ドンバスのレビュー・感想・評価
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これもプロパガンダ?
映画としては大変おもしろかったです。監督さんはウクライナ人だそうで、旧ソ連時代や現ロシア政権を相当憎んでらっしゃるのか、親ロシア派住民を野獣のごとく、これでもかと描いてるようで。ウクライナ兵捕虜がリンチされている反対側で、ロシア兵捕虜がウクライナ兵に何されてるかわからないし、国際テロ組織のアゾフ大隊がウクライナ防衛の最前線の英雄みたいにニュースでなってるし、何が真実か嘘かわからないカオス状態が8年続いてまだ先が見えないという事ですね。
我々日本人は冷静に情報を見極め、我が国を守る事をまず考えたいものです。
まさに生き地獄な喜劇
もっと突き放したブラックな笑いテンコ盛りと勝手に思ってたが、あまりに淡々と醜悪な出来事が次から次へと続いて、笑うに笑えなかった。
というか、そもそもブラックな娯楽映画などでは全く無かった。
あくまで「実話」を元に理不尽な喜劇のようなエピソードをフィクションとして描くことによって、現実の戦争をリアルに体感させたかったのかもしれない。
よって、劇映画として作られてはいるが、殆どドキュメンタリーよりもリアルに見える。
相当に突き放したドキュメントなタッチの様々なエピソードが続き、現場の状況を説明するナレーションなども入らず、キャプションも最低限しか入らないため(それゆえに現場を直視しているようなリアル感は増すのだが…)わかりやすさには欠け、観る側が臆測する他なかったりもする。
せめて冒頭のフェイクニュースに関しては、ウクライナ軍による市民への攻撃が捏造撮影されるだけでなく、直ぐロシア系のニュース番組から報道されるシーンなどもあれば、よりフェイクも際立ち「掴みもオッケー」な導入となり、随分と分かりやすくなったのでは?と思う。
その後の地下シェルターのエピソードで、このフェイクニュースはテレビ放送されていたようだが、フェイクの欺瞞を晒すには、あれだけでは少し物足りなく感じた。
そしてラストでは、その冒頭のフェイクニュースのキャストもスタッフも、役割が終わったことにより、あっけなく全員が銃殺されてしまう。
そして殺された彼らは、新たなフェイクニュースのネタとして、直ぐに別稼働の制作チームの素材とされてしまうのだが、この制作チームもまた似たような運命を辿るのかもしれない。
この無間地獄の堂々巡りが、まさに今のこの地域の現実を象徴しているようにも見えた。
出来れば、ラストのフェイクニュースの撮影時、あの淡々とした長いロングショットの中で、呆れるほど何度も様々なパターンのテイクを重ねて、延々とディレクターがダメ出しを繰り返すとか…
そんな毒の効いた失笑ネタもあった方が、もっと良かったような気もしたが、そもそもコメディ映画として着地する気など最初から全く無かったのだろう。
ちなみに、本作はロシアの欺瞞を暴くというより、あるいはウクライナにとっての敵は?味方は?といったことよりも…
本当の悪はどこにあるのか?と、徹底的に人間のグロテスクな欲望へ入り込み、極めて批評的に理不尽な出来事の本質を炙り出そうとしているように見えた。
それは「実話」を敢えてフィクション化することにより、その結果、よりリアルに人間の本性の愚かさを露呈させ、恐怖や欺瞞や略奪によって支配された世界の中では、人は本当に滑稽なまでに醜悪な行動をとってしまうことを、十分過ぎるほど見せつけてくれた。
この監督の作品は、もっと他にも観たくなった。
ノヴォロシア
2014年、ロシアによるクリミア併合後に「独立」を宣言した、親ロシア派が多くいるウクライナ東部ドンバス地方にて起こっている出来事を描いた作品。
昨今のニュースで取り上げられているようなシーンが随所に見受けられる・・・が、これは決してロシアによるウクライナ侵攻後の様子を描いた作品などではなく・・・。
私自身も恥ずかしながら歴史問題に疎く、2月24日に始まった戦争が、いきなり始まったように見えていたタチです。そんな私と同じような人は恐らく多いのではないかと思いますが、何も知らないで観たら、本作の内容が戦争前の出来事を描いているということに驚くのではないでしょうか。
印象に残ったシーンは数多く・・・
地下シェルターで暮らす人々。何度も言うが、これが本格侵攻よりも前の出来事だなんて衝撃。
この人たちは今この瞬間も勿論、ずっと長い間苦しんでいるんですかね・・・。
「新政府」に協力する警察。車の持ち主に署名を迫る…。ソ連って感じ。。
これと似たようなことは、実は現在はロシアの方で起こってたりするのかなぁなんて思ったり。
この戦争が長引けばどうなることやら。
ウクライナ軍捕虜への非人道的行為。戦争が始まった現在は、これ以上に酷い事がより多く起こっているのかもしれないと考えると辛すぎる。
最後、トラックの中で起きた12人の出来事。パトカーが来たと思ったら。。
哀しきことに、フェイクニュースは戦争の常ではあるが、この「共和国」がニュースを取るために行った行動。。この12人も所謂「共和国」の人達なんじゃないの?
本作についても、どれだけ鵜呑みにして良いのかわからないし、難しくて理解しきれなかった部分も多かったが、人の命の重さとか、今後の情勢がより気になるきっかけとなった作品だった。
祖国という幻想から脱却できない愚かな精神性
19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ史は、軍事技術の発展と戦争の歴史である。第二次大戦の終結をもって一応の落ち着きを得たものの、強欲なスターリンの政策によって東西の冷戦が生まれ、同一民族のドイツは東西に二分された。スターリンの死後もソビエト連邦の人々は、祖国=同志=共産主義というパラダイムに縛られていた。
それは1989年のベルリンの壁崩壊から1991年のソ連崩壊というエポックを経ても、なお続いているように思える。特にロシア系の住民が住んでいる場所では、祖国=ロシア=同志というパラダイムから抜け出せていない。
1941年のナチスのソ連侵攻は革命後のロシア人にとって大きな事件であり、東部戦線を戦ってナチスに打ち勝った記憶は、ソビエト連邦にとって最も輝かしい歴史である。ロシア人は祖国ロシアに対立する陣営をことごとくナチと呼ぶ。
プーチンによるクリミア侵攻は、平和だった21世紀のヨーロッパにとって衝撃的な出来事だった。クリミア半島はウクライナ人よりもロシア人が圧倒的に多く、住民がウクライナ政府の統治を望まなかったという背景がある。
ドンバス地方も同じように住民がロシア系で、祖国=同志=ロシアというパラダイムに心が支配されている。ウクライナ憲法がウクライナ語を唯一の公用語としているせいか、ロシア人には被害者意識がある。クリミアがロシア人による自治区となったことに力を得たのか、ロシア人は武装してドンバス地方を実効支配した。そのための武器はどこから調達したのか。当然ながらプーチンのバックアップがあったはずである。
ドンバス地方の武装勢力に対してドローンを使った砲撃を仕掛けたのがゼレンスキー大統領だ。プーチンはゼレンスキー政権に対して何度も警告を出した。ゼレンスキーはウクライナ人ではなくユダヤ人でロシア人である。ドンバス地方のロシア人にとって裏切られたという気持ちが加わり、怒りを更に増幅させた。そしてプーチンはウクライナに侵攻した。
本作品はドンバス地方を武力によって実効支配しているロシア人の精神性を、茶化してみせたり、醜く描いたりしている。極めつけは結婚式で流れる祖国ロシアの歌だ。祖国=同志=ロシアというパラダイムを相対化して見せている。
実はゼレンスキーも、何度も祖国という言葉を使っている。もはや祖国というよりも縄張り争いである。暴力団と同じだ。祖国というパラダイムを捨てるか譲歩しない限り、紛争の解決はない。子供でも分かる。ゼレンスキーとプーチンの争いは頭の悪い祖国バカ同士の戦いなのだ。
にもかかわらず、日本の岸田文雄は「極めて困難な状況の中で、祖国や国民を強い決意と勇気で守り抜こうとする姿に感銘を受けた」と述べている。ウクライナ戦争の状況を何も分かっていないバカである。プーチンを盟友として威張っていたアベシンゾウは更に輪をかけたバカだ。日本の総理大臣はバカしかいないのだろうか。
祖国というのは幻想にすぎない。たまたまそこで生まれただけだ。人間は生まれた土地を離れてどこにでも行く自由がある。土地の支配者は、土地から人々が流出してしまうと困るから、祖国という概念を持ち出して、人々を土地に縛り付けようとする。祖国という言葉は土地の為政者によるプロパガンダなのである。
本作品は映画としてはあまり面白い作品ではないが、並べられたエピソードの全体をイメージしてみると、祖国という幻想から脱却できない愚かな精神性を笑い飛ばしているように思えた。
とりあえず毒の強い悲喜劇、、、という事にしとく。
今年の初めにこの映画の存在を知りずっと楽しみにしてました。皆んなレビューに書いてますが、この映画はフィクション(創作)です。監督がドキュメンタリーも作ってる人でそういう見せ方が上手いから勘違いしやすく要注意。
と、断った上で、、、たぶん監督が見聞きした事実をベースに話を構築しているんだと思う。基本的にロシアのやり方を痛烈に批判し、それに翻弄される人々の悲喜交々を人で繋げて横並びに対比している。
「祖国」と言う言葉で縛り付けられ、アップデート出来て居ない人々の悲劇ではあるが、同時にそこに暮らしている人以外は気軽に口を挟むべきではない問題でもある。
あくまで国際法的、第三者的立場でしか僕らは語る事を許されないのでこの映画の感想を書くのは難しいが、侵略戦争直前の混沌とした状況を皮肉混じりに生き生きと描いた映画である事は間違いない。
暴力の津波
ドキュメンタリー監督による、まさかの「ブラックコメディ」。
冒頭から、役者が役者を演じて、「ウクライナ軍のテロで、ノボロシアの市民が命を落としました」とフェイクニュースを作っている現場を撮っているのを見て、すぐに「ドキュメンタリーじゃない」とわかりました。
ウクライナ内で起きている、親ロシア・ノボロシア政府の実話(悪行)を、NHK『LIFE』のノリで、役者を使って大袈裟に再現したコント。
皮肉と風刺、批判、揶揄の混ざった「おちょくり」の精神で描かれますが、だいたいが登場人物の誰かの「命」か「尊厳」か「財産」か「人権」かが、「奪われる」のがオチで笑えません。
TVで流れない大川興業のライブや、アメリカの『サウスパーク』が近いかも。
暴力の津波な舞台が12連発。
尺の半分くらいからちょっとウンザリしてしまいました。
その批判攻撃の手はノボロシア政府相手だけでなく、党派性や祖国への愛着を飛び越えて、同じくらいウクライナ軍や政府へも及び、不正ややる気のなさをおちょくっていました。
映画から自分が感じたのは、
「むしろ理解が遠のいた」
「善悪は簡単じゃない」
「2つの国が抱く歴史も感情も複雑で一口には言えない」
「ロシアは全く信用できないが、ウクライナもあまり信用できない」
「振り回される市民は被害者だが、身を守るために時に加害者になる」
ですかね。
とはいえ、「だからといって侵略と虐殺は正当化できない」
とも思いましたね。
おそロシア。
無知や被洗脳は罪なのか
ウクライナ東部占領地域ノヴォロシアの様々な場所で起こるいざこざや軍事衝突等をみせるフィクション。
ロシアのウクライナ侵攻以前の話ですね。
やらせニュース番組に始まり、議会や検問所や町中でのありそうな出来事を5~10分ぐらいの尺で次々繋いでみせていく。
全体を通してのストーリーは無いけれど、一つ一つがぶっ飛んでいたりやり過ぎだったり強烈な胸クソ悪さがあったり、そして時々やり過ぎ具合がブラックジョークだったり。
ある意味プロパガンダ的要素もあるのかな。
現地の情勢や人々の思想に詳しかったらもっともっと面白かったかも…とは思うけれど、自分には少し難しいところも結構あった。
ウクライナ紛争(2014年)ドンパス戦争時関わった人々の日常の狂気を・・Liveな今起きているウクライナ、ニュースを見るような
ウクライナから独立、ドネック共和国とオガンス人民共和国、・・結成での紛争、2014年5月のノボロシア人民共和国を描いた作品。ロシアとは旧ソ連時代からウクライナ、他と多々なる抗争があるそうですので、1日本人にはここ最近のニュースで理解するほどです。
映画は、2022年のロシアのウクライナ侵攻のようなSNS主体でない戦争事、それぞれの人々(軍人、統治者、住人、TVクルー、プロパガンダを作る製作者と演技者)、(戦時統治国の街)を、俯瞰でワンカット長回し(定点カメラ、街の監視カメラ)のように人々の狂気な行動)をとらえたり、TVニュースのドキュメントのようなハンディカメラのブレる画を使ったりして臨場感を出している。
また、同じ人達が残虐なシーン、と、対象的な歓喜なシーン(結婚式)を写し、対比させることで、平常とは? 平和とは? 人々の精神構造とは? 戦争とは? 国の統治とは?・・と、考えさせられた。
※ 年少の子供に観賞可能ですが、長いリンチ的シーンあるので不向きと思います。
このような戦争を、別次元の表現で描いた作品「まぼろしの市街戦 1967年」を思い出しました。
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★立体感はあるサウンド
(スクリーン側のみの音声)
ドキュメント風に表現か?
★重低音 ─
★分離度 ─
★サイド、後(活躍度)─
★サラウンド ─
音声は全体的にクリアですし、標準的なモノ音声のようなこもった音でなく、この手の映画としては普通に良い音でした。
注意して、自身で判断を
はじめに。本作品にはウクライナ文化省と映画庁が協力している。かつ舞台は「ノボロシア」、親露派が実効支配する地域 。すなわち、これには「あちらではこれほど悲惨で非道なことが行われている」というウクライナ政府のプロパガンダが含まれている可能性を常に意識する必要がある。それほど憎悪を掻き立てるエモーショナルな表現があるので注意してほしい。
実際に観て考えてほしいのでネタバレは避けるが、低強度紛争が続く地で日常を生きる人たちが心の平衡を保つことの難しさを改めて感じた。
小ネタとして、治安部門が対象者に「このとおりに書け」と自発的な書類を強制するのはソ連時代からの伝統なんだなと思った。(DAU.ナターシャ、親愛なる同志たちへに続いて3回目)
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