ホワイトバード はじまりのワンダーのレビュー・感想・評価
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心に咲く青い花、世界に羽ばたく白い鳥
映画化を知ったとき、「お、なんていい目の付けどころ!」とわくわくした。そして、監督があのマーク・フォスターと知り、これは間違いなし!と確信。その期待を裏切らないところか、軽々と遥か上を行く、ほんとうに素晴らしい作品だった。
マーク・フォスター監督作品で特に忘れがたいのは、「ネバーランド」。緑の深い森で繋がり合う、孤独な作家と少年の姿が、今も目に焼きついている。
本作は、本編「ワンダー 君は太陽」では親子共々憎たらしいいじめっ子だったジュリアンと、彼の家族の物語。どんないじめっ子も、最初からモンスターではない。読み進めるうちに、人の見え方がダイナミックに反転し、彼を敵視した自分の浅はかさを思い知った。そして、思慮深い祖母に心を奪われた記憶は、思い返すほどに鮮やかだ。
映画版では、少々難ありのジュリアンの親たちは登場させず、祖母の数奇な半生と、祖母との語らいがジュリアンにもたらす変化を丁寧に描いている。
ひたひたと迫るナチスの脅威から目を逸らし、青春を謳歌していたサラは、突然追われる身となり、恐怖のどん底に叩き付けられる。そんな彼女を救ったのは、名前さえ知らず、視界からもはじき出していた、足を引きずるさえない少年だった。
戦争、しかもナチスものでありながら、「ネバーランド」同様に、自然の美しさが印象的。幻想的な青いブルーノの花、きらきらと光る雪のかけら。そしてサラのほつれ毛のやわらかさ。繊細な描写の連なりは、二人の成長をやさしく見守るかのようだ。心から打ち解け、想像の翼で羽ばたく二人の姿に、思わず顔がほこほころんだ。後半、物語は一気に急展開。誤解は解けたもののの、ふとした決断やそれぞれの思惑のすれ違いが、思いもよらぬ結末を招いてしまう。哀愁あるメロディにのって空高く羽ばたく、手描きの小さな白い鳥が切ない。
ヘレン・ミレンの圧巻は言うまでもないが、サラとジュリアンを演じた2人の瑞々しい演技も素晴らしい。ジュリアンの不器用さも、そっと寄り添い見守っていたくなる。さらには、彼らを取り巻く大人たちもそれぞれに魅力的。層の厚いアンサンブルの力にぐいぐい引き込まれ、最後は彼らとともに「人間万歳!」と腕を上げて快哉を叫びたくなった。
子どものころのささやかな出来事は、それからの長い人生の原動力となる。大人ならばかつての思い出をさぐり、子どもならば目の前の日々が愛おしくなるはず。
つくづく、傑作。
どんな行動を取るかの選択は誰にも奪われない
大好きな「ワンダー君は太陽」のスピンオフ。
けれど特に前作を見なくても、話の核やメッセージは捉えられる作品になっていると思う。
ワンダーファンは、前作のようなハートウォーミングなストーリーや展開を期待していたら、少し驚いてしまうかもしれないけれど、元々この時代背景の映画が好きな私は大満足な作品でした。
普通に生活していただけなのに、否応もなく人間狩りの狩られる立場になっていく恐怖はどれほどの恐怖だったか、あの時代のユダヤの人々の気持ちを思うと本当に苦しくなる。
この時代の作品を見るたびに、私がこの時代に生きていたら、どんな行動や判断を取るだろうと考えてしまう。
憎悪や偏見に染まることは容易くて、大多数がそうなる中、優しさや他者を思う気持ちや、自分の身が危うくなっても正義を貫く人間でいられるのか。正直自信がない。
サラが経験した、人生で1番恐怖と悲しみを味わったあの時期でのジュリアン一家の優しさには涙が出た。どれだけ彼女の希望になり光になったか。
優しさとは1番の勇気、優しさは残り続ける、優しさとは何かを心に刻み込まれるような、覚えておかなければならないと思わされる作品だった。
闇や闇では追い払えない。闇は光でしか追い払えない。今世界で闇が襲ってきて助けを求めている人々が、どうか光でその闇が消え去りますように。私もその光を放てる人間になれますように。
この監督らしい構造と語り口が効いている
マーク・フォースター作品はいつも二重構造に彩られている。二つの異なる時代や世界を対比させることもあれば、過去に起きた出来事の余波に生きる主人公を描き出す人間ドラマも多い。その例に漏れず本作も前作『ワンダー』を前提としつつ、現在地において過去の戦争の記憶がゆっくりと紐解かれていく。ナチスの侵略、ユダヤ人迫害など、何度も扱われてきた題材ではあるが、フォースターらしい二重性の皮膜を介することでフィクション上の出来事が単なる昔話でなく、リアルな切実さと温度で伝わってくるのを感じる。その中で本作は、自分以外の守るべき誰かのために命がけで行動することの意義を柔らかくも真摯な目線で訴えかける。そうできてこそ初めて人は人間らしくあることができるのだろうし、その行動は確実に未来へと繋がっていく。これは主人公に再起の力を与える物語でありながら、憎しみの加速する現代に投じられた一羽の鳥の羽ばたきのような作品だ。
フランス人の英語
危なく見逃すところでした
本作はポスターの雰囲気と「ワンダー君は太陽」の番外編との情報から、現代の学校のいじめ問題を題材にした作品だと思い込み、当初観る予定に入っていなかったのですが、他にこれといった作品がないので鑑賞することにした作品です。
それで鑑賞してみたところ、想像とはまるで違う内容にびっくり。ここ最近では希に見る良作で大変感動させていただきました。ストーリーは勿論ですが役者の皆さんとても良かったです。その中でも特に良かったのは回想シーンにおけるメインのお二人で、とても愛らしく本当にハマり役だと思いました。
お正月早々こういった作品に出会えて良かったです。危なく見逃すところでした。今年は本作のような作品に沢山出会えることを願います。
命をかけて人を助ける強い優しさ
2024年12月公開の映画ですが2025年1月公開終了間近に駆け込み鑑賞
ポスターと「ワンダー君は太陽」のアナザーストーリーの知識だけ
ワンダーのいじめっ子に祖母が語る自分の昔話
蓋を開けばナチスによるユダヤ人迫害から逃れ隠れる少女時代の祖母と彼女を匿う少年の話
これは心して観ないといけないヘビーな映画か、、などと思いながら観てましたが予想に反して迫害の恐怖がメインではなく、2人の友情と人を助ける勇気の話
ナチスのヨーロッパ侵攻した80年前の出来事
人間が他者を土地を侵略する戦争
今だ悲惨な戦争を終わせる事のできない人間
涙無くしては観れない感動的で美しい反戦映画
人が人を平気で殺す闇の世界を救うのは人の中にある光
村にある古代林のミステリアスな美しさ
命がけで人を助ける人達の美しく強い光に涙しました
彼女の父や学校の先生
心に留めておきたい名台詞がいくつも出て来てもう一度観ておきたい映画でした
2025年3本目にして年間ベストに入れたい作品に出会いました
2025-N3
ナチス映画にハズレなし!
ナチスが出てくる映画で、つまらない映画って、「 ヒトラーの為の虐殺会議」 と「 関心領域」 くらいで、まぁ、ハズレはないんだな?
ホロコーストというデリケートな問題は、茶化す事など絶対に許されないので、脚本家も慎重にならざるでござるものな。
ただ、何だ。ガザの非戦闘員を巻き込んだ容赦無い空爆のニュースを見るたびに、ひょっとしたら...
と、下書きボタンを押した状態で率直に思う事を書いてみたのだが、俺は何て恐ろしい事を考えているのだろうか?と、思い、下書きの文章を削除した。
人との会話の処世術として、いの一番に思う事は、人と話す前に、自分が発した言葉で相手がどうリアクションをとるのかを想像しないといけないよね?
今回は前置き短いからな?分かったな?
↑ 誰に言っているんだ?
「 ワンダー君は太陽」 で、障害者イジメをして、転校させられた金持ちの息子が、ホロコーストを生き延びたお婆ちゃんに説教されるお話しです!おしまい!
では、どうかと思うので、話しを進めるが、ヘレン・ミレン婆ちゃん( 役名はサラ)が、自分の過去を美化120%の美少女女優になぞらえて、回想シーンを交えながら語るんだけどさ?障害者の容姿をからかってイジメる奴って、人として終わってるから、更生不可能だと思うぜ?
では、終わってしまうな。いかん、いかん、でだ?
まだ、ナチスが侵攻していないフランスの片田舎で、婆ちゃん( 以下、サラ)は授業中にも絵を描いている空気読めない娘ちゃんだったが、ナチスが侵攻してユダヤ人狩りが始まり、両親とは離れ離れになる。
運良く同級生のポリオに罹って、松葉杖でしか歩けなくなったジュリアンに助けられて、サラは、ジュリアンの家の納屋に借り暮らしのアリエッティとなる。
匿ってもらってる割には、特に恩返しもせずに呑気に一年くらい経っております。
ジュリアンは、チェリーボーイなので、あんな事や、こんな事も想像しているのだが、所詮、チェリーボーイなので、めぞん一刻のようなラブロマンスにはならない。
溜まりに溜まった、チェリーボーイのジュリアンは告る事にする。OKを貰って、翌日はルンルン気分でスキップしながら、歩いていると、
「 何で、あの松葉杖の男はスキップしながら、歩いているんだ?歩きにくいだろ?怪しいな?しょっぴけ!」
と、ナチスに身体検査をされて、よりにもよって、自分がユダヤ人を匿っている証拠を発見されてしまう。
サラは一人のナチスに襲撃されるも、狼が突然、登場。ナチスはワンちゃんに喰われて犬の糞になってしまう。この瞬間、狼が人の言葉を喋り、
「 お前は、犬の肉だ。※ 肉の字にはエサとルビがふってある」
と、呟いたのを聞き逃した人は多かった事だろう。この台詞を呟いた俳優の名前はアーカードさんです。
でもさ?狼って、人を襲ったって、聞いたことないけどな?よっぽど、お腹がすいていたのでしょうか。
で、チェリーボーイのジュリアンは護送車が壊れて、徒歩で連行された時に、脱走を試みるが、そこがチェリーボーイの浅はかさ。狙撃され、行方不明となる。
でさー?ラストまで語っちゃうけど、ヘレン・ミレンこと、サラが美術館で演説ぶっている時に、松葉杖をついた人が歩くシーンが挿入されるわけよー?
当然、チェリーボーイジュリアンが実は生きていて、お婆ちゃんになったサラと再会できると思うじゃーん?再会しないワケ?杖をついていたのヘレン・ミレンなワケ?
矢沢、意味がわかんない?こんなんじゃ、矢沢OKですか?って言えない!バスタオルも売れない?アー、ユー、アンダースタン?
何だろなー、反戦メッセージなんだろうけどさ?これを見ても戦争やめようと思うかな?
家族以外の赤の他人を、最低一日一回笑わせる事ができたら、ペイ・フォワードみたいに世界が平和になると思うんだ?
1月3日の夜、某所で働いていた時にさ?チョコレートの行商をしている外国人が来たのさ?
手書きのカードに
「 わたしはアレクサです。良いチョコレートを売りに来ました」
と、書いてあって、あまりにも哀れだったので、買ったよ!600円のシケたチョコレートだったけどさ。
折角だから、名前イジりをしようと思って、俺はこう言った!
「 アレクサ?電気つけて?」
ノー、リアクション!!
負けずに俺は、
「 アレクサ、今日のワタシの予定を教えて!」
ノー、リアクション!
返事が無い、ただの屍のようだ。
何だ、俺の日本語が通じなかったのか?
まぁ、俺が知っている英語は、ただひとつ!
アイ・ラブ・ユーしか、知らないぜ!!
HA H A H A H A H A!!
おしまい
ジュリアンの名前の由来
ホワイトバード
ナチスに追われたユダヤ人少女を守り抜いた、気高き少年騎士とその家族の戦いの記録。
『ワンダー 君は太陽』は未見。
とにかく、ポスターのヒロインが可愛いという「だけ」の理由で鑑賞。
総じてとても面白かったけど、若干、細部にはひっかかりもあったかな。
『ワンダー』のほうは、たぶん観ていなくても、ほとんどのパートが前作とは関連のない話なので、あんまり問題はなかったような。
ナチス傀儡のヴィシー政権下のフランスで、ユダヤ人の少女が納屋に匿われる『アンネの日記』のような話なのだが、基本的に匿う側がすがすがしいまでの「善意」に満ちた家族で、そこは最後まで一貫していて、サスペンスが「ない」というのが、逆に珍しいタイプの物語だった。
今年、やはりフランスが舞台のホロコーストもので、ヴィシー政権下の農村部でユダヤ人を匿う話を観たけど、あれはなんだったっけと記憶をたどったら、クロード・ルルーシュ版の『レ・ミゼラブル』(95)だった。あれは匿ってくれていた家族に「裏切られる」話だったが、神父様の経営する学校によってヒロインがユダヤ人狩りから守られる展開はまったく一緒で、もしかすると「同じフランスの学校」がモデルになっているのかもしれない。
前半のあたりはちょっと眠たくなる部分もあったが、学校にナチスが抜き打ちユダヤ人狩りに押しかけてきてからは、手に汗握る展開が待っていた。
そのあと、好きな女子を守って戦う少年の話に入ってからは、初期宮崎アニメ(『コナン』『カリオストロ』『ラピュタ』)の好きな僕のようなオッサンには、まさにこたえられない展開だった。結論からいえば、ラストまでどきどきわくわくしながら観ることができた。
映画のなかで動いているヒロインの少女は、ポスターよりは垢抜けない感じで、田舎娘ぽくはあったが、やはり可愛くて思わず守ってあげたくなるタイプ。
むしろ、ユダヤ人だからって急にバカにできる感覚が僕にはわからない(僕はルッキズムの奴隷なので、顔さえよければ人種も出身も性格もほぼ関係なくなんでも応援しますw)
対する過去篇のジュリアンも、歩くのこそ難儀しているが、秀才で、美形で、性格がよく、決して自分からは女に手を出したりしない究極のナイスガイで、これでくっつかなかったらウソみたいなくらいのグッドルッキング・カップル。
ただ、なんとなく違和感を感じた部分として、果たして『ワンダー』のスピンオフとして、このノリで問題なかったのかな? という疑念はうっすらあった。
『ワンダー』は(よく知らないけど)それこそルッキズムに一石を投じる話だったっぽいのに、スピンオフの本作で明らかな「美少女」「美少年」の物語にしてしまってよかったのかな、と。
もちろんその代わりに、今回は「ユダヤ人」と「障碍者」という、ナチスによって迫害される二大要素を持ったヒロイン/ヒーローだったわけだが、明らかにこの役者さん二人を主役に抜擢した場合、両名の見た目が「可愛らしい」から観客が自然と応援してしまう部分は否めない。それで本当によかったのかな?
それから、「いじめっ子」だったジュリアンのその後を描くことで、『ワンダー』の物語を完結させる意図があったと原作者自身が主張しているわりに、じゃああの少年兵ヴィンセントのおぞましい最期は、あんな終わらせ方で良かったんかい? ってのはすごく思った。
人まで死なせちゃったら、もう救いがないよって話なんだろうか。
主人公がただただひどい目に遭うだけのよくあるホロコースト話だったら、なんの引っかかりもなく観られる勧善懲悪の展開なんだけど、人の善意の大切さを問う物語――「現代のほうのジュリアンのその後を描いて、改心までさせて救済する」のが目的の話で、新しく出てきたいじめっ子が、闇落ちして、ろくでなしぶりを悪化させて、なんの反省もないまま最後まで悪行を積み重ねて、罰のように狼に食われておしまいって、なんかえらくイヤな対比だなあ、と。
それと最近、マーチン・スコセッシの『ハウス・オブ・グッチ』やマイケル・マンの『フェラーリ』など、古参監督が「ヨーロッパを舞台に英語で映画を撮る」ケースはあるが、若手監督の映画で、現地の言葉を使わずに英語で撮るケースは減っているので、まあまあ珍しいと思った。出演者ももっぱら英米豪の英語圏からキャスティングしているし、必ずしもユダヤ人ではない人間にもユダヤ人を演じさせている。
僕自身はそこまで気にしないが、リベラル寄りの作品のスタンスを考えると、エクスキューズなしで英語の映画として撮っていることに、とやかく言う人もいそうな気がする。
あと細かい不満ばかり言い募って、感じが悪いのは承知のうえなのだが……
●サラが学校から命からがら逃げ出したあと、どうやってジュリアンがサラを見つけ出せたのかは、ちょっとわからなかった。あと、軍が犬を使っているのにサラが逃げ切れた理由とか、ジュリアンはあの足でサラの隠れている階まで音を立てずに上がれたのかとか、雪の中でジュリアンの足跡はかなり目立つのではとか、前に親と潜ったからって下水施設を通って迷わずに家まで帰れるものなのかとか、いろいろ考えたけど、あまり深く考えないほうがいいのかもしれない。
●近くに密告者がいるといって警戒しているわりには、毎日毎日納屋に通って、そこそこ大きな声で談笑し、ライトを点けて壁にできる影の動きにも無頓着で、あげくに歌ったり踊ったりしていて、まあまあ恐れ知らずな連中だなと思ったが、途中からもう気にしないことにした。
●そうしたら比較的さらっとナレーションで「1年が経った」とか言ってたけど、幽閉状態に対する拘禁反応とか、ずっと閉じ込められていることで生じる身体的影響とかをまるで感じさせない、単なる穏やかな避難所生活のように描かれていて、さすがに若干描写が軽いかなあと。「女の子が1年間、風呂も入れず、トイレもないような納屋で、一度たりとも外に出ることを許されないまま暮らす」のって、結構なストレスだと思うんだけどね。
●あと、これだけ献身的かつ全身全霊の庇護を一方的に受けておきながら、サラのほうにあんまり申し訳なさそうな描写がないことも、ちょっと気になった。心の底からの感謝を三人に示すシーンとか、あまりの幸運に感極まって泣き暮れるシーンとか、いろいろしてもらえていることへの返礼として、何かしらの労働や内職で報いようとする姿勢とか、将来的な恩返しについての言及とか、そういうのがほとんど出てこないのって、どうなんだろう。
ボーミエ家の人たちはもちろん、別段何の見返りも求めてなんかいないのだろうが、サラのほうに「御恩」に対するリアクションが薄いのがどうにもひっかかる。
●で、サラの誕生日にボーミエ一家が総出で祝ってくれるのだが、「隣の夫婦には牛乳に入れて睡眠薬を盛ったから心配しなくても大丈夫」みたいなことを言っている。おいおい、そんなことしてええんかいな(笑)。しかも後からわかる事実から考えると、隣家の夫婦が寝こけているあいだ、匿われていたラビはどうなっていたのだろう? 結果的に彼らをかなり危険な目に遭わせていたことになるのでは?
●ナチスの少年隊に入ってレジスタンスと銃の撃ち合いをしている青年たちが、コウモリが怖くて逃げだす展開には、若干無理があるような気がする。ノリがそこだけ書き飛ばしのチープな少年向け小説みたいなんだよね。あのあと、ナチス少年隊の連中が報復に来ない理由もよくわからないし、学校でジュリアンが復讐されない理由もわからない。
●サラをヴィンセントがついに見つけ出して、森に追いつめるシーンも、途中からのモンタージュで結末がどうなるかはたいてい推測できるんだけど、さすがにそんな御伽噺みたいな展開でいいのかな、と、個人的にはちょっと引いてしまった。
●終盤のあの流れで「ジュリアンの死体が見つからない」理由もよくわからない。
軍が収容してどこかに持って行ったってこと? お母さんの目の前で撃たれていて、倒れた場所はかなり明確だった気がするけど……。
総じて、重たいテーマを扱っているわりに、若干リアリティを欠くというか、映画というよりは「テレビドラマでも見ているような」軽さと安易さが目立つ気がするんだよね。
好きなジャンルで、好きなタイプの物語だっただけに、どこか子供だましっぽいテイストがあちこちでひっかかるというか。
それと、前作の『ワンダー』を観ていないからそう思うんだろうけど、前後に挿入されている「今のジュリアン」と「今のサラおばあちゃん」の話は、あんまりピンとこない。
これがあることで、映画として面白くなっているかといわれると、たんに邪魔をしているようにしか思えない。
だいたい、転校先で煮詰まっている孫に、この話を一晩語って聞かせただけで、劇的に改心して生まれ変わったりするものだろうか。おばあちゃんが受けた善意の話を自分なりに消化して、自分が過去に成した凄絶ないじめを悔いて、真の反省を経たうえで新たな価値観のもとに新しい一歩を踏み出すまでには、けっこうな段階を踏まないといけない気がするんだけど。
そもそも、なんでこの話をおばあちゃんは一度もしたことがなかったの? 後ろめたかったり、知られると困るような話だったら別だが、ぜんぜん孫に語り聞かせて問題のない「良い話」だよね? どうやら古いほうのジュリアンが孫の名前の由来になっていることを考えると、むしろ「もっと昔にちゃんと伝えておかないといけない」話なのでは?
で、改心したジュリアンがやることというのが、「ワシントンDCまで行進する」と宣言して、校内でビラを配っている政治的な学生活動サークルに入ることってのも、ええええ? なんだかなあ、といった感じ。
それなの? やること? マジで??
もっと身近なところ――人に親切にすることや、なにかのボランティアをやることから始めるのが筋じゃないのか? あるいは、まずは前作で行った自分の悪行を自分なりに総括するところから入るべきじゃないのか?
最後のおばあちゃんのやたら政治的な演説も含めて、せっかく「個の物語」として説得力をもって提供してきた重みのある話を、最後はリベラリズムの宣伝ビラみたいな内容につなげちゃってる印象。なんだかお里が知れる感じで、個人的にはとてももったいない気がした。
ラスト、街の上を飛んでいくCGの白い鳥が、なんだか「張り子」のような作品の象徴みたいに思えてねえ……。
最初に書いたとおり、自分にとって、少年が全力で少女を助けるボーイ・ミーツ・ガールものはそもそも大好物だし、主演の二人は文句なしに応援できるキャラクターだし、満天の星空のもとブルーベルの咲き誇る森でジュリアンが告白するシーンの美しさと言葉の真摯さには心底感動したし、二人を助けようとする善意の家族や隣人に対しても全幅の共感を持って観られるような映画なだけに、もっと「本格的に」そういう映画としてちゃんと仕上げてくれていれば、もっとこっちだってハマれたのにと、残念に思う。
あと、往年のハリウッド女優のような風格でヴィヴィアンを演じている女性が、『Xファイル』のスカリー捜査官だったことを、観てからパンフで知ってびっくり。
ヘレン・ミレンも、僕が『第一容疑者』にはまって観ていたころから考えると、ずいぶんと歳を寄せた。
最後に悪口を書きすぎた反省に、ひとつ、心から感動したシーンを書いておく。
ジュリアンが尾行されたせいで危機が訪れたとき、ボコボコにされたジュリアンを心配してロフトから降りてきたサラに対して、ジュリアンが怒鳴り散らすシーン。
あそこには、間違いなく「真実」があった。
サラを心から心配する、胸を締め付けるような不安。
自分のやらかしを許せない、強烈な自罰感情。
いざというときに自分の身体ではサラを守れないという虚無的な無力感。
自分たちの家族の犯している危険の大きさを、サラに理解してほしいという切実な想い。
それでも絶対にサラを守り抜くという「騎士」としての誇りと決意。
あれは、複雑なジュリアンの想いがあふれた名シーンだったと思う。
なんにせよ、若き二人の俳優の未来に道が開けることを心から祈りたい。
咲き続けるBlue Bell
虐めの加害者で退学となった孫に、自身の過去の出来事を話しながら人に優しくすることの大切さを問うおばあさんの物語。
2024年最終鑑賞作品!!ホントあっと言う間だ…。
全体を通し、ファンタジックで心温まるドラマ作品。
戦時中のフランス。ユダヤ人であるサラはナチスから追われるが、虐められていたジュリアンが匿ってくれて…。
ユダヤ人を助ければ自身もどうなるか分からない、という危険がありつつもサラを守るジュリアン。私があなたの立場だったら…確かにまぁそうでしょうね。
隣に何年も座っていながら名前も覚えていなかった彼と心を通わせていく様には、哀しくも心が温かくなる。ジュリアンも足が悪い中、命懸けで彼女を守ってくれる姿にジ〜ンときた。そして青い花畑のシーンは思わず涙。
時は経ち、ナチスの蛮行も激しさを増す中、いよいよ事が動き出す。それでも、守ってくれたのはジュリアンだけでなく…ここには涙がブワッと溢れてきた。
話は現代に還り、孫のジュリアンの行動にも変化が訪れ…サラの心のブルーベルは、これからも時を越え咲き続けることでしょう。
人に親切にすることは大事…当たり前のことのように言うけど、普段本当に皆それはできていますでしょうか?
ワタクシなんかは、正直最近は親切さを見せたが最後、相手にいいように利用されるに決まってる…なんて思うようになってしまいましたが、子どものジュリアンでも命懸けで人を守っていたと訳で。
今年の最後の最後に、年内トップクラスの名作と出逢ってしまった感じ。しっかり泣かせてもらいました。明日からも、勇気は要るけど人に優しくする心を持っていきたい、そんなふうに思わされた作品だった。
さてさて、今年は忙しくなって映画を観る本数がグッと減ってしまいましたが、見逃した作品の中にも本作のような名作があったんだろうなぁ。。
2025年は沢山観たいものを観て、本作のように良き涙を流せる作品とまた出逢いたいですね!
いつか我が子に観せたい。
正しく生きること
ワンダーが好きだったのでこちらも楽しみにしていてようやく鑑賞。
いじめっ子のジュリアンの話かと思いきやジュリアン違いでしたが、素敵なお話でした。
映画では良い人、素敵な人は幸せな終わり方でいてほしいと思ってしまうのですが、
現実も含めてそんなに都合良くはいかないですね。
正しい終わり方なんてないし、人生の終わりはどんな人も唐突でどんな形でも理不尽で、
どうにかそこまでに正しかったと言えるように努力していくしかないんだなと思いました。
祖母の話だけで良い人に変われるならもっときっかけはあるんじゃないかとも思いましたが、人生の起点なんてそんなものなのかもなとも思ったり。
行き詰まって変わりたいと思えてさえいればきっかけなんて些細なものなのかもしれない。
ちょっと作品の主題とはずれてしまいましたが、鑑賞後の率直な感想はそんな感じでした。
あとはお決まりの人種差別や反戦などありきたりなテーマについては、もちろんの感想ですが、ユダヤ人差別に関しては少し理解が深まって勉強になりました。
『ワンダー 君は太陽』と併せて観たい一作
本作が『ワンダー 君は太陽』(2017)のスピンオフ的な作品ということに鑑賞後に気が付いた観客による感想です。
冒頭でジュリアン(オーランド・シュワート)と彼の祖母サラ(アリエラ・グレイザー)が対話する場面があり、ここは『ワンダー』を観ていないと状況の把握が難しいんだけど、本作は若き頃のサラがいかに過酷な時代を生きたかの描写に重点を置いているので、ここで話についていけなくなる、ということは決してありません。
むしろ『ワンダー』を観ていなくても、ジュリアンの心の揺れを目線と間だけで描いてしまう演出の妙は、すぐに観客を作品世界の入り口に立たせてくれます。
サラの青春時代はナチスドイツ占領下のフランスでの苦しい経験に塗りつぶされていることが、もろもろの描写から痛いほど伝わってきます。ユダヤ系である彼女や彼女の家族、そして近しい人々がナチスによる迫害によって追い詰められていく様は、近作でも『ジョジョ・ラビット』(2019)などに類似した描写はあるのはあるのですが、それでもまだ幼い少女の目線から見た圧倒的な抑圧と暴力には身を切られるようなつらさがあります。
単に残酷な場面を見せるのではなく、なじみの店から締め出される(それでも心ある人はギリギリまで彼女に配慮を示すところがなお痛々しい)、級友が突如ユダヤ系であることを理由に見下してくる、といった形で現れる残酷さ。このサラの体験を単なる思い出話ではなく、自分が何をすべきかというメッセージと了解した時のジュリアンの表情も素晴らしいです。
主役のAriellaが切ない
ANAの国際線で提供されていたので見ました。ワンダーのサイドストーリー、続編ということでも面白いですが、単純にこの話だけで充分に満喫できます。
たまたまフランス滞在中だったこともあって、本当によくビシー政権下のフランスが表現されていましたし、その中での悲恋、そしてそのストーリーの深さと美しさ、破綻のない時代考証など素晴らしかった。中でも主役のAriella Glaser(英国出身)と相手役のOrlando Schwerdt(豪州出身)が実質初主演と思えないとんでもない演技力、そして可愛さに本当にキュンとした。これは自作も楽しみな二人。最初は普通の陽キャグループの一人と超陰キャだったのに・・・。
果たして自分はこのサラ(ジュリアンの祖母)が最後に高らかに演説したような、「Vive L’Humanité」(日本語だと人類万歳かもしれないけど、フランス語のニュアンス的には「一人一人の人生こそが一番大事」という意味のはず。)と堂々とした人生なのかは、猛省しました。でもできないけど・・・。
もちろん、この映画の狙いの本音はロシアのウクライナ侵攻やイスラエルの暴走などを痛烈に批判しているのはよくわかりますし、その主張のいやらしさは全然ないのが心地よい。
ジュリアンの為のジュリアンの話
「Wonder 君は太陽」の続編と思っていたら
アナザーストーリーでした。
前作で嗚咽どころじゃなかったので
構えて行ったけど、本作も案の定号泣。
ユダヤ人と言うだけで迫害を受ける。
ヴィンセント、サラに恋してたんじゃないの?
そんな簡単に恋心は憎悪に変わるの?
サラを匿う為とはいえ、軟禁状態の彼女に
動かない車に乗って、2人だけの妄想フランス旅行は
本当に旅行を楽しんでいるような景色が見えてきて
幸せな気持ちになります。
ジュリアンだけではなく、ジュリアン両親の
暖かく優しい深い愛情。「あなたは私のママよ」
もう涙腺崩壊。
「人間万歳」
立ち向かう勇気
今年の最後に良い映画を観た。
人間社会は、何世紀にも渡り、権力者とそれに抗おうとする市民の階級闘争が続いていると考えるのが、妥当だと思う。強者と弱者と言い換えることができるとするなら、国同士の争いから、人権に関わるマジョリティとマイノリティの関係、人とそれ以外の動物の関係もそれに準ずるだろう。
階級闘争を終わらせるために、70年代までは、労使の話し合いが行われたりしてきたが、レーガノミクス以降は、金の流れが圧倒的に権力者に有利になってしまったことから、抗うよりも、恭順する方が生存戦略的に良いと考える人間が増えてきてしまったのは言うまでもない。
勝ち組やセレブに群がる人々。いつのまにか、そういった生き方が、誰しもの憧れになり、社会の公平化や公正なあり方を議論することが仕事であるはずの、政治家までもがそもそもセレブであったり、セレブの仲間入りをしたかのような振る舞いをあからさまにするようになった。
誰もが権力を志向し、また行使して、カーストの上に立とうとする。それが叶わない人々は、苦々しく思っていても抗おうとしない。自分を守ることで精一杯だ。けれど、この映画における、片足が不自由なジュリアンは、そうではなかった。恐れず、知恵を尽くして立ち向かう。自分が死の淵に立たされるとしても。
人としての誇りある態度は、自分が優秀な人間だとか、必要とされているかとか、そういうことに裏づけされるのではなく、勇気をもって権力に抗うことができるかどうかにある、と、この映画は言っている。あなたはどちらを選ぶのかと。僕は間違いなく後者を選ぶ。たとえ、自分が世の中全ての人から蔑まれても、ジュリアンのように、誇りある人間でありたいと思うから。
親切には勇気がいる
戦争モノは評価が高くなりがち
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