「それでも敢えて映画を仕上げてみた河瀨直美を観に行く」東京2020オリンピック SIDE:A きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
それでも敢えて映画を仕上げてみた河瀨直美を観に行く
あれはさんざんな五輪だったと思っている。
◆安倍晋三総理=原発事故は完全にコントロール下ですと大嘘の招致アピール。
◆森喜朗大会組織委員会会長=女は話が長くて会議の邪魔だと発言して更迭。後任者選定は揉める。
◆野村萬斎を降ろしてその後を継がせた音楽プロデューサーも開会式プロデューサーも、問題発言報道で直前で土壇場投げ出し、辞任パニック。
◆新国立競技場はザハ案が流れて、日本人デザインはさんざん叩かれた挙げ句の高額建築で、予算なんてどうでもよくなる。
◆オリンピックのクライマックス=マラソンは、米テレビ網への忖度の結果、猛暑で急きょ札幌へ。
忘れていたが、エンブレムの盗作もあった。
そこへきてのコロナウイルスによる1年延期だったのだ。
(東北をダシに使ったから・・)
”復興五輪“は、呪われてスタートしたのかもしれない。
劇中で、アメリカのマラソン選手の「子連れ参加エピソード」がとても良かったのだが、それは彼女が自身のレース途中でのリタイア脱落を、自分の赤ん坊に飛びっきりの笑顔で報告するというシーンだった。
「諦めてもいいのよ!」
まるで金メダルを取ったかのような嬉しそうなママ・アスリートの声。
・・でも、感動的な競技の裏面で、選手たちを支えて屋台骨になるはずだった日本の組織委員会はムリムリの強行を選んだ。しかしその実際は辞任と棄権続きの 烏合の衆の泥舟操業だったのだ。
それでも、否それゆえに、敢えて棄権せずに映画を仕上げてみた河瀨直美・・
これもアスリートの姿だと取れなくもない。
ハラキリ、ジュードー、キミガヨ への可笑しみと”斜め目線“は、隠しても隠しても”毒“が滲み出してしまっていて、監督は魂を売っていないことを示している。
後編 = SIDE:B = B面(笑)では、洗いざらい内情を暴露して、発注元のIOC、政府・五輪委員会から検閲=お蔵入りにしてもらうのも、それはそれでいいかもと思う、
河瀬節炸裂で。
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「在野」は難しい。
「在野」をスタンスにしていたはずの河瀨直美が、五輪記録映画を受託したのだと聞いたときの違和感を僕は思い出す。
今夜、ガラガラに空いている映画館に来てみたのは「河瀨はたとえ心ならずとも、商業主義と能力主義の権化であるIOCと四つに組んで、いったい何を成そうとしているのか」、
それが観たかったからなのだ。
「幸吉はもう走れません」と遺書を残して自死した円谷幸吉
と
「頑張らないで諦めてもいいの、それが強いってことなのよー♪」と乳母車の愛児に笑顔で報告する先述の米ランナーと、
・・アスリートたちを取り巻く時代は、多様性において、こんなにも変わったことを、河瀨の映画は示した。
そして、
引き受けたからには、嫌なIOCやJOCとも逃げ出さずに付き合ってみるという組織人としてのプロ根性やユーモアも、河瀨直美は見せてくれた。
ジェンダーレスをどう扱う?
五輪の未来は?
B面も楽しみだ。
遠足の前の晩のように心が踊る。
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付記:
新競技、良かったですが、
ちなみに僕は「ピストル競技」の廃止論者です。
「狩猟による食料確保」を原型とする槍投げ、アーチェリー、ライフルなどとは全く異なり、「ピストル」は標的は人間。人間を威嚇し傷付け殺す道具。
だから選手は兵士と警察官だけという異様な競技。
五輪精神に絶対そぐわない。
銃を規制する日本での大会だからこそ「ピストル」は廃止・先送り・(あるいは競技も表彰式も)人には見せずに非公開でやってもらいたかった。