マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
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ブロークンシイノ
原作既読、短編の話を85分という中編に引き伸ばされたことで焦れったい、テンポ感が鈍いに至りもう少し脚色があっても良かったと思ってしまった。
マリコだけではなくシイノも実はほぼ破綻状態の日常、彼女二人同士は依存しあっていたが、「治しようがない」「先に彼女が居なくなったら耐えられない」が溢れてしまったマリコが先に自殺を選択、助けての一言が欲しかったから苛立ちは募る。
シイノは旅先の恩人のマキオにある言葉を言われて、人間性は保たれていたことを自覚する、これって重要なことなのだ。(怒りを訴える事が出来る状態)
特に子役のシイちゃんの迫力あるドアを叩くアクションは勇ましかった。
とてもナイーブなお話なのにどのジャンルの映画として観れば良いのか結論としては感嘆に浸れないものになってしまった
私的に永野芽郁さんの新境地は及第点に届かず
❇️こんな友達はいらない!同情だけしか無いよ❗️
マイブロークンマリコ
🇯🇵青森県八戸市
ラーメン屋のTVで久しく会っていない友人がバルコニーから転落死したニュースを知る主人公。
小学生時代から父親に虐待され続けられた事を思い出し、衝動的に刺し違える気持ちで、納骨を盗み、海に向かう!
過去を思い出しながら旅をするロードムービー
◉46点。
❇️ そんなに良い作品かなあ?
(こんな友達はいらない!同情だけしか無いよ❗️)
★彡誰も太刀打ちできない二人の関係。
入る隙間もなければ感情移入もしにくかった。
どんだけの二人の関係かは知らないが、本当に二人はお互いを思っていた事になるのでしょうか?
夢を語る二人は本当に深い仲なんでしょうか?
思春期はこんな事誰でも思うかと…⤵️
★彡自分でラストを解釈しましょう。
🟣嫌いな点。
1️⃣虐待にあったとはいえ、マリコの考え方や生き方には共感できない!
★彡自信を持って否定したい‼️💢
話が薄すぎる、故に叫びも非行も腰を抜かす
私以外の誰にとっても、あんたが死んだことなんて関係ないわけで。
マンガ的な映画は映画として疾走してたか
原作未読。発売当時よく書店で見かけたのできっといい作品なのだろう。タナダユキ監督はとてもあってる、なんて原作読んでもいないのに表紙とタイトルみて思ったのだけど、割と前半から乗れなかった。マンガみたいと言ってはなんなのですが、映画の快楽はほばない。
しいちゃんのキャラと永野芽郁はあっていない。さかなクンの役をのんが演じるハマり具合と真逆。言葉遣い、アクション(特にタバコとベランダからのジャンプ)本来その人にないものは出てこない。
マンガ表現として有効なモノローグ、手紙、回想、あらゆる説明が映画的に機能していない。疾走する物語が疾走しない。原作ではきっと疾走してそう。きっと作り手側は原作に入れ込みすぎているのだろう。20世紀少年シリーズを思い出した。
そして田舎のショボい食堂や断崖絶壁での大袈裟なひとり芝居など、原作を信奉してないとできない芝居場の連続。結果的に割と前時代の日本のアイドル映画を観ているようだった。
今年の暫定1位
タナダユキ監督、半信半疑ならぬ「三信七疑」くらいで挑み、実際の打率はさらに低い印象を持ちつつも、どうしても予想をぶっちぎってよかった『ロマンスドール(20)』が「観ざるを得ない」という気持ちにさせます。
で、果たして今作はどう感じたかと言えば、今年観た作品中で「暫定ワースト1位」だなというのが個人的な印象です。
漫画原作の映画化と言うことで、ある程度の「荒唐無稽さ」はハードルを下げて観ていますが、それにしても、「なんだこれ?」と思うアレコレについて枚挙にいとまがありません。
とは言え、私は原作未読です。その上で言いますが、もし最後のシーンに改変がないとすれば、「そこから発想して膨らませたのでは?」と感じるほど取っ手付けたようなプロットで、反ってシラケます。
そして主演の永野芽衣さん。彼女の演技力も力不足が否めませんが、そもそもあれだけ地声以上の声量で独り言を言いまくる人に彼女も会ったことないでしょうし(私は見たこともない)、そういうキャラクターに説得力持たせるならそういう演出しないとね。
まぁ星2つは付けますが、タナダさんへの期待度は「二信八疑」まで落とさざるを得ないかな。。。残念です。
いつもながらのあざとさ
自殺、ブラック企業、毒親からの虐待、彼氏からのDV。
現代的病弊をならべたあざと日本映画。
マリコ(奈緒)が自死したというテレビ報道を見た幼馴染みのシイノトモヨ(永野芽郁)。
回想をまじえながら、ふたりの交流をさかのぼる。
マリコはトモヨをシイちゃんと呼び姉のように慕ってきたが、父親から虐待をうけ、彼氏からはDVに遭い、次第にメンタルが崩壊していく。
マリコは幼少期からずっと虐待されつづけ、その結果、虐げられている状態に自分らしさを見いだすようなマゾ体質になってしまったのだろう。
原作を読んでいないのでわからないが、映画を見た感じではそれがマイブロークンマリコの故由になっている──と思われた。
シイノトモヨはいつもタバコを吸っているラフ&タフな女の設定だが肌つるつるの永野芽郁はヤカラな気配も態度もまったく似合わず、それは逆に妙でよかった。
リアリティがまるでないむいたばかりのゆで卵みたいな永野芽郁はいい絵だった。
が、マリコの可哀想な境遇がしつこく描写されていつもの日本映画になった。
かよわいマリコ、悪いやつ、憤るトモヨ。善悪が単純構成され、マキオ(窪田正孝)はスナフキン的な達観者として配置される。
こういったキャラクター位相は凡百の日本映画を踏襲している。
おまえら(日本映画)いつもそうだよな。
原作は漫画で話題になったものだそうだ。
読んでないのでそこに異論はない。
ただ漫画と映画はちがう。
単純な悪者vs被害者にすると日本映画になる。
たとえば先日見たShe Saidに出てくるLisaBloomは女性の権利を守る係争戦歴をもつ弁護士だが、ワインスタイン側に立脚してかれに多くの助言をしている。
告発者で真っ先に出てくる女優ローズマッゴーワンはよく出回っている画像のなかでマリリンマンソンのかたわらで裸同然の網ドレスを着ている人物である。しばしば男からセクハラに遭う一方、失言が多くゴシップ誌の常連でもある。日本で言うならチョリースみたいな問題児である。
言いたいのはこういったハラスメントの趨勢が、かわいそうな弱者とわるい強者で構成されていると思ってしまう感情的な人は物事を見誤りやすいということ。
日本でMeTooを牽引した女性ジャーナリストの事件が10対0のシンプルな話だったとは思わない。Colabo問題もそうだ。弱者が正義とは限らないし、単純に構成されている事案は少ないと見るべきだ。
ならば、映画の中の人間も単純化すべきじゃない。
かよわい女が悪いやつにいじめられる描写は情弱相手の商売はできても日本映画枠を抜け出すことはできない。
情弱とは情報を持たない人ではなく信じやすく感化されやすい人のことであり、情弱を信じさせるのはストーリーテリングとビジュアルだと言われている。したがって情弱には「女の子が泣いている=可哀想=正義」の式が成り立つ。
あなたが映画をたくさん見ているなら、何かや誰かを盲信してしまわないことをリテラシーというのだ。(と思う。)
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