「「物語」と“何故人間というものは物語を求め綴るのか”を描いた映画。」アラビアンナイト 三千年の願い もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
「物語」と“何故人間というものは物語を求め綴るのか”を描いた映画。
①「魔法のランプ」に基づいたドラマや映画は沢山あるが、ランプの中に閉じ込められていた魔人と魔人をランプから出した人間とのロマンスを描いた映画はこれが初めてでは。(TVドラマでは男女反対で『可愛い魔女ジニー』ってのがありましたが)
②「物語学」(または「物語論」※narratology)というものが有るのを初めて知った。
主人公をその研究者にしたのは上手い設定。
呼ばれたイスタンブール(イスラム世界)での講演会の席上、彼女は「物語」が生まれた背景等を簡略にスピーチするが、今後の情報技術の発達で「物語」というものは死滅してしまうだろう、と言ったところで何処からともなく現れた老人(後に魔人の物語の中で出てくる王を唯一楽しませた老人?)に“ふざけるな!”と一括されて気絶してしまう。
それと、この映画は物語り形式が「入れ細工」になっているのも特徴的。
先ずはこの映画(「物語」)の語り手として主人公がいる。その物語の中に「ランプと自分の物語」を語る魔人が出てくる。
この映画は物語の語り口として二重構造を取っているわけだ。
そこで、主人公が「物語学」の学者だという設定が効いてくる。
「物語」というものを研究しているから、普通の人間ならすぐ“引っ掛かってしまう3つの願いを叶える”という話に簡単に乗ってこない。“3つの願い”の話は大概欲をかいた人間の失敗談で終わってしまうことを研究して知っているからだ。
何とか自由な魔人に戻れるようアリシアに自分の3000年間の物語を話すも3つの話も全て人間の欲望・愚かさ等(自分の愚かさも含まれる)によりアリシアの言う通りハッピーエンドとはほど遠い。
※魔人(ジン)についてWekipediaで調べてみると、この映画の内容に関する部分は下記の通り:
知力・体力・魔力全てにおいて人間より優れるが、ソロモン王には対抗できないとされる。ソロモン王はジンを自在に操り(これでソロモン王が魔人を壺に入れることが出来た理由が分かった)、神殿を立てる際にもジンを動員したと言われている。
クルアーンに拠る公認教義では、ジンは人間と天使の間に位置する被造物とされる。古典イスラム法でもジンの位置づけを定めているが、ジンが人間と結婚する事についても論考されている。
なお、アラビアンナイト(千夜一夜物語)の伝承で有名な、「シャハラザード姫が残虐な王の悪習を止めさせる為に毎晩一話ずつ話をしてついに成功したとする結末は、後世のヨーロッパ人が追加したものである」ということがそうだが、このエピソードは魔人の語る物語で別の形で取り入れられている。
これらの物語を聞いてアリシアが決断した「願い」は、魔人とアリシアとが相思相違になること。(いささか突飛だとは思ったが)
③孤独を愛する知的で自立した女性を演じるのに現代最高の女優の一人ティルダ・スウィントンはまたとない適役である(まあ、何をやっても上手いけど)(私がこの映画を観ようと思ったのも彼女が出ているから)
一方、イドリス・エルバも3000年も人間たちを見ながらひねくれもせず厭世的にもならなかった魔人を、酸いも甘いも噛み分けたような包容力のある演技で魅力的に造形している。
殆ど二人だけの芝居ながら(魔人が話す「物語」部分は劇中劇なのでここでは省きます)、この二人の好演で飽きさせない。
④