「これは戦争なのだと思います」牛久 正山小種さんの映画レビュー(感想・評価)
これは戦争なのだと思います
日本の難民申請は0.4%の認定率であるという衝撃的な数字が出てきます。数字は嘘を吐きません。日本で難民として認められる人は相当に少ないのでしょう。しかし、嘘吐きは数字を使うとも言います。果たして、この認定率の低さだけで、日本の難民問題に結論を出せるのでしょうか? 日本で難民申請をする人たちと、他の国で難民申請をする人たちとで、その難民申請の背景は同じものと言っても良いものでしょうか? また、他の国の難民申請でも100%が認められる訳ではなく、50%を超える国は多くないようです。では、今回の映画に出演された方々の半分は不当に拘禁されている真の難民で、残りの半分は偽の難民申請をしている人たちで、長期間収容されても構わないということでしょうか? 恐らく事はそんな算術的に簡単に答えが出るものではないのでしょう。
まず、難民は当然ながら不当に長く拘禁されるべきではないと思います。真の難民は早急に申請を認められて収容を解かれるべきだと改めて思いましたし、そのためにも、申請者の出身国の情報に明るい人たちが一人でも多く、難民申請の審査に関わるべきだと思いました。そして難民申請の審査を入管がすべきなのか疑問にも感じました。
出入国管理は、いわば、日本の治安を乱すような人物を日本に一人でも入国させない、既に入国している場合は、一人でも多く日本から出国させるよう水際でのコントロールを行うということですから、入管の職員の方々は非常に熱心に素晴らしい仕事をされていると思います。その一方で、難民認定というものは、それとは逆に、不法入国や不法滞在など明らかに犯罪とされる行為を行っている場合であっても、母国に帰れないという特殊な事情のある人たちに、例外的に日本での滞在を認めることなのですから、同じ役所の職員に難民申請の審査までさせるという制度そのものに無理があるように感じられました。
このような制度上の問題や不認定の際の理由の説明が不十分なことから、収容中の難民申請者の方々は入管を信用できなくなるのでしょうし、入管の職員の方々も難民申請者の方々の話を簡単には信じられないのではないでしょうか。お互いがお互いを信用できないからこそ、そして長期収容のストレスなどの事情も加わって、劇中にあったように、お互いを噓つき呼ばわりして揉めた挙句に、職員が被収容者を制圧することになるのだと思います。
「制圧」そのものについて、1人に対して5~6人で押さえつける様子を非人道と考える向きもあるかとは思いますが、あれだけ体の大きな人が暴れだしたら、5~6人で制圧することになっても仕方ないのではと思いました。レスリングの試合をしているのではないのですから、1対1で対応する訳にもいかないでしょうし、速やかに制圧するには、あの人数は妥当なのではと思いました。ただ、問題は、制圧の際に、入管の職員の方が彼に「あなた『も』嘘吐きだ」だとか「あなた『だって』嘘を吐いている」と言っていたことが気になります。「も」ってことは、入管「も」噓を吐いているということですよね。夫婦関係であれば、これだけ拗れたのであれば離婚を勧められるような関係ですが、今の難民申請の制度内ではそうもいきませんから……。やはり、難民申請の審査を入管の業務から外す法律を作るべきなのではと思いました。
そして収容が無期限なのも問題だと感じました。仮に、嘘を吐いて難民申請を繰り返している人だったとしても、際限なく収容して、人権を制約し続けても構わないと判断してもいいのか悩むところです。いつまでも外に出られないから、自分の命を武器にハンストを行い入管を脅してくる方々も出てきますし、中には命を落とされる方もいらっしゃるのでしょう。入管で餓死された方がいらっしゃるというニュースを初めて耳にした際には、どうしてそのような事が起こるのかと不思議に思ったのですが、劇中で被収容者の方が「入管とファイトする」とおっしゃっていたように、彼らは入管と戦争をしており、唯一の武器が自分たちの命ということなのでしょう。非常に痛ましい話です。
また、仮に仮放免が認められて外に出ることができたとしても、就労が認められないことから、住む場所や食べる物がなくて困るのは、火を見るよりも明らかなことです。そうすると、別の映画の東京クルドであったように、不法に就労する人たちも出てくるのだと思います。大企業から不当な金額で仕事を下請けさせられている中小企業が、彼らのような就労許可のない外国人を廉価で雇うという、現代の奴隷制度が日本で行われているわけです。バブル時代の不法就労の外国人から現代の技能実習生に至るまで、私たち日本人は、外国人を奴隷として酷使し続けているわけです。そして安い賃金でも奴隷が働くので賃金はいつまでたっても上がらない......。このような構造的な不公平や不平等な富の分配を認めながら、入管のみを問題と考える人たちが多いことが不思議でなりません。
また、難民申請そのものについては、母国で命の危険に晒されている人が証拠をきちんと集めて出国できることを普通は期待できないことを考えると、証拠が十分に提出できないから難民として認めてもらえないということを避けるためにも、制度としては、嘘を吐いて難民申請をしている人たちも含めてある程度の数の人たちを難民として認め、収容を解く制度を認めるかべきかどうかを考えるべきなのだと思います。もちろん、その場合は今以上に嘘の難民申請が増えるでしょうが、その辺りを含めて、どれだけ私たちがそれを受け入れられるのかだと思いました。
いみじくもコロナのために仮方面で収容を解かれた難民申請者の方々も増えたようですので、この映画を見て、入管に対して憤りを覚えた人たちが、今後どのようなアクションを起こすのかも問われているのだと思います。生活に困った彼らが犯罪に手を染めないようにボランティアとして彼らの生活を支える手助けをするのか、どこかに募金などをするのか、何らかセーフティネットができるよう法律の制定や改正に向けて運動を行うのか、あるいは友人とお茶をしながら入管は酷い所だよねとお喋りをするだけか、あるいは......。