「観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 人を“恋する”ことの本質を理解する迄の一人の男の魂の彷徨の物語。」苦い涙 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 人を“恋する”ことの本質を理解する迄の一人の男の魂の彷徨の物語。
①ファンスビター監督の映画で観たことがあるのは正にゲイの監督しか撮れないなぁ、としか言えない『ケレル』のみ。
本作のピーターはファンスビター監督の自画像なのだろうか(前知識も後知識もないので自分の感想のみですが)。
②ファンスビター監督へのオマージュとして本作を演出した(?)フランソワ・オゾン監督もゲイだけどアプローチの仕方は大分違うと思う。
オゾン監督は本作のピーターに自分を投影するのではなくて、かなり客観的・理性的に演出している。だから独りよがりにならずに此処まで感動的な映画になったのだと思う。
③叶わないからこそわかる“恋”のつらさ、成就しないからこそわかる“恋”の苦さ、遠くから眺めるしかないからこそわかる“恋”というものの本質。
片想いこそ本当の恋というけれど、映画の中でピーターは「私はアミールを愛してはいなかった。所有したかっただけだ」と言ったが、勿論愛していたことは間違いない。
ただ、悲しいかな人間は人を好きになると愛すると自分一人の物にしたくなる。一緒にいたくなる。自分だけを見ていて欲しくなる。見返りが欲しくなる。
“恋”“愛”という感情がいつしか所有欲・独占欲との境目を失くしていく。それを愛だと勘違いしていく。
でも人は勿論何かの所有物ではないし、自分の意思と人生を持っているし、必ずしもこちらに靡いてくれるとは限らない。
結局は、自分がただ一筋に相手を想う気持ちだけが純粋に結晶化された“恋”“愛”と云うものだと気付くしかないのだが、そこに至るまでの苦しみ・つらさから来るジタバタ・ドタバタを、ドュニ・メノーシェは絶妙に演じて見せる。
本人は切なくて辛くて苦しくて堪らないのに端から見ればどこか可笑しい。
熊のような身体をしながらその青い目の可愛いこと。
また、そのジタバタ・ドタバタを下卑たコメディに堕とさないオゾンの演出の匙加減。
④ただ、そこまで行っても悟らないのが人間の愚かなところ。
また、自分の気持ちにやっと向き合えた割りには他人の気持ちがわからない身勝手さ。
今まで陰日向なく支えてくれたカールに慰めを求めるも、「なめんなよ」と唾を吐きかけられて愛想をつかされる体たらく。
⑤如何にも大女優然として登場するイザベル・アジャー二、ファンズビター映画のミューズだったハンナ・シグラ、二人が演じるシドニーとローズマリーは大人の女たちだから、恋の苦しみにのたうち回るピーターをあやし叱咤し気持ちの整理をつけさせる。
ぶざまな“恋愛”を描かせても、やはりフランス映画は“大人”だなぁ。