「だてに宮沢りえが奥さんではない」DEATH DAYS 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
だてに宮沢りえが奥さんではない
森田剛の凄いところは宮沢りえと結婚したことだ。何が凄いかという具体的なことは、考えられる限りのあらゆる語弊があるので触れないが、とにかく凄い。
そんなことはともかく、本作品の、生まれたときから何月何日に死ぬことがわかっている、ただし何年に死ぬかはわからないという設定は、人生の不安定の極致である。しかし逆に考えれば、その月日を過ぎたら一年間は死なないことが決まっている訳だから、この上ない安定とも言える。
我々は明日死ぬかもしれないことを心の片隅で意識しつつも、今日と同じ明日が来ることを前提に生きている。人も企業も共同体もみな同じだ。明日巨大地震が来たり、外国から核弾頭付きのICBMが飛んできたりすると考えたら、生活は営めないし、企業活動もできないし、行政サービスもできなくなる。想定外のことが勃発したら、そのときに考えて対応すればいい。
実際にコロナ禍は人類にとって想定外の出来事だった。沢山の人が死んだり企業が倒産したりしたが、生き残った人々や企業はそれなりに営んでいる。人類はそうやって事態に対応し、変化に適応して生きてきた。
明日のことを心配しないのが原則なのだ。強盗が侵入するかもしれないと違法に銃器を所持したり、外国が攻めてくるかもしれないと軍備を保持したりするのは愚の骨頂である。防犯や防災は必要だが、他人や他国を傷つける武器や兵器の所持は不必要だ。時間とお金の無駄でもある。
聖書には「だから、明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」と書かれてある(「マタイによる福音書」第6章)。
ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けた。先進国の今後の対応によっては第三次世界大戦がはじまるかもしれない。しかし、だから日本も核兵器を持つのだという考えは間違っている。専守防衛の平和憲法がある。他国の人々を殺すことは、もうしないのだ。
明日のことは明日考えればいい。今日は花見にでも行こう。そんなふうに前向きになれる作品だった。さすが森田剛だ。だてに宮沢りえが奥さんではない。