「大学を1年で週大して、いまはレストランのウェイトレスとして働くブリ...」セイント・フランシス りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
大学を1年で週大して、いまはレストランのウェイトレスとして働くブリ...
大学を1年で週大して、いまはレストランのウェイトレスとして働くブリジット(ケリー・オサリヴァン)。
あるホームパーティで「34歳で仕事も上手くいかず困っているんだ・・・」とアッパーミドルクラスの男性の愚痴を聞かされる羽目に。
「きみは、まだ20代だから、ぼくみたいな心配なんてしていないと思うけど」という男に、「わたしはもう34歳。レストランのウェイトレス」と切り出すと、男はそそくさと退散した。
代わってブリジットのもとへやってきたのは8歳年下のジェイス(マックス・リプヒツ)。
「ぼくもウェイターだ」という彼と意気投合したブリジットは、その夜、彼と深い関係になるが、翌朝ふたりの顔には血の跡が。
ことの最中にブリジットの生理が始まっていたのだった・・・
といったところからはじまる物語で、その後、ブリジットは夏の間の2か月だけ、6歳の少女フランシス(ラモナ・エディス=ウィリアムズ)のナニー(子守り)を引き受けることになるのだが、フランシスはレズビアンカップルの娘、さらにはブリジットが妊娠していることが発覚し・・・と物語は展開します。
波乱万丈なオーバーサーティの女性の物語といえばいいのかしらん、とにかく、リアルな感じが前面に醸し出された物語で、定職もなく、まだ恋人ともいえないジョイスとの間に出来た子どもは迷うことなく堕胎します。
この即物的ともいえる決断は映画前半にあり、フランシスには迷いはない。
たしかに、あとすこしで高齢出産といわれる領域に突入するのだが、いまの状況で出産して子育てすることなど考える範疇にない。
この決断の背景は映画が進むうちに徐々にわかってくるのですが、日本のみならず米国においても女性間での分断はすさまじく、その差別意識はものすごい。
フランシスが属しているグループは、職なし・金なし・恋人なし・子どもなしグループで、米国でも負け犬的扱い。
かつての単科大学の同級生(単にいっしょの大学に通っていただけなのだが)、負け犬はかしずくのが当然と言わんばかりの扱いを受ける。
自分の階層グループを自覚しているブリジットは、女王気取りの彼女の命令を唯々諾々と受け入れる(が、自尊心は失っていない)。
また、フランシスの両親(マミーとママ)も世間からは白眼視されることもしばしば。
キャリアウーマンのマミーは、キャリアを守らなければならないために、家庭をおろそかにしてしまうし、ひとり子育て(新たに子供を出産した!)ママは育児鬱になってしまう。
オープンスペースで母乳を与えようとしたママは、ほかの母親から大いに非難される。
うーむ、女性が生きづらい世の中なのだ、ほんと。
女性の敵は、女性。
「じぶんと異なる属性の他人は非難してもかまわない、いや非難すべきだ」的なことになっている。
ならば、男性が女性の味方になってくれるかといえば、そういうことはなく、比較的女性の立場を理解してくれるジェイスは経済的には未熟だし、男性としてのセクシャリティも薄い。
冒頭のアッパーミドルクラス男性は、女性は若いにこしたことはないとと思っているし、もっといえば、やれればいいぐらいな感じ。
後半登場する、ブリジットがちょっと心動かされる中年ギター講師も、肝心のところでは心もとない(彼が女性を理解しているかどうかはあまり描かれていないが、冒頭の男性とそう変わらないようにみえる)。
どっちを向いてもブリジットは救ってくれるような大人はいないのだけれど、唯一、「子どものころ、泣き叫ぶあなたの足をもって、振り回して壁にぶつけてやりたかったわ」という母親は、ブリジットが考える「いい大人」のようだ。
ブリジットと仲良くなるフランシスも、まだ6歳であるから、大人の女性(男性もか)のバイアスに毒されていない。
生きづらい世の中だけれど、自尊心だけは失わない。
そう思いながら生きていくブリジットの姿が痛々しくも、生々しく、すこしばかりの希望も感じさせられる映画でした。
脚本は、ブリジット役のケリー・オサリヴァンによるもので、自身の経験が投影されているとのこと。
堕胎後、頻繁に下腹部から出血するブリジットの姿に生きることの生々しさがあらわされていますね。