「「史上最高の映画」は流石に言い過ぎ」ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 Matti Texanさんの映画レビュー(感想・評価)
「史上最高の映画」は流石に言い過ぎ
まずこの映画は近年になって英国映画協会が「史上最高の映画100」の第1位と位置付けた為にその名が一気に広まった物なので、その情報無しで鑑賞に至る人は非常に稀。つまり観る人のほぼ全てが、この作品がある映画界で権威を持った団体から究極の好評価を得ているというフィルターを通してしまっている。
そうなると大体の人はどこがそこまで評価されているのかを探るという所から入ってしまい、その時点で他の作品とは違う見方になってしまいがちだ。
端的に言ってこの作品は、「史上最高」と評すべき物ではないと思う。
家事に従事する女性の完璧なルーティンワークとそれが少しずつ乱れていくのを細かなアクションの中で見せていく手法や、奥ゆかしく画面を彩る小道具・美術や、家事という日常的な作業の奥深さやそれに伴う閉塞感を観客にジワジワと染み込ませるように伝えていく演出が、斬新で素晴らしいのは理解出来る。
理解は出来るが、どう考えても長すぎるシーンがいくつかあってテンポが悪いし(実際上映時間も長い)、編集・照明・カメラワーク・音響の介入は殆ど排除されているので、何をしているのかよく分からないシーンも結構ある。
それらは「ドラマの無い普遍的な日常を表現する為にあえてそうしているんでしょ」という事なのかも知れないが、それなら日中に自宅の寝室で売春を行なっているという設定と最後の主人公の行動は明らかにドラマ性を帯びていてどこにでもある普遍的な事象とは思えず、矛盾が生じる。
また、他の作品で同じように作り手が表現手段としてあえて何も起こらない長回しショットを挿入したのに対して「テンポが悪い」「ダラダラしてて退屈」といった批判が展開された事例は山程あるのに、この作品はそこが評価ポイントに変わってしまうのなら、それもおかしい。
やはり映画に客観的なランク付けをするなら色々な要素を包括した総合点で行うしかないと思うのだが、そこには前述の編集・照明・カメラワーク・音響に加えインパクトやエンターテインメント性等の優劣も加味されるべきで、それらを抜きにしてアート性や単純性に特化した映画を史上最高と評してしまっては、血の滲む思いで世界中の観客の心に強く響く素晴らしい作品を提供してきた数多の映画制作者達の立場が無いではないか。
結論、これは誰の心にも何かしら与える物があるという類の作品ではないと思う。
それこそ「ある視点」みたいな枠の中で評価されるべき。