百年と希望のレビュー・感想・評価
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及び腰の自称ドキュメンタリー
いやー、ここまで生煮えな「ドキュメンタリー映画」も珍しい。撮るのもつなぐのもおっかなびっくりで、いちいち腰が引けている。引けているから、なんかほわんと「共産党らしきもの」が映り込んでいるだけ。「撮っている」のではなく、単に「映っている」。しかもそれすら弱い。共産党の存在感も日本社会における野党の意義も、この映画とはな−んも関係ない。それらしきテーマの周辺をぐるぐる回っているだけだ。
中学生の作文ならともかく、いい大人が集まって時間をかけて作って、カネをとって見せる映画がこの惨状に終わって、平然としている感覚が信じがたい。
こうなった理由は、まず第一に監督が現実に向き合う覚悟にとぼしく映画的センスが鈍いこと。第二に、プロデューサーに映画を見る目がないこと。つまりこの作品を改善するためには、「監督とプロデューサーを交代させる」ということに尽きる。
結局、イメージと知名度か
とりあえず野党を支持している程度で、特定の政党の支持者ではないが、選挙の度に"庶民にとって最も正しいことを言っているのは共産党"と漠然と思ってました。Twitterでたまたまこの映画のことを知って、軽い気持ちで鑑賞。
都議会議員選挙、衆議院選挙の各候補者の選挙活動や、しんぶん赤旗編集部の様子、古参の党員の話等々、終始真面目にありのままを、ナレーションも一切なく描いたドキュメンタリー。共産党礼賛の要素は全く無く(映画なんだから少しくらい"盛って"もいいんじゃないかと思ってしまうほど)、良くも悪くも"正直さ"を感じた。
印象に残ったのは池内さんと仁藤さん。池内さんは正しいことを言っているのに票に結びつかないのが悲しい。仁藤さんのような若い女性の活躍は非常に頼もしい。あのような活動をされていることを初めて知りました。
映画から直接"希望"は感じないかもしれないが、他党より優秀な候補者が多く、大臣になりたい等の権力欲も無く、憲法を守り、ただ社会を良くしたいという思いで日々地道に働くこの党に希望を感じている国民は少なくないと信じます。
選挙って"イメージと知名度"で決まってしまうことが多い絶望的な日本に、かつてないほどの危機感と恐怖を感じて投票日の一週間ほど前から軽い睡眠障害になって(人生初)しまった7月の参院選。しかし相変わらずの低投票率と自民圧勝にただただ脱力。。メディアへの露出も多いし、自民党政権は日常の当たり前だから緩やかに支持している"ゆるふわ自民支持層"と、投票に行かない無関心層がカルト政権を生み出してしまった大きな要因だろう。
単に選択肢が増えるだけのことなのに、選択的夫婦別姓や同性婚に反対って何故なのかと思っていたが「自民党が"カルト"に乗っ取られてたから」だったという笑えない話。そのカルトの教義は 共産主義=サタン だそうで。。反社会的行為を繰り返すカルトに、"敵"と認定されている党の方が正当と考えるのが普通だと思うんだけど、いまだに共産党=中国、旧ソ連=怖い・暴力的と思い込んでる人(情弱なんでしょうけど)があまりに多くて、そういう人達がネトウヨと化して日々ネガティブなイメージを拡散し続けている・・この状況を何とかできるといいのだが。
自分は共産主義より全体主義の方が怖いな。
そもそも "世の中を良くしたいと思う人間=左派” という考えがおかしいのでは?右とか左とかどうでもよくね?今まさに↓これだよ。
《右翼だ左翼だの段階を超え、日本国民VSカルト宗教のフェーズに突入している》(Twitterより)
映画もいいけど、マンガ化してもいいんじゃないかと思った。多少エンタメ要素を取り入れ、日本国憲法の話とか、議員の皆さんが活躍してる"カッコいい"ところをガンガン描いたら面白いし、党のイメージアップにもつながるかと。護憲の最後の砦として、他の野党とも協力して、とにかく選挙に勝っていただきたいです。
希望を手放さないこと
感さんと、参議院議員山添拓さんのトークショー付きというとこで鑑賞。
共産党に頼まれて撮った映画ではない、と監督さんの言葉あり。
確かに、相対化客観的な視線が一貫している。
タイトルの、100年という方がメインの共産党が作った映画と思うたら、100年部分は特に大きくフォーカスされておらず党員の地道な活動、100年の間になんとなく培われてきたアンチな感情や誤解部分かな、と思う。
一貫して希望絶望そして希望感じた。希望を求め、希望を信じ、希望を託し、希望のために行動する人々。監督の視座と見るものの視座が一致する。偏向しないが一致知る良いドキュメンタリーと思う。女性の貧困、差別的な環境、夫婦別姓、LGBT、校則の不自由、、
何で?何でダメなの?と思ったと気にあきらめず相談すること、関わりを持つこと、理由をきくこと、闘うこと。日々の生活の中の小さな出来事一つ一つ議員党員一般の市民、学生などに丁寧に聞き取り撮影。
トークショーに登壇した監督さん、山添さんと同じように好感を持てた作品。共産党とかなに党ではない、自分に関わりがあることを自分と同じ考え方向性で動いている議員さんを推す、という、ここに出てくる市井の方は自分の痛みも人の痛みもわかる、思考停止しない素晴らしい方たち。私もそこに希望をみた。
それから赤旗新聞の編集会議実際の記事コマ割りから印刷までの緊迫感を拝見できるのも貴重!!
共産党礼賛映画じゃない!
共産党礼賛映画かと思ったら、違った。
主役は、ジェンダー平等に邁進する元衆議院議員の池内さおり。
その視点からすると、共産党も他党と変わらぬオッサン政党だ。その象徴は志位委員長だろう。
彼を替えねば共産党に「希望」はない。
そう訴える映画と、見た。
「百年」は見えない。「希望」は見えた。
映画のタイトルからすると、来月で結党100年を迎える共産党の歴史を紐解く内容の作品と思っていたが、そうではなく、現在の共産党に焦点を当てた映画であった。選挙の立候補者、その支援者、『赤旗』編集者、市民運動に取り組む党員等、様々な場所で活動する人々にスポットを当て、共産党(員)の多様な姿を浮かび上がらせていく。
全国的には無名(に近い)の人々ばかり登場するが、どの人物も実に魅力的であった。みんな自分の言葉で語り、主張している。〝自分の言葉〟とは、誰も言っていない斬新な意見のことではなく、自分の体験や感情と結び付いた言葉のことである。「いじめは、加害者や被害者じゃなく、第三者にしか止められないないんだ」「戦争を放棄した国がよその国(米国)の戦争を支持するなんておかしい」等、これらは特段目新しい見解を語っているわけではない。しかし、自分の体験や感情、あるいは倫理観に基づいて本気で発せられた時、これらの言葉は輝きを放つ。
共産党が嫌われる、あるいは忌避されるのは、〝正しさ〟ばかりを主張するからだと思っていた。この社会には〝(正しくなくても)お金や利得を得られればいい〟という思考で投票する人が多いから(実質賃金の低下からもわかるように、もはや自民党に投票しても大半の人はお金を得られないのだが)、共産党の言っている事は理想論と片づけられると考えていた。しかし、映画に登場した人物たちが発した言葉は、理想論でも建前でもなかった。己の尊厳と生存を賭けた〝自分の言葉〟であった。
日本に希望などあるのだろうか
日本共産党のプロパガンダ映画だが、ちゃんとまともなドキュメンタリーになっている。その理由は長回しにあると思う。発言を切り取らずに前後の文脈も含めてひとつのシーンとすることで、発言者の人となりが見えてくる。ドキュメンタリーの王道の手法だ。
最も多く映されているのは元衆院議員の池内さおりである。この人の主張はわかりやすくていい。主張以上にわかりやすいのが、国民から話を聞くという姿勢だ。従来の枠組みについての質問に従来の枠組みで答えるのは不合理であると、実にわかりやすい主張をする。
彼女を応援しているのが、社会活動家の仁藤夢乃(にとうゆめの)で、TBSテレビのサンデーモーニングに出演しているのを何度か見たことがある。とても頭がよくて弁が立つ。ただ、既存の抵抗勢力を「おじさん」や「おじさんたち」と一括りに表現するところがあって、個人を救済しようとする彼女が他人を一括りにするのはよろしくない。石原慎太郎の「ババア」と同じである。
個別の発言についてレビューすると共産党の応援みたいになってしまうのでここでは控えるが、総選挙のときの自民党の当時経産大臣の萩生田光一の選挙応援演説には、その低劣さに胸が悪くなった。こういう人間が当選するのが日本の選挙だ。本作品のタイトルは「百年と希望」だが、こんな日本に希望などあるのだろうか。
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