マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
全268件中、21~40件目を表示
もういない人に会うには、
最後の手紙に何が書いてあったかは分からないけど、マリコがめんどくせー女だったことを思い出せる様な内容だったらいいな…と思う。
幼かったマリコから母親を奪った父親に弔われたところで白々しいって、本当にそう…。父親は何を思って遺骨と向き合ったんだろうなぁ…。
勝手に逝った、あんたのために。
感想
連載開始直後からトレンド入り連発。
大反響を呼んだ衝撃コミック、映画化!
たった一人の親友•マリコの遺骨を奪い、最初で最後の旅に出た。
原作は未読で永野芽郁目的で観ました。
タバコにお酒に野宿と新たな一面が見れて新鮮でした。
マリコはぶっ壊れてましたが奈緒の演技も良かったです。
窪田正孝の役もいいですね。
ラストはどんなお手紙だったんでしょうね。
※あたしには正直、あんたしかいなかった。
※その日死んだイカガワマリコという人はわたしのダチだった。
※あたしはマリコの幼馴染のシイノトモヨだ、刺し違えたってマリコの遺骨はわたしが連れてく
※ダチの自殺を止められねぇってのがどんな気持ちか思い知るがいいわ!!
寄り掛かっていたのは…
マリコの境遇は幼い頃から悲劇的なものであるが、おそらく主人公シイちゃんもまた恵まれた境遇ではなかったのだろうと推測できる。
つまり、マリコとシイちゃんは似ていたといえる。
しかし肝心なところ、大丈夫か大丈夫じゃないかのところで二人は違っていた。
ところどころでシイちゃんを頼るマリコはとても弱い存在に見えるが、自分で違う道も模索できる力は持っている(彼氏をつくるとか)
シイちゃんに依存しているかに見えて、実はそんなに依存していないのだ。
しかし、その道でもマリコはひどい目に合うわけで「大丈夫じゃない」状態が限界を突破し、自ら命を断つこととなる。
一方のシイちゃんは、マリコほどではないにしろ良好とはいえない環境の中で生きてきた。
作中で更に悲劇的なことが起こっても、どこまでいっても「大丈夫に見える」
それはシイちゃんの中にある闘う意志が大丈夫に見せているように感じる。
彼女の闘う意志とは、一番に「マリコを守る」ことにあったように思える。
つまり、本当に支えられていたのはマリコではなくシイちゃんの方だったともいえる。
シイちゃんがマリコに依存していた。
この作品はマリコのためにシイちゃんが闘う最後の物語で、シイちゃんがマリコへの依存から抜け出す物語。
法も犯し危険なこともして、最後の闘いらしく無茶をしまくるシイちゃん。
しかし、何もかも捨てたつもりでいても、意外と何事もなかったかのように元の生活に戻っていく。
どこまでいっても「大丈夫に見える」
シイちゃんの一番の望みであった「マリコを守る」ことはできなかったけれど、マリコがシイちゃんの中に浸透したように思えるエンディングのシイちゃんは「大丈夫に見えた」
主演の永野芽郁はほわほわしたイメージがあって、そんな役しかできないように見えるけれど、彼女は中々の演技派で、荒ぶったシイちゃんをうまく演じていたと思う。
「地獄の花園」でもうまく演じ分けていた。
むしろ、海辺で倒れていても大丈夫に見えてしまうというのは、イメージ以上に強そうに見える人なのかもしれない。
トモヨとマリコの関係性が素敵な一本
<映画のことば>
「何かがあって、この町に来たのかも知れませんが、ヤケになってはダメですよ。風呂に入って、よーく寝て、ちゃんとメシを食わないと。人間、ろくなことが考えられなくなります。」
「そりゃあ、そうかもね。」
「ご自分のこと、大事になさって下さい。」
<映画のことば>
考えたんですけど。
もういない人に会うには、自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか。
あなたの想い出の中の大事な人と、あなた自身とを、大事にしてください。
父親の再婚相手が届けてくれたのは、トモヨに宛てたマリコからの最後の手紙だったのでしょうか。普段はチャット並みの早さで既読になるはずのLINEは未読のままだったことと思いますけれども。思わぬところから「返信」があったということのようです。
遺書にも代わるようなその手紙を読んで、その内容に笑むことができるほど、トモヨとマリコとは親(ちかし)いというか、気のおけない、ざっくばらんな付き合いだったことが、偲ばれました。評論子には。
その関係性に、胸が熱くなるのを禁じ得ません。
トモヨは、きっと、その思いを胸に、したたかにマリコの分まで生きていくことでしょう。今も。これからも。
そんなことにまで思いを致してくれた本作には、評論子には、充分に秀作としての評価が当てはまりました。本作は。
(追記)
もちろん、本作のモチーフはマリコという女性とトモヨという女性…二人の女性の関係性にあることは疑いがないのですけれども。
しかし、マキオは、意外と重要な役割を果たしているのかも知れないと思いました。本作の中で。評論子は。
(評論子が本作の中から拾うことのできた「映画のことば」は、奇しくも、どちらもマキオのセリフでした。)
つかぬことを言いますが、本作のマキオは、実在したのでしょうか。
人物としては、一応は描写されてはいるのですけれども。映画作品としての本作の中で。
しかし、案外にマキオは、トモヨの自問の(架空の)相手だったと、もし仮定したら…。
トモヨ自身の思考の反芻として、自然に、これらの「映画のことば」が拾えたように、評論子には、思えてなりません。
そんな点も、観終わって、評論子には印象的な一本になりました。
生きててよかった
弔いの旅のキィアイテムだった「手紙」
手紙を読みながら思い出しては怒って泣いて
自分にはアンタしかいなかったのに
アンタには自分がいたのに
もう会えないんだ
一緒に死んでやってもよかったのに
と怒っていたシィ。
でも、死ぬって簡単じゃなくて
死んでも会えるはずもなくて
「もう一度会うには生きてるしかない」
の言葉で少し我にかえる
あっという間に日常は戻ってきてしまう
でも、、
生きてたから会えたね。
2人にしかわからないものがそこにはあって
目には見えない"絆"がみえた
--------------
シィちゃんと同じくらい安心する人を見つけようとしてたけど、シィちゃんと同じような人はいなくて、もう治せないくらいに感覚が麻痺してしまっているから
シィちゃん以外の人は誰がいい人なのかもわからない
マリコはいっそのことシィちゃんだけのマリコになりたかったのかな。
手紙の内容は想像してみたけどできなかった。
簡単に想像できるものでもないし
簡単に他人が言葉にしていいものでもない
ラストのシーンだけは
手紙の内容がわからないようになっていたのは
最適な締め方だと思う。
言葉にすることで2人だけの絆を
2人の想いや傷みをわかった気になってはいけない
ただ、2人はまた会えたんだなと思った。
「もう一度会うには生きてるしかない」
という言葉はこれまで聞いたことがなくて
最初はピンとこなかったけど
最後でこういうことかなと。
痛いな
登場人物皆が痛々しい
自殺した親友の遺骨を毒親から奪って逃げるという強烈なストーリーに独特な空気感。
シイちゃんもマリコも登場人物みんなが痛々しい。共感できるわけではないのにセリフや行動がなんだか刺さるしぎゅっとなった。
子どもの頃からやさぐれてたシイちゃんとメンヘラのマリコ。2人を演じた永野芽郁と奈緒もよかった。奈緒ってなんでこんなにメンヘラ役が上手いんだろう(笑)
永野芽郁が不器用な「おっさん女子」を熱演
❇️こんな友達はいらない!同情だけしか無いよ❗️
マイブロークンマリコ
🇯🇵青森県八戸市
ラーメン屋のTVで久しく会っていない友人がバルコニーから転落死したニュースを知る主人公。
小学生時代から父親に虐待され続けられた事を思い出し、衝動的に刺し違える気持ちで、納骨を盗み、海に向かう!
過去を思い出しながら旅をするロードムービー
◉46点。
❇️ そんなに良い作品かなあ?
(こんな友達はいらない!同情だけしか無いよ❗️)
★彡誰も太刀打ちできない二人の関係。
入る隙間もなければ感情移入もしにくかった。
どんだけの二人の関係かは知らないが、本当に二人はお互いを思っていた事になるのでしょうか?
夢を語る二人は本当に深い仲なんでしょうか?
思春期はこんな事誰でも思うかと…⤵️
★彡自分でラストを解釈しましょう。
🟣嫌いな点。
1️⃣虐待にあったとはいえ、マリコの考え方や生き方には共感できない!
★彡自信を持って否定したい‼️💢
後悔❓
冒頭から不思議に思った。
幼馴染のマリコが自分を慕ってくれていて
常々一緒に住めたらいいな、と言っている。
トモヨ自身もマリコを親友と思っていた。
社会人になって住む部屋を見つけ自身の力で
住んでいるのなら、
なぜマリコと住まない、のか⁉️
マリコが居なくなったこと、TVで知るなんて。
そんなに疎遠になっていたのに、
実家に乗り込んで遺骨を奪還するとは
正常な行動とは思えない。
変態の親父なら何でもっと早くに
一緒に住まなかったんだ。
生きているうちに自分の元に連れて来ないと。
遅すぎるよ。
だから、トモヨがマリコの遺骨を持って行き先定めず
彷徨しても何も感じない。
永野芽郁さん、好きな俳優だけど、
本作のトモヨのキャラと合わない感じがした。
熱演すればするほど乖離していく印象だった。
永野芽郁の演技力
評価がそんな良くないのは分かるけど私は好き
原作を1度だけ読んで面白かったな〜と単純に思って、何となく記憶に残っていたので映画鑑賞させて頂きました!ゆるーくゆるーく観るには本当に最高の映画ですね。
永野芽郁ちゃんの新たな一面を見れることですし、個人的に尺が短く原作を読んでいない人からしたら、少し物足りない印象を受けるような映画なのは確かだなとは思います。
壊れちゃった女の子、思春期に壊れちゃった家庭の女の子との付き合いっていうのはある人に取ったらとてつもなく心にグッと来る作品ではあります。
女の子同士って何だかんだ近いようで遠いんですよね、浅いことしか言えないですけど。男がいたら連絡がこなくなる等ね。女性なら何となく何でこんな男とまた会っちゃうの?なんで?なんて事の繰り返し。それも会っちゃうのも分かるんですが。
個人的に漫画を読んでいて、再婚相手のお母さんがお父さんを責め立てるシーン?叱責のほうが正しいのか、あの漫画を見ていて本当に記憶に残る、救われたシーンだったので映画の中で出ていて嬉しかったです。
浅〜い感想しか言えませんが、永野芽郁ちゃんにいろんな映画出てほしい!そんな気持ちになりました!
永野芽郁の代表作になる
どちらかというと、朝ドラのあのイメージの女優さんが、ここまでの役を演じ切るとは驚きだった。
タバコを吸う仕草や上司に悪態ついちゃうところなど、驚きの連続。
圧巻だってのは、虐待の父親から骨を奪う場面だ。
純粋に本当にマリコを大事に守ってきたんだなと心が震えた。親友という言葉では語れない絆が2人にあった。
海を見せに連れて行く。思い出の中のマリコとの会話。
奈緒演じるこのマリコがまた本当に哀しくて可愛いのだ。
与えられた環境でどう生きるのか、マリコのために日常に戻っていった。2人で生きていくんだろうな。
良い映画だった。
いつもながらのあざとさ
自殺、ブラック企業、毒親からの虐待、彼氏からのDV。
現代的病弊をならべたあざと日本映画。
マリコ(奈緒)が自死したというテレビ報道を見た幼馴染みのシイノトモヨ(永野芽郁)。
回想をまじえながら、ふたりの交流をさかのぼる。
マリコはトモヨをシイちゃんと呼び姉のように慕ってきたが、父親から虐待をうけ、彼氏からはDVに遭い、次第にメンタルが崩壊していく。
マリコは幼少期からずっと虐待されつづけ、その結果、虐げられている状態に自分らしさを見いだすようなマゾ体質になってしまったのだろう。
原作を読んでいないのでわからないが、映画を見た感じではそれがマイブロークンマリコの故由になっている──と思われた。
シイノトモヨはいつもタバコを吸っているラフ&タフな女の設定だが肌つるつるの永野芽郁はヤカラな気配も態度もまったく似合わず、それは逆に妙でよかった。
リアリティがまるでないむいたばかりのゆで卵みたいな永野芽郁はいい絵だった。
が、マリコの可哀想な境遇がしつこく描写されていつもの日本映画になった。
かよわいマリコ、悪いやつ、憤るトモヨ。善悪が単純構成され、マキオ(窪田正孝)はスナフキン的な達観者として配置される。
こういったキャラクター位相は凡百の日本映画を踏襲している。
おまえら(日本映画)いつもそうだよな。
原作は漫画で話題になったものだそうだ。
読んでないのでそこに異論はない。
ただ漫画と映画はちがう。
単純な悪者vs被害者にすると日本映画になる。
たとえば先日見たShe Saidに出てくるLisaBloomは女性の権利を守る係争戦歴をもつ弁護士だが、ワインスタイン側に立脚してかれに多くの助言をしている。
告発者で真っ先に出てくる女優ローズマッゴーワンはよく出回っている画像のなかでマリリンマンソンのかたわらで裸同然の網ドレスを着ている人物である。しばしば男からセクハラに遭う一方、失言が多くゴシップ誌の常連でもある。日本で言うならチョリースみたいな問題児である。
言いたいのはこういったハラスメントの趨勢が、かわいそうな弱者とわるい強者で構成されていると思ってしまう感情的な人は物事を見誤りやすいということ。
日本でMeTooを牽引した女性ジャーナリストの事件が10対0のシンプルな話だったとは思わない。Colabo問題もそうだ。弱者が正義とは限らないし、単純に構成されている事案は少ないと見るべきだ。
ならば、映画の中の人間も単純化すべきじゃない。
かよわい女が悪いやつにいじめられる描写は情弱相手の商売はできても日本映画枠を抜け出すことはできない。
情弱とは情報を持たない人ではなく信じやすく感化されやすい人のことであり、情弱を信じさせるのはストーリーテリングとビジュアルだと言われている。したがって情弱には「女の子が泣いている=可哀想=正義」の式が成り立つ。
あなたが映画をたくさん見ているなら、何かや誰かを盲信してしまわないことをリテラシーというのだ。(と思う。)
全268件中、21~40件目を表示