「自分が安楽死を導入すべきと思っているからなのか」PLAN 75 森林熊さんの映画レビュー(感想・評価)
自分が安楽死を導入すべきと思っているからなのか
ちょっと主人公に感情移入出来ない。主張が無いので全然気持ちが伝わって来ないのだ。死を強制することは間違っているし、暗黙の了解として75歳過ぎたら死ぬべきというのも間違っている。だが、死を救いだと思っている人がいるからこそ自殺もあるのだ。生きたいと願うのは自由だし、本来それを邪魔される謂れは無い。無言の圧力になるというこの制度の問題点はそこにある。
しかし、後期高齢者と区分される75歳ともなれば個人差こそあれ身体的にあらゆる部分にガタが来る。そして75歳で10人に1人が認知症、80歳過ぎれば4人に1人と激増するのだ。つまり75歳というタイミングは自分で自分のための客観的な判断が出来るラインとして見なすことが出来る。レカネマブなんて薬も出たが、認知症の進行抑制を期待できる効果があるとされるだけで発症したら手遅れ。認知症にも程度はあるが、記憶が定着しない、トイレが出来ない、自分が自分で無くなる、家族の顔さえ忘れてしまう。そんな状況になったら、自分は正直生きていたくない。それはそんな自分の姿を家族に見せなくないという思いもあるし、もし孤独ならば老後の楽しみも無いだろう。
高齢者に関わらず、不治の病であるALSなどのことも考えれば本当に現実で安楽死を導入する話し合いを一刻も早く始めて欲しい。まだまだ元気で生きられる、生きがいがある、そんな人たちは長生きするべきだ。どんな状態になったとしても家族で支えてあげたいというのは、すばらしい心だし自分も親を出来る限り支えたいとは思う。だが、本人が選択して死を選ぶというならば説得こそすれ、翻意出来なければ見送るだろう。本人の意思を無視してまで胃ろうさせて延命治療する今の日本は正直異常である。それこそ個人の尊厳を無視しているのだ。
今はこんなことを言っている自分でも、いざ75歳となったら翻意するかも知れない。だが、もうダメだ、生きていることに希望を持てないという時にこの選択肢はあるべきだと思う。ガンになった人が苦しい治療はもう嫌だと言えば、無理に治療することは無い。そのように安楽死も選択肢の一つになればいいと、自分はこの映画を見て改めて感じた。