「どうして息子ではなく孫に同じ名前がついているのか、までは描いて欲しかった」ホワイトバード はじまりのワンダー Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
どうして息子ではなく孫に同じ名前がついているのか、までは描いて欲しかった
2024.12.11 字幕 TOHOシネマズくずはモール
2024年のアメリカ映画(121分、G)
原作はR・J・パラシオ『White Bird: A Wonder Story』
『ワンダー 君は太陽』にて主人公オギーをいじめて退学になったジュリアンの祖母サラの過去を描いたヒューマンドラマ
監督はマイク・フォースター
脚本はマーク・ボンバック
原題の『White Bird』は劇中で登場するサラが見る白い鳥のこと
物語は、前作にてビーチャー校を退学になったジュリアン・アルバンス(ブライス・カイザー)が、ニューヨークにあるナーテ校に通う様子が描かれて始まる
パーカーを目深に被って、周囲を気にしながら学校に向かうジュリアンは、食事の際に空いている席に座った
そこに女生徒のラミヤ(Priya Ghotane)がやってきて、彼はジュリアンは彼女が座ることを気にも留めなかった
だが、母同士が知り合いということで声をかけるように言われた同級生のディロン(Teagan Booth)は、「そこは負け犬の席だ」と言い放ち、「明日からは俺たちのグループのところに来い」と告げた
その後、帰宅したジュリアンは、メトロポリタン美術館にて個展を開くことになっていた祖母のサラ(ヘレン・ミレン、15歳時:アリエラ・ブレイザー)と再会する
両親が外出していたために、サラと夕食を共にすることになったジュリアンは、学校で起こったことを話すことになった
だが、彼の言葉に違和感を覚えたサラは、自身の過去を話し始めた
時は1942年、ナチス占領下のフランスの田舎村にてサラは両親と共に暮らしていた
パリが陥落し、安全のために非占領地域に身を委ねていたサラは、そこにあるエコール・ラファイエット校に通っていた
友人のソフィー(Mia Kadlecova)、マリアンヌ(Selma Kaymakci)たちと普通の日常を過ごし、クラスメイトのヴィンセント(ジェム・マシューズ)に想いを寄せていく日々
彼女は絵を描くことが好きで、授業中でもノートに描いていて、ある日、担任のプティジャン先生(Pasty Ferran)に見つかってしまう
先生は怒ることもなく、「才能があるから続けなさい」とアドバイスを送った
また、学校には、ポリオの影響で松葉杖歩行をしている少年ジュリアン・ボーミエ(オーランド・シュワート)がいたが、彼は「カニ」を意味する「トゥルトー」と呼ばれいじめられていた
ある日のこと、授業中にも関わらず校長のリュック牧師(Stuart MacQuarrie)に呼び出されたサラは、クラスメイトのルース(Beatrice Holdingova)と共に学校の外へと連れ出される
案内人のアントワーヌ(Mac Clemons)の指示にて森へ逃げようとするものの、ヴィンセントが来訪したドイツ軍にチクったために追われることになった
何とか逃げ延びたサラは、彼女を追いかけてきたジュリアンに助けられる
彼の家の離れにある納屋に匿ってもらうことになり、彼の父ジャン=ポール(ジョー・ストーン=フューイングス)と母ヴィヴィアン(ジリアン・アンダーソン)の協力を得ることになった
物語は、反省していないジュリアンに対して、サラが過去を語る物語になっていて、特に「普通でいること」に反応してのものになっていた
ジュリアンがサラの話のどの部分に感化されたかは何とも言えないが、普通でいることを選べるという時代性の中において、自分のやりたいことを見つける意味は見出せたのかもしれない
サラは絵を描き続け、そして画家になった
ジュリアンに何ができるのかはわからないが、まずは同じ過ちは2度としないと誓えただけでも良かったのだろう
映画は、ほぼサラの回想録で、彼女がいかにしてホロコーストから逃げ延びたのかを描いているが、かなり脚色されている部分があるのだと思う
メルニュイの森におけるオオカミの立ち振る舞いはおそらくメタファーで、彼は何らかの要因で撃ち殺されたのだろう
それを描く意味はないのだが、唯一モヤっとする部分だったかな、と感じた
いずれにせよ、『ワンダー 君は太陽』の続編だと思って観に行ったらダメな作品で、ほぼ観ていなくても成立する物語になっていた
祖母の話を聞いてあっさり心を入れ替えるとは思えないのだが、彼自身が変わる可能性があるとしたら「恋愛」のような激烈なものではないだろうか
その相手が彼女かどうかは置いておいて、人が動くための力として最も強いのは愛に他ならないと思う
ジュリアンの両親も彼のその想いを感じていたと思うので、それゆえに協力的だったのかもしれない
ラストでは、個展にてスピーチをするサラが描かれ、彼女自身も孫に話を聞かせたことで何かを取り戻していた
おそらくは、「君は身勝手な人間だ」というジュリアンの言葉だと思うが、その言葉を思い出したことで個展への向き合い方も変わったのだと思う
そう言った意味において、本作は過去の愛の物語が今を生きる二人を生き直させる力があったということを描いているかな、と感じた