劇場公開日 2022年6月24日

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「神となった彼らが求めた見返りの代償」神は見返りを求める R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5神となった彼らが求めた見返りの代償

2024年7月31日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

2022年の作品
現代の日本を良く描いている。
完全にTV離れの時代 体裁で塗り固められた映像への飽き飽き感
「面白い」という主観の追及と面白いものがなければ作ればいいという発想
それを実現できるプラットフォームの登場
その中で起こる喝采と誹謗中傷
この作品は、純粋に自分が面白いと思うことは何かということを問うているのかもしれない。
それと天秤にかけられるのが「いいね」や登録者数という「数字」
その数字を伸ばすことがいつの間にか目的となってしまう「怖さ」
数字が取れれば何でもいいという概念
数字のために何でもやってしまえという認識
同時に起きる誹謗中傷
時に常識的な警告と、勝手な正義感を振りかざす人々
その線引きの難しさ
今や完全にTVを乗っ取ったYouTube
誰もが配信者になれる世界
そこにまとわりつく「お金」
同じ目的で出会う人々
最初は純粋に自分が面白いと思ったことを配信していたユリ
同時に登録者を伸ばしたい思いがある。
合コンで出会ったタモガミには編集の技術があり、ユリはタモガミを頼る。
小道具や送迎、編集者が付いたことで配信数や面白さが増し、ユリにとっての「等身大」の動画を作れるようになる。
タモガミは、
夢中になってユリの編集を手伝っていたが、いつの間にかハブられるようになった。
「必要とされなくなる寂しさと悲しみ」
これがタモガミの根幹にあった感情だろう。
「私たち、見下されることに敏感」
痛烈に効いたユリのセリフ
「底辺」
その底辺から人気急上昇になったユリ それを傍で見ているタモガミ
彼の怒りと復讐はよくわかる。
同じようなユーチューバーどうしの諍いもあるあるなのだろう。
もしかしたらかなり多くのユーチューバーどうしの諍いがあるのかもしれない。
そして登場した「天誅」を与えようとする「勘違い」ヤロウ
昨今ニュースでも話題になっている。
言葉による誹謗中傷から暴力への移行
こういうのが現代人の陥りやすさなのだろうか?
さて、
「ああ、今日クソ天気良いな」
タモガミの最後のセリフは、ユリと一緒に撮影に出かけた先でユリが思わず言った言葉。
タモガミの想い出のセリフ
その頃が無心で楽しめた時期だった。
自分自身が何が楽しかったのかを思い出したときの言葉
しかし、
何故タモガミは背中を刺されながら再び街に出て「エア撮影」をしたのだろう?
その前に彼は素顔を晒して頭から血が滴っているなか、ダンスする動画を配信した。
それは、ユリを許す心情の表現だった。
お互い罵りあう配信が如何にくだらないものなのか、そして彼らを罰したいと思う人物まで登場させたのだ。
このくだらなさに気づいたタモガミはユリを許せたのだろう。
その動画を見たユリもまた、動画の中に素のタモガミを見たのだろう。
彼は最後にユリの包帯姿を撮影する。
「やっぱりわたし、あなたがキライ」
「でも、ありがとう」
この言葉を何度も見返すタモガミ。
彼がずっと欲しかったのが、この心のこもった謝礼の言葉
背中を刺されたタモガミがエア撮影した理由
体の傷は心の傷を表現しているのだろう。
傷ついても、本当に自分がしたかったことを表現したい。
それがあの日覚えたダンスだった。
この気分は、あの時最高に気分がよかったユリの言葉に重なったのだろう。
「ああ、今日クソ天気良いな」
人気ユーチューバーになったユリも
仲間のデザイナー村上から「誰のおかげだと思ってるんだ」などと言われる始末
チャンネルはユリのしたいことではなく、もはや村上のプロデュースするモノに置き換わっていた。
そこに出演しているだけの自分に疑問を抱きつつ、やめられない。
最後は全身大やけどで代償を支払う羽目になった。
ここにきて思うのがこのタイトルの本当の意味
ユリと仲間が求め続けた「数字」
ユリのアイデアに工夫を凝らし成功した村上やほかのスタッフ
みな一様に数字を求め続けた挙句に起きた大事故。
彼らが追いかけていたのは数字の見返りである「お金と名誉」
彼らは人気の誰かを「神」と呼ぶ。
同時に自分たちが神になったと思い込んでいたのが彼らだったのではないだろうか?
彼らが求めた見返りがお金と名誉
その代償となった「大やけど」
つまり、自分が神と思い込んでいたユリが求めた見返りが「お金や名誉」
その代償となってしまった全身の大やけど
この作品は行き過ぎたユーチューバーたちに警鐘を鳴らしている。
そして、許したタモガミにさえも傷がつくほどYouTube配信は「難しい」のだろう。
メッセージ性を強く感じるかなり面白い作品だった。

R41