「「一瞬の出会いで感じたこと」」ある夜、彼女は明け方を想う R41さんの映画レビュー(感想・評価)
「一瞬の出会いで感じたこと」
名前のない登場人物たち。短編映画。ほぼ見たままで解釈しやすいが、タイトルに込められた意味こそが物語の真意であるならば、そこまでちゃんと理解するのは難しい。
これは、どこにでもいそうなひとりの女性の物語だ。
日本の特徴であるとんとん拍子。義務教育前から受験が始まり大学まで一気に進んだかと思いきや間髪入れずに就活・就職へと、まるで大量生産されるかのような社会。
その中でもゆとりのある生活を求め、留学や旅行、合コンなど様々なものがある。
主人公の「私」は、留学先のニューヨークで一人の男性と知り合う。
今まで男性との出会いがなかった彼女は、その男性のすべてが新鮮で、魅力的だった。
「恋とは盲目だというが、このままこの恋が続くなら二度と光などなくていい」
しかし意見の違いは出る。
この作品の面白さは、この物語が一人称で描かれているところだろう。すべてが「私」の視点だ。「私」が感じ、思い、行動して、後悔して、悩んで、答えを選択していく。
「私」は見た目は大人でも、まだまだ成長途中の少女だ。その少女に突き付けられる現実と、純粋さを消そうとしない純粋さに深く共感した。
夫との口論からの決断は、「私」に非がない訳ではないが、「私」も自由に生きたい。
しかし、出国カウンターに向かうエスカレーターで夫は、結婚指輪をむしり取るように取った。
話し合いではお互い折り合いをつけたはずだったが、その行為を見て夫との実質的な亀裂を確信した。
人の心は、コントロールできないのだ。
夫が転勤になって1か月後、無理やりお願いされた合コンで、「私」は気になった「年下の彼」にちょっかいを掛けた。そう「恋はひっそりと始まってしまった」のだ。
それは夫が「私」に初めて出会った時にしたことで、今となってはそれが「手」だということは「私」にもわかる。
その年下の彼と夫はまるで性格が違った。彼には「私」が結婚していることをなどを話していたが、彼と過ごす時間は楽しく、「刹那的な盛り上がり」を楽しんだ。
急遽夫が帰国することになる。
「私」は彼に「ごめんね。ちゃんと、すごく、好きだった」
夫には濡れないことを詫びた「ごめんなさい」
「もし、帰ってきて、私がいなかったらどうした?」
「なんだよ、今更…… 探してたかな…」
久しぶりに会う友人と飲んで、別れて、一人あの公園に行ってみた。
「6年も前のことを昨日のことのように覚えている」
夫に迎えに来てもらい、車の中で見た季節外れの花火。
いつか年下の彼と一緒に見に行こうと約束した花火。
花火を見ながら「私」は思う。
「彼に言った言葉は本当だ。私はあの夜、過ちであったとしても、確かな光を見つけてしまったんだ」
この「私」の言葉で作品が締めくくられる。
さて、難題だ。
タイトルだけが三人称で書かれている。
もしかしたらその言葉の持ち主は「年下の彼」なのではないだろうか?
久しぶりに友人と会い、そしてその友人が合コンで出会った「誰か」が話した「マジックアワー」とは、「私」と「年下の彼」との大切な時間のことだろう。
年下の彼は「その夜」、「私」を公園で見たとき、「私」が暗闇の中で迷っていて、誰かに助けてほしいと言っているようで、もし「年下の彼」が公園へ来なかったら、そのまま滑り台の上で夜明けを待ってしまうのではないかと思えたのではないだろうか?
年下の彼が感じた「私」という人物像。誰とも話してないように見えた合コン。なのに、見え見えの手段で気を引く素振り。明らかに「変」だ。
彼はその変なところに惹かれたのかもしれない。
一人称で「私」自身のことを描きつつ、年下の彼は今でも忘れることのできない人生で一つくらいしかないかもしれない魔法の時間をいつまでも大切にしている。
内容そのものは「私」の視点。でもその「私」をどこかで今でも想っている「年下の彼」によって書かれたタイトル。
そして、それは過ちだったのかもしれないが、二人が出会わなければ起きなかった物語。
本来の自分自身でいられた時間。
二人にとってかけがえのない時間。
これは、「私」の想い出を同じ視線で見てくれている「年下の彼」がくれたタイトルなのかもしれない。
良い言葉が見つからないが、心の奥に響く自然体としての「私」がよく描かれていたと思う。いい作品だと思う。