「人の夢と書いて「儚さ」」屋根裏のラジャー マスゾーさんの映画レビュー(感想・評価)
人の夢と書いて「儚さ」
imaginari(形容詞)
存在しないものや想像上のもの
実際には存在しないが
心の中で想像されるものを指す
子供が遊び相手として想像する
「架空の友達」
数学で扱われる
「虚数」などが該当する
今作は英国の作家A・F・ハロルド
「The Imaginary(僕が消えないうちに)」
を映画化したもの
ジブリなどで活躍された
百瀬義之氏の「監督」の作品は
今回が初めてでしたが
個人的にはすごく良かった
確かに絵柄的にもジブリを
連想しがちなところですが
全然遜色ないと思いました
亡き父が開いた本屋の娘
アマンダの想像の中に生きる
「イマジナリー」の少年ラジャーは
「泣かない事」を約束された
連夜アマンダと屋根裏で様々な
冒険に出かけますが
忘れられると消えてしまう
イマジナリーの運命をまだ
知りません
アマンダも別に友達がいない
わけではなく明るい普通の子
なのですが話の中でも
ラジャーに開けることを禁ずる箱や
大事している傘などどこか
想像の世界にふける「理由」
があるのです
母のリジーはそんなアマンダを
心配して母に電話しますが
あなたも似たようなことを
していたじゃない
「冷蔵庫」って名前の「犬」を・・
と言われてしまいます
するとある日
イマジナリーを食べて生きてきた
謎の男ミスター・バンティングが
現れアマンダとラジャーを襲います
男は大人には見えないはずの
ラジャーも認識し臭いで
追いかけてきたようです
そしてラジャーを君は
アマンダの出した「答え」
にすぎないと言い放ちます
そして逃げ回るうちに
アマンダは車に接触し
瀕死の重傷で意識を失うと
ラジャーは身体が消えかかっていく
事に気が付き恐怖し始めますが
そこでジンザンと名乗る猫の
案内通りに移動すると
大きな図書館につながっており
そこには忘れられそうになった
イマジナリー達の楽園
その世界のイマジナリー
達は皆想像以上に様々な形を
していますが一人比較的人の形を
したエイミーとラジャーは出会い
イマジナリーを食べる
ミスター・バンティングという
存在を説明しますが
最初は理解されません
そのイマジナリーの世界は
ギルドのようになっており
世界中の子供の想像の世界に
派遣され想像の世界の手伝いを
しているようです
写真が切符のようになっており
その写真の子供の世界に
飛び込みますがそこで活躍し
子供にとってかけがえのない
パートナーになれると
クラスアップして現実世界に
いられるようになるようです
ラジャーはその「仕事」の
途中で抜け出して家に戻ると
アマンダは入院していて
リジーが屋根裏のアマンダの部屋を
整理しているところでした
そこでリジーはアマンダが
父が死んでしまった哀しさから
ラジャー達を創り出したこと
父に買ってもらった傘を大事に
していたことを改めて知り
慟哭するのでした
そしてそこへもバンティングが
迫りラジャーはピンチになりますが
エイミーやジンザンが助けに来ますが
バンティングは「想像する側」
らしく図書館への扉が見つからない
ラジャーが辛くも見つけましたが
エイミーがバンティングによって
消されてしまいました
形見のようにラジャーに
ゴーグルを残し・・
その後ラジャーはアマンダの
入院先を探すためにアマンダの友人の
想像の世界に飛び込みますが
その友人の想像の世界では
「ロジャー」にされてしまい
バレリーナの姿にされてしまいます
何とか抜け出して病院へたどり着くと
意識のないアマンダの姿
起こそうとするとまた
バンティングが現れ食べられそうに
なっているとアマンダが目を覚まし
徐々に「ラジャー」を思い出して
いきます
リジーも病室に戻ってくると
バンティングが娘を襲っている
わけですから立ち向かおうと
するとかつて自分が想像した犬
「冷蔵庫」が助けに来てくれます
そこでラジャーの姿も見えるように
なっていました
そう
忘れているだけで
皆昔は子供
かくしてラジャーはアマンダとの
想像の世界で冒険する日々を取り戻します
アマンダの創造性が
父の残した本から作り出され
そこからラジャーが創られた
って事はラジャーはある意味
父でもあるんですよね
そして本という想像するための
情報の集合体の図書館が
主を失ったイマジナリーの居場所
このへんのしくみも
大変よくできていたと思います
昨今のネット動画時代
創造性を働かせた人の作品に
楽しませてもらってますが
果たして子供に想像の余地は
どうあるのでしょうか
まぁ心配するまでもなく
子供はなんとかして
大人になっていくんでしょうね
儚きイマジナリーと共に・・
いい作品でした