「アメリカという国」ブラックライト R41さんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカという国
ブラックライト — 闇を暴く光
2023年、オーストラリア製作の映画『ブラックライト』
そのタイトルは、一般的なブラックライト(紫外線ランプ)の物理的意味とは異なり、隠されたものを暴く光というメタファーとして使われている。
そして何も知らない第三者が暴くのではなく、主人公トラヴィスが自らの仕事の実態を暴いていく物語だ。
「正しいことだと信じていること」
この概念は、複雑化しすぎた現代社会において非常に大きな意味を持つ。
企業でも「正しい」とされる指針が社員に共有され、それを信じて行動する。
しかし、公務員、特に国家を守る機関では「絶対にあってはならないこと」が無限に存在する。
国家を守ることは、いつしか組織を守ることにすり替わり、そのための手段は問わない構造になる。
ロビンソンFBI長官の行為は、特殊詐欺組織の構造と同じだ。
新しい「悪」は、実は国家が先に行っていたことを模倣しているだけなのかもしれない。
中国が非難される行為も、結局はアメリカの模倣だ。最初に「悪」をしたのは誰なのか?
この映画は、その問いを観客に突きつける。
フーヴァーの影
物語には、実在の人物ジョン・エドガー・フーヴァー(FBI初代長官)が引き合いに出される。
1924年から1972年まで約48年間、FBIを率いた彼は、政治家や著名人のスキャンダル情報を秘密裏に収集し、大統領さえ逆らえない権力を築いた。
その情報網「フーヴァー・ファイル」は、映画の極秘プログラム「オペレーション・ユニティ」の原型だ。
この構図は、**権力の闇(フーヴァー=ロビンソン)と、それを照らす光(ブラックライト)**という対比を軸に、国家の不可視性と倫理の境界線を問う。
ダスティの決断
ダスティ秘密捜査官は、スノーデンやアサンジの象徴だ。
彼が忠誠心を揺るがせた理由は、恋愛ではなく「人間の質」に触れたからだ。
ソフィアとの関係を通じて、彼は「正しいこと」を再定義し、自分の心に従う決心をする。
若い彼を教育していたトラヴィスは、その行動に疑問を抱きながらも、やがて自分の知らない何かがあると確信する。
歴史の影と映画の問い
1924年から1972年までのアメリカ史を振り返る。
1920年代〜1930年代
禁酒法時代(1920-1933):アル・カポネなどのギャングが台頭 FBIは組織犯罪対策を強化
世界恐慌(1929):経済崩壊、失業率急増 社会不安が広がる
ニューディール政策(1933〜):ルーズベルト政権による経済再建
1940年代
第二次世界大戦(1941-1945):真珠湾攻撃後、米国参戦。戦後は世界の超大国へ冷戦の始まり
(1947〜):ソ連との対立が深まり、共産主義への恐怖が増大
1950年代
赤狩りとマッカーシズム:共産主義者の排除運動。
FBIは国内監視を強化公民権運動の萌芽:黒人差別撤廃を求める声が高まる
1960年代
ケネディ暗殺(1963):国家の不安定化公民権運動の本格化:キング牧師の活動、1964年公民権法成立
ベトナム戦争(1960年代後半〜):反戦運動が広がり、社会分断が深刻化
COINTELPRO(FBIの秘密工作):公民権運動や反戦団体を監視・妨害
1970年代初頭
ウォーターゲート事件の前兆:政府の不正と監視体制への不信が高まる
フーヴァー死去(1972):FBIの「帝王」時代が終わる
これらはすべて「戦勝」の結果として語られるが、実際には工作によって作られた歴史なのかもしれない。
映画はジェイソン・ボーンシリーズのようにハッピーエンドで幕を閉じる。しかし、この作品を紐解くことで、アメリカという国の歴史の根源に触れられる。オーストラリアがこの映画を作った理由も考えずにはいられない。
結び
エンタメとしての面白さと、陰謀論は本当に陰謀論なのかという疑問。
その余韻が残る作品だった。
**正しさとは誰のためにあるのか?**この映画は、その問いを観客に突きつける。
