リコリス・ピザのレビュー・感想・評価
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お父さんの面影
「さて、注目作品がようやく公開だ」と、ポール・トーマス・アンダーソンということもあり気合を入れて観始めましたが、、、むしろ「何を観させられているんだ」と軽く呆れつつも、ずっとクスクスしてしまう「緩くて優しい物語」でした。特に、若い二人がお互いを想い、一目散に走るシーンはとても象徴的で素敵です。
アラナを演じるアラナ・ハイムは、ポップ・ロックバンド「HAIM」でお馴染み。音楽だけじゃなくて俳優としても立派なもので、映画初出演とはとても思えません。表情豊かで(役としての)アラナが周りの男性に一目置かれる感じを、自然にそつなくこなして見えます。
そしてもう一人の主演ゲイリーを演じるクーパー・ホフマン。もう、笑った顔、したり顔、焦った顔、怯える顔、、、お父さんの面影がありすぎて。最後、シーンとは関係なくちょっとウルっとしてしまいました。堂々としていて、こちらも映画初出演には思えません。
ありきたりな言葉で恐縮ですが、若い二人の今後の活躍に期待が膨らみます。
さらに、この二人の恋愛模様に時に刺激を、或いは事件を生み出す「癖のある助演陣」。
特にショーン・ペンとブラッドリー・クーパーは、最早「状況を本気で楽しんでいる」ような振り切った(若干のやり過ぎ感のある)演技で笑えます。
また、一人、てっきりアネット・ベニングだと思ってたのにエンドクレジット彼女の名前なく?帰宅して調べたら別の女優(ハリエット・サンソム・ハリス)でした。道理で。
つまらん
15歳の子役の少年が10歳も年上の女性に恋をするが順調にはいかず、...
ピザを作る映画でも何でもないので要注意。とにかく理解難易度は高い…
今年194本目(合計470本目/今月(2022年7月度)6本目)。
他の方も触れられていますが、「リコリス・ピザ」というレコード店は実際に存在し、リコリス(ハーブの一種)を使った「リコリス菓子」がレコードを連想させるようなイメージであるため(およそ「グミ」のあたるようなお菓子だが、独特なにおいが日本では好まれない事情もあり、専門店などでないと見つからないです)、「リコリス・ピザ」それ自体が「レコード」または「レコード文化」をさすスラング用語で、ここから転じて「1970年代のアメリカのサブカルチャー」を意味するようになりました。
ただ、このことってジーニアス大英和のような大英和クラスでものってなく、英英辞典等を多数あさって何とか数点言及があるくらいです(参考:大阪市立中央図書館)。この点がわからないと「ピザがまったくでてこない」とか「入るシアター番号を間違えた?」とかという混乱が生じるのは仕方がないように思えます。
このような事情があることも理解した上で、「1970年代のアメリカの文化」をいろいろ入れているのですが、正直なところ、かなりこの点に詳しくないと実に多数の話をどんどんあれこれしてくるので(この点では、1月か2月だったかの「フレンチ・ディスパッチ」に近い)、最悪「理解のハマリ」が生じます。
・ (ストーリー序盤の)年の離れた男女がすきだの嫌いだの言う話
・ 市長選挙がどうこうという話
・ ゲームセンターにピンボールを置くことがどうこう(当時は禁止されていた模様)という話
…など、脈略もない話を突如あれこれしてくるので、正直なところ「リアル年齢でしぼりをかけている」状態で、10~20代の方では「みても意味が分からないのでは…」という印象です。
…というより、そもそも「日本で公開されることを想定していない」か、「想定されているとすれば、恐ろしいほどの超急ピッチで進んだ」のではないか(だから、日本では常識扱いされないこのタイトルが何を指すかも相当調べないとわからない)という印象です。
採点は下記のようにしています。
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(減点0.3) 上記に述べたように、結局のところこの映画は「アメリカでは」懐かしい1970年代の文化をなつかしむ映画、ということは言えても、日本ではまず「リコリス・ピザ」の指す意味が不明で、仮にわかっても、さらにいろいろ多分野の話を突如混ぜてくるので、とにかく理解難易度が恐ろしく高いです(大阪市には、こういう「理解難易度が高い」といえる、いわゆる「哲学系」の映画を扱う映画館がありますが(テアトル梅田)、趣旨内容的にそういうミニシアター向けに配給されるべきだったのでは…と思えます)。
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▼ (参考/映画内のセリフ) 「おいこら、ピンボールの台をそんなに揺らすな」
・ まず、日本ではゲームセンターでも「ピンボール」を見ることはかなり少なくなったように思えます(一方で、例えば大阪市にはピンボール専門店があったり、一部に偏って保存、公開されているような状況)。
ピンボールのゲームの性質上、ピンボールというゲームは無限に続けることはできません。フリッパーを動かす左右2つのボタン(レバー等)をいかにうまく使うか、という点程度に「普通のプレーの仕方」では、それ以上のテクニックは存在しえないし、ありません。
ただ、ピンボールはこのような「シンプルなゲーム」故に、球の位置を無理やり移動させたり、軌道を変えたりという「揺らし行為」が「初期のころ」はある程度公認されていた時代も確かにあります。これはこれで常識的な範囲では当時は合法でありゲームセンターも何も言わなかったのです。
とはいえ、これらの行為も度が過ぎると機器を壊してしまうし、ピンボールというゲームはゲームの性質上、扱うゲーム機器メーカーが極めて少なかったため、極端な揺らしで機械ごと壊すような行為はゲームセンターにとっても迷惑だったのです。
そのため、ピンボールの設置当時から、「ある程度の揺らしは許容するが」、「度を越えた揺らしは許さない」というルールができました(この「度を越した揺らし」のことを「ティルト」といい、(当時の技術の)角度センサー等でチェックがかかっていました)。この「ティルト」がとられるとボールを1つ失う(フリッパーが操作不能になる、という扱い)ほか、あまりにも極端な「ぶっ壊し行為」(これは当時「スラムティルト」と呼ばれた)は「全球没収、スコアにも残らない、ボーナスゲームがあればそれも没収」というように規制されていったのです。
※ 日本では、アメリカから輸入されたピンボールゲームがわずかに大阪市など限られたマニアックなゲームセンターで「今動く範囲でだけ」展示されプレーできるのであり、日本においてもはそもそも「修理先すら存在しない」ため、ティルトどころか「常識的に許される揺らし」すらできないように、物理的に台を固定していることが多いです(なので、本来のピンボールとはゲーム性が若干異なる)。
愛を受け入れ合うまでの葛藤
ショーンペンの圧倒的絵力
これって面白いの?
正直、最初から最後まで退屈で仕方なかった。
昔樹木希林さんが、ヒロインは演技が下手でもよいが美しくないと作品に説得力が無くなると言われていたが、そういう意味では説得力ゼロ。
エキストラレベルのビジュアルの女優がヒロインの映画って、まったく響いてこない。
そんな中、ショーンペンの存在感と絵力の凄さだけが異様に印象に残った。ショーンペンが出演しているシーンだけ、まるで別の映画のよう。
やっぱスターって凄いわと、ショーンペンを見て思い知らされたわ。
ブラッドリークーパーも出てるけど、ショーンペンの存在感に比べたら足元にも及ばない。
というか、ショーンペン出演のシーンは、映画全体から見たらバランス悪すぎやろ。
なにこれ?
大人と子どもの違いって一体なんなんだ
現時点で今年のベスト3に入ります。俳優の卵クソガキ×恋愛に夢を見ているカメアシ大人女子。この2人のくっつきそうで全くくっつく気配のない恋バナを、70年代テイストの風景が初っ端からラストまで彩っていく。
めちゃくちゃ面白かったです。この手の恋バナはどちらかが歳の差を感じた瞬間に終結するもんですが、今作は歳の差を感じさせる描写が入ったと思いきや、意外なところでクソガキが大人の余裕を発動させたり、大人女子が子どもめいた理由で相手の気を引く作戦に出たりする。
大人はいつでも子どもに帰れるし、子どもも大人に見くびられるほど全てが幼稚ってわけじゃない。そんな新たな視点から綴られた作品でした。
なお、かつてないほどショーン・ペンに親近感が湧く怪作でもあります。何してんの御大。
アラナはゲーリーのボーナスライト💡
2021年製作の1973年頃のロス(L.A.)を舞台にした映画。
50年前のハリウッドを懐かしめるかどうかにかかっている。
アメリカ人とおぼしき外人カップルが並びにいらっしゃった。二人ともワインの瓶をドリンクホルダーに入れていた。
ワイルドだろ~
1970年代はまだ生まれてないはずだが、昔の映画の知識があれば楽しめただろう。
面白かったけど、映画の知識が足りないので、テーマは何だったかと訊かれてもちょっと困る。
16歳を迎えた子役俳優のゲーリーとひとまわり歳上の子役専門の写真スタッフのアラナの業界ドタバタラブストーリー。しょっぱなからアラナのびーちくが目だって、気になって仕方なかった。1973年にはノーブラが流行った?
たくさんの挿入曲はコンピレーションアルバムそのもの。リコリスビザとはアナログレコードを差す俗語らしい。
イーグルスに1975年に加入したジョー・ウォルシュのJames Gang 時代の Walk Away が後半の山場(ピンボール場からゲーリーがアラナの元へ走る場面)でかかって、とても嬉しかった。
大森一樹監督の風の歌を聴けや1973年のピンボールで女性に擬人化されたピンボール台が「あなたのボーナスライトでいられるように祈っているわ」みたいなセリフがあった。ゲーリーには子役から実業家を経てプロデューサーに成った実際の人物モデルがいるらしい。アラナはゲーリーにとって、ほんの一時期でも何度も挑戦できるボーナスライトだった。
冒頭、子役上がりのませガキの猛烈アタックしつこいなぁ。TILT ランプがついちゃうぞ。って思ったんだけどね。
ウォーターベッド
ピンボール
ポンティアック ファイアーバード
ハリウッド・ドリーム
カルフォルニア・ロール
ホテル・カルフォルニア
・・・・・
選曲がいいよね〜
おしゃれですてきで、ちょっと照れ臭いアルバムのような。
ゲイリーかわいい
予習しておけば良かった…
1970年代のアメリカのことを知っていると、もっと楽しめたかもしれない。
歳の差10歳のアラナとゲイリーのすご〜く遠回りする恋は見ていてハラハラした。
当時のアメリカはウォーターベッドやミニスカートが流行っていたんですね〜
アラナのミニスカートがかわいい。
要はツマラン。
二人の親だったら…
日曜朝イチ上映。
空席がちだったが、着席しているすべてが中高年男性のみという、なかなか珍しい光景だった。
キラキラとまぶしい(でも恥ずかしい)恋愛模様。
大人への階段を登りながら、特有の野心も悪ふざけも強がりも性への妄想も、お互いの成長によって少しずつ変化していく。
様々な異性への尽きない興味を楽しみながら、でも最後はあの人の元へ戻ってきてしまう。
んんんん。
ここで描かれる様に、結局お互いが求め合った瞬間にしか成立しない恋愛関係なら、主人公二人の親世代と言ってもいい私には、この二人のラストを手放しに喜ぶ感じにはなれないかなぁ。
「キミたちさぁ、明日も、明後日も、ずっと今の気持ちでいる自信、ある?」
別に、永遠の愛を誓うのが必ずしも至高の恋愛じゃないし、この可愛らしいすったもんだが、良くも悪くもきっと二人の思い出になっていく。
それを微笑ましく見られる人には楽しい作品なんだろう。
70年代の二人、女優が美しい。
セリフも、映像も70年代風で、忘れていたあの頃の若者の感覚が蘇ってきた。
電話口の無言の会話。
こんなの現代では無い感覚で、ぐっと心を掴まれた。
ウォーターベッド、ピンボールなど懐かしさ満点。
男と女の関係も、懐かしさ満点。
昔はあんな感じで、男は女に、女は男に接していたなぁ。
Once upon a time in Hollywood ほど華はないが、胸がキュンとなる映画です。
主演女優が美しく撮れてました。監督の気持ちが反射されています。
007 Live and let dieの件は回収出来なかった。
ふたりが走る美しさ
完璧。
全てのシーンが雑多で猥雑でそれでいて美しい、映画のショットに求めているもので溢れていた。
主人公ふたりの歩く、走る、その運動でシーンの意味を過不足なく伝えきる演出がキレッキレで本当に眼福だった。
映画史上1番静かだけどハラハラするカーアクションも見事。
「インヒアレントヴァイス」のシャスタとドックが雨の中をハッパを求めてびしょ濡れで走り回る、あの美しいシーンがどんどん出てきてなんか幸せすぎて死ぬんじゃないかと思ったよ。
ただ、この作品、今のまでのポール・トーマス・アンダーソン作と決定的に違うのは、ある媒体(ドラッグだったりセックスだったり過去だってり)を挟んでの関係ではない、生身の人間の関わりを描ききったことではないでしょうか。
そう思うと「ファントム・スレッド」からも当然続いている作家性の更新とも言えるのでは。
もう、満足。今年はこれでいい。
まことに面倒臭い二人の純愛物語
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