「3段ロケットで自分らしく跳べ!ブリジット」セイント・フランシス きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
3段ロケットで自分らしく跳べ!ブリジット
思うんですよ、
そう思わない?
自他共に、
つまり
自分としても、また 他人から見ても、
自分のことを自分で否定したり、否定されたりする性にはなりたくない。
女であっても、
男であってもだ。
自分を、そして自分の性(生)を、
あの女の子フランシスは「そのままを丸ごとに喜べる世界の到来」を預言している。
フランシスは輝ける天使として、自己肯定の世を先取りしているのだ。
教会の告解室でフランシスはブリジットにそう言った。
You are proud .あなたは立派。
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自分の人生に失速していた主人公ブリジット。34歳。お嬢さま学校中退。
人生の第1段ロケットは、もう燃料が尽きて 墜落寸前だ。
子守り(ナニー )の面接。
フランシスのその家の玄関ドアにはステッカーが貼ってあるのが見えた。
HATE HAS NO HOME HERE. ♡
洋画にはたびたびこういうふとしたカットが挟まれていて、映画の製作者たちのスピリットがさり気なくサインされているし、物語の行方を教えてくれる案内にもなっている。
おやおや !
そして玄関まえのポーチには
BLACK LIVES MATTER のアピールもあるではないか。
フランシスの登場シーンは、夏の緑の鮮やかさが背景を彩る。
ブリジットの困り果てたシーンには綺麗な赤いソファーや花がらが彼女を包む。
ブリジット役のケリー・オサリバンとパートナーのアレックス・トンプソン監督の、この映画の雰囲気つくりはとてもキメが細かい。
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自分の上手くいかない人生に手を焼いているというのに、よその子の世話など出来るもんではない。
ブリジットはいつもしかめっ面で人生に焦っている、
そのあたりがいい掴みでのスタート。
そしてもう一つ、ブリジットには特別の出会いがあった、
同じ飲食業の給仕バイトとして、パーティーで出会ったジェイスとの関係だ。
彼ら、稀に見る素敵なカップルだと思う。
どちらが責任をもって【避妊】するかって? ⇒ここ、二人ともいい加減だったのだ。
しかし
「中絶の映画」は ちまたには多いけれど、ここまでお互い同士を思いやる彼氏と彼女の、「術前・術後のケア」。びっくりするほどこんなにたっぷり時間をかけて、優しく、温かく、丁寧に撮った男女の姿の作品は、僕は生まれて初めて見た。
時間はかかったけれど、中絶で傷付いた自分の本心もブリジットは言えた。
ジェイスがへんてこな詩を手帳に書いていたから、ブリジットも胸中を言葉にしてみたのだ。
同じ時、出来るだけ同じ痛みと苦しみの中に共に居ようとする二人のそのあり様。お手本だ。
ブリジットのために傷んだチキンを食べようかな?と言うジェイス。
子宮マッサージをするジェイス。
読み聞かせをするジェイス。
穏やかなアコースティックギターがそこに流れる。
合コンのフィーリングカップルで出会った年下の彼氏だったのだが、
この彼と出会った安心感も、ブリジットをこんなにも穏やかな表情に変えてくれるものだ。
そこで彼女の2段ロケットには火が灯ってくれたかもしれない。
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6歳のフランシスは扱いが難しい子だ。
(僕も高校生の頃に、お隣りのご夫妻の夜の外出の時にナニーのバイトをした事があるもので、
懐かない子供との留守番は地獄だからねェ 笑)。
フランシスとの格闘、そして魅力的なフランシスのマミーとママとの出会い。
ママ同士の嫉妬や、浮気を疑う喧嘩も見た。
ギター教室の男性教師にもよろめいた。
Restroomでの生理や中絶の手当て。それだけではない、
隠されて、閉じられていた自分の心の中のことも、家族のことも。
そんないろいろが、扉が開かれて
初夏の光に照らされてブリジットにはわかっていく。
そうして
ひと夏が終わり、フランシスの家から卒業して離陸して行く34歳、ブリジット。泣いているではないか。
その足取りがホント嬉しくて、
すぐさまもう一度、僕はこの映画を頭から観てしまったのだった。
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ヒント満載の映画だった。
◆「初めての相手にはなんて言うの?」
フランシスに対してブリジットは公園で問う、
「私はフランシス、あなたは?」
◆自分から名乗ること、そして
相手にも名乗ってもらうこと。
そしてここ肝心
相手の名前を覚えていて後日小学校でそのいけ好かない子に名前で呼びかけたフランシス。
あれこそ、我々がきょうから試してみる行動。
◆私は賢い、私は勇気がある、私はカッコいい、私は強い、私は負けない! こう叫びながらゴリラのように胸を張って、空をあおいで私たちも胸をドドドドっと叩くこと、
これもきょうから実践して試してみるべき行動。
◆友だちを守り、友だちのためにたたかう。幼子がそれを見ていてくれるからこそだ。
今や親友となったおチビさん=フランシスは まさに天使だったね。
自分だって、かつて子供の頃は、あのフランシスのように無邪気だったのだ。
それを思い出させてくれた大切な映画。
Peace Out ♪
Enjoy Your Life ♪
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【付記1】
劇中、フランシスの“両親”はカトリックだった。マリヤの絵や十字架が宅内の壁に飾られていた。
そもそも、キリスト教の発端は
家父長制の男系が絶対規則だったユダヤの国で「父親が分からない子を妊娠してしまった村娘マリヤの」「絶体絶命の事件」。これがキリスト教のスタートになっている事は、この映画とクロスしていて興味深いことだ。
【付記2】
で、
「キリスト教とゲイ」について調べていたらこんな讃美歌に出会ったので、長くなったがメモをして終わりにしたい。
その讃美歌の作者は、ゲイであることを公表し、混乱する諮問委員会と試験をかいくぐっての、初めての牧師となった方。その方の作だそうだ。
いまはキリスト教会の中でもこんな讃美歌が歌われるようになっていたんですね!!
【主につくられたわたし】 (作詞作曲:平良愛香)
私らしく生きよう
自由に生かされて
大人らしくでもなく子どもらしくでもなく
(くりかえし)
ただ私を造られた神にこたえる
ただ私らしくいきることで
私らしく生きよう
自由を確かめて
男らしくでもなく女らしくでもなく
ただ私を造られた神にこたえる
ただ私らしくいきることで
私らしく生きよう
違いを認め合い
言葉、身体,習慣
すべてこの私です。
(くりかえし)
ただ私を造られた神にこたえる
ただ私らしくいきることで
□ 作者より
「子どもも大人も」と言ったときは「生まれたばかりの赤ちゃんからお年寄りまで」という意味になるのに、「女も男も」と言うと「女と男の2種類の人間」という意味で取られてしまう。だからそこに自分は存在しない。そう言ったセクシャルマイノリティの人がいます。人間はたった2種類ではなく、もっと豊かな存在です。社会や教会のなかで「らしさ」を押しつけられている一人ひとりの人間が「わたしはわたし。神さまが私をこのように造ったのだから」と宣言できる歌を作りました。
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