「【”人間万歳!”今作は自らの苛めの行為で退学になり人との関係を断つ決意をした少年にユダヤ人の祖母が語る辛き過去の中で経験した”人間の真の勇気”を描いた、琴線に響き、涙を堪えるのが難しき作品である。】」ホワイトバード はじまりのワンダー NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”人間万歳!”今作は自らの苛めの行為で退学になり人との関係を断つ決意をした少年にユダヤ人の祖母が語る辛き過去の中で経験した”人間の真の勇気”を描いた、琴線に響き、涙を堪えるのが難しき作品である。】
ー 今作は、名作「ワンダー 君は太陽」の6年後を描いた作品との触れ込みだが、27回遺伝的要因で成形したジェイコブ・トレンブレイ演じるオギー君は冒頭チラッと写真が映るだけで、ほぼ8割はジュリアン(ブライス・ガイザー)のユダヤ人である祖母サラ(ヘレン・ミレン)が語る、過酷なナチスがフランスを占領した際の出来事が、描かれている。-
■1942年。ナチスに占領された仏蘭西。ユダヤ人の一斉摘発で学校に捜査に来たナチスから逃げる少女サラ。必死に逃げる中、助けの手を差し伸べたのは、サラの隣の席に5年座っていたポリオに罹患したために、片足が不自由でクラスメイトから苛められていた”ジュリアン”だった・・。
◆感想
・”ジュリアン”と、その両親の人間の善性溢れる姿が非常に心に響く。サラを納屋に匿っている事がナチスに見つかれば、彼ら自身がユダヤ人であるので危ういのに・・。
・”ジュリアン”と対比的に描かれる、イケメンでサラが好きだった少年の、ナチスの手先になってユダヤ人を探し出そうとする愚かしき姿。
絵が得意なサラは自分のノートに、彼の似顔絵を描いていたが”人間を見る眼がないね。”と”ジュリアン”の前でその頁を破くシーンと、その後”ジュリアン”の似顔絵を描くシーン。
・少年が、サラを探しに納屋にやって来て銃弾を撃ち込んで行くシーンは、”人間の権力を持った”と勘違いしている姿として描かれている。
だが、彼は森に逃げ込んだサラに、尚も銃を打ち乍ら追いかけるが、それを自分達を狩に来たと思った狼たちに襲い掛かられ、絶命するシーンは正に”自業自得”であろう。
■苛めをした事で退学になり人との関係性を断つ決意をしたジュリアン少年に、祖母のサラが勇気ある少年の名を、”ジュリアン”と語ったのは、サラお婆さんの粋な創作ではなかったかな、もしかしたらジュリアンの名付け親はサラお婆さんかな、と思いながら鑑賞続行。
とにかく、サラが隠れるシーンはハラハラしっぱなしなのである。
・”ジュリアン”とその両親がサラの誕生日をケーキで祝ってくれたり、ジュリアンとサラがお互いの想いを打ち明けるシーンなどは、もう涙腺が可なり緩くなってきている・・。
そして、ジュリアンがサラの想いを知って、いつもの遠回りではなくナチスが居る道を通ってしまった事で起きるジュリアンと母に振りかぶる悲劇のシーンは、キツカッタナア。
・けれども、ナチスの密告者と考えられていた夫婦が、実はユダヤ人のラビを匿っていたシーンなどの設定が、ムネアツであったよ。
<今作は、自らの苛めにより学校を退学になり、新しい学校で人との関係性を断つ決意をしたジュリアンに、祖母サラが語った数々のナチス支配下でのユダヤ人たちの”人間万歳!”のシーンがムネアツで、最初は黒人の少女が渡そうとした”人権の集い”のチラシを受け取らずにいたのが、その話を聞いた彼が黒人の少女が落としたチラシを拾い、誘いに乗るシーンや名優ヘレン・ミレンが、自身の絵画展覧会で行った崇高なスピーチと観衆の中で、彼女の姿を誇らしげに観る彼女の命を助けた”ジュリアン”の表情は、熱いモノが込み上げて来てしまったシーンである。
今作は、不寛容で差別的思想が蔓延る現代に、とても大切なメッセージを送っている素晴らしき作品であると、私は思います。>