「誰もが死をむかえる。その時、自分の回りには誰がいてくれて、誰が悲しんでくれるのだろうか。」アイ・アム まきもと kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが死をむかえる。その時、自分の回りには誰がいてくれて、誰が悲しんでくれるのだろうか。
水田伸夫監督作品は概ね軽めだと思う。
阿部サダヲと組んだ映画は4本目だと思うが、過去3作はすべて宮藤官九郎脚本のコメディだった。
他の作品も割りと軽めのイメージだ…と、言うほど彼の作品は観ていなくて、むしろテレビドラマの方が観ている感じがする。
テレビドラマでの彼の仕事は、坂元裕二脚本のシリアス系作品を連続して担当していたから、映画とテレビドラマではテイストを変えた仕事をしているように感じた。
でも、よくよく考えると、そのテイストの違いは坂元裕二と宮藤官九郎の違いであって、少し笑わせて、人情に訴えてくるあたりの演出手法においては共通してるのかもしれない。
少し調べてみたら、日テレの重役さんだったと知って驚いた。
誰もが疎ましく感じる空気を読まない人。そういう人こそ、常識人が咀嚼して飲み込んできたような「不都合」を明け透けに問い質して、常識人を改心させたり、人に癒しを与えたりする…という、世界共通で人々が好むファンタジーがある。
日本では「裸の大将」などが代表的で、『フォレスト・ガンプ/一期一会』という傑作映画もある。
本作もそういう種類かと、前半では感じた。
大きくは同じカテゴリーなのだろうが、牧本氏(阿部サダヲ)が癒したのは、死者だった。
彼は、孤独死した蕪木(宇崎竜童)の生前を追って色々な人たちに会う。行く先々で意図せず人々を救っていくなら「裸の大将」なのだが、彼はただ、孤独死した人を弔いたいがために身寄りを探して回っているだけで、会った人達を改心させたり救ったりまではしない。
結果的に、かつて関わりをもったある男が孤独死したなら、弔ってやるのも人情か…と、皆に感じさせたに過ぎない。
唯一、蕪木と絶縁状態の娘(満島ひかり)だけが、牧本氏のもたらす情報で過去を精算することができるのだった。
ここでもまた、阿部サダヲが素晴らしい。
いったい他の誰があの役をやれるのかと思う。もう我々は阿部サダヲに上四方固めでガッチリ押さえ込まれている。
脇のキャストもそれぞれに良い味付けをしてくれているが、やはり満島ひかりだ。彼女が画面に出てくるだけで、下手なことにはならないという安心感がある。
物語の結末は唐突だった。
蕪木の葬儀に参列した人々は、そこに来ない牧本氏のことを思わなかったのか…
牧本氏と腐れ縁の刑事(松下洸平)は、牧本氏が蕪木の葬儀をあげようとしたことを知っていたはずだが、その雨の日に行われていることを知らなかったのか…
結局、牧本氏をみおくってくれたのは、牧本氏がみおくった人達だったというエンディング。
本作はイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』のリメイクらしいが、オリジナルは未観賞。
オリジナルの最後はどうなのだろうか。
牧本氏のような人が職場にいたら、それは迷惑だと誰もが思っている。
おみおくり係を廃止させた新任局長が正しいと観客は知っている。
でも、銀幕のなかだけは、人としての正しさとか、理屈抜きのあるべき姿とかを尊重したい。そして自分も人情が分かる人間なのだと確認したい。そんな思いで観賞すると、心に残る映画だ。
そして、最後に宇崎竜童の歌声というプレミアムが付いている❗
共感を有り難うございます。
そうですね。職場にいたらあるいは迷惑、でも心の中には必ずいて欲しい人。
阿部さんの、あの「まきもと、今こうなっていました」の仕草が何となく愛しくて、時々真似しています。
ファンタジーの一分類であり、銀幕のなかだけは、人としての正しさとか、理屈抜きのあるべき姿とかを尊重したい。そして自分も人情が分かる人間なのだと確認したい。
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この映画の肝ともいうべき要素を極めて的確に、そして説得力を併せ持つ素晴らしい表現だと思いました。
必ずしも故人の家族が喜ぶ訳ではないのに、迷惑だと思う人もいるのに、という思いが個人的に強くてはまらなかったのだと思います。
しかもラスト、締めるのを逃げた様にも感じてしまいました。
阿部サダヲさんの怪演はお見事でしたけどねw