コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話のレビュー・感想・評価
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ジェーンが目指していたこと
アボーション(abortion)/人工妊娠中絶、今秋実施されるアメリカ大統領選挙においても大きな争点の一つとなることもあり、この作品に対しては勉強の意味も込めて大いに期待しておりました。で、鑑賞後の感想ですが、悪い作品ではないものの残念ながらやや期待外れな印象です。
上映時間こそ121分ありますが、総じて大した困難もなく案外トントン拍子で進む展開に深みは感じられません。勿論、この問題に様々な障壁があることは解ります。しかしながら、物語上における紆余曲折は主にジョイ(エリザベス・パンクス)の体験と葛藤が中心。そしてそのジョイの「決意の行動」も若干迂闊に過ぎるため、序盤こそハラハラしますが結局その繰り返しなだけ。作品に必ずしもカタルシスが必要とは思いませんが、思いのほか観終わって余韻は残りません。
そして、ジェンダーやジェネレーションの違いは当然として、多様な意見を取り入れている様子を表す意図で「ジェーン」のメンバーに聖職者(修道女)や異人種(アフリカンアメリカン)を配置しているのが、単に記号的でその立場として意見をいう存在にしか見えず、反って有りがちな手法で安易に感じます。
また、支持政党や選挙の結果などを敢えてセリフに入れ込むことで、結果的に作品をプロパガンダに利用しているように見えてしまいことにも白けます。勿論、作品の時代感から言えばその構図も今より判りやすかったとは思いますが、現代ではそれほどに単純ではないはず。むしろ、それを政治や選挙にだけ結びつけてしまうことによって政治利用され、「トップが変われば政策が変わる」ということさえ起りえます。果たして、それはジェーンが目指していたことなのか?政治は手段か目的か?
自分でもややケチを付けすぎかなとも思いますが、事実がもとになっているだけに、下手な演出に思えてやや鼻についてしまいました。悪しからず。
肝心なところがない
2024年劇場鑑賞68本目。
中絶が悪とされていた50年前ほどのアメリカで闇中絶していた実話。
中絶してもらった主人公が中絶する側になる話なのですが、終盤からエピローグにかけて裁判があったらしいのですがそこがスポーンと抜けていまして、法廷劇が好きな自分としては一番肝心な所カットしやがってという感想です。
綺麗ごとだけじゃなくて、 いろいろとさらけ出して作っていて、 その...
綺麗ごとだけじゃなくて、
いろいろとさらけ出して作っていて、
その辺すごく良いと思う
このぐらい無謀感あるくらいの勢いがないと、
物事変わっていくのは難しいんでしょうね
映画としてもストーリーも良かったです
シリアスなテーマを軽めにしたのが良かった。
1968年、シカゴが舞台の実話をもとにした社会派ドラマです。
人工中絶が法律でほぼ認められていなかった時代。
裕福な主婦ジョイは妊娠中に心臓の病気の為、中絶を選択せざるを得ない状況に遭遇する。
違法だが安全な中絶手術を提供するグループと出合い中絶を必要とする人の為に協力をし、徐々に女性の理不尽な状況に目覚めて行動し・・・・。
かなりシリアスなテーマですが演出や音楽のおかげで楽しめる作品になってます。
おススメ度は普通のやや上。女性だけでなく男性にも見てほしい作品でした。
「掻爬」(そうは)という言葉はご存じでしょうか?
掻と爬の二文字とも「掻き出す」という意味の漢字です。
中絶の時の手術の方法でした。
ある映像で、エコーを使っての掻爬の場面を見たことがあります。文字通り、胎児を掻き出す作業です。金属の道具で掻き出すわけですから、肉はちぎれ母体にも傷をつけます。(幸い?)画像は見にくかったので、解説がなければ何をしているのか全くわからない状態でした。
現在は方法も改善はされているでしょうが、中絶の手術というのは本質的にはそんなものです。
そのことをよく知った上で、この映画を見て欲しいと思います。
中絶をする権利は、この映画のような多くの人々の闘いの結果、勝ち取ったものです。その権利が、アメリカでは奪われつつあるとも聞きました。
矛盾した2つのことを書きました。
両方のことをよく知ったうえで、(あるいは見た後に調べてでもかまいません)見て欲しい映画です。
あ、セルピコが、、、
リアルミッションインポシブル、
静かな作品だ。
なぜ静かなのか。
違法活動を水面下で、
続けるひとたちの話しだから。
なぜ違法活動を。
ひとを救う為の法律が、
反対に、
その法律に追い込まれたり、
絶望するひとたちが多いから。
警察は動かないの。
警察も来る。
フランク・セルピコのような、
風貌の警官。
当時NYPDに勤務していたセルピコは、
知っていた可能性はある。
そんな静かな活動を、
静かに描いた作品。
まさに、
リアルなミッションインポシブル。
反戦運動も声だけで表現していた。
合法でも安全でもないが、やるしかなかった
非合法時代の妊娠中絶という点では、国は違いますが「あのこと」という近年の作品もありました。
「あのこと」は施術の困難と、痛みを観客にも感じさせる作品でしたが、この作品は痛み(心のではなく体の)を感じさせることは目論見ではなかったようで、だいぶ角度が違いました。
まず序盤での医師たちの女性を人とも思わないような扱い。夫の発言だけしか相手にせず、妊婦には話しかけることすらしない。
妊娠が原因で母親が死んでも知りません、中絶はできません、しかし妊婦の前で煙草は吸いますという人たち。
これは医師に限らず、母体の安全のためだとしても妊娠中絶という選択肢を与えようとしない制度や社会、当時の多数派=無関心な人々の通念を端的に表したシーンだと思いました。
このシーンではっきりわかるとは、資格を持った医師に施術してもらうのは極度に困難ということです。
「資格を持っていない人がやるのはどうか」「これがいい話なの?」などというコメントが複数みられますが、正しくなくても安全でなくてもやるしかなかったのだというのが、この映画に描かれていることです。
間違っているのは、彼女たちをそんなことをしなくてはならないところに追い込んでいる法律や社会の方でしょう。モヤモヤするべきところはそこですよね。
その法律が変わるまでの話でもあります。(また元に戻りかけてますが……)
おそらくあえて暗くなりすぎないように描いているとは思うのですが、主人公の夫のキャラは、男性も「正しさ」で切り捨てて終わる人ばかりではないという、わずかな希望としてもあると思います。終盤で彼が行ったことには少し驚きました。
シガニー・ウィーバーがまだまだ魅力的でした。
それと、基本的な知識として1960年代末のことを知っておくのは大事だろうと思います。
彼女たちの「連帯」が生まれ得たのも、あの時代の空気が多かれ少なかれ関係しているでしょう。
女性の権利の話です。
気になっていたテーマなので見てみました。
1960年代終わりの違法な人口中絶をしていた女性グループの実話をもとにした話です。
主人公が金持ちで、望まぬ妊娠でもなく母体保護のための堕胎でさえ許可が降りない状況から世の中の女性の見えない差別に気付き、組織の活動にのめり込んで行く流れがなかなか上手いなと思った。
より多くの女性を助けるために値下げの努力、勉強をしていく。かなり多くの女性が切羽詰まった状況だったのだろうなぁ、、そして時代が彼女達に追いついていく、、、と、女性の権利にフォーカスして話は進むが暗部はあまり描かれてない所が惜しい気もする。
最近アメリカではまた中絶禁止の声が高まっているらしいが、中絶が違法だとしたら代わりに社会の受け皿が完備される必要があるはずだ。貧困や格差がこれだけ開いた状況で(日本もね)何言ってんだ的な気はするし倫理的な問題は残るが、産む女性に選択権が全くないのは確かにおかしい。
理想主義的価値観とリアリズムのせめぎ合い
60年代後半から70年代前半にかけて、当時の法律に反して、アングラな組織として人工中絶を実施していた実在の組織、「ジェーン」を題材にした社会派ドラマ。
本作の冒頭でまず目を見張るのは、60年代後半を意識した、当時を再現したかのようなざらつきのあるノイジーな映像表現と、レトロモダンなファッション、そして当時の音楽の数々だ。
重いテーマを題材にしながらも、当時の時代の気運を反映つつ、ポップでおしゃれな作りとなっており見やすい内容だった。
本作の主題である人工中絶について、現在アメリカの複数の州で再び禁止となっているとのこと。この実情を鑑みれば、本作がその反対の立場からのプロパガンダ映画であることは明らかだ。一方で、それが故に、改めて「女性の権利」としての人工中絶の是非について考えさせられる内容だった。
時代背景を考えれば、避妊薬や性教育などが一般化する以前、人工中絶は、女性にとって今よりもより切実な(よりリアルな)社会的課題であったことは想像に難くない。作中でも、20歳前後の依頼者が、妊娠する仕組みもよく分からず、何が何だか分からないと語っていたシーンが印象的だった。
そして、非合法な手段を駆使しながらも、病的な理由、性暴力などの理由、経済的な理由、そして情報弱者として弱い立場にある女性に対して、人工中絶を支え続けたシガニー・ウィーバー扮する「ジェーン」のリーダー、バージニアは、この時代を象徴するリアリストの活動家だ。一方で、それらの医療行為は、決して望ましい姿では無かった。
本作のテーマである人工中絶について、60年代後半~70年代前半のアメリカという時代背景を考えれば、かつての「 白人 男性 至上主義 」の価値観から、現実社会がどんどん乖離し始めてきた時代ではなかっただろうか。公民権運動や女性解放運動もそれらの事例の一つだろう。こうした全体の流れの中で、女性の社会進出や権利が叫ばれ、1973年に人工中絶が事実上の合法化に至ったのだろう。
さて、これらを踏まえて目線を現在の日本に向けてみると、外科手術よりも比較的安全で、世界的に主流となっている「 経口中絶薬 」の初承認が、なんと昨年5月と驚きの事実。これは、先進諸外国と比べて30年ほど遅れており、G7で見れば唯一日本のみが未承認であったそうな。加えて、避妊薬として低用量ピルが承認されたのは1999年と、アメリカに遅れること約40年。フターピルの承認はさらに遅れること10年。
倫理観や価値観、そして前提となる法規制などは国それぞれと思いながらも、この話のオチとしては、低容量ピルは国内で可能性が議論されてから承認に至るまでに40年~50年ほどかかっているのに対して、バイアグラについては、過去に例を見ない異例の速さで国内の承認に至っているという事実だ。
日本はまともな国だと誰もが考えていながらも、諸外国と比較すると、無意識にも「女性の権利」を尊重出来ていない「ガラパゴス化」した国になってしまっていないだろうかと、ふと考えてしまった。
「時代」という大きな船が進路変更に舵を切るには時間がかかる
とても重たいテーマでした。
その割に淡々と時が過ぎていきがちかな、本当はもっとドロドロした部分はあったのではないかと邪推してしまいます。
マフィアとのやり取りとか、金にまつわるグループ内でのいざこざとか、主人公の夫婦間・母娘間・隣人との関係、警察の絡み具合などなど……
そこが描かれていたらもっと見ごたえのある作品になったのではないでしょうか。
「カラーパープル」からもう少し後のアメリカ、それでも今と比べれば男女間の立場の格差は歴然、そして妊婦の前で平然と煙草の煙をくゆらす医療関係のお偉いさまども!この馬鹿ちんが!と、今なら声を大にして叫べるところですがねぇ。
辛い思いをしてきた人々の声、最初は小さな声でも積り重なって大きな潮流になる、だけどそれは巨大な船が瞬時に進路変更ができないのと同じで、ゆっくりと見た目にはわからないけれどいつの間にか方向を変えていた、みたいになるのでしょうね。
それにしても判決を下したのは保守的な共和党のニクソン政権時代だったというのは、歴史に疎いワタシにはなんだか不思議に感じました。
画像的には1960年代の無駄にデカいアメ車から1973年の判決の時にはヒッピースタイルに移り変わっているカルチャーが観られて、そこは面白かったなぁ。
なんだかバイデン政権下で妊娠中絶のあり方が見直されたけど、それが世界中で不幸な女性を増やすことの引き金にならないことを願うばかりです。
主義主張は素晴らしいが、出来としてはあと一歩
シガニー・ウィーバーの名前だけで鑑賞、まさに適役でリブの闘士のような役を颯爽と。妊娠中絶が禁止されていた1968年の実話に基づく当時の「ウーマン・リブ」を描く。そういえばこの言葉、近頃はまるで聞きません、現在はフェミニズム及びジェンダーで括られますが決してリブ即ちliberationが完遂出来たわけではないどころか、米国では最高裁判定が覆され中絶禁止の州が増えている。だから本作が作られたのも意味がある。
主人公の夫と闇医者そしてほんのワンシーンの警察官、この三人だけが本作での男優の仕事(他チョイ役でもおりますが)。監督も脚本(男女の共作)そしてメインの役はもちろん助演も多くが女性の本作、問題点を集約したような布陣です。
新しい命の尊い誕生である妊娠、男性が居て初めてなしうる妊娠が、その瞬間以降、女性にだけ負担が圧し掛かる現実。だから男女の性差による役割があるのよ、などと旧来の保守層の固定概念がある。しかし想像してみてください、男に生まれるか女に生まれるかの確率は50:50、女に生まれてしまったら学者にも経営者にも政治家にも大統領にもなれず、男に服従するのみなんて耐えられます? 自由に性差があっていいはずがない。
その上で、望んだ妊娠ですら女性に命懸けの決意を要求される、ましてや望まない妊娠の場合は女性の将来を絶望に追いやるわけで、その裏には男どもの一瞬の快楽があったはずなのに。本作のクライマックスは主人公ジョイが中絶手術を受けるリアルなシーンに凝縮される。もちろん直接的な描写ではなく、冷たい器具が金属音を立て、色んな痛みが襲い、ジョイの表情のアップが延々と続く。その耐える姿には痛みのみならず、見ることの無い新しい命の喪失、そして後悔と受難と犠牲と開放がないまぜとなって襲う。この片鱗だけでも男に味わってもらいたい、そんな意図がシーンに溢れ、私(男)には相当に痛いシーンでありました。
シカゴの中産階級しかも弁護士一家なのだからもうちょっと上でしょう、豪華なカクテルドレスで遠巻きに見る主人公ジョイにとって、ベトナム反戦デモは正にホテルのガラス戸の向う側の世界。ガラス越しのこの描写は彼女を取り巻く環境を画で表す素晴らしいシーンです。後に状況変わって隣人とおしゃべり時に民主党に投票したの、と言ったら共和党が当たり前の隣人に驚かれるシーンがありました。ブロンドを外側にカールした髪型と上品なスーツを着こなす主人公を典型的アメリカン・ビューティーなエリザベス・バンクスが演ずるのがミソですね。彼女が街のダーティーなエリアに足を踏み入れ、社会の真実に目覚め、次第に傾倒してゆき遂にはムーブメントに入れ込みヒーロー(と言っても裏社会での)にまでなってしまうのですから、映画としては分かり易く楽しめます。エリザベスってこんなに演技が上手だったのね、典型的美女ってのは役者としてチト不利ですからね。
$1が360円の時代に$600を必要とするリスキーな影の組織「ジェーン」の存在是非を観客に突きつける。救済すべき女性達の内実に情状の余地を入れずクールに現実的にリードするシガニー・ウィーバー扮するバージニアが実に頼もしい。病院の評議会で高齢の男どもが母体の危機を顧みず建前論に終始する実態をみれば敵の所在も明らかに。バレたら監獄行きのみならず、万一女性を傷つけたら完全アウトの綱渡り。それでもなお必要とされる世の中の未熟をあからさまに映画は炙り出す。素人の藪医者に頼らざるを得ない、待ったなしなのが妊娠なのである。5年後の1973年に無事中絶が認められるラストまで描かれる。それまでに12000人を救ったとは驚き。
数年前の「17歳の瞳に映る世界」そしてフランス映画「あのこと」と、問題提起の意欲作が続く。しかし、ジョイがムーブメントに惹かれる変節、そして夫はいつのまにか応援する側でそのプロセスはすっ飛ばし、などの肝心の省略は困ったもので。隣人との不倫、娘の成長と、中途半端な描写も多く少々残念。ただ、60年代~70年代のヒット曲が背景に流れ、心地よく、ヒッピー・カルチャーに染まったファッションも巧妙に取り入れ、懐かしさに胸が高揚したのも確かです。
間違ってはいないけど
45本目。
時代が時代だし、女性にしか分からない事、女性心理を理解していない時代の話だとは思う。
彼女達の行動に対して批判するつもりもないし、勇気ある事だと思うんだけど、引き込み方が、宗教みたいで、いいカモ見つけた風に思えてしまってならない。
良かれと思った行動も、入口が違ってしまうと、そう見えてしまうのが、正直イヤだったかな。
60sアメリカ オシャレなファッション イケてる音楽
事実に基づく話で、アメリカで中絶が禁止だった時代に女性を助けるため中絶を行った団体の話です。
同じ時代フランスで同じく中絶が禁止だったころ、悩める女性を描いた『あのこと』って映画ありますが、
本作は、中絶する女性目線じゃなく、女性を助けるため中絶を行う団体を、60sアメリカのオシャレなファッションとイケてる音楽と共に描きます。
僕はアメリカの60sガールズポップスが好きなんですが、60sファッションに身を包んだエリザベス・バンクスは当時のガールズポップスの歌手みたい。
シャングリラスのレコードも出てきます(笑)
オシャレで、アメリカ文化が好きな僕には興味津々、タマらなかったです(笑)
女性の痛みを理解しよう!とか、難しく考えて身構えてたけど、思ってたより普通に楽しめたし、予想の何倍も良かった♪
そういう心構えじゃなくても、普通に映画を楽しむ気持ちで楽しめると思います。
評価は、75~80点ぐらい。
レイトショーで観たんですが8割方メンズでした。
「妻を泣かせる男になりたくない」ってセリフがあるんだけど、そうありたいですね(笑)
中絶をテーマとしたドラマ
ちょっとユーモアもあって暗くならずにした社会派ドラマで中々面白かった‼️ピンクでレコードと当時の楽曲でお洒落な映像。雰囲気も◎ 夢中で観た2時間でした。
カボチャ🎃取りのようなんですね。(笑)
良い話・・・なのかな?
1968年のアメリカ・シカゴで、ジョイは弁護士の夫と娘の3人で、不自由ない暮らしを送っていたが、2人目の子どもを妊娠した際、心臓の病気が悪化してしまった。治療法は妊婦じゃなくなること、だと担当医に言われたが、当時の法律で中絶は許されておらず、病院で中絶手術を拒否されてしまった。そんな中、ジョイはバス停の張り紙から、違法だが安全な中絶手術を提供する団体・ジェーンを知った。中絶手術を終えた後、ジョイはジェーンの一員となり、中絶が必要な他の女性たちを救おうと、最初は送迎、次に手術の助手、そして・・・てな話。
法律違反だが困ってる人を助けた。そして、1973年に中絶が出来るように法律が変わった。
良い話なのかな?って観てたが、なんかすっきりしない。
たまたま死人が出なかっただけで、無免許の医師が人工中絶するのを良しとするのはどうかと思った。
もし、何かのハプニングが起きたらどうするつもりだったのだろう?
リスクが高すぎて、スッキリしなかった。
後で調べてみると、2022年6月、女性の人工中絶を認める1973年の最高裁判例が覆っていて、現在は州によって合法か違法かが違うらしい。
トランプがやっちまったんだなぁ、って思った。
多くの方に見ていただければと思うところ(発展的な内容など入れてます)。
今年115本目(合計1,207本目/今月(2024年3月度)33本目)。
(前の作品 「四月になれば彼女は」、次の作品「ブリックレイヤー」)
直接的には日本のお話ではないものの、実質的には法律枠ではあります。
以下、感想や調べた内容ほかは行政書士試験合格者レベルのお話です。
映画そのものは、もとになる事件をモチーフに描いているので、あることないこと変えられず、また結末も変えようがないのでかなり淡々と進みます。この映画で描かれているできごとは、その後アメリカという国においてたびたび国を分断するほどの議論を巻き起こす出来事となってしまいますが(後述)、映画内ではそこまでの言及がなかったのがちょっと惜しかったところです。
また、あまり法律的な知識がない方でも見られるようにという配慮から、このできごとが国内(アメリカ国内)で何をもたらしたかなどの発展的な観点にかけてしまうため、「それでいいの??」という観方にどうしてもなってしまう点、また、それを助長しかねない点(妙に陽気なBGMが流れるなど。ちょっとBGMについてはチョイスして欲しかった)など、個々気になる点があります。
ただ、実際にアメリカで何が起きたのか、また現在起きているのか、日本ではどうなのかといった発展的なことは映画では描かれておらず、こうした部分についてはやはりレビューサイトで個々書くものだと思うので、そこに入ります。
採点に関しては明確に気になったのが以下のところです。
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(減点0.2/BGM(背景音楽)に配慮が足りない)
この映画をどうとらえるかという究極論に突入する点は理解するものの、極端に陽気な音楽ばかりチョイスするのもどうなのかな…といったところです(どこまで法律的な話に立ち入るかは別にして、問題提起型の映画ではあったはずだと思っています)。
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★ 以下は、行政書士合格者レベルでのお話です。
(減点なし/参考/この事件をめぐって当時何が起きたか)
※ アメリカと日本では裁判制度が異なりますが、特に趣旨が変わらない限り日本の基準によるものに修正して書いています(本質論は変わらないため)。
・ この時期、この件とは別に、妊娠中絶を認める認めないの裁判が争われており、憲法裁判とし、憲法審としてアメリカ最高裁で争われていました(憲法裁判とは、憲法のある規定が違憲であると争う類型をいい、憲法審とは「その範囲だけで、合憲違憲を審議する」もの(通常は最高裁が担当する)です。
この事件で逮捕された原告は、趣旨が同じであるこの判例が出て、それをもとに裁判をすすめるという「遅延戦術」を取りました(ただ、これ自体は趣旨としては理解できる)。この「そもそも妊娠中絶を取り締まる規定が憲法に反するか」の判例が確定すると、こちらの事件(映画内で描かれている事件)もそれに従って対応されています。
※ 日本では憲法学習では「判例百選(憲法)」を使うことが多いですが、アメリカの法学習制度においても、そのような「アメリカ版判例百選」にもこの判例は掲載されているものと思います。
※ 詳細についてはネタバレになるので省略。
(減点なし/参考/この事件をめぐって、その後何が起きたか)
妊娠中絶を「選択」できる権利を「プロチョイス権」といい、これを主張した人や団体に対し、胎児の生命を優先する「プロライフ権」という概念を支持する人、団体ができ、この後、アメリカは考え方により世論が二分され、「この事件」の後も大統領レベルで(有名どころではレーガン大統領、クリントン大統領など)が「範囲を超えて」裁判に介入しようとしたり(制度は異なっても、日本と同じように三権分立の考え方はアメリカにもあります)、女性の有力者(有名なところでは、ヒラリー・クリントン氏など)も独自の考え方をもったりと、妊娠中絶は是か非かで、アメリカは二分されていくようになり、現在(2024年)にいたっては、判例の見直しも一部行われています(詳細についてはネタバレ回避)。
また、アメリカは基本的にキリスト教文化を持ちますが、それとの結びつきにより宗派論争になるなど混乱も見られます(現在においても軽い対立は見られる)。ただ、一つのアメリカの「憲法審」によって一つの解決を見た事件であることは間違いがなく、アメリカの判例を探すと必ず出てくるものです。
(減点なし/参考/日本においての事情)
日本では刑法に「堕胎に関する罪」として、堕胎罪(単純堕胎罪(自己堕胎罪ともいう))から、不同意堕胎などいくつかの罪が規定されていますが、同時に母体保護法により条件を満たしたときの堕胎は罰されないとされたため、これらの規定は実質的に「不同意堕胎」(ときどき事件では見られる)以外は事実上見ることができません(戦後の判例を検索しても、堕胎の罪で最高裁まで争われた判例は10件あるかないか)。
ただそれでも日本において堕胎罪(単純堕胎罪)が置かれているのは、それでも時々発生する「不同意堕胎」の事件の「基本類型」はあくまでも堕胎罪(単純堕胎)であるという事情で(刑法の規定上、不同意堕胎等は、単純堕胎の特殊ケースという扱い)、単純に刑法を改正すると解釈がおかしくなるという問題が一つあります。
もう一つは、堕胎行為を罪として刑法に明確に規定することで、殺人・傷害(暴行)の場合と「対象によって適用される罪が異なる」ことを明確にする趣旨があります。
※ こうした学問上の「解釈論」が残るため現在でも置かれているもので、戦後もふくめておよそ争われた類型ではないので、判例も何も探すほどしかないという状況です。
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