「90分長回しにこだわった労作だが、人間劇としての旨味や滋味に欠ける」ボイリング・ポイント 沸騰 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
90分長回しにこだわった労作だが、人間劇としての旨味や滋味に欠ける
若い頃に居酒屋でバイトしたこともあって、注文が立て込んで厨房が殺気立つ感じや、接客の楽しさと難しさ、洗い場に食器が山積みになってうんざりする感覚などを思い出しながら鑑賞した。クリスマス前で大忙しの人気レストランを舞台に、オーナーシェフを中心とするスタッフらの奮闘ぶりや次々に生じる問題を、全編ワンショット撮影で描いていくというアイデアは確かに秀逸であり、長回しならではの臨場感と没入感がスリルを一層高める効果も大いに認められる。キャストもスタッフも、本番の途中で一度でもミスしたら最初から撮り直しというプレッシャーの中、高いスキルと集中力で難業を成し遂げたであろうことは想像にかたくない。
ただでさえ多忙な一夜に、衛生検査、食材の仕入れや仕込みの不備、飲酒や薬物や自傷の問題を抱えぶつかり合うスタッフら、黒人ウェイトレスを見下す白人客、アレルギー持ちの客、レストランの出資者でもある著名シェフとグルメ評論家の突然の来店など、いくつもの小さな火種がくすぶり、店全体がまるで火にかけられた大鍋のように温度が上がっていき、ついには“沸点”に達するのか――と観客をあおっていく。撮影手法に加え、緊張感を持続させる脚本も工夫されているのだが、労働環境、依存症、人種差別、ジェンダーなどさまざまな社会問題を表面的に並べただけなのが物足りない。
また、せっかくレストランを舞台にした映画なのに、調理、盛り付け、実食のいずれでも観客の食欲をそそるおいしそうな美しいショットが不足している。カットを割れるなら、料理が最もおいしそうに見えるカメラと照明のセッティングをじっくり作り込めるはずだが、この点も長回しを優先したために妥協せざるをえなかった要素だろう。
俳優の動線とカメラワークはほぼ全編にわたりよく考慮されているように思うが、ある女性スタッフがトイレに行き、個室に入ったあとのドアを外から映し続ける数秒で、にわかに撮影者の存在を意識してしまった。長回しのカメラが追い続ける被写体の人物が視界からさえぎられるとき、観客の意識がカメラのこちら側の撮影者に向かうというのはある意味“発見”だった。
>いくつもの小さな火種がくすぶり、店全体がまるで火にかけられた大鍋のように温度が上がっていき、ついには“沸点”に達するのか
なるほど、そういう意味だったのか!
(恥ずかしながら、なぜこのタイトルなのか疑問に思っていました。)
まさに火にかけられた大鍋のごときでしたね。