すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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ふわっとしているのは多方面への配慮かそれとも?
終始、ふわっとしている。
登場人物の過去はまあ、一応描かれているが核心的な部分はかなり曖昧である。(と私は感じた)
震災を大きく取り扱っていることから、鑑賞者を意識しすぎて、詳しいエピソードや背景が書けなかったのだろうか。
映像や音声で、過去の震災を思い出してしまう方はいるだろうが、ストーリーとしてはなるべく誰も傷つかないようにと配慮した話に仕上がっていたと思う。
じゃあ何故震災をテーマにしたのか、疑問でもある。
もっと主人公たちの行動に信念があると感じられるような描写が欲しかった。
起承転結ははっきりとあるし、ロードムービーとして映像が綺麗なので凄く退屈というほどではないが、壮大なラストを見ても何も響いてこない。
ひとつだけ突っ込みをいれるとすれば、閉じ師だけでは食ってけないってそこにリアリティーはいらないし、逆に教師やりながらそんな大事な代々続く仕事を片手間にやろうとするのはどうかと思う。 おまけに高校生と付き合っている教師とは…。 どうしても教師という設定の必要性がわからない。
驚くほど何もなかった。
新海誠の真骨頂と言えば、アニメでしかなし得ない映像の魅力なのだろう。この映画は映像的な魅力で描いたシーンが連続しているだけだ。ドラマを語ることをついに放棄したかと感じる。ある意味正しい選択なのかも知れない。しかし、日本文化に親しんだ皆に分かりやすい共通理解と同義であるが、竜のように描かれる地震のエネルギーなど、想像し得るイメージを超える新鮮味やオリジナリティは乏しい。映像の魅力のみを追求したであろう作品で映像の魅力が足りない。
そしてドラマ性の欠如は明らかで、鈴芽がいつどのように草太を「居ない世界が怖い」とまで言うほどに好きになったのかまるで描かれないし(好きであるという状況が必要だったということだろう)、要石とか閉じ師がどういう設定なのかも明らかでない。そういうものだということに終始し、謎解きも求められていないのだろう。封印のようなことを成し得たのも、なんだか頑張ったからという以上のことは読み取れない。モチベーションがよくわからない中で感情で物事が動く、日本映画の悪癖である。
また、ロードムービーでもある訳だが、この魅力的な形式には大きな危険がある。移動と一体となって展開するドラマこそロードムービーであるが、旅路を進んでさえいればドラマが動いていなくて動いているかのように感じられてしまう。途上で出会った人たちはどんな存在だったのか?物語の初めと終わりで何が変わったのか?
境界の表現は「君の名は。」より意味を持って描かれたと思いますが、あんなに気に入らなかった「君の名は。」がそれなりに見どころあるものに思えてくる一本でした。
確かに物語は面白く、映像も音響も迫力あり
TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞。
確かに、新海誠監督のアニメーション映画なので、物語は面白くて、描画も美しい。
九州に住む高校生すずめの日常を描きつつ、非日常世界にスッと入っていく流れも上手い。
普段の日常生活では見ることができない風景を見られるのは、本当に映画的であり、こんなにもSF的ストーリーだとは思っていなかったので、不思議な世界を堪能できて良かったと思う。
すずめという高校生が、ある青年から「この辺に廃墟はありますか?」と聞かれたことから、青年が探していた廃墟、そこにある扉、扉を通して見える世界、青年は扉に鍵をかけて旅する“閉じ師”という不思議な男、椅子、ダイジンと呼ばれるネコ、みみずと呼ばれる凄いウネリ、地震などなど盛りだくさんのエピソードが綴られる。
音楽も昭和歌謡曲が多数使われていて、オジサンが観る分には「懐かしい」…(笑)
この映画はSF要素が前面に出てくるので「すこし、ヱヴァンゲリヲン新劇場版に似ているなぁ…」などと思っていたら、昭和歌謡曲が次々と流されて、「やっぱり、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の影響?」などと思う。
女子学生すずめが、通学で海が正面に見える坂を降りていく場面は、七里ヶ浜の坂の上にあった食事処((134沿いではない)珊瑚礁、お魚亭、TONTONなど)で食事した後に国道134号に降りる坂を運転しながら見える海のような感覚で、あの感覚は好き。……元鎌倉市民(笑)
ただ、九州から四国の後が、神戸→東京→宮城という大震災の発生場所を巡るロードムービーというのは、ちょっと微妙だった。
大震災を描きたいのであれば、通過点のような描き方はしてはいけないのではないか?……と思ってしまう。
確かに面白い映画で、映像も音響も迫力あった作品だったが、観終わって、いろいろと疑問に感じるところが多い気がした。
<映倫No.123407>
大きなスクリーンで
公開五日目にしてレビュー400。
もう内容には触れません。
本当はIMAXかULTIRAで観たかったんですが、近場の劇場で。
シネコンのスクリーン半分くらい占領して30分おきくらいにスタートしてるから、一応調べて一番大きなスクリーンでの上映回で鑑賞。
入れ違いに若い子たちが大勢小さなスクリーンのところから出てきました。
せっかくの素晴らしい作品なんだから、上映回数増やすのは分かりますが、あんまり小さなスクリーンでは観た人たちがかわいそう。
大画面で観せてあげればいいのにと思いました。
良さが半減します。
大きなスクリーン、良い音響で観るべき作品です。
あと、猫のビジュアルがせめて羅小黒戦記の羅小黒くらいかわいければなぁ。
そうか…コレが新海節だった
遅ればせながら見てきました。
楽しかったですよ。
全体的な画の感じは毎回お馴染みのアレで
あ〜これが新海節か…と再確認
感想はですね
も〜1番肝であろうオカルトやSF部分は置いておいてw
北へ向かう目的が恋愛要素が強すぎるのが
私的にはあまり好きではない…と言いますか…
みかんを落とした同級生も
スナックやってたおばちゃんも
ただの通り道になってるから
最後に2人に会って帰るエンドロールが
全然グッと来なかった
旅先で会った2人にも色々な人生があり
悩みや想いを自分と照らし合わせ
その想いを抱えて北へ向かい
それぞれが過去の自分を超えていく…
そんな話が良かったかな〜
そうしたら帰りのあの場面がもっとグッとくるし
映画って終わった瞬間に
どんな感情に落ちているかで
作品の感想が変わるから
今回の終わり方は好みじゃないかな
登場人物のディテールが薄いと言うか
でも楽しかったですよ!
もうこの世界観はそろそろね
次回作品が別の意味で楽しみになりました。
以上です!
自然主義を体現した作品
新海誠監督特有の緑、青と黒、赤のコントラストが印象的でした。
ここまでかと言うほど自然主義的な映画の内容で、ジブリの作品みてるのかなと感じました。というかジブリ作品のオマージュだと思った。
緑から生まれた私たち人間が青の神聖な水に還って行く、唐突に人間の上に降り注ぐ、赤黒い神の怒りの渦。それは自然と共に生きると決意した人間に与えられた使命のように感じました。
特に扉の中の災害は地獄のようで、石が刺さった山は青い水が流れてたのが混沌としていてすごく絵が綺麗でした。災害のシーンは映画の後隣の女子高生が怖い怖いと言っていたのに同意します。
ドライブしている時、東北の景色をみて芹澤がきれいだと呟いたとき、私も東北に以前訪れた際、とても綺麗だと感じたので驚いた。すぐあとすずめが、綺麗なわけないと言っていて、震災を実際に体験したすずめからしたら忌々しい記憶を甦らせる景色でしかない訳で、当たり前で、申し訳ないなと思った。けれど、不謹慎な事は承知の上で、人間があれほどの時間をかけて作り上げた文明を震災が一瞬で全て破壊し、破壊された土地の上に新たな命が息吹き自然を作り上げる、あのなんとも言えない景色を目の前に、言葉に表すことが出来ないような感情になった、それをこの映画をみて思い出しました。この映画はあの震災を体験した人としていない人では感じ方がすごく違うと思います。
きっと未来を見て歩くことは難しいけど、人間はいつか必ず自然に身体をお返ししなければいけないから、今生きている自分という存在を大切に、いってきますと言いたいですね。
外だけ立派で中スカスカ
興行的には成功するだろうがこの映画に感動できるのは正直24時間TVと同じ感動層なのだ。
浅い感動層でしか感動出来ない人がいる。これをターゲットにしている敏腕プロデューサーが川村元気だ。深い感動層に生きている人は数々の疑問と違和感と矛盾点に苛まれる。注意して欲しいのは感動層の浅い深いに優劣はない。おそらく浅い感動層の人の方が人生を生き残る確率が高い。ただ、浅い感動層の人と深い感動層の人は残念ながら分断されていて分かり合えない。興行的には☆の分布率を観れば一目瞭然圧倒的多数が正義だ。新海誠監督の初期作品群は深感動層をメインにしていたが、今では浅い感動層をターゲットにしている。私は馬鹿だから過去の想い出に引きずられて公開初日に見てしまった。もしかしたら戻ってくるのではないかと期待してだが。残念だが彼はもう戻ってくることはない。
以下 本作品の所感
◆廃墟るるぶ?
ストーリーは凡庸です。骨格が凡庸なものに最高レベルのキレキッレの筋肉でマッチョにしましたが無駄です。ストーリーの凸凹を史上最高レベルの作画という高級パテで厚盛し綺麗にホワイトニングした作品。
全国廃墟るるぶトラベルといったロードムービーなので、映画早送りで観ない層の私には全てセリフで説明してしまう怠惰で楽ちんでたまにはこういうのもいいのかも思ってしまった。
映画マニアはターゲットにはしていないので、マーケティングの勝利だよなと自分をだます。
新海誠監督は映画マニア的には悪い方向へ進化、間を潰して絶妙な川村元気チューニングで浅い感動層へ受けがいいかもしれませんが、ひねりが欲しいストーリーなのだ。
映画見た後あなたの心に何が残りましたか。
漂白された廃墟るるぶトラベル、綺麗な景色と躍動する女子高生とイス
うおぉんキチィ!思わずうなってしまう出来、悪くはないが良くもない。
なぜ失敗してしまうのか。映画の難しさと面白さの不思議。
◆イケメンの呪いとは?
本当はみんな気づいているだろうな。イケメンの功罪を。
想像してみてください。あなたの大っ嫌いな同性の、顔がいい男バージョンがイケメンの正体であることを。
心ある優しい正直な男性は「私、イケメン大好きなの」という女の子には分不相応だと反省して自然と離れていく心理と真理を。
そうです。開始数分で私の心はヒロインから離れました・・・
新海誠監督よキャラクターのキャラ嗜好が古いよ、そして男のやっかみですよ「イケメン」発言は多くの非モテの暗い青春を想起させるため長年の新海誠監督の弱点です。
暗い青春を送ったこの非モテの恨み辛みがイケメンをイスに変え、荒ぶる神シシ神となったのです。
ココから面白くするには宮崎駿監督でも無理です。
◆セカイ系の限界?
選ばれた男女によるセカイ救世主論という言わばセカイ系の独善性にはついていけない面がある。
セカイの命運と選ばれた男女の色恋は別の世界線で等価ではない。別の関係ない色恋沙汰があたかも関係していて、結局いつも被害を受けるのは我々なのだ。
頼むから別の小世界で色恋をやってくれと云いたい。私なぞはタンスに押しつぶされて死ぬモブキャラなのだ。
ちっぽけな人生であるが、どうせ死ぬなら抗いがたい圧倒的大自然のパワーとメカニズムによって葬られるべきだろう。
死を覚悟している人間に災害トリガーの恋心は不要である。モブキャラとして他人の恋心に巻き込まれて死ぬのはごめなんなのだ。
本当はみんな思っている。もう世界を巻き込むな、世界を救うために色恋禁止でお願いします。
ここら辺がセカイ系の限界なのだ。
廃墟になった景色にはモブな人々の生活が横たわり、自分は選ばれた男女の外側、モブ人間なのだという感覚がある。
だから、ある種の反感がこの映画についてまわる。私は開始数分でモブで殺される側の人間だという実感がある。
この実感、他の映画で学びました。
例えるなら、養豚場のブタが食肉加工工場で豚肉が見事に加工されている過程を観て感動している状態なのだ。いつか我々も被災するかもしれないのに安全な位置でファンタジーとして感動していていいのだろうか?
◆この映画の本質とは?マッチポンプと人的要因
この映画の本質はマッチポンプ巫女ロードムービーといってもいいと思います。岩戸鈴芽の岩戸姓が九州宮崎県の天岩戸神話がモチーフだろう。
現代では天鈿女命(あめのうずめのみこと)の「うずめ」が「すずめ」に変換されているようだ。元来「うずめ」は舞踊をつかさどった巫女(みこ)の意とされるから、「君の名は」や「天気の子」に続く巫女三部作だろう。
巫女が誤って封印を解いて全国封印行脚という身も蓋もないストーリーだ。戸締りの原因はすずめの知識不足による過失により引き起こされ「後始末」をしたに過ぎない。これは壮大なマッチポンプだろう。
また、そもそもの大地震のはじまりの原因は「過去の巫女または閉じ師が戸締りに失敗した人為要因」であったということになってしまう。
天災は天災であった方がいいのでは?
ここら辺の疑問が常についてまわります。失われた命は天運、神の領域であったほうがいいと思います。
この考えがあるため私はなんともいえない気持ちになった。遺族の心情を慮るとまだ数十年しか経っていない。
もはや災害系ファンタジーを描くのは限界がある。
我々は災害大国の国民であり、まっさきに災害難民モブキャラになるのを分かってしまった。
それでも生き残っている側は明日を生きていかなければいけない。死人に口はないからモブキャラは養分となって支えろと悪魔的な冷徹な経営判断がされている。サイコパスでない限りこの興行は行えないのだ。叩かれ慣れている経営者としては一流だろうし、狂気の表現者なのだ。
つまり、新海誠監督のサイコパスな面が見えてくる映画だった。大人の事情かすごいスポンサーの数だな。
自己弁護のように劇場配布された新海誠本に「観客の中にも、この映画を観ても震災を連想しない方が1/3から半分くらいはいるんじゃないでしょうか」とインタビューで答えているが2/3以上は震災を連想せずに感動できる層だと思う。この見通しは正しいと思われる。
君の名は以降の新海作品は中空構造であり、中身は何もない。あるのは感動できる空間を提供することで中身は何もないゆえの自由がある。あるのは綺麗な空間という側だけで、物語も左大臣と右大臣がいて中心は「ない」のである。「ない」ことの強みは観客の感動したいという気持ちが置けるのである。だから、感動したい気持ちがあれば感動できるという非常に高効率な映画なのだ。異性に惹かれる心理面の描写が「ない」から、その証拠に「イケメン」という外側重視の言葉がたびたび登場する。あれだけ動き回っていたすずめも性格がよく分からない子になるのは中身が「ない」のだ。その中身は鑑賞者に委ねられている。実は震災も空間という構造物だけで「ない」のである。だから、当事者感がなく観れるのである。すずめの母親の死も「ない」ものとして扱い、イスを作った母の想いを描かなくてよくなったのである。深い感動層に生きる者はイスは母の思い出の象徴であるのに、イケメンにすり替わる理由は震災を「ない」ものとしたい制作者の企みに気づく。中空構造の物語は現世に生きる観客の気持ちを中心に据えなければ空中分解してしまう。母親の過去、亡くなった原因、亡くなった描写、幼いわが子を遺して逝く母の気持ちをノイズとして処理してしまう恐ろしい企みなのだ。震災を描いているようで描いていない欺瞞に気づく。すずめの母は看護師で亡くなったのは病院の患者を最期まで守るためだろう。容易に想像がつくのに中身が空っぽなイケメンにすり替えたのは冒涜と取られても仕方がない。
このように中心にあるのは現世に生きる移り気な観客の気持ちであり、浅い感動層に生きる人はこの映画という入れ物が耐えられる。反対に深い感動層に生きる人はこの映画という入れ物が耐えられないし、中空構造に気がついてしまう。評価が低い人のレビューが読ませてしまうのは中空構造の欠点を種明かししているからだ。ここまで「ない」ことの魅力をみせてくれる作品はそうそうない。しかも、上記のように円環構造にもなっていて奇抜な中空円環構造物語といえる。
例えるなら、ドーナッツ構造の物語は浅い海に住む人たち浮き輪となって楽しませるだろうが、深い海に住む人たちに届く前に水圧で圧壊してしまう。繰り返しになるが感動層の浅い深いに優劣はない。しかし、浅い感動層にいた方が圧倒的にコストパフォーマンスがいい。また、すぐに感動出来る方が生き残る確率が高くなる。深い感動層にいる人は浅い感動層にいる人がうらやましいのだ。だから、新海作品に苛立ちを覚える。その苛立ちも「ない」構造の新海作品には意味がないことが分かるだろう。あるのは移り気な観客の気持ちであるのだから夢や幻と同じだ。鑑賞後に奇妙な空しさを覚えるのは対象年齢を過ぎた幼児用おもちゃに似すぎた構造の種明かしから覚める感覚がその正体だ。それはもっと複雑な映画(おもちゃ)にステップアップするサインだ。
残念
呆気にとられた感が強くてちょっと乗り切れなかった気分
レクイエム
まずは予告編がそのまま冒頭だったのには驚いた 君の名は、天気の子同様、要石、閉じ師など古来の日本的な世界観の表現は踏襲しつつ、今回は真っ向から災害に向き合う、そんな感じでした 岬のマヨイガと少し被るなとは思ったものの、作画といい、音楽といいかなり完成度が高い 地震が封じられれば、今度は雨が降ってきてまるで現在の様子のよう ダイジンの要石の姿が、長野県出土の埴輪そっくりだと思ったら監督パワースポットが多い長野県のご出身だそうで 色んな人の念が残った廃墟や宮崎(日向灘)、四国、神戸、富士山、東京、東北と災害に関連ある場所ばかりなのは少々不気味に感じてしまいました
僕の生きがい
まず映画の感想を語る前に、私がアニメーション映画を好きになったきっかけが、新海誠監督の「天気の子」を観たことでした。それを機に沢山のアニメーション映画を観ました。そんな中で新海誠監督の最新作が公開されると言うことで楽しみにしないわけがありません。うっきうきで映画館に向かいました。さてここから感想に移ります。圧巻でした。作画はもちろんのこと、音楽やキャラ設定など、どこをとっても深く作り込みがなされており、文句のつけようがありません。また、ストーリーに関しては、前作、「天気の子」より作り込まれていたという印象です。前作では、音楽を前面に押し出していましたが、今回はそれをせず、ストーリーで勝負しにいったのではないでしょうか。結果的に今作は前作とはまた違う面白さがあり、最高なものに仕上がっていました。しかし、少々設定が難しいところもあり、私自身まだ、理解が行き届いていないところはあります。それは2回目以降の視聴の際に確かめていこうと思います。
これは、前作にも共通することなのですが、新海監督の作品は観終わった後の余韻が凄まじいです。この3年、新海監督の最新作を期待して生きていたまでもあるので、観終わって少々寂しい気持ちもありますが、今回も、コラボカフェや展示会などが開催されると思いますので、最後まで全力で「すずめの戸締り」を楽しんでいきます。
11/22
2回目、IMAXで観てきました。改めて今回の映画はストーリーの完成度が半端ないなと感じました。1回目では聞き逃してしまっていた会話のひとつひとつをしっかり理解することができたので、物語に対しての理解もかなり追いつき、1回目の時より感動しました。ダイジンが尊すぎます。
天気の子よりは良かったです。
すずめの後始末
はじめに。
予告編を観ても、3・11の話だとは気付きませんでした。鑑賞前にレビューランキングのタイトルを見てやっと分かりました。こういうのは予告編で告知すべきですが、これは宣伝の問題だと思うので、評価には入れてません。
三部作を観ましたが、今作は動きがより滑らかになったと思います。声優も良いし、アニメとしてはかなり良いです。
内容は、要するに、誤って封印を解いてしまった為に邪悪なものが出てきてしまい、それをまた封印するというシンプルなストーリーで、それをどう味付けするかという事になります。
結論から言うと、感動は無かったです。若い子に受けそうな要素をたっぷり詰め込んだエンタメです。
それは良いんですが、1作目、2作目と中途半端に民俗学的な要素を入れて何かすごく深いような雰囲気を出しているけれども、実はそうでもないという印象がだんだん強くなってきました。
マイナス点
・「お返し申す」のは、誰に?あるいは何に?何を? 災いなら「消えろ」「去れ」だし、怨念なら「鎮まれ」「帰れ」と思うので、「返す」ってどういうことでしょうか。
・猫のキャラクターがあまりに雑。顔が可愛くないし、ダイジンという名前のセンスがひどい。神様の本名は何でしょう。
・「要石」という名前もピンと来ない。『要』とは扇子の骨をまとめてつなぐ釘のことで、重要とか要約に使う言葉です。「くびき石」ならミミズを止める意味にはなりますが、守るとか封印するという意味の名前が良いと思います。
・「後ろ戸」を守っている主体が要石なのか閉じ師なのか分かりませんが、代々続く閉じ師ならば2つしかない要石のことは場所も含めて熟知しているのが自然です。
・設定がいろいろ雑なのに、スナックのシーンは細かくて長かったりする。
・場所を悼む映画とは感じられなかったです。
311への想い
まだ早いのかも知れないし、311を知らない世代も増えていて、今更なのかも知れないけれど、強く311への想いを感じた
人の命は有限で、必ずしも自分の思い通りにはならないが、人の思いや行動で変えられるモノもある
ただ、死が怖くないものの命懸けでは無く、死を恐れ1秒でも長生きしたいものの命懸けでしか、成し遂げられないものがあるのだと
そんな事を感じた作品だった。
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