生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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机の書類、俺と同じだった😂
原作有りのリメーク版と知り観た本作品は先入観も無く、ちょっとした人生のバイブル要素がありました。
英国紳士の気質を表していたし誰にも告げずにいた病状を彼女に告白、仕事に対しての姿勢や意欲を思い浮かべたりして奮起してしまう。
ウィリアムスは心の不安を打ち消すかの様に市民課の職員を巻き込み仕事に奮闘しなりふり構わずまい進する姿に強い意思を感じました。
主人公が他界し彼の功績を讃え意思を受け継いだ市役所職員達の姿が有りましたが果たしていつまで続くのかと心配する自分でした。
いい映画でした。
オリジナルをきちんと消化してイギリス的に置き換えた
昔見た黒澤明の「生きる」よりだいぶあっさりしてるけど、それなりに良い作品でした。
イギリス映画としてリメイクされたのが良かったと思う。
日本映画でやったらきっと、目も当てられないものになったと思う、椿三十郎の惨劇みたいな。
夜中に、雪の降る中を、なにやら歌いながら完成した公園のブランコを漕いでいるめっちゃ幸せそうなじいさん、という客観的には異様な光景を、巡査が目撃談を語る形で伝えて感動的になるのはオリジナルと一緒だけど、そこに至るまでがあっさりしているので感動もあっさりしていた。
主人公のキャラクターも含めて、オリジナルをきちんと消化してイギリス的に置き換えている。「ゴンドラの唄」を「ナナカマドの歌」にしたのも良い。
雪の中ブランコを揺らすシーンで、BGMがちょっとうるさく違和感があって、「ナナカマドの歌」の曲だけ流す、なら良かったのに、と思った。
オリジナルでは志村喬がとつとつと歌うけど、イギリス版のビル・ナイは歌がうまい。ミスター・ウィリアムズは音楽を嗜むような育ちなのが伺える。
…なんと、このシーンだけで彼らの育ちや人となりがわかるじゃないの!
改めてクロサワの「生きる」はすごい映画と再認識し、そしてイギリス版リメイクの質の高さを感じました。
地味だが、深く余韻が続く良作。
無駄な動きのない、無駄なセリフもない、研ぎ澄まされた脚本が大人な印象のよき作品。
シンプルな会話と的確な演出がいい。
だけど朗朗と主人公が歌うあの幼い日々を思い出す歌。あの瞬間は彼は輝いていた。とても胸に響きました。
「自分の人生を生きてるか」この映画に鋭い問いを投げかけられた思いがします。
自分の人生は自分でしか満足させる事ができない。
誰も自分以外、自分の幸せを探してあげる事はできない。
自分で考えて行動するしか答えはない。
カズオイシグロさんの功績は大きい。
人生後半戦の私に深く響く良作です。
ゾンビ
黒澤映画のリメイク版と言っても 生きる を鑑賞してないからそこは解らないが 余命を宣告された者の感情の変化に日本的な情緒を感じた、その背景や環境に英国的な風情を感じた、紳士たるがゆえに向き合い方が解らない 死が迫ってきた者の共通の思いなのだろう それは老いて死期を迎えるものも同じような気がする 生きる意味 生きがいなどと表現するが若い頃に胸に抱いていた夢とそれを達成しながら生きてきた現状の先に死を目の前にして悲壮感しかないのか?
そんなことは無いと 仕事であれプライベートであれ向き合う事が 幸せ という生き方ではないのかと思ったリアルな自分に入ってきた作品だった、人は年老いて人生を見失う事が多々あるが死の直前にならないと探そうとしないのだなぁ 幸せの意味を理解する事はできるかもしれないが体現することの難しさはそれぞれの心の中にある気がします。今回は物語そのものについて考えてみました。
映画って良いですねー
それが生きるしあわせなのだろう
明日も日々が続くと思っている
しかし命にかかわる病で、この日々が確実に終わると分かった時、何をしたらいいのだろう
生きる意義を失って呆然と何もできない中でもやる事を探すだろうか?
享楽に溺れても忘却しかなく、かつての命輝く恋心を思い出しても"老いらく"でしかない
その時に気づくのだろう
自分がすることをやることを
小さな事でも遂げられたなら、いや成されなくとも
Kurosawa meets Ozu
黒澤明監督作品のリメイクだが、雰囲気、トーン、映像と丸で小津安二郎のオマージュである。オマケに主役のビル・ナイは笠智衆に面影が似ている。内容はオリジナルのプロットを忠実に踏襲しつつも、場面構成とオリジナルに足りなかった演出を付け加えて、オリジナルに劣らない素晴らしい出来映えとなっている。カズオ・イシグロのセンスが見事に結実されているようだ。「いのち短し恋せよ乙女」をスコットランド民謡「ナナカマドの歌」に変えたのも、秀逸である。過ぎ去ってしまった美しき日々を歌でまとめる手腕には全く脱帽である。細かな説明は控えるが、盗られた山高帽子の代わりのモダンな中折れ棒子が主役の心境の変化を映像だけで見事に語る。日本人がもし、このリメイクをしたならば、下手くそな売れっ子タレントを使った上に、恐ろしく陳腐で全くの駄作しか作れなかったのは想像するに難くない。最早、これだけ練られた脚本と映像はテレビ主体の文化的にも堕ちた日本では作れない。鑑賞後の感動が直様、暗澹たる気分させられるほどの秀作であった。
程よく良い
自分がもし余命宣告をされたら?って考えた時、家族を取るのか趣味をとるのかと考えてしまいましたが、この映画ではそういうことを言ってはいないなと思いました。よくよくこの映画を見ていると確かに余生を過ごす過程が日本人ぽいなと感じました。皆に覚えてもらうために、どうにか今をもがく。背伸びをしてシャキッとする。したことの無いことをする。これが息抜きなんだと思いました。ただ、感動というよりも、気づきと言うよりも、言いたい結論は同じでその過程の1つとしてこの映画があるのだと思いました。1つの小さな幸せの積み重ねで自分を活かし、人望、信頼を持つのだと思いました。またそれが人生なのだとも思いました。
これはこれで良い
原版を観ていることが大前提で撮られています。
ところどころ原版と同じアングルのシーンを取り入れて黒澤への敬意を表しています。
原版にしても、黒澤自身が嫌いな作品と表明しているとおり映像的、演出的には特筆すべきものではなく、お話と脚本の完成度が完璧なので、まあ誰でも無難に撮れば高水準に仕上がるようになっていますが、こちらの方が生真面目な展開のように感じます。
原版でもう少し説明してほしいと思っていたところが、こちらでは明確に改変されているところが良いですね。
良かったと思える人生を送るために
生きて行く中で将来に夢や希望を持って行くのは当然ですよね。当然と言うよりそれは必然なのでしょう。若かりし頃に夢も希望も無い人の方がむしろ問題。でも人は慣れてしまうもの。若い頃の思いは叶わなくとも、日々を当たり前のように過ごし、何かに立ち向かう事も無い。そんな日常でも生きて行く事に支障は無く、いつも通り過ごす事に何の問題も無い。でもそれはただ生きているだけ。死んだように生きるのでは無く、もう一度若かりし頃の自分の思いを取り戻したい。癌による余命宣告を受けた役所の課長ミスター・ウィリアムズさんの残された日々を描く物語。名作「生きる」をリメイクしたもので、内容に大きな違いは無いと思いますが、こちらはこちらで実に心に染み入る作品だと思いました。ビル・ナイさんにはミスター・ウィリアムズが乗り移ったかのような演技、素晴らしいと思いました。人が覚悟を決めて何かを行動に移した時、それはまわりの人達をも動かす力になる事を見事に表現してくれました。そしてきっかけを与えた部下のミス・ハリス(マーガレット)。自らの病を告げ、彼女の若さと行動力に惹かれ、もう一度自分を取り戻したいと告白するシーンは心に残ります。亡くなったあと列車の中で役所の部下達が話すウィリアムズさんへの想いも印象的。でもしかし人は慣れてしまうもの。日常に流され、決意はどこかに置き忘れ。でもだからこそ、人は自身の存在を、生きた証を残したいと願うのではないでしょうか。決して大きな偉業を成し遂げたいと思うのでは無く、じきに忘れ去られるような小さな事でいいのです。大切なのはそう思い、それに向かって行動した自分自身なのです。若かりし頃の希望を忘れず、ささやかな喜びを力に変える。それが生きると言う事なのかな。そんなことを考えました。黒澤明監督の「生きる」をリスペクトしつつも、新しい事に挑戦したこの作品もやはり素晴らしい映画でした。
これは原作も観なくては
現代に焼き直すと思うじゃん。そうじゃなくて1950年代のイギリスを舞台にしてんの。その決断がすごいね。
話は古くさい感じがすんの。でも、結局、いまと大きく違いはないんだよね。
市役所勤務で、ことなかれ主義で過ごしてきた課長が、余命わずかであることを知って、突然、やるべきことをやるんだよ。それに周りの人が感銘を受けて。
課長の葬式の帰りには「我々は課長の意志を引き継ごう」って安っぽく盛り上がるんだよね。めちゃくちゃ見に覚えがある。感銘受けた後で安っぽく盛り上がってしまうの。
でも当然のように元の木阿弥で、ことなかれ主義で仕事が続くの。
この話、良いなと思うのがね、課長は自分が余命わずかと知るまで、完全に仕事に情熱を失ってるの。そんな人間でも、変わることができれば輝けるんだって、希望があるね。
年をとると、仕事の上では燻ることがあんだよね、でも、そんなあなたでも私でも、まだ輝けるっていうのがいいね。
しかし、映画を観て安っぽく盛り上がっても、課長の仕事は、課長の上司の上司や隣の課に手柄は持ってかれてんの。そうなると分かっていて、なお、やるべきことをやれるかというと、やっぱ無理だね。
それでも
良き仲間に囲まれ喜ばれる存在が人生の目的
この作品を見てしみじみと思ったのは、良き仲間に囲まれ、喜ばれる存在が、人生の目的ではないかということです。そのことが一番の幸せなのかもしれません。黒沢の珠玉作品のリメイク版ですから、創作物としてかなりハードルが高いのですが、テンポ良く展開され、映像もイギリス映画らしく重厚で、かつ音楽も非常に上品でしたので、ほぼ同等の完成度を持っていたと思います。まず、可愛い部下だったマーガレットに末期がんのことを知らせたというのは、彼女の生き様が、彼の心を動かしたからなのでしょう。確かに職場において「喜ばれる存在」であったマーガレットは、死を自覚したウイリアムズにとっては、いきいきと輝く光の存在だったのでしょう。また、その彼女が彼につけたあだ名は「ゾンビ」でした。「死んでいるけれども、生きている存在」という言葉に、彼は今までの役所での人生は「ゾンビ」のようであったと気づいたのでしょう。そんな彼女に自分の死期を語り、語ることによって最後のパワーが噴出するスイッチが入ったのだと思います。もちろんちょっぴり淡い恋心もありました。そして見事、何度も陳情してきた市民のために公園を作り上げ、雪の降るなか完成した公園のブランコにのり、幸せな気持ちで亡くなって行きます。彼の最後の仕事は小さなことかもしれないけれども、周りの人間たちに、さわやかな人生の締めくくりを教えたという意味では、平凡な市民の偉大な人生の面目躍如かもしれません。
私見 人生には幸福も不幸もありません。あるのはそう考える自分だけ。その自分が幸せであると思えば、幸せなのでしょう。
仕事に忙殺された時に見る映画
非常に考えさせられる映画だった。
余命が宣告されて、仕事への向き合い方を変えた主人公の話。余命の間にやれることをたくさんやろう的な話ではなく、自分のやれることをやろうとした主人公はかっこよかった。
仕事に慣れて心が麻痺してしまったときに見返して、自分を見つめ直したい。
死んでるみたいに生きたくないby渡辺美里
観る年代によって、感じ方はいろいろあるだろう。
若いころに見ても、ただ怠けているおじさんでしょ?
私は58歳で観て、やはり今の自分と比べてしまう。
私が若いころに、「死んでるみたいに生きたくない」という歌を、渡辺美里さんが歌っていた。今思い出すと、それは若いからではなく、いつでも言えることだ。
今の自分に夢や希望がないとは言わないが、ともすると先が見えて一生懸命さが欠けてしまう。そんな思いを少しだけ奮い立たせる映画である。
脚本に違和感‼️❓
なんだか黒澤明の顔に泥を塗る様なストーリーに感じた、オリジナルを忘れたが。
余命宣告されてから、大半を辞めた若い女と過ごす、遊ぶシーンが大半、これ、誤解される、近所だけでなく、観てる私たちも。
どうせリメイクするなら公園でなく、命を守る様な施設にすれば良かった。
余談ですが、私の知る公務員幹部に公務員ヤクザを標榜してのしあがる人がいます、公務員ヤクザとは上に媚びへつらい下に責任転嫁する人です、たらい回しなんてかわいいもんです。
映画の最後でオリジナルに合わせて辻褄合わせをします、シナリオライター本当にノーベル賞なのかな、変な脚本。
暇ならどうぞ。
目標を持つことの大切さ
マーガレットハリスが職場を明るくしたいと思い、自分から積極的に話しかけたりしていたが、
変わることはなく自分には役所はあってないと感じ、転職しようとしたが課長であるウィリアムズには明るくしようとした行動が響いていた。物事をやる時にどうせ無駄だと決めつけず、諦めずに何事もやることで人の心を動かすことができる素晴らしさを感じることができました。素晴らしい映画です。
彼の最後の生き様に生命を吹き込んだもの。
実話モノでもない限り、映画の「つくり」としては、脚色ということもあり、必ずしも世の中で行われているありのままを描かなければならないというものでもないと、評論子も思います。
しかし、架空の会社を舞台とするならばいざ知らず、「市役所」という実在の組織を舞台に据えるのであれば、そこでの仕事ぶりや、織りなされる人間関係などが、あまりにも実際と乖離しているというのは、いかがなものかと思ってしまいます。
(A県のさる漁港が舞台のはずで、確かに映像は漁港の風景なのですが、画面に映し出される漁船は、何故かどれもB県知事から登録番号の配付を受けた漁船ばかり…などというのは、製作上のご愛嬌。)
元作は、死期の迫った市民課長自ら(市民課)が、市民から陳情のあった公園を、トップダウンで作ってしまうという、およそ「ありえへん」ストーリーでしたが、本作は、死期の迫った市民課長が、強力に働きかけたり、政治力(市議会議員?)を利用したりして、関係各課に公園を作らせるという、無難なストーリー。
まぁ、公園造成のノウハウも資源も持たない市民課としては、できることは、やはり関係各課に動いてもらうよう働きかけることが、せいぜいだったはずです。
その点では、元作よりも、ずっと現実に即した「観やすい」一本に仕上がっていたように思います。ウイリアムズ課長(ビル・レイ)の生き様を重ね合わせても。
そして、その陰には、市役所職員の実際の働きぶりについて正確な取材が行われたことが窺われます。
「役人の働きぶりは、こんなもの。」という決めつけ(?)で作られたような元作とは違って。
そして、その正確な取材が、本作やウイリアムズ課長の(最後の)生き様に生命を吹き込んだと言えると思います。評論子は。
かつて「マルサの女」が封切られたとき、「自分たちの仕事に、よくぞここまでスポットライトを当ててくれた。」と、日本全国の税務職員がスクリーンの前で涙したと言いますが(真偽の程は不明?)、それも、税務の現場についての徹底した取材がバックボーンとしてあってのことと、評論子は思います。
生きる意味
オスカーにノミネートされたビル・ナイ爺と、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの脚本で、期待度マックスでした。
子供の頃TVで観た黒澤明バージョンは、戦後で重々しかったけど、ロンドンに置き換えたリメイク版は美しい映画でした。まるで昔のイギリス映画のようなオープニングから、全てのカットが凛として素敵。ロンドン紳士のハットと傘は憧れるなー。
若い頃は希望に溢れていても、いつのまにか毎日が単調になって、なんとなく生きている。そんな時に突然、死を宣告されたら?自分ならどうする。
生きた証として何か残せないかと、今も頑張っているけど、なかなかうまくいかない。けどこの映画を観て、誰かの心にだけ永遠に残ればいいよねと、ふと気が楽になった。黒澤明作品からメッセージは変わっていないけど、大人になって観るリメイク版はとってもリアルでした。
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