展示会搬入の手伝いに参加したのです。ところが、実際は背丈よりも巨大なパネル運びであり、霜介以外は逃走してしまったのです。古前に連絡し、助っ人が来るまでの間に、搬入の指揮をとっていた西濱湖峰(江口洋介)と会話し打ち解けます。搬入完了後に西濱より弁当を食べていいよと言われ、同じく控室に行くという小柄な老人と会います。老人が控室内の箱から出した重箱詰めの弁当を勧められるまま共に食べ始め、箸の持ち方を褒められました。食後に老人の案内で展覧会会場に入り、目に留まった水墨画を見て涙します。
展覧会の目玉イベントとなる揮毫会に登場した水墨画の巨匠・篠田湖山(三浦友和)をみた霜介は驚きます。弁当を勧めてくれた老人が湖山だったのです。揮毫を終えた湖山は霜介を呼び寄せて、いきなり弟子入りを勧めるのでした。全く水墨画の経験がない霜介は、戸惑い弟子入りを断ります。それなら水墨画教室の生徒でどうかという湖山の勧めを受け入れて、霜介は水墨画の世界に飛び込むのでした。
湖山の家で初回の練習として、湖山と長机を挟んで向き合い、湖山が水墨画の基本となる水仙の絵を描くのを見せ、霜介に同じように書けるようにと練習を勧めるのでした。霜介が描く初めての水仙の絵には、湖山はいきなり讃辞を書き添えます。湖山の家で暮らす孫で弟子の千潔(清原果耶)は、讃辞を見て驚きます。湖山は滅多に人の作品に讃辞を書き添えない人だったのです。以来霜介は水墨画にのめり込み、何度も何度も水仙の絵を描き上げ続けるのでした。そして千潔とも親しくなり、共に練習し励まし合う関係になっていきます。
全く初心者から水墨画を学び始めた霜介は、初めての経験に戸惑いつつ少しずつ成長していくのでした。
霜介の姿からは過去につらい出来事があったのだろうとうかがえるものの、その背景はしばらく説明されません。何があったのか気になって仕方ない時間が続きました。その謎のトラウマは、食事もまともにできないほど霜介を追い詰めていたのです。
そんな深い悲しみに包まれていた霜介でしたが、反面まるで真っ白な画仙紙のような何色にも染まっていないピュアな感性の持ち主だったのです。それを一瞬で見抜いたのが湖山でした。霜介が上手に描くことに囚われすぎて、スランプに陥ったとき、湖山は声をかけます。「自分の心に素直に向き合え」と。
水墨画は筆先から生み出す「線」のみで描かれる芸術。描くのは「命」です。線には自分の全てが顕れていたのです。湖山の助言でハッとなる霜介でした。自分はこれまでトラウマから逃げ回ることばかりに囚われていて、真正面から向き合うことを逃げてきたことを悟るのです。霜介は水墨画との出会ったこと、自分が止めていた時間を動かしはじめます。それは一枚一枚の水墨画を描く度に、思い出すまいと拒絶していた深い悲しい出来事と向き合い、ただ悲しむばかりでなく、いかに両親や妹に愛されてきたか思い起こしていくことでした。
余談ですが、わたしが常々感じていることは、霜介のように自信を失うことの原因は、自分は誰からも愛されていないという、身勝手に描いた孤独感であり、自己処罰によるものだということです。自信を強くするには、まず自己処罰で貶めている自己イメージを持ち上げなくてはいけません。そのためには、自分史を客観的に点検し、自分は誰からも愛されていないことが本当だったのか、先生や両親から誉められたことは一度もなかったのかよく振り返ってみることが大切だと思うのです。
その結果、自らを愛せるようになることができたら、自ずと自信はついてきます。霜介は、それを自らが描く水墨画の線で辿っていったのでした。この作品は、芸術映画ではなく喪失と再生の物語だったのです。物語のいわんとしたことに全て気がついたとき、タイトルの『線は、僕を描く』の言葉に込められた深い意味に、深く感動しました。
水墨画を描くシーンところでは、実際に揮毫している役者の努力の跡も感じられました。特に冒頭、湖山が大勢の観客の前で実演してみせる場面で一気に心をつかまれるはずです。俳優の動きに合わせ、横、後ろから迫るカメラワークに圧倒され、映像にぴったりはまった音楽に高揚しました。また、静かな部屋で筆を握る場面では、水墨画の奥深さに触れることができました。
横浜流星の抑えた演技も相まって、感動的なクライマックスに見事に結実。間違いなく、横浜の代表作となる1本といえることでしょう。