ホワイトバード はじまりのワンダーのレビュー・感想・評価
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心に咲く青い花、世界に羽ばたく白い鳥
映画化を知ったとき、「お、なんていい目の付けどころ!」とわくわくした。そして、監督があのマーク・フォスターと知り、これは間違いなし!と確信。その期待を裏切らないところか、軽々と遥か上を行く、ほんとうに素晴らしい作品だった。
マーク・フォスター監督作品で特に忘れがたいのは、「ネバーランド」。緑の深い森で繋がり合う、孤独な作家と少年の姿が、今も目に焼きついている。
本作は、本編「ワンダー 君は太陽」では親子共々憎たらしいいじめっ子だったジュリアンと、彼の家族の物語。どんないじめっ子も、最初からモンスターではない。読み進めるうちに、人の見え方がダイナミックに反転し、彼を敵視した自分の浅はかさを思い知った。そして、思慮深い祖母に心を奪われた記憶は、思い返すほどに鮮やかだ。
映画版では、少々難ありのジュリアンの親たちは登場させず、祖母の数奇な半生と、祖母との語らいがジュリアンにもたらす変化を丁寧に描いている。
ひたひたと迫るナチスの脅威から目を逸らし、青春を謳歌していたサラは、突然追われる身となり、恐怖のどん底に叩き付けられる。そんな彼女を救ったのは、名前さえ知らず、視界からもはじき出していた、足を引きずるさえない少年だった。
戦争、しかもナチスものでありながら、「ネバーランド」同様に、自然の美しさが印象的。幻想的な青いブルーノの花、きらきらと光る雪のかけら。そしてサラのほつれ毛のやわらかさ。繊細な描写の連なりは、二人の成長をやさしく見守るかのようだ。心から打ち解け、想像の翼で羽ばたく二人の姿に、思わず顔がほこほころんだ。後半、物語は一気に急展開。誤解は解けたもののの、ふとした決断やそれぞれの思惑のすれ違いが、思いもよらぬ結末を招いてしまう。哀愁あるメロディにのって空高く羽ばたく、手描きの小さな白い鳥が切ない。
ヘレン・ミレンの圧巻は言うまでもないが、サラとジュリアンを演じた2人の瑞々しい演技も素晴らしい。ジュリアンの不器用さも、そっと寄り添い見守っていたくなる。さらには、彼らを取り巻く大人たちもそれぞれに魅力的。層の厚いアンサンブルの力にぐいぐい引き込まれ、最後は彼らとともに「人間万歳!」と腕を上げて快哉を叫びたくなった。
子どものころのささやかな出来事は、それからの長い人生の原動力となる。大人ならばかつての思い出をさぐり、子どもならば目の前の日々が愛おしくなるはず。
つくづく、傑作。
どんな行動を取るかの選択は誰にも奪われない
大好きな「ワンダー君は太陽」のスピンオフ。
けれど特に前作を見なくても、話の核やメッセージは捉えられる作品になっていると思う。
ワンダーファンは、前作のようなハートウォーミングなストーリーや展開を期待していたら、少し驚いてしまうかもしれないけれど、元々この時代背景の映画が好きな私は大満足な作品でした。
普通に生活していただけなのに、否応もなく人間狩りの狩られる立場になっていく恐怖はどれほどの恐怖だったか、あの時代のユダヤの人々の気持ちを思うと本当に苦しくなる。
この時代の作品を見るたびに、私がこの時代に生きていたら、どんな行動や判断を取るだろうと考えてしまう。
憎悪や偏見に染まることは容易くて、大多数がそうなる中、優しさや他者を思う気持ちや、自分の身が危うくなっても正義を貫く人間でいられるのか。正直自信がない。
サラが経験した、人生で1番恐怖と悲しみを味わったあの時期でのジュリアン一家の優しさには涙が出た。どれだけ彼女の希望になり光になったか。
優しさとは1番の勇気、優しさは残り続ける、優しさとは何かを心に刻み込まれるような、覚えておかなければならないと思わされる作品だった。
闇や闇では追い払えない。闇は光でしか追い払えない。今世界で闇が襲ってきて助けを求めている人々が、どうか光でその闇が消え去りますように。私もその光を放てる人間になれますように。
この監督らしい構造と語り口が効いている
マーク・フォースター作品はいつも二重構造に彩られている。二つの異なる時代や世界を対比させることもあれば、過去に起きた出来事の余波に生きる主人公を描き出す人間ドラマも多い。その例に漏れず本作も前作『ワンダー』を前提としつつ、現在地において過去の戦争の記憶がゆっくりと紐解かれていく。ナチスの侵略、ユダヤ人迫害など、何度も扱われてきた題材ではあるが、フォースターらしい二重性の皮膜を介することでフィクション上の出来事が単なる昔話でなく、リアルな切実さと温度で伝わってくるのを感じる。その中で本作は、自分以外の守るべき誰かのために命がけで行動することの意義を柔らかくも真摯な目線で訴えかける。そうできてこそ初めて人は人間らしくあることができるのだろうし、その行動は確実に未来へと繋がっていく。これは主人公に再起の力を与える物語でありながら、憎しみの加速する現代に投じられた一羽の鳥の羽ばたきのような作品だ。
人間万歳
カメラワークが秀逸だった
ペーパーウェイトの中の映像から昔の思い出へと変わるシーン
メルニュイの林を映し出す、何気ないフェードイン
妖精の花畑を歩く際の、木々の隙間から差し込む放射線状の光
枯れ木の木立の中を、自転車で登校する姿を遠くから写し出す・・・
最初から一瞬にして、心を鷲づかみにされた
映画の中盤でのノートルダム大聖堂をバックから照らす太陽も幻想的
納屋に隠れて1年後、春の訪れを、1本の大きな桜が早送りで開花するシーンも素敵
エンディングでの小鳥が舞う演出も、この映画の余韻を残す
昔のシーンは、現在との対比でこだわって「35mmフィルム」を使ってたせいか
うっすらとベールに包まれていて、でも、どこか懐かしい雰囲気を醸し出す
あらゆるシーンで、それぞれに合った光を効果的に使い、まるで光の魔術師のよう
映画の大事な場面に散りばめられた珠玉の言葉は、繰り返し心に刻みたい
「人は誰でも心に光を持っている、その光で相手の心を見る
心に光が輝いている限り、その人の勝ち」(光)つながりでの、父親のセリフも
「親切には、どれ程の勇気が必要か」孫に語りかける祖母サラの一言も重みがある
「暗い時代には、小さな行為に人間らしさが出る」と語りかけるビビアンの言葉も
「多くのことは忘れても、人の親切は心に残る 永遠に心に刻まれる」
「憎しみは間違い 残虐さも間違い でも頭で分かってもダメ 実行しないと」
「闇は闇で追い払えない 光だけがそれを成し得る」
「命をなげうってでも不正と闘う人こそが より輝く未来を築ける」
ラストを締めくくるのも、人間賛歌の言葉達
意地悪な同級生ヴァンサンのように、どこまでも残虐な人もいれば
ユダヤ人を救うため守るために、自分の命を投げ出す「守り神」のような人もいる
特に教員達の言動は、見ていて希望の光となった
何回も出てくる「人間万歳」というセリフが、映画全編にわたるテーマなのだろう
サラにとって始めは怖かったコウモリは、実はヴァンサンを追い払う「守り神」
恐れていたオオカミも、危機一髪のところで救ってくれた「守り神」
いつも2階から見張っていた密告者の隣人:ラフルーア夫妻が
実はユダヤ人をかくまう正義の人「守り神」であったのと同じように
行動力と決断に溢れる強くて優しいトゥルトー(ジュリアン)の性格も
あの素晴らしいご両親の賜なのだろう
納屋の車内での2人のシーンは、何度見ても感動する
アフリカのガセル・しまうま・ヒョウ・キリンetc
――――昔、私が旅行で訪れたあの似た光景を思いだ出し、胸が高鳴る
そして映画館から持ち出したフィルムで、映し出されたNYの映像
絶望的状況を、生きる力に変える想像力の素晴らしさと、青春の輝きがそこではじける
納屋から出たメルニュイの林での愛の告白は、狂おしいほどに胸キュン
それとは対照的に「助かって!」との願いもむなしく銃殺されるジュリアンの最後
戦争とナチスの狂気が胸をえぐるけれど、この映画は希望に満ちている
個人的な希望としては、絵の展覧会にトゥルトーの絵が飾ってあって欲しかった
何でも撮れる監督
ユダヤ人迫害の映画は多くある。
実話物語の映画化も多くある。
この映画は実話ものではなく「ワンダー 君は太陽」の
アナザーストーリーとして執筆されたものである。
「ワンダー君は太陽」に関係が無くても
この作品だけで独り立ちしている感動作です。
ユダヤ人のクラスメートを匿う男の子そして家族。
見返りを考えない、正しいこと、人としてしなければならないこと
それを出来る人として誇り高い人生を歩んでいくことを教えてくれました。
このマーク・フォースター監督は「オットーという男」「プーと大人になった僕」のように
しみじみと心に訴えかけるのを撮っていると思えば
「ワールド・ウォーZ」「007慰めの報酬」のように
激しいアクションものも獲っているのでなんでもできる人ですね。
あと余談ですが邦題の“はじまりのワンダー”は絶対いらないですね。
それぞれの心に残る名作
オリジン
ワンダー(2017)でトリーチャーコリンズ症候群の少年オギーをいじめていたジュリアンの後日譚。学校を永久追放されたジュリアンがヘレンミレン演じる祖母に会い、彼女の数奇な過去を知って悔い改めるというスピンオフ映画。ワンダーを書いたのは作家兼グラフィックデザイナーのRJパラシオであり、White Birdはワンダー関連グラフィックノベルの最終章になっている。
とあるレビュー記事にRJパラシオがワンダーを書いたきっかけを述懐したインタビューが載っていた。
彼女が息子たちとアイスクリームを買いに行ったときのこと、顔に障害のある小さな女の子が隣に座った。その顔を見たことで彼女の3歳の息子が泣き出し、パラシオは家族やその小さな女の子に恥をかかせたくなかったので、その場から立ち去った。
『あとになって私は自分の反応の仕方にとても腹を立てました。私がすべきだったのはその少女の方を向いて会話を始め、息子らに何も恐れることはないと示すことだった。しかし結局私はその場を急いで立ち去ってしまったため、その状況を子供らへの教訓に変える機会を逃してしまった。そしてそのことで、どう向き合えばいいのか分からない世界と毎日向き合わなければならないとはどういうことだろう、と深く考えるようになった』
パラシオが言っているのは、人の悪意や無知のことだ。ワンダーはヒューマンな温かみを感じる話になっているが、ちがう顔をもって生まれてきて、そのことで誰かに攻撃される。あるいは今作であれば、人種がちがうというだけで、誰かからころされる。そんなとき、いったいどうしたらいいのか。
つまり『どう向き合えばいいのか分からない世界と毎日向き合わなければならないとはどういうことだろう』が創作の根底にある。
当然、それは怒りでもあったはずだが作家の特徴でワンダーもホワイトバードも対立方向へ持っていくことなく、あくまでヒューマンな丸みへ帰結させるのはさすがだと思う。がんらいワンダーは青少年向けのグラフィックノベルゆえ、ある程度の予定調和になっているのを批判する気はまったくない。
ただ、現実とパラシオの世界観を比較すると、わたしたちはこれほどまでに寛容にはなれない、という気分はある。
おりしも参院選(2025)で誰かの街頭演説を輩達が妨害しているのを見て、たとえそれが不賛成政党への妨害であっても、こんな輩しんでしまえばいいのに、と思う。じぶんは狭量なだけなのかもしれないが、つねに悪い奴はいなくなってもらわなければ困るという立地をとりたい。悪い奴を風教によって作り直すなんて無駄で、犯罪のニュースに「こんなやつ○○しちまえ」と独りごちるのは毎度だが、概して違わない処罰感情を多数の庶民がもっているはずだとは思う。
そんな現実的世界からみるとワンダーもホワイトバードも我慢強く寛容で予定調和する世界だと思うが、むろんそれは悪手ではなく徳育の効能を担っていると思う。
この映画は顔がいい。ポリオで片足が麻痺した少年役Orlando Schwerdtは、朴訥で正直そうな印象が強く、若き日の祖母役Ariella Glaserも天真爛漫な印象がある。
かつてワンダーのレビューに『オギーの顔の造形もどっちかといえば可愛いのです。醜を扱うために徹底的に醜を排除している──その「巧さ」』と書いたが、現実と創作はやはり違う。じぶんはワンダーが偏見をもつなと言っているわりには美しい人間ばかりがでてくる、と皮肉っぽく指摘したのだが、それがダメだと言っているのではなく、登場人物をいい顔にしておくのは、観衆の感興のために、徳育や博愛を訴えるために重要なことだと思っている。
心に光が有れば相手の心が闇に包まれていても照らし出せる
「ワンダー 君は太陽」という映画のアナザーストーリー映画なんだけれど、そちらは観ていません。
スピンオフの位置付けになる映画なのでしょう。
文句無しに素晴らしい映画でした。
特に主役のサラ役のヘレン・ミレン(老サラ)とアリソン・グレイザー(少女サラ)の演技が良かった。
物語の構造は全く違うのだけれど、エピソードのそこかしこに何故か「タイタニック」を思い出しました。
「闇を払うのは闇ではなく光」だとか何とかのキング牧師の言葉と、サラの父の「心に光が有れば、相手の心が闇に包まれていても照らし出せる」だか何だかの言葉が心に染みました(染みた割にはちゃんと覚えていないけれど)。
フランス人が終始一貫して英語を喋るのはいつものハリウッド映画だけれど、色々と考えさせられる映画であったかな。
良過ぎた…不意打ちで立てない
物語の持つ力と映像の持つ力のすべてを見せつけられてしまった。
なんでもっと早く観なかったのだろう?
まだ観てないなら今すぐ観に行くべきだし
全人類が観るべき映画がここにある。
かの戦争が終わってちょうど80年だけど
世界は何ひとつ変わっちゃいないな。
優しさと残酷さ、正義と非道、
差別と包容、対立と連帯、利他と利己、
立場の違いが生む真反対の価値観。
自分には出来るだろうか?
自分ならどう振る舞うだろうか?
狼に食われる方に行きがちな世界に
本当の勇気とは何かを問われているよう。
どれだけ言葉を重ねても
この映画の持つ圧倒的な映像美や臨場感は
何ひとつ伝わらないのでぜひ映画館でご覧ください。
スマホやモニタで見る一時停止可能な映画は
たぶん映画に似た何かであって本物の映画体験ではありません。
それではハバナイスムービー!
フランス人の英語
危なく見逃すところでした
本作はポスターの雰囲気と「ワンダー君は太陽」の番外編との情報から、現代の学校のいじめ問題を題材にした作品だと思い込み、当初観る予定に入っていなかったのですが、他にこれといった作品がないので鑑賞することにした作品です。
それで鑑賞してみたところ、想像とはまるで違う内容にびっくり。ここ最近では希に見る良作で大変感動させていただきました。ストーリーは勿論ですが役者の皆さんとても良かったです。その中でも特に良かったのは回想シーンにおけるメインのお二人で、とても愛らしく本当にハマり役だと思いました。
お正月早々こういった作品に出会えて良かったです。危なく見逃すところでした。今年は本作のような作品に沢山出会えることを願います。
命をかけて人を助ける強い優しさ
2024年12月公開の映画ですが2025年1月公開終了間近に駆け込み鑑賞
ポスターと「ワンダー君は太陽」のアナザーストーリーの知識だけ
ワンダーのいじめっ子に祖母が語る自分の昔話
蓋を開けばナチスによるユダヤ人迫害から逃れ隠れる少女時代の祖母と彼女を匿う少年の話
これは心して観ないといけないヘビーな映画か、、などと思いながら観てましたが予想に反して迫害の恐怖がメインではなく、2人の友情と人を助ける勇気の話
ナチスのヨーロッパ侵攻した80年前の出来事
人間が他者を土地を侵略する戦争
今だ悲惨な戦争を終わせる事のできない人間
涙無くしては観れない感動的で美しい反戦映画
人が人を平気で殺す闇の世界を救うのは人の中にある光
村にある古代林のミステリアスな美しさ
命がけで人を助ける人達の美しく強い光に涙しました
彼女の父や学校の先生
心に留めておきたい名台詞がいくつも出て来てもう一度観ておきたい映画でした
2025年3本目にして年間ベストに入れたい作品に出会いました
2025-N3
ジュリアンの名前の由来
ホワイトバード
ナチスに追われたユダヤ人少女を守り抜いた、気高き少年騎士とその家族の戦いの記録。
『ワンダー 君は太陽』は未見。
とにかく、ポスターのヒロインが可愛いという「だけ」の理由で鑑賞。
総じてとても面白かったけど、若干、細部にはひっかかりもあったかな。
『ワンダー』のほうは、たぶん観ていなくても、ほとんどのパートが前作とは関連のない話なので、あんまり問題はなかったような。
ナチス傀儡のヴィシー政権下のフランスで、ユダヤ人の少女が納屋に匿われる『アンネの日記』のような話なのだが、基本的に匿う側がすがすがしいまでの「善意」に満ちた家族で、そこは最後まで一貫していて、サスペンスが「ない」というのが、逆に珍しいタイプの物語だった。
今年、やはりフランスが舞台のホロコーストもので、ヴィシー政権下の農村部でユダヤ人を匿う話を観たけど、あれはなんだったっけと記憶をたどったら、クロード・ルルーシュ版の『レ・ミゼラブル』(95)だった。あれは匿ってくれていた家族に「裏切られる」話だったが、神父様の経営する学校によってヒロインがユダヤ人狩りから守られる展開はまったく一緒で、もしかすると「同じフランスの学校」がモデルになっているのかもしれない。
前半のあたりはちょっと眠たくなる部分もあったが、学校にナチスが抜き打ちユダヤ人狩りに押しかけてきてからは、手に汗握る展開が待っていた。
そのあと、好きな女子を守って戦う少年の話に入ってからは、初期宮崎アニメ(『コナン』『カリオストロ』『ラピュタ』)の好きな僕のようなオッサンには、まさにこたえられない展開だった。結論からいえば、ラストまでどきどきわくわくしながら観ることができた。
映画のなかで動いているヒロインの少女は、ポスターよりは垢抜けない感じで、田舎娘ぽくはあったが、やはり可愛くて思わず守ってあげたくなるタイプ。
むしろ、ユダヤ人だからって急にバカにできる感覚が僕にはわからない(僕はルッキズムの奴隷なので、顔さえよければ人種も出身も性格もほぼ関係なくなんでも応援しますw)
対する過去篇のジュリアンも、歩くのこそ難儀しているが、秀才で、美形で、性格がよく、決して自分からは女に手を出したりしない究極のナイスガイで、これでくっつかなかったらウソみたいなくらいのグッドルッキング・カップル。
ただ、なんとなく違和感を感じた部分として、果たして『ワンダー』のスピンオフとして、このノリで問題なかったのかな? という疑念はうっすらあった。
『ワンダー』は(よく知らないけど)それこそルッキズムに一石を投じる話だったっぽいのに、スピンオフの本作で明らかな「美少女」「美少年」の物語にしてしまってよかったのかな、と。
もちろんその代わりに、今回は「ユダヤ人」と「障碍者」という、ナチスによって迫害される二大要素を持ったヒロイン/ヒーローだったわけだが、明らかにこの役者さん二人を主役に抜擢した場合、両名の見た目が「可愛らしい」から観客が自然と応援してしまう部分は否めない。それで本当によかったのかな?
それから、「いじめっ子」だったジュリアンのその後を描くことで、『ワンダー』の物語を完結させる意図があったと原作者自身が主張しているわりに、じゃああの少年兵ヴィンセントのおぞましい最期は、あんな終わらせ方で良かったんかい? ってのはすごく思った。
人まで死なせちゃったら、もう救いがないよって話なんだろうか。
主人公がただただひどい目に遭うだけのよくあるホロコースト話だったら、なんの引っかかりもなく観られる勧善懲悪の展開なんだけど、人の善意の大切さを問う物語――「現代のほうのジュリアンのその後を描いて、改心までさせて救済する」のが目的の話で、新しく出てきたいじめっ子が、闇落ちして、ろくでなしぶりを悪化させて、なんの反省もないまま最後まで悪行を積み重ねて、罰のように狼に食われておしまいって、なんかえらくイヤな対比だなあ、と。
それと最近、リドリー・スコットの『ハウス・オブ・グッチ』やマイケル・マンの『フェラーリ』など、古参監督が「ヨーロッパを舞台に英語で映画を撮る」ケースはあるが、若手監督の映画で、現地の言葉を使わずに英語で撮るケースは減っているので、まあまあ珍しいと思った。出演者ももっぱら英米豪の英語圏からキャスティングしているし、必ずしもユダヤ人ではない人間にもユダヤ人を演じさせている。
僕自身はそこまで気にしないが、リベラル寄りの作品のスタンスを考えると、エクスキューズなしで英語の映画として撮っていることに、とやかく言う人もいそうな気がする。
あと細かい不満ばかり言い募って、感じが悪いのは承知のうえなのだが……
●サラが学校から命からがら逃げ出したあと、どうやってジュリアンがサラを見つけ出せたのかは、ちょっとわからなかった。あと、軍が犬を使っているのにサラが逃げ切れた理由とか、ジュリアンはあの足でサラの隠れている階まで音を立てずに上がれたのかとか、雪の中でジュリアンの足跡はかなり目立つのではとか、前に親と潜ったからって下水施設を通って迷わずに家まで帰れるものなのかとか、いろいろ考えたけど、あまり深く考えないほうがいいのかもしれない。
●近くに密告者がいるといって警戒しているわりには、毎日毎日納屋に通って、そこそこ大きな声で談笑し、ライトを点けて壁にできる影の動きにも無頓着で、あげくに歌ったり踊ったりしていて、まあまあ恐れ知らずな連中だなと思ったが、途中からもう気にしないことにした。
●そうしたら比較的さらっとナレーションで「1年が経った」とか言ってたけど、幽閉状態に対する拘禁反応とか、ずっと閉じ込められていることで生じる身体的影響とかをまるで感じさせない、単なる穏やかな避難所生活のように描かれていて、さすがに若干描写が軽いかなあと。「女の子が1年間、風呂も入れず、トイレもないような納屋で、一度たりとも外に出ることを許されないまま暮らす」のって、結構なストレスだと思うんだけどね。
●あと、これだけ献身的かつ全身全霊の庇護を一方的に受けておきながら、サラのほうにあんまり申し訳なさそうな描写がないことも、ちょっと気になった。心の底からの感謝を三人に示すシーンとか、あまりの幸運に感極まって泣き暮れるシーンとか、いろいろしてもらえていることへの返礼として、何かしらの労働や内職で報いようとする姿勢とか、将来的な恩返しについての言及とか、そういうのがほとんど出てこないのって、どうなんだろう。
ボーミエ家の人たちはもちろん、別段何の見返りも求めてなんかいないのだろうが、サラのほうに「御恩」に対するリアクションが薄いのがどうにもひっかかる。
●で、サラの誕生日にボーミエ一家が総出で祝ってくれるのだが、「隣の夫婦には牛乳に入れて睡眠薬を盛ったから心配しなくても大丈夫」みたいなことを言っている。おいおい、そんなことしてええんかいな(笑)。しかも後からわかる事実から考えると、隣家の夫婦が寝こけているあいだ、匿われていたラビはどうなっていたのだろう? 結果的に彼らをかなり危険な目に遭わせていたことになるのでは?
●ナチスの青年隊に入ってレジスタンスと銃の撃ち合いをしている青年たちが、コウモリが怖くて逃げだす展開には、若干無理があるような気がする。ノリがそこだけ書き飛ばしのチープな少年向け小説みたいなんだよね。あのあと、ナチス青年隊の連中が報復に来ない理由もよくわからないし、学校でジュリアンが復讐されない理由もわからない。
●サラをヴィンセントがついに見つけ出して、森に追いつめるシーンも、途中からのモンタージュで結末がどうなるかはたいてい推測できるんだけど、さすがにそんな御伽噺みたいな展開でいいのかな、と、個人的にはちょっと引いてしまった。
●終盤のあの流れで「ジュリアンの死体が見つからない」理由もよくわからない。
軍が収容してどこかに持って行ったってこと? お母さんの目の前で撃たれていて、倒れた場所はかなり明確だった気がするけど……。
総じて、重たいテーマを扱っているわりに、若干リアリティを欠くというか、映画というよりは「テレビドラマでも見ているような」軽さと安易さが目立つ気がするんだよね。
好きなジャンルで、好きなタイプの物語だっただけに、どこか子供だましっぽいテイストがあちこちでひっかかるというか。
それと、前作の『ワンダー』を観ていないからそう思うんだろうけど、前後に挿入されている「今のジュリアン」と「今のサラおばあちゃん」の話は、あんまりピンとこない。
これがあることで、映画として面白くなっているかといわれると、たんに邪魔をしているようにしか思えない。
だいたい、転校先で煮詰まっている孫に、この話を一晩語って聞かせただけで、劇的に改心して生まれ変わったりするものだろうか。おばあちゃんが受けた善意の話を自分なりに消化して、自分が過去に成した凄絶ないじめを悔いて、真の反省を経たうえで新たな価値観のもとに新しい一歩を踏み出すまでには、けっこうな段階を踏まないといけない気がするんだけど。
そもそも、なんでこの話をおばあちゃんは一度もしたことがなかったの? 後ろめたかったり、知られると困るような話だったら別だが、ぜんぜん孫に語り聞かせて問題のない「良い話」だよね? どうやら古いほうのジュリアンが孫の名前の由来になっていることを考えると、むしろ「もっと昔にちゃんと伝えておかないといけない」話なのでは?
で、改心したジュリアンがやることというのが、「ワシントンDCまで行進する」と宣言して、校内でビラを配っている政治的な学生活動サークルに入ることってのも、ええええ? なんだかなあ、といった感じ。
それなの? やること? マジで??
もっと身近なところ――人に親切にすることや、なにかのボランティアをやることから始めるのが筋じゃないのか? あるいは、まずは前作で行った自分の悪行を自分なりに総括するところから入るべきじゃないのか?
最後のおばあちゃんのやたら政治的な演説も含めて、せっかく「個の物語」として説得力をもって提供してきた重みのある話を、最後はリベラリズムの宣伝ビラみたいな内容につなげちゃってる印象。なんだかお里が知れる感じで、個人的にはとてももったいない気がした。
ラスト、街の上を飛んでいくCGの白い鳥が、なんだか「張り子」のような作品の象徴みたいに思えてねえ……。
最初に書いたとおり、自分にとって、少年が全力で少女を助けるボーイ・ミーツ・ガールものはそもそも大好物だし、主演の二人は文句なしに応援できるキャラクターだし、満天の星空のもとブルーベルの咲き誇る森でジュリアンが告白するシーンの美しさと言葉の真摯さには心底感動したし、二人を助けようとする善意の家族や隣人に対しても全幅の共感を持って観られるような映画なだけに、もっと「本格的に」そういう映画としてちゃんと仕上げてくれていれば、もっとこっちだってハマれたのにと、残念に思う。
あと、往年のハリウッド女優のような風格でヴィヴィアンを演じている女性が、『Xファイル』のスカリー捜査官だったことを、観てからパンフで知ってびっくり。
ヘレン・ミレンも、僕が『第一容疑者』にはまって観ていたころから考えると、ずいぶんと歳を寄せた。
最後に悪口を書きすぎた反省に、ひとつ、心から感動したシーンを書いておく。
ジュリアンが尾行されたせいで危機が訪れたとき、ボコボコにされたジュリアンを心配してロフトから降りてきたサラに対して、ジュリアンが怒鳴り散らすシーン。
あそこには、間違いなく「真実」があった。
サラを心から心配する、胸を締め付けるような不安。
自分のやらかしを許せない、強烈な自罰感情。
いざというときに自分の身体ではサラを守れないという虚無的な無力感。
自分たちの家族の犯している危険の大きさを、サラに理解してほしいという切実な想い。
それでも絶対にサラを守り抜くという「騎士」としての誇りと決意。
あれは、複雑なジュリアンの想いがあふれた名シーンだったと思う。
なんにせよ、若き二人の俳優の未来に道が開けることを心から祈りたい。
咲き続けるBlue Bell
虐めの加害者で退学となった孫に、自身の過去の出来事を話しながら人に優しくすることの大切さを問うおばあさんの物語。
2024年最終鑑賞作品!!ホントあっと言う間だ…。
全体を通し、ファンタジックで心温まるドラマ作品。
戦時中のフランス。ユダヤ人であるサラはナチスから追われるが、虐められていたジュリアンが匿ってくれて…。
ユダヤ人を助ければ自身もどうなるか分からない、という危険がありつつもサラを守るジュリアン。私があなたの立場だったら…確かにまぁそうでしょうね。
隣に何年も座っていながら名前も覚えていなかった彼と心を通わせていく様には、哀しくも心が温かくなる。ジュリアンも足が悪い中、命懸けで彼女を守ってくれる姿にジ〜ンときた。そして青い花畑のシーンは思わず涙。
時は経ち、ナチスの蛮行も激しさを増す中、いよいよ事が動き出す。それでも、守ってくれたのはジュリアンだけでなく…ここには涙がブワッと溢れてきた。
話は現代に還り、孫のジュリアンの行動にも変化が訪れ…サラの心のブルーベルは、これからも時を越え咲き続けることでしょう。
人に親切にすることは大事…当たり前のことのように言うけど、普段本当に皆それはできていますでしょうか?
ワタクシなんかは、正直最近は親切さを見せたが最後、相手にいいように利用されるに決まってる…なんて思うようになってしまいましたが、子どものジュリアンでも命懸けで人を守っていたと訳で。
今年の最後の最後に、年内トップクラスの名作と出逢ってしまった感じ。しっかり泣かせてもらいました。明日からも、勇気は要るけど人に優しくする心を持っていきたい、そんなふうに思わされた作品だった。
さてさて、今年は忙しくなって映画を観る本数がグッと減ってしまいましたが、見逃した作品の中にも本作のような名作があったんだろうなぁ。。
2025年は沢山観たいものを観て、本作のように良き涙を流せる作品とまた出逢いたいですね!
いつか我が子に観せたい。
正しく生きること
ワンダーが好きだったのでこちらも楽しみにしていてようやく鑑賞。
いじめっ子のジュリアンの話かと思いきやジュリアン違いでしたが、素敵なお話でした。
映画では良い人、素敵な人は幸せな終わり方でいてほしいと思ってしまうのですが、
現実も含めてそんなに都合良くはいかないですね。
正しい終わり方なんてないし、人生の終わりはどんな人も唐突でどんな形でも理不尽で、
どうにかそこまでに正しかったと言えるように努力していくしかないんだなと思いました。
祖母の話だけで良い人に変われるならもっときっかけはあるんじゃないかとも思いましたが、人生の起点なんてそんなものなのかもなとも思ったり。
行き詰まって変わりたいと思えてさえいればきっかけなんて些細なものなのかもしれない。
ちょっと作品の主題とはずれてしまいましたが、鑑賞後の率直な感想はそんな感じでした。
あとはお決まりの人種差別や反戦などありきたりなテーマについては、もちろんの感想ですが、ユダヤ人差別に関しては少し理解が深まって勉強になりました。
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