ザ・ホエールのレビュー・感想・評価
全64件中、1~20件目を表示
傷つけ合い支え合う人間たちを単純化せず描く
この作品には、生きづらさや喪失感を抱える登場人物しかいない。彼らの背景は物語が進むにつれ明らかになるが、理解し共感できる面と過ちに思える面とが背中合わせになっていることが多く、どうにも切なくなる。
主人公のチャーリーは、かつて男性の恋人アランのもとへ行くため妻子を捨てた。そのアランは、父やカルトの教会から理不尽な仕打ちを受けたことが原因で亡くなった。
彼の体を覆い尽くした脂肪は、積み重なった苦悩が具現化したものだ。大切な伴侶を失った失意と、妻子を置き去りにしたことへの自責の念。彼はその苦悩に今や命を奪われつつある。体調悪化に苦しみながらも病院に行かず、娘に残す資産を貯める姿は、償いのために命を差し出しているかのようだ。
因果応報と言って突き放した目で見るのは簡単だ。だが、知性と感受性を持ち合わせた彼が苦悩と後悔で凝り固まった巨体に命を蝕まれつつある姿を見ていると、彼の思いがこちらに否応なく流れ込んできて、とても苦しい気持ちになった。
チャーリーの肉体の表現がいかに大切かが分かる。アロノフスキー監督は当初実際に肥満体の俳優を使うことも考えたようだが、体力的に長時間の撮影に耐えられない恐れがある等の事情により、特殊メイクを選択した。OAC(肥満の人とその家族を支える団体)と密な話し合いをしながら撮影を進めたそうだ。
ブレンダン・フレイザーの少し困ったようなベビーフェイスが、チャーリーという人物にぴったりとはまって、ただ陰鬱なだけではない彼の魅力を作り出している。
チャーリーを献身的に介護するリズは、アランの妹だ。親友とはいえ何故彼女がここまで彼に深く関わるのか、だんだんとその理由が見えてくる。親もカルト宗派ニューライフの関係者だったリズにとってチャーリーは、兄を亡くした悲しみを共有出来る唯一の相手だった。リズはチャーリーといることで、アランが生きていた証を感じられたのだろう。ある意味チャーリーは、その存在によってリズを救っていたとも言える。
ニューライフの宣教師トーマスは、訪問による布教を禁じられ、誰かを救っている実感を求めてチャーリーの家にやってきた。その実感により、トーマス自身が救われるからだ。あなたを救いたいと宣言してはいるが、実態はエゴでしかない。結果的に彼はチャーリーやリズを救うどころか、彼らの心の傷をえぐることになった。
一方エリーは、終始周囲に怒りをぶつけ続けるが、結果としてトーマスが地元に戻るきっかけを作り、チャーリーの最期に立ち会って彼の望みを叶えた。彼女の言動は時に鋭利な刃物のようだが、本音のみでおためごかしがない。文章作法においても率直な表現を好むチャーリーの目に、それは彼女の美徳として映った。母のメアリーが悪魔だと吐き捨てた彼女を、傷つけられても受け止め続けることで、チャーリーもまたエリーを救った。
トーマスとエリーの姿を見ながら、人が何によって救われるかを第三者が理解することは時に難しく、救おうとする意思は少しひとりよがりになれば簡単に傲慢さに変わるものなのだと思った。カルトはその傲慢さの象徴で、その対極にあるのがチャーリーにとってのエリーなのだろう。
彼らに元妻のメアリーを加えた、不完全で不器用な人間たち5人の感情のアンサンブルが、ラストぎりぎりまで静かに加速してゆく。ブレンダン・フレイザーをはじめとした俳優陣の、真に迫る演技が素晴らしい。
人の在り方を単純化も美化もせず、複雑で多面的なまま描き出す脚本が秀逸。チャーリーが死の間際に娘と心を通じ合うラストなどは、凡百の映画なら平気でありきたりなお涙頂戴描写をして終わらせるところだが(お約束通りだからよい、という場合もあるにはあるが)、本作は決してその轍を踏まない。
あふれる光の中で、エリーの表情が初めて柔らかくなる。その一瞬のうちに、それまでの反抗的な態度の奥にあった父に捨てられた悲しみ、その悲しみの根元にずっとあった父への思慕までもがはっきりと見える。チャーリーにもそれは確かに伝わった。
本作のオリジナルは舞台劇だそうだが、映画ならではのこのラストが舞台ではどう表現されているのか興味が湧いた。
タイトルなし(ネタバレ)
同性愛者の主人公チャーリー
家族を犠牲にしてまでも愛した男性アランの死によって極度の肥満になり、死期を迎える月曜日から金曜日までの5日間を描いた物語。(多分五日間)
チャーリーはエッセイストであり、オンライン教師である。
エッセイでは、本当の自分、内なる自分の心を写すことが美徳であると教える。それは、邪悪でもいいのだ。本来の心を写す事、ただそれが美しいのだと。
彼が心から美しいと思うエッセイがある。
“白鯨”。人間が鯨を殺すことを計画する物語。白鯨には、感情はない。だから全ては無駄だ。と、8歳の娘が描いたエッセイだ。このエッセイは彼の最後の生きる力となっている。娘であり、自分の体の一部のような彼女を愛し続ける。極度の反抗期と皮肉屋な彼女を、君は完璧だと言い続ける。娘と父親には同じ魂が半分づつ宿っているように感じた。8歳の時に父親に去られ、父親を大っ嫌いなようだが、どうしても離れられないもどかしさ。怒りをぶつけるために父親に会いに来ているようだが、彼女の表情や言葉と態度、全てはチャーリーとの時間を共にしたいというエリーが心底認めたくないであろう父親への愛を表していた。(素晴らしい女優さんだったー…)
映画全体で、緊迫感を促す音楽や画角表情など、見ているこちら側まで伝わる”狂気”の表現が秀逸であったと思う。
おぞましいか、という言葉が何度か出るが、映画全体におぞましさと狂気が在る。白鯨のように大きな体が動く度の悍ましさ、音と表現力。序盤から迫力で圧巻された。
ピザ屋のダン。声だけで彼と関わる。いつも心配してくれ、名前まで伝え合い、チャーリーの日々の心の支えとなり始めたところで、彼の姿を見たダンは嫌悪感で去っていく。人への希望と失望を一気に浴びたチャーリーは狂ったように食べ、吐く。どん底の時、宣教師の若者が、エリーに助けられたと彼の前に現れる。エリーが人を思いやる気持ちがあるとわかった彼は、また少し楽になるのだ。
宣教師の彼は、自分の過去に後ろめたいことがありながらも、どうしていいか分からず宣教師活動をしている。ただ、エリーに心を許した彼が言った本当の言葉を、彼の家族が聞き、家族のもとへと帰ることができたのだ。エリーの行動が彼を救う結果となる。彼の真実の言葉が、彼を救えると感覚で理解し行動したエリー。真実が美徳だと伝える父チェーリーとエリーは、遺伝子がつながった親子であり、魂を分け合ったソウルメイトなのだと心打たれた。
エリーは、彼自身が生きた証であり、自分の人生の最高の作品だと信じている。病院にも決して行かず、生き延びることを認めない彼だったが、死ぬ間際、何度も読み返したあのエッセイをエリー本人の言葉で聴き、死ぬ。彼は最期、自分の人生の全てを認めることができたのだろうか。エリーが、彼女らしく美しいまま生きていけると実感し天へ登ることができただろうか…。そうであると信じたい。
傷心から270kgは凄い💦
ブレンダン・フレイザーはハムナプトラでの
勇姿以来、久々に見ましたが、本作での
迫真の演技は素晴らしかったです👏
アカデミー賞 主演男優賞受賞もうなずけます。
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とはいえ、最近、涙腺が脆弱化していますが、
本作では「うる」っと程度です。
(嗚咽している人も結構いました)
個人的に、A24作品との相性が良くないので、
少し警戒もしましたが、その辺はいらない心配だった半面
良くも悪くも「普通」な作品だったかのように感じます。
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愛する人の「死」を受け入れられず
そのせいで人と距離を置き、
満たされない心を食事で補う。
わかる!ものすごくわかる!だけど!!
毎日特大ピザやブリトーじゃ飽きちゃう😩←
どうせなら、お肉も魚も甘いものも、和洋中伊仏…
美味しいものを色々食べて太りたいw←えw
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色々と説明不足な部分があります。
アラン(亡くなった彼)の死についも触れられておらず
(おそらく自死)
またチャーリー自身のことも「いま」しかわからない。
なにかと観る者に委ねる感じですが
本作はLBGTQだけじゃなく宗教問題も絡んできます。
宗教は複雑すぎてわかりません。
そこは詳しい方におまかせします
ラスト、なぜふんわりファンタジー色を付けくわえたのか
あの演出はあまり好みではありませんでした🤣
3.37 映画としては豪華
映画としてのクオリティは高かったものの、若干期待しすぎたかもしれない。
また主人公のキャラクター性に共感ができなかったのもあるだろう。
全体を通してクジラがテーマとして流れており、戯曲的なストーリーラインも心地よく感じた。
ようやく観た
映画館で観る機会を失い、U-NEXTのマイリストに追加してからしばらく経ち、ようやく観終わった。
なんといってもチャーリーの外見に圧倒される。
本当にいるもんね…。
どこまでも娘に優しいチャーリー。
何を言われても娘を責めず、元妻に罵声を浴びせられても怒らない。
自業自得だから?
自分の生きた証を残そうとするチャーリーが切なかった。
シーンがほぼほぼ部屋の中なので息が詰まりそうであった。
海のシーンでホッとする。
トーマスが出てくるとちょっとホラー(笑)だが、娘が大麻を勧めて動画を撮って送って…ってちょっと意味がわからん。
あなたにも人を救う力があるんだよってこと?
あとピザの配達人ダン。
出てくるところを待ち構えて騒ぐ?
オンライン講座の受講生達も。
なんでみんな平気でパシャパシャ撮るんだろうか。
なんだかなぁ。
作った人が何を伝えたいのかがよくわからなくなってしまった。
人間は素晴らしい
人生における辛い境遇に置かれた人々の壮絶な生き様から見える人間の「素晴らしさ」とは。
チャーリーの家の扉を叩き、「救済」というキーワードを発する登場人物たちは、それぞれの想いを部屋で吐露する。チャーリーを必死に助けようとするリズとトーマスも暗い過去を持ち、救済を求めている。この作品は、単なる人間ドラマを超え、宗教や社会問題の枠を超えた究極の人間の本質に迫っており、とてもその点で楽しむことができた。
登場人物たちは、まさに人間そのもので、人生で過ちを犯している。小さな過ちから、取り返しのつかない過ちまで...。その中で救済される者とされない者には、どんな違いがあるのだろうか?
この作品を通して、「正直でいること」が救済の鍵になる。「人間は素晴らしい」という言葉が作中でも出てくるが、完璧ではない人間性を正直に口にすることが、救済の一歩になっているのではないか。正直でいることは、ときに大切な人を傷つけることにもなる。しかし、その葛藤の中で生きる人間の姿に深く感動させられた。夫婦・家族関係、親子関係、師弟関係、友人関係と、さまざまな想いがぶつかり合う演技は、残酷なまでに心に刺さる。
「白鯨」は読んだことがないが、読めば文学的な深みが増すのかもしれない。でも正直また気軽に観たいとは思えない...笑
救済とは
死を間近にした人間の話で、少し重暗かった。
最近こういう重暗いものが多いのは気のせい?
あんまり感情移入ができなかった。
ほぼ主人公チャーリーの部屋の中での話。
巨体で動けないながら、ほかの役者たちの動きで映像に動きが出ていたように思う。
この狭い空間の中で、登場人物たちの感情が表現されていてすごいなと思った。
でも白鯨と宗教と選挙はちょっと勉強不足で、深い理解はできなかった。
登場人物の全員が誰かを救いたいと思っているが、うまくいかない。それぞれに生きづらさを感じていたようだった。
娘の行動は、宣教師を救いたかったのではないと思うが、結果的に救済になったのではないか。
宣教師は地元に帰って本当に大丈夫なのかと疑問に思った。
チャーリーは誰も自分に関わりたくないと言っていた気がするが、周りの登場人物たちはチャーリーに絆を求めているように見えた。もしかしたら執着?
チャーリーの最期は後悔のなさそうな顔をしていたし、
救われたんだと思うけど、それでよかったのか?
リズだけがなんか不憫。
人間は過ちを犯す…
普通に考えたら、勝手に娘を捨て恋人の所へ立ち去った親として最低な行為をしておきながら、死期が近づいたら、娘と会いたくなり、教育に口を出したり、幸せを願うなんてことには全く共感できない。しかし、恋人の死を守れなかった自責の念、妻子を捨ててしまったことへの自責の念、それらが積もり積もって、助からないほど肥満症になってしまった、ある意味哀れな男の最期の望み、自分が悪いことは重々分かっている、後悔してもしきれないが、人生にうまくいっていない娘を案じ、元気付けたい、娘に大丈夫だよと伝えたい、という理屈ではない親の愛を感じた。彼を支え続けたリズが最期を看取れないことが一番可哀想だと思う。
罪と罰と贖罪と救済‼️
ちょっと難解なイメージのあるダーレン・アロノフスキー監督作にしては、大変わかりやすい罪と罰と贖罪と救済の物語‼️妻子を捨て、ボーイフレンドのアランとの生活を選んだチャーリー。しかしアランは亡くなり、そのショックで過食と引きこもりで健康を損ない、体重は272キロへ。自身の死期が近いことを知ったチャーリーは、死ぬ前に娘エリーと和解しようとするが・・・‼️妻と娘を捨て、愛する人は亡くなり、健康を損ね、娘と和解、思い残す事なく昇天‼️自らの全てをさらけ出し、娘のもとへ一歩、また一歩と一生懸命歩くチャーリー‼️そして光に包まれて昇天していく姿はなかなか感動的‼️やはりブレンダン・フレイザーの狂気がかった演技は素晴らしいの一言‼️そして容赦なく父親をなじるエリーとチャーリーの関係を、「白鯨」のエイハブ船長とモビーディックに例えた着眼も素晴らしい‼️そして宣教師の若者の罪と罰と贖罪と救済の物語でもあります‼️人は誰でも罪を犯し、罰を受け、償い、許しを得る‼️ちょっと宗教的ではありますが、考えさせられるテーマですよね‼️
もう食べないで
まさに、体張ってオスカー受賞。
ブレンダン・フレイザーの演技すごい。
リズ役のホン・チャウもよかったな。
でもなんだか、つらい映画。。
誰かをものすごく愛することは素敵なことなんだけど
白鯨の感想文を書いたの恋人だと思ってたよ。
まさか娘だったとは。。
天才か。
ここはめっちゃ泣いた
過ちと救い
ちょっと難しい映画なのかもしれませんね、これ。私も拾いきれてないですが、凄く良かったです。
ブレンダン・フレイザー。誰?と思ったらハムナプトラの人だったんですね!(映画に疎くて本当にすみません…)本作でアカデミー主演男優賞を獲得した彼も他の役者さんも、全員が素晴らしかった!セリフ一つ一つの重みを感じながら、迫真の演技に目が離せませんでした。
それにしてもこの主人公、チャーリーを取り巻く憎しみや嫌悪感には、若干吐き気すら覚えるほどおぞましいものがあります。自身の行動が招いた結果だとしても、観てて辛くなります。かと言ってチャーリーに感情移入出来るかと言われると…うーん。どうやらこの映画、そういう見せ方はしていないのかも。あえて主人公を観客から突き放しているようにも思えます。
宣教師が現れ「救済」を訴えますが、これをチャーリーは拒みます。この「救済」を拒むチャーリーの姿勢は一貫しており、それは病院へ行かないことも同様で耳を貸しません。自身が救済に値しない人間であることを自覚しているかの様な振る舞い。娘に渡すお金を貯めるためでもあるのでしょうが、私はそれ以上の意味を感じました。
人生でたった一つだけ正しいことをしたと信じたい。しかし、その願いすら叶わないとしたらどれほどの絶望でしょうか。徐々に彼の精神は崩壊していきますが、最後の最後で救われるのです。
最後のシーンは本当に素晴らしいです!今まで暗く重苦しかった部屋に光が差し込み、エリーがエッセイを読み、歩けなかったチャーリーが歩き出し、エリーが一瞬だけ見せた笑顔を見て昇天するチャーリー…この一連の流れ。お見事としか言いようがありません。
さて、エリーのエッセイの題材は「白鯨」ですが、私は「鯨すげー船長すげー」くらいしか覚えてません(笑)なのでチャーリーに「白鯨」を投影しているのか?チャーリーとの共通点は?などはよくわかりませんでした。
暗い部屋での対話がメインの映画ですが、素晴らしい演技に引き込まれました。「白鯨」を読んで人生を考えることはありませんでしたが(笑)この作品には考えさせられました。
神とは?
偽宣教師としてやってきた彼、原作ではニューライフではなくモルモン教だとのことですが、宗教の果たす役割や必然性も考えさせられる作品でした。
世界で一般的に言うところの宗教は、日本人には馴染みのないものなので、ストンと理解はできないですが、もし正しい宗教があるとしても、それを信じ広める人の言動、捉え方、欲望や時代に依って、いくらでも変貌していくものなのでしょうね。
過ちや嘘だらけの人生。残酷で不確かなものだらけの世の中です。だからこそ「絶対だ」と確信できる神仏を信じ、すがるのでしょうか。
自分自身の人生を振り返ってみると、主人公と同じように「人生でたった一つだけ正しいことをした」と言えるものを心の何処かで欲している気がします。それによって安心したい、穏やかになりたい、安らかに死んでいきたいと……。
これが脚本家の体験を元にした作品だと知った時は、驚きとともに妙に納得した部分もあります。脚本家は、主人公と違って過食症を乗り越えたと知って安心しました。
宣教師が神に導かれてやってきたのと同様、ブレンダン・フレイザーが主役として抜擢されたのも、神に導かれたのかも知れません。主役を誰にするか悩みに悩んだそうですし、彼がこの役のおかげで役者として復活できたそうですしね。
色んな意味でこれがアカデミー賞を取ったのは良かったです。取れるだけの素晴らしい演技でもありました。4時間もかけての特殊メイクや重たい肥満スーツの着用だけでも大変ですが、あのまま歩き、シャワーを浴び、物を拾い、演技する。想像を絶します。ぎっくり腰になって観た作品なので余計にその辛さが伝わってきました。
同じ監督の作品「レスラー」も是非観たくなりました。
なんとも言えない終わり方
一言でいうと巨体のおとこの死ぬまでの1週間の映画だ。
まず,舞台は主人公の男の部屋のみ。
登場人物も,ごく少ない人数に絞られている。
正直,ここまで太る理由が,恋人の死だけだと言うのもあまり納得できない。彼が原因の一つならまだわかるが、そういう話ではなかったと思う。
恋人が死んでからは、捨てた娘のために貯金して医者に行くことも拒否したと言うけれど、娘や元妻が望んでいたことはなんだったのだろう。そういう相手の思いがあまり表現されてない。
娘が恨み事を言うためか,彼の元に通ってくる。
その噛み合わない会話も痛々しい。
結局落第しちゃったのかな。
最後に,タイトルのクジラの如く,苦しみに耐えながら立ち上がり,娘のところに歩いてくる。この役者の演技は,迫力と悲壮感に溢れていて圧倒されたが、ストーリー的にはあまり入り込めなかった。
絶対に誰からも愛されず突き放され味方もいない彼、だからそれを理解したいんだな!
これ程までにどうにも成んない 無限の馬鹿野郎はいないな。
兎に角 今すぐ病院へ行け!!!
オレがダチなら真っ先にそう進言するよ。
血圧上240、心不全の症状が悪化で今週にも死ぬだろうと言われ
続ける主人公の チャ-リ-。
この巨漢男の過去と、娘エリー、友人リズ、元妻メアリ-
そして偶然訪問の宣教師ト-マス。
彼等が織りなす 彼チャ-リ-との繋がりの中でみる
自分の人生の岐路と彼の生き様、情けなさ。
どうにか出来るのに どうにも成らない。
人は分かっていて何故しないのか・・・
そんな映画『ザ・ホエール』を観た。
彼の本当の心の思い信念を感じて観てやって
欲しいんだな。そう思う。
理解が難しいけど 死にたい訳では無いと感じる。
心の何処かでは 何とか成りたいと思っているんだよね。きっと。
それが人って言う者だと思う。
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素直に思った事。(病にて我ながら文脈構成が破綻ですわぃ)
・A24作品なんだが、今作もポリコレが主で 彼らはどうしても
アカデミ-賞が欲しかったんだと思われる。
主がアジア人で無いだけで、人種扱ってたら的を射抜いてたと思う。
これはどれも設定に仕掛けし過ぎ感あるね。
・ブレンダフレイザ-はマジで良かった。
良くやったと思うわ。流石の最優秀主演男優賞ですよ。
体形を元に戻せたらいいのだけども。
次はガリガリやって欲しい。ジョン・タトゥーロの様にね。
・この映画は男女で見方が大きく変わると思う。
女性には受けないでしょうね。男性は理解できると思うけど。
特に ネット授業の最後にカメラONで皆に姿を晒して
生徒皆の絶句な驚きの表情とか。
ピザ屋の配達若者とドア越しに会話してて
良い雰囲気だったのに、最後にピザ取りに姿現したのを
配達人に見られて 相手が驚きの表情をする所、そして彼の落胆。
ここの心理描写が 凄く上手い。メチャ分かるわ。
人の希望・期待に応えられてない時の受ける心理、思いが
なるほどね~と頷ける。
女性は第一に外見(見栄え)で人を見るので理解難かもしれない。
・大事にしたい一人娘が Z世代的でアフォ。
もうちょっと可愛かったら良いのだが 好かれないタイプ。
そこは主の娘らしいと思うね。
見ててイライラするかもだが、何度も家に来る辺り
父に対して気に掛けているのか。金の為なのか。
・妻と娘と、元の彼氏の妹(介護師)と、金盗んだ訳アリ宣教師
妙な取り合わせ。ピザ屋の配達人と、ネット受講者生徒達。
彼に対して 生きるという行動を示せたものは誰であったか。
何故 病院に絶対行かず死を待つのか。一人娘には心底愛されたいのに。
そこが本当に理解が出来づらい。
・彼はこんな自分に心の底から本気で向き合ってくれる人物を
ずっと探していたんだと思うね。死ぬまでに。
自殺はしないけど病院にも行かず・・・時間の制約を設けている。
やはり心は凄く病んでると思う。
・白いクジラは海の中では自由の象徴なのだろう。
誰からも一目あり どこかで人間に愛されている。
きっとそれと同じ夢を見ていたんだと・・・思うね。
外の世界に触れる(家から外へ出るとき)
彼は その時が自分の最後だと悟っていたんだね。
それを見届ける 娘のエリ-。
最後に彼を パパと呼ぶ・・・
これこそが、そして彼女へ自信をもって生きて行って
欲しい願いが 彼の最後の望み。
ラストは、
最後に娘が ドア越しに振り向き
白鯨の一説を話す~
その時 彼があの世へ飛び立つ
絶句と 見事なメロディが心の奥底に一緒に舞い上がり
何事にも変えようが無い無限の開放感に心が浸る。
それは感じたことの無い秀逸さに触れた瞬間だった。
これにより映画は 閉じられる~
感心のある方は
劇場へどうぞ!
常に登場人物の心理を想像させる脚本は、ノミネートされるべき!
A24作品で何度も目を潤ませられるとは。 久々に主人公に感情移入出来、心の針が振れた・・。
今作は冒頭、訪問者が道を歩くシーン以外は全て、主人公の家でのシーン。(ドア外の廊下を含む) 室内劇だが、それ感じさせない。
かといって主人公の "醜い体" 以外は特別変わった物も描写されていない。
なのに2時間をずっと引き込む。
それは、わずかな物語の進展以上に、登場人物の心の動きをずっと魅せているから。
主人公チャーリーは、過去を悔いているのか・・自身に絶望しているのか・・ 今の彼を支えている唯一の物は何なのか・・。
そして彼を度々訪問し支えるリズは、どうしてこれほど親身になって彼をケアするのか・・。
娘はどうしてあれほど傲慢な態度で相手を見下し、父にさえ「 You're disgusting! 」と言えるのか・・。
(字幕は ”おぞましい” と見た目にも含みを持たせているが、本来は、あんた最低! おまえはむかつく! という様な言葉)
等々、常に登場人物の心の動きを、見る物に想像させている。
さらには、PC画面の文字を追わせたり、一部屋だけ綺麗に整った部屋を描写したり、「白鯨」の一節はなにを意味するか、そしてTVではアメリカ共和党の支持率情報が流れている(共和党=トランプさん側は福音派信者も多く、聖書を重んじる方が多い)等、見る物の脳を適度に動かす機会を与え続けている。
私は今作が男優賞と共に、「脚本賞」も受賞すべきぐらいに感じた。
この年、脚本賞ノミネートは「イニシェリン島の精霊」
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」「フェイブルマンズ」「TAR/ター」「逆転のトライアングル」,で「逆転・・」以外は全て視聴したが、今作の脚本が一番秀逸に感じ、強く引き込まれた。
ノミネートさえされなかったのは、おかしいと感じる。
キャスティンも素晴らしく、少ない登場人物だが、全ての役がドンズバ人選で、抜群の表現力を発揮して、誰も役を演じている様には微塵も感じさせない。
特殊メイクの上からでも繊細に表現した、ブレンダンはもちろん、リズ役のホン・チャウも、まるで肉親と接するような親身な演技に何度も目に留まった。
「SHE SAID」で私が称賛した、母親役サマンサ・モートンも少ない出演時間で十分な存在感を発揮している。
↓ネタバレ含む
今作、一番目頭が熱くなったのは、チャーリーの、
「僕は人生でたった一つ、正しいことをしたと!」の台詞シーン。
もう、チャーリーは自分自身の存在とその命にも未練の欠片もない。
ただ、娘に一財産を残すことが、自身の命より優先事項で、唯一彼が出来ることで、唯一の望みなのだ・・。
その為には、自身の治療費でそれを僅かでも減少する事は許されない・・。
そしてラスト・・。
再びエッセイを読んでくれた娘に、以前出来なかった事を実行する・。
立って・・そして一歩二歩と踏み出す・・。
唯一部屋でないシーン、海辺の回想が脳裏をよぎる。
そして、言葉にならない声と共に、中に浮く足元。
それは "絶命" でななく、"天に召された"こと意味する。
端的だが、なんと深い余韻を残すエンディング・・。
倒れ込んでは、悲愁が増すだけだが、あの描写により、
チャーリーは一つの思いを成し遂げた事になる・・。
PS (アカデミー賞授賞式にて)
男優賞で名前を発表された瞬間、ブレンダンは本当に驚いたようで、興奮気味にステージに上がって行った。
そして、目を真っ赤に充血しながら涙を貯め、スランプだった事から本作の依頼が有り難かった事や、共演のホン・チャウの素晴らしさに助けられた事等を語っていた。
(彼の姿はハムナプトラ出演時の"華"はなかったが、その大きな目で飾らぬ言葉に、"正直な人"という印象で、だから ホエールを見事に演じられたのかと・・。)
ザ・ホエール
I want to be honest
『鯨の描写の退屈な章にはうんざりさせられた。語り手は自らの暗い物語を先送りする。』そして『少しだけ』と言って『この本は私の人生を考えさせ、良かったと思う』
後は、、、
失われぬ再起と救いの光
まずはブレンダン・フレイザー、おめでとう!
『ジャングル・ジョージ』『悪いことしましョ!』などのコメディ演技、代表作である『ハムナプトラ』シリーズや『センター・オブ・ジ・アース』などでタフなアクション・スターのイメージ強く、『ゴッド・アンド・モンスター』『愛の落日』『クラッシュ』などシリアス演技も見せていたものの、まさか彼がオスカー俳優になろうとは…!
売れっ子人気スターだったが、いつしか見なくなり、売れなくなったのかなと思っていたら、そんな事があったなんて…! まさしく今国内のワイドショーを騒がしている事件の加害者と同じではないか…!
その被害自体にも周囲の冷ややかな反応にもショックを受け、嫌になり、一時期ハリウッドを遠退いたというブレンダン。が、やがて#MeToo運動があって彼の受けた被害も見直され、ハリウッドで再スタートを。
ブレンダンのこれまでの苦難への謝罪と本人自身の勇気を示すかのような、華々しいカムバックとなった。
オスカー受賞はその事も加味されてもあるが、それを差し引いても大イメチェンとインパクトと心身共に難しかったであろう熱演は、圧巻の一言に尽きる。
体重272kgの超肥満体の男。ある理由から引きこもり、過食症となったチャーリー。
ブレンダンの主演男優賞と共にオスカーでヘア&メイク賞も受賞。ブレンダンを巨漢の別人に変貌させた特殊メイクとボディスーツも、肉感から体臭まで伝わってきそうなほどの素晴らしさ。
職業は教師で、オンラインで教えている。ハーマン・メルヴィル著『白鯨』をよく引き合いに。この『白鯨』もモチーフの一つ。
博識深いが、カメラはオフで自分の姿は映さず。性格も決して悪い人ではない。が、何処か憐れで、惨めで、弱く、卑屈で醜い部分もさらけ出す。初登場シーンはその見た目もさることながら、いきなりオ○ニー…!
全身全霊たっぷり体現したブレンダンの熱演は、衝撃と共に引き込まれる。
日常生活も自力では何も出来ない。歩く時は歩行器を使い、落としたリモコンさえ拾えない。
そんな体型故、身体の健康状態は深刻。さらに悪化。
なのに、病院に行く事を頑なに拒否。
自分でも悟っている。余命僅か。それも半年とか数ヶ月ではない。おそらく、後この一週間…。
自分の死期を受け入れ、迫り、それでも男が最期の最期に求めたものは…。
主人公がほとんど身動き出来ない為、彼の自宅ワン・シチュエーションで話が展開していく。
彼と、関わる人物が4人。(つまり、メインキャストもほぼ5人)
看護師のリズ。チャーリーの数少ない友人の一人。
ズケズケ物を言い、サバサバした性格ではあるが、チャーリーの身体を擽って笑わせたりと、チャーリーの体型への偏見は一切ナシ。身の回りの世話から心身共に、チャーリーを支えている。
ホン・チャウが名助演。
たまたまチャーリーの自宅を訪ねた宣教師の青年、トーマス。
以来、幾度か訪ねるようになる。
チャーリーに対し、布教を説くが…。
演じたタイ・シンプキンス、『アイアンマン3』に登場したあの少年だとか…!(『アベンジャーズ/エンドゲーム』のラストシーンで彼は誰!?…なんて言われてたっけ)
チャーリーの元に、思わぬ訪問者。
娘、エリー。
8年ぶりの再会。長らく疎遠。
死期が近い父に会いに来た…? 否。疎遠になった理由は父チャーリーにあり。
父を酷く嫌悪している。見た目を侮蔑したり、罵ったり、ここまで歩いてよと無理を強いる。
チャーリーはそんな娘に貯金を譲るという。エリーはただただそれが目的で父の元を訪ねるようになり…。
新星セイディー・シンクも非常に大きな役回りで、鮮烈さを見せる。
終盤のみの登場だが、チャーリーの元妻役で、サマンサ・モートン。
チャーリーと4人の関係が、物語の展開とチャーリーの行く末に大きく影響及ぼしていく…。
チャーリーに献身的なリズ。
チャーリーには最愛の人がいて、亡くしたばかり。引きこもりと過食症になったのもその悲しみから…。
リズは妹。姉…ではなく、兄はチャーリーと恋人同士だったのだ。
リズはトーマスの事をよく思っていない。その理由もここから。
リズの父は教会の人間。同性愛者の兄に、父や教会は酷い仕打ちをし、兄は自殺した。
リズは兄を慕っていた為、兄を死に追いやった宗教そのものを嫌っていた。奇しくもトーマスは、その教団信者…。
何もトーマスに罪はないが、それでもやはり許せない。今また、その宗教がチャーリーを翻弄しようとしている…。
亡き兄に一時でも幸せをくれたのが、チャーリーであった。それはチャーリーも同じ。
リズが同性愛者で肥満体のチャーリーに偏見がないのもこれが理由だろう。リズはチャーリーの悪い部分も良い部分も知っている。
リズの亡き兄へのチャーリーの想いは一途で美しいもの。
が、それを許せないのが、エリー。
父が男に走った為、母も私も捨てられた。
その後のエリーらの苦労はお察しする。世間皆が全員、決して同情的ではない。父親が娘より男を選んだ…そう嘲笑する者も少なくはないだろう。
エリーの性格が所謂“問題児”になったのもこれが理由だろう。
しかし、チャーリーは信じている。娘は本当は善良な子。
死期迫るチャーリーの望み。娘への贖罪…。
が、エリーの父への憎悪は冷めない。
母でさえをエリーを“邪悪な子”と。
父に睡眠薬を飲ませる。悪行はトーマスにも。大麻を吸い、トーマスにも吸わせる。
トーマスから真実を引き出す。実はトーマスは偽の宣教師。
その告白を録音し、写真と共にSNSにアップ。
人一人の人生をメチャクチャに…。
そうはならなかった。思わぬ“奇跡”が起きた。
SNSにアップされた事で、トーマスは疎遠だった家族と連絡が取れる。
赦し、また家族の元に受け入れられた。
自分を救ってくれたのだ。
娘は、人一人の人生を救った。
それは思わぬ事であっても、やはり娘は邪悪な子などではない。
ダーレン・アロノフスキー監督作故、ハートフルな感動作にはならない。
最後の最後まで、修羅場のような緊張感続く。
チャーリーとの出会いは神の導き。神の教えを説くトーマス。
チャーリーとの出会いで恋人の彼は救われた。が、それ故彼は死んだ。
同性愛は罪。その辛辣さにチャーリーは悲しみと憤りを隠せない。
常連のピザの配達人。気さくに話しかけてくれ、いつもドア越しのやり取りだったが、ある時姿を見られ、偏見の目…。暴食に走るチャーリー。
嘘や隠し事で、リズや元妻と口論。
チャーリーはオンラインのカメラをオンにし、自分の姿を見せる。その上で言う。思った事を正直に書け。
畳み掛けるように一気に身に降りかかった事態と共に、何もかもさらけ出す。
まるで、もう自分の命の灯火が尽きようとしている事が分かっているかのように…。
全てを、正直に。
エリーとの対峙。おそらく、これが最期となるだろう。
チャーリーは娘に赦しを乞う。無論、エリーは…。
その時、あるものがエリーを引き留める。かつてエリーが書いた『白鯨』のエッセイ。
名文学をただ誉めるのではなく、思った事を正直に。
その文才を評価するチャーリー。
人生の最期でチャーリーが望んだのは、娘からの赦しではなかったのかもしれない。
自分は娘に対して酷い事をした。恨まれるのも赦されないのも当然。
娘を信じ、気付かせたかったのだ。
善良な子。優れた子。正直な子。
そしてチャーリーもやっと救われた。
あの白い光はきっとそうなのだろうけど、救いと深い感動に包まれて…。
『レクイエム・フォー・ドリーム』『ブラック・スワン』のようなダークな人間ドラマ、『レスラー』のような一人の男の姿、『ノア』のような宗教観…。
いつも一筋縄ではいかないダーレン・アロノフスキー監督作だが、印象に残る。本作も例外に漏れず。
でもやはり、ブレンダンのカムバックが素直に嬉しい。
インディも最後の冒険に出たように、リック・オコーネルの久しぶりの新たな冒険も見たい。
誰かさっさと主人公を病院に連れてけ
終始思った感想は、この太ってるのはもちろん特殊メイクだよな?という事と、グダグダ言ってないでさっさと誰か病院に連れてけ!でした。
本人が病院に行くのを頑なに拒んでたが命を失ってからでは遅いだろ。お金など後からどうとでもなるのに。
これが身近な家族や愛する人が同じ状況ならとっくの昔に救急車を呼んでいる。
周りがそうしないということは何だかんだでそこまで人に愛されてない寂しい人間だったという事なのかもしれない。
元愛人の妹もやってることが中途半端である。
てか渦中にいる時は家族と子供を捨てて自分一人楽しんでたくせに、恋人を失ってからやたら娘に罪の意識を向けて償ってもらおうとしてもみっともない。人を救うのではなく償いをする事で救われたいのは己の方だったのだろう。
過食に走るのも人として見てて情けない。よくあそこまで太れたものだ。普通は途中でヤバいと気づき引き返しそうだが。
主人公の顔がすごい見覚えがあって最後まで分からなかったが調べたらハムナプトラの人でした。
咳の演技がめちゃくちゃ上手かった。あんな風に出そうと思っても普通の人はなかなか出来ないと思う。
全体的になんかもうちょいひねりと、なんで妻と娘がいたのに(また?なのか急になのか)男に走ったのか?とかゲイの愛人との過去のくだりも欲しかった。
そして宣教師の少年の正体が娘によって暴かれた時に、
(おっ、面白い展開きたか?!)と思ったが、たいして何か事件を起こすわけでもなくそのままの流れで終わってガックリ。
ピザ屋の人も初めて顔を見た瞬間に慌てて逃げてたからてっきりここで救急車が呼ばれる展開かと思ったら、単に気持ち悪がってただけかーい。
最後の最後で、あんだけ邪悪な反抗期の娘がやっぱり根はいい子で、そのシーンはとてもよかった。救われた。
アンネフランクの日記のシーンでもある
“In spite of everything... I still believe that people are really good at heart.”
というセリフをここで思い出しました。
人間は本来悪でもあり、善でもあり、、奥が深いですね。
冒頭の伏線がラストに輝く
・エッセイのオンライン講師っていうのが、まず珍しくて興味深かった。その状態で添削の一つと思ってた白鯨のエッセイがラストで娘のエッセイで最高のエッセイだから読んでくれと死にそうな冒頭で宗教の勧誘の青年に読んでもらい、ラストで死ぬ間際で娘本人に読んでもらうシーンがぐっと来た。そこで歩けないはずの彼が歩き出して希望?の明るい世界に昇華していくのが、なんとも言えなかった。
・色々と驚かされる経歴で面白かった。8歳の娘がいる状態で恋人の男性と同居?し始めて離婚していて、それから動けないほどの肥満になっていたり、部屋が二階にあったり。
・死ぬ事がわかって死ぬ前にやり残したことをしなければならないという気持ちになってようやく娘に連絡をしたり、
・ピザ屋の人が姿をみてうわ…何あれみたいなリアクションからやけになって講師を辞めた際に思った事を正直に語るんだ!みたいなことを打っていた。登場時、誰も思っていた事を語っていなかった。徐々にぽつりぽつり、と相手の反応を探りながらしゃべっていたように感じた。正直に思った事を語るという事は恐ろしいと改めて思った。それが受け入れられると信じていても、どう転ぶかはわからない。たいていが冷淡な反応だったという経験が、語るのを諦めるんじゃないか。
・死ぬ事がわかってようやく、後悔と向き合うのが、何かリアルだった。
・ポジティブな性格だからか、皆彼の事が好きなようで羨ましかった。
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