バブルのレビュー・感想・評価
全170件中、1~20件目を表示
観客を舐め腐っているとしか思えない映画。
ストレートにつまらない。
説明不足・凡庸さ・ツッコミ所、で構成されているような駄作。
観客の気持ちをまるで無視しているとしか思えない独りよがりぶりには不愉快さと怒りしかない。
パルクール
2024年7月13日
映画 #バブル (2022年)鑑賞
降り注いだ泡(バブル)によって重力が壊れ廃墟と化した東京で若者がパルクールのチームバトルを繰り広げていた。少年ヒビキはプレイ中に海へ落下するが少女ウタに命を救われる
パルクールをパワーアップさせるため重力が崩壊した設定にしたのかな
アクションはWITらしく見応えあり
ボーイミーツガールな人魚姫物語。
監督:荒木哲郎、脚本:虚淵玄、音楽:澤野弘之、キャラデ原案:小畑健、制作はWIT STUDIOと、錚々たるメンバーの作品。
何より最初に出た、小畑健によるキービジュのインパクトがすごかった。
荒廃した東京での、取り残された若者によるパルクール物語。
そのアクションはやはりWITらしく丁寧で見応えがあります。
しかしパルクールというより後半は完全に立体機動になってて、うまく言えないのですが、「ギルクラ」と「カバネリ」に「巨人」を足したような感じになってました。
トレーラーで思いましたが、合う合わないがすごいある作品だと思います。
映像が綺麗
自然に侵食された廃墟が見応えがあります
新海さん並の綺麗さと言う感じ
泡の表現も幻想的で綺麗でした
内容は昔の美少女ゲームにあったような雰囲気系の悲哀ラブストーリーでしたね
不評なのは何となく理解できます
重力が壊れたという設定だからアクションを好き勝手にやってしまった
そこで置いていかれる人が多いと思います
この泡は一体何なのかも良く解りませんし、回答もない(自分には解りませんでした)のでモヤっとする人も多いでしょう
そこら辺キャラの魅力で押し切ってくれれば良かったのですが、そこも描写不足で乗り切れなかったですね
歌う女の子が流行りなの?
勝手に勧められてリスト入れてたら届いた。一流の制作会社で作った日曜日アニメ。テーマとか設定とか、伏線回収云々言っても仕方ナシ。ただ映像と音楽はイイ!それから主要キャラは声優さんにお願いしましょう!
映像がとっても綺麗、見とれる。話は中学生くらいの子向けかなあ。
映像がはああああっと見とれちゃうほど綺麗、美しい。
人物も背景もめちゃめちゃ力入ってるのがわかる。
パルクール?が主体となるので、常に動きのある、迫力のある映像。
とにかく映像美。
自分はネトフリで見たのだが、これは映画館で見たほうが何倍も美しさを堪能できるだろうなと思った。
話はちょっとなんか、自分にはダメだった。
私ってかわいそうでしょ系の女子が本当に苦手で、
人魚姫みたいでしょとか表現されても…
どうも中学生特有の世界観の恋愛を見せつけられているようでなんだかぞわぞわした。
男もそんな計算高い女子にだまされるなよ~~~って思った。
いっそ恋愛とか関係なくしてパルクールを主体としたスポーツ映画にしたらよかったかも。
予告編が最高潮。
ストーリーが何も掴めない。設定も希薄。主人公側と敵との二項対立構造という、何ともシンプルで古典的な構成の映画のはずなのに、どうしてこうも訳のわからない作品が作れたのか。製作陣も声優もこれ以上ないほどの豪華な布陣で、期待していただけに残念。ポストアポカリプス的な世界観は最高だが、それを全く生かすことのできなかった作品。
作画と雰囲気は良かった。断片的にみれば良作だろう。
童話か青春初恋映画か科学哲学の講義か
泡と渦の映像が綺麗。
各シーン内の話の流し方がスムーズで快い。
若者が自然に集団規律を持って生活していて楽しそう。
う〜ん、
これまでの、並みのジャパニメーションにはなかった何か新しくて素晴らしいっぽいものがある気がするんですが、同時に良い映画にある、あって欲しい何かが抜けているような気がして、どうも“心よい”以上に話に夢中になれない。
私の弱い頭が作品の深さや夢を理解出来ないだけかもしれませんが、それでもIQ114だったか?あるイイ大人が時間やお金を使って観ているのだから、表現を自在にできるアニメ映画なら分からせて欲しい、どっぷり楽しませて欲しいと思ってしまいます。
うたが実は異世界から転生してきたスライムでもないのであれば、単純な理解を求めて「あぁ〇〇姫が底本か」くらい思うのは仕方ないどうと思います。そんな認識でも持てれば、“近未来災害SF風童話”として楽しめますし。
かなりイイんだけどイマイチはっきりと楽しめない、なんか昔邦画で似た印象の映画あったなあ、と考えたら「スワロウテイル (1996)」が真逆に趣旨が暗いけど、似てるような気がしました。勝手にそう思ったら少し落ち着いてレビューを書く考えになりました。
で、委託調査の人らは別として、あの何チーム分もの若者たちは、なんで毎日あんな被災地でパルクールなんかしてるんでしたっけ?
ポニョに引き続き、泡モノです。
イラストレーター映画とでと言おうか。アイデアというか、イラストレーターの描きたい世界観で映画を成り立たせた感じですね。動くイラストというか。
歌はなんかその辺で鳴ってそうな音だったので、この辺りがもう少しなんかあれば入れたかも。んー。主人公の格好がなんか好きになれませんでした。
東京に生まれたカオスの空間で、人魚姫っぽいヒロインとパルクールする...
東京に生まれたカオスの空間で、人魚姫っぽいヒロインとパルクールするお話。
豪華なキャスト・制作陣に新海ライクなマーケティングなど、最強の布陣だったのに結果は微妙~。100M走で一人だけフルマラソンしてるかのような詰め込み量で、至るところで消化不良を起こしている感じ。
ストーリーに消化不良。
荒木監督、脚本・虚淵玄、キャラデザ・小畑健。
スタッフのメンバー見る限り期待大で、公開を楽しみにしていた作品。
感想。
アニメーションがきれい。
パルクールのシーンの疾走感と臨場感が良い。
終末感漂う世界観もあって素敵。
…なのだけど、ストーリーがひと昔まえのセカイ系美少女アニメっぽいというかなんというか…。
令和の今このストーリーだと新鮮さがないし既視感がすごい。
観終わってみて、決してつまらないわけではなかったのだけどそこが残念…。
ウタは可愛いけど、キャラクターも全体的にイマイチ魅力が足りなかった。
というかあの敵チーム(電気ニンジャ?)は意味ありげに登場した割に特に本筋に絡まなかったし、マコトさんのヒビキに対する立ち位置もよくわからなかったし、登場人物たちの描写不足を感じてしまう…。
せっかくのオリジナルアニメーションだし、もう少しひねったストーリーが観たかったなあというのが個人的な印象。
というか「君の名は。」が大ヒットしてから恋愛系の劇場アニメーション増えたような気がするけど、プロデューサー・川村元気さん多すぎじゃないかしら。
中には良い作品もあるんだろうけど、なんとなく商業の匂いがして敬遠気味なんだよな。
本作も観終えてみるとその匂いを感じた。
映像がとってもキレイでした!
バブルのブルーの映像が、とってもキレイでした!音響も迫力がありました。Netflixは、観たことないですが、この映画は、断然、映画館で観ることをおすすめします。東京にバブルが降るというストーリーも興味深く、観入ってしまいました。人魚姫をモチーフにしているので、涙しちゃうシーンもありました。エンディングの「じゃあね、またね」が、流れてくると余計にせつなくなりました。
映像はキレイだったよ
廃墟でパルクールとキラキラ銀河とシャボン玉が描きたくて作ったんだろうなって感じの映画で映像はキレイですし、非現実的でアニメらしいアクションは楽しいです。
でもヒーローとヒロインがイマイチで他のキャラも薄っぺらいのと、ストーリーはボーイミーツガールで人魚姫ってだけのアクションに正当性を持たせる辻褄合わせのために最低限用意はしましたって感じなので、映像だけを楽しめない人には辛いかも?
イオンシネマで1000円でみるなら全然OKだけど他なら不満だろうなって感じです。
映画の"売り方"について。
最近は"封切りと同時に配信"のケースも多いが、
[バブル]は、配信が先行する形になった。
…これがプロデュースとしては
「完全に失敗だった」と言わざるを得ない。
ストーリーについては各位評価はあろう。
私から見ても、ストーリーの"練り上げ"についてはダメ出しをするしかない。
しかし、この作品の真価はそこじゃない。
「重力は壊れた。好きに跳べ。」
[バブル]という作品のコピー。
このコピーを観る人に体感してもらうために、
本作は絶対に"劇場公開先行"にするべきだった。
重量に異常が生じ、そこかしこに"泡"が漂う東京。
パルクールという危険なゲームに身を投じ、
廃墟と泡の中を駆けて跳ぶ少年たち。
その中で出会ったひと組の少年少女。
やがて彼らは
"手を取り合うかわりに、
廃墟と泡の東京を縦横無尽に跳びまわる"
それこそがこの作品で
最も"売り"にするべきポイントだった。
この"廃墟と泡の中を自由に跳びまわる"シーンは
、
絶対に映画館のスクリーン・音響で観られるよう
観客にプロデュースするべきだったと思う。
明らかにスクリーンでの鑑賞に耐え得るべく作画がなされているし、
実際、"跳ぶシーン"は素晴らしいのだ。
全てを台無しにしてしまったのは「興行」
先行配信、視聴環境が観る人のスマホやTVという状況下は
"本作の最大の魅力をカットしてしまった"
そう断ずるしかない。
私の評価は"3"になっているが、
心情としては[3.5〜3.6]である。
ストーリーの練り上げについては
今一歩踏み込んで欲しかったと正直思う。
…しかし、
仮にその部分をマイナスとして引いたとしても、
現在の平均レビュー[2.8]は
不当に蔑まれている、と思う。
繰り返し書く。
本作品を不当な評価を与えることになったのは
「興行の失敗」である。
最大の魅力をわざわざカット(もしくはスポイル)
して、観客の前に出すとは何たる愚挙か!
明らかに興行サイドの失態なのだ。
映画の売り込みは、正直難しい。
本作にも欠点がなかった訳ではない。
しかしそれ以上に、
"わざわざ魅力を削って先行配信した"
興行の失敗こそが
厳しく糾弾されるべきである、と考える。
本作品の興行を担った連中に
猛省を求める。
いやでもこれは小中学生向けの夏休みこどもアニメ的なものなのでは?
ぼろくそな評価。低評価の理由はわかる。ご都合主義。視聴者が見ていないところで物語進みすぎ&キャラクターの関係値変わり過ぎで、キャラに感情移入できない。なんかよくわからん設定etc etc...
しかしなんとなくの雰囲気で感動できた子供の頃であれば、それなりに楽しめたのでは?
対象視聴者は小中学生なのでは。
日本で話題になるのはだいたい「少年ジャンプ」とか、「少年漫画」が原作のものだ。大人が「設定がさァ!」「メッセージがさァ!」とか重箱の隅をつつきながら文句を垂れるのは、どうなのかな~~と思いながら生きている人間としては、この作品も自分は対象視聴者ではなかったというだけだ、と思う。
ただ脚本が「まどマギ」の虚淵ということで、大人の視聴者たちも期待してしまったぶん、肩透かしをくらったのだと思う。私もその一人。
ということで評価はよくわからないので、3にしました!
普通に面白い。映像すごい。観客にテーマと感情を丸投げして言葉足らずな感じ
ネトフリでみました。全体として象徴するものが盛りだくさんですが、解答も示さず、考える道筋も示さず、提示で終わっている感じです。見る側の内側にどれだけポケットがあるかが試されている気がします。映画的な手法ではありますが、アニメとしての期待とちょっとずれがある気がします。
そして肝心のボーイミーツガールもこちらが勝手に入り込まないと、あっさりしすぎでした。キャラに感情移入する前にどんどん話が進んでしまいます。
初めの映像が超銀河団=ボイド構造は泡構造と呼ばれている点、フェボナッチ数=渦巻の黄金比の映像が出てくる点=銀河系と合わせて、宇宙の構造と自然の摂理を表したいんだと思います。
経済都市東京あるいは2次元コンテンツの街(時折描かれるビルの萌え絵)が廃墟になる。バブルがはじける=文明のリセット。その空間でパルクールは身体性と自由の象徴?
アンダーテイカーはユーチューブに動画アップし機械を使っていた、手段を択ばないことなどが言いたいのは今の日本人を象徴していたのでしょう。
本家人魚姫は最後泡になって消えたあと、風の精霊になるので、まあ、結末はそういうことだと思います。
渦巻と泡で破壊と再生みたいなイメージ?
など、いろいろ入れたかったんだと思います。そこは理解できなくはないですけど、テーマ性を突きつけるだけで解決がない感じです。エヴァのオマージュ的にジョウロで水やりしてましたけど、ヒロインはシンエヴァの綾波と重ねる感じでしょうか。あるいは涼宮ハルヒの長門有希っぽくもあります。
肝心のボーイミーツガールの2人の時間で心を通わせるエピソードが弱かったのと、東京タワー以降、ヒロインが主人公のところに現れた経緯の必然があるならそれを描き切れていなかったので、感動が弱いですね。
構図は凝ってましたね。動きよりもそちらに関心しました。声優さんは言われているほど気になりません。普通でした。むしろ歌が映画の世界感に入り込めるほど印象的ではないです。1発勝負なので下品でも新海的な素直なエモい歌でいいんじゃないでしょうか。
なんだ、いざ観てみたらすげえ面白いじゃん。疾走感ある王道のボーイ・ミーツ・ガール譚!
調布では来週からモーニングショーのみになってしまうようなので(涙)、
慌てて最後のレイトショーに駆け込み。ううう、もう終わっちゃうんだね……。
僕個人は、結構期待してたんすよ。
荒木監督の『甲鉄城のカバネリ』映画版は、エンタメに徹したB級アクションとしては最高の出来で、BD買うくらい気に入っていたし。
監督・荒木哲郎、脚本・虚淵玄で、期待するなってほうがおかしい。
でも、なんか世間では、大爆死だの、圧倒的駄作だの、それこそけちょんけちょんに言われてるから、どんだけひどい出来なのかと思ったら……
全然そんなことないじゃん(笑)。
ちゃんと、すっげー面白いじゃないすか。
極限のボーイ・ミーツ・ガール&圧倒的な疾走感。
別に、なんの問題もなく、きちんと仕上がった映画で、ふつうにエンタメとして楽しかった!
てか、100歩ゆずって、展開されるストーリーとキャラクターのすべてがまるで気に食わなかったとしても、全編で展開されるパルクールの超絶アクション作画を観るだけでも、映画料金一本分くらいの価値は充分にあると思うけどなあ。
まあ、さかのぼってクソミソいってるレビューとか確認すると、明らかに観ないで叩いてるような人もいるみたいだし、こういう溺れる犬を面白がって叩くような風潮は、ホントくだらないの一言。
とはいえ、一度こういった空気ができちゃうと、なかなか復活は難しいんだろうね。
少なくとも、オタクにもメイン層にも受け入れられず、客がちっともはいらなかったってのは厳然たる事実であり、製作陣にとって反省会は大いに必要でしょう。
でも、この完成度で「出来が悪い」とか言われちゃうと、さすがにスタッフも監督も可哀想……。
ー ー ー
『バブル』は、とある童話がベースになった、きわめてシンプルな物語だ。
というか、それがほぼすべてみたいな作品なので、そこをネタバレしないで作品を語るっていうのは、極めて難しい。
ただ、既存のアニメで何に一番近いかというと、多分『交響詩篇エウレカセブン』じゃないかと思う。
(映画でいうと、タルコフスキーの『惑星ソラリス』がそもそもの元ネタのような気もするが)
あとは、わが偏愛する傑作アニメ『プリンセスチュチュ』も、ネタ自体は大きくかぶっている感じ。
観ているときは、東京全体が「バブル」で包まれた世界って、コロナ禍のメタファーなんじゃないかというのも脳裏をよぎったのだが、パンフを見ると、企画自体はコロナより何年も前から進行していたらしい。
プロデューサーの川村元気は、「未知の泡が突然降ってきて、東京がロックダウンされ、立ち入りができなくなり……というストーリーに、現実がどんどん追いついてきてしまった。東京オリンピック時のコロナ対策が「バブル方式」と呼ばれた時には、本当に驚きました」と語っている。
そういう、作品が時代と奇跡的なリンクを果たすときって、往々にして大ヒットしたりするんだけど、今回はそうはならなかったんだろうなあ。……なんでだろう?
たしかに、『エウレカ』に限らず、全体的にどこか「既視感」が強めのアニメであることは確かで、
半分水に沈んだ東京の光景は、新海誠の『天気の子』を容易に想像させるし、
そこで船をベースに生活する集団同士が小競り合いしてるのは、本作の脚本家・虚淵による『翠星のガルガンティア』を彷彿させる。
パルクールの動きは、世の中でさんざん言われているとおり、『進撃の巨人』の立体機動装置のアクションをベースにしたものだろう。
主人公がヘッドホンしてたり、聴覚過敏だったりするのも、いくつも先例を思いつく。
でも、既視感が強いアニメなど、世間にはそれこそ山ほどあるわけで、ここまで叩かれる理由にはなり得ない。
少なくとも、「超絶作画パルクール・バトルをメインとする、とある童話を基にしたシンプルなボーイ・ミーツ・ガールSF」という個性は、ちゃんと確立してるわけで、そこはちゃんと評価してあげないといけないと思う。
でも、「パルクール」って題材は、果たして作り手が考えていたほど、キャッチーなものだったのかどうか。
パルクールを題材にしたアニメとしては、いしづかあつこ監督の女性向けアニメ『プリンス・オブ・ストライド』がパッと思いつくが(全話視聴済み。佳作)、どちらかというと、ノリはついこのあいだやってた、内海紘子監督のぶっ飛びスケボーアニメ『SK∞ エスケーエイト』(女性向けだけど、バリクソ面白かった)とか、今やってるアカツキ原作の変態野球アニメ『トライブナイン』のほうに近いかもしれない。まあ、僕らの世代にとってはそれ以前に、パルクールといえば、なんといってもリュック・ベッソン製作の『YAMAKASI』なんだけど(あれもずいぶん「スカした」映画だった)。
ひとつの「敗因」として、このパルクールの漂わせている圧倒的な「陽キャ」感と、「ストリート」感が、オタクをしり込みさせたことは想像に難くない(笑)。陰キャのオタクにとっては、むしろこいつらは間違いなく「仮想敵」だから。
荒木監督はオタ向けの題材じゃないのは十分わかったうえで、一般のもっとストリートに寛容な陽キャ層や、『ヒプノシスマイク』とかにハマってる女性ファン層に期待したんだろうけど、そのへんの層とは今度はジブリっぽいボーイ・ミーツ・ガール感や、俺様感の薄い主人公が噛みあわなかったのかも。いや、よくわかりませんが。
あと、メイン・ビジュアルで使用されてるヒロインのウタの絵が、なんとなく『無限のリヴァイアス』のネーヤっぽい(そういや、キャラ設定や作中での役回りもよく似てる)のが、新海誠っぽい背景の世界観と、多少食い合わせが悪かった気もしないではない。ちなみに、ウタのセーラー服って、「電車にラッピングされてるアイドルのパーツを無作為にコピーした」(パンフの門脇総作監インタビュー)からああなったんだそうだ。観ていても気づかなかった……。
主人公が「女性に免疫のない、変人扱いされてるが根は素直な、超動ける陰キャ」、
ヒロインのほうは「パッパラパーの世間知らずで、超強いが脆いところがある」ってのは、
監督のオリジナル作品である『ギルティクラウン』でも『甲鉄城のカバネリ』でもそうだったので(『進撃の巨人』もそのカテゴリーだし)、明らかに荒木監督の好みなのだろう。
僕個人は、どちらのキャラも嫌いじゃなかったし、そんなに抵抗なく楽しめたのだが、ヒロインがフェリーニの『道』に出てくるジェルソミーナを祖型とした(とはっきりパンフに書いてある)、「無垢なる障碍者」の系譜を敢えて狙って造形されていたのは、しょうじき失敗だったかもしれない。
ここまで「足りてなくて」言葉もしゃべれず、ほぼ動物みたいな行動しかとれないヒロインに感情移入するのは、やっぱりなかなか難しいし、ヒビキがウタを好きになるのも、「言葉を介したイベント」がないままなし崩しに展開していくので、あくまで体感的/感覚的、もしくは運命的なものとしかとらえられず、今一つ観客には共感しづらいところがある。
あと、この厳しい環境下でなお、ひたすらパルクールに現を抜かしてる登場人物全員にとても共感しづらいとか、描かれてるパルクールの動き自体があまりに非現実的すぎて逆に引いちゃったとか、ウタの一部が「ぶくぶく」してるのが見た目としてふつうに気持ち悪いとか、ラストの船外に出るのすら危険な状況で敢えて仲間全員を連れてゆく理由がわからないとか、そもそも川村元気がプロデューサーやってるのがとにかく気に食わないとか、いろいろ「客が食いつかなかったマイナス要因」については考えちゃうのだが、やはり一番ネックになってくるのは、「ウタはヒビキに●●されると●●しちゃうのに、そのヒビキがウタを助けにいくという展開自体が、どう考えてもしっくりこない」って部分じゃないかな、とは思う。
ある意味、出逢ったら死んでしまう天敵中の天敵が、味方づらして追いかけてくるようなものだからねえ(笑)。
しかも、ウタがどう見てもけっこう大変なことになってるのに、「好き」なはずのヒビキがウタの抱えている問題にまったく気づかないところか、敢えて見ないふりしてるようにか見えないのも、視聴していて結構ひっかかったところだ。
ウタはもともと●●なので、別にそうなったところで、言うほど可哀想ってこともないって考え方もあるのかもしれないけど。
なんにせよ、ラストシーンのあの一枚絵(ヒビキに●●が犬みたいに寄り添ってるやつ)は、個人的にはかなり限界突破でダッサイと思っちゃったんだけど、他の人はどうでしょうか?(笑)
後、最大の「がっかり要因」――観た人がこの作品に反発を覚えた理由が、たぶん終わり方なんじゃないかというのは、なんとなくわかる。
とくに、宮崎駿や新海誠を彷彿させる「ボーイ・ミーツ・ガール」の王道で話が始まるぶん、観客のなかにはきっと、「こうなるだろう」「こうなってほしい」というものがあると思うのだが、そこがおそらく満たされないまま、この物語は終わってしまう。
逆に、「あの童話」が祖型なのは途中からは思い切り強調されるようになるので、観客にとっては「オチが読めてしまう」うえに、「ホントに予測したまんまのオチでひねりなく終わってしまってがっかり」ってのもあるかもしれない。
コロナやらウクライナ戦争やらで、しんそこ心の疲れきった今の日本人にとって、この手のエンディングは必ずしも望んでいなかったものではなかった、っていうのも、きっとあるだろう。
そりゃ作り手としては、大地丙太郎が『ナースエンジェルりりかSOS』や『今、そこにいる僕』を最初から「●●」として企画していたのと同じで、最初から●●がやりたくてわざわざ撮ったんだから、ラストが●●だからといって何が悪いんだって話なんだろうけどね。
まあ、強いて言えば時期が悪い。時代が悪い。
みんなが「なろう」に安易な癒しを求めているような「1憶総おつかれ時代」に、この手のお話は必ずしも求められていなかった。そういうことではないか。
でも、僕はこの映画を観て、充分に楽しかった。
崩壊した東京という設定を逆手にとって、作り手はここに「永遠の遊び場」を作り出したのだ。
(パンフを読むと、作り手は、本作の東京を「廃墟にして楽園」と位置付けている。)
ここでパルクールに興じる若者たちは、「令洋」という「秘密基地」に籠城して、いつまでも続く遊びの時間にとどまることを選択した、永遠の子どもたちだ。
子どもたちは、日夜「戦利品」を賭けて、遊び続ける。
仕事もしないで遊んでいるのではない。仕事として真剣に遊んでいる。
「パルクール」は、崩壊した世界からのある種の逃避ではあるかもしれないが、彼らにとっては、この荒廃した世界を「遊び場」として、「遊び続ける」こと自体が、最大のレジスタンスなのだ。
それにこのラストだって、そう叩いたものじゃないと思う。
ある種のインターフェイズとして存在したウタが知った「人間の心」を、「バブル」全体が分かち合うことで、きっとこの世界は変わってゆく。『エウレカ』で、大地と人間が新たな共生の関係を築き上げたように。
ここで描かれているのは、分断した世界における、「和解」を探るひとつの在り方だ。
「相手の立場になって」「相手と同じ姿で」「一緒の時間を過ごす」こと。
そこを起点にすれば、きっと、破壊と大量死を伴った悲劇の当事者間であっても、「交流」は生まれ得るし、「和解」も導かれ得る。
作り手たちが呈示しているのは、そういう「希望」のかたちだ。
レイトショーが終わって帰ろうとしていたら、斜め前に座っていたいかにもチー牛然としたガリ眼鏡のオタク青年ふたり組が、「いやああ、凄いのきましたねえ」「映画ってやっぱりこうじゃなくっちゃ!」と、かなり熱量高めに感想戦を語りはじめて、ほっこりした。
なんだ、こういう客だって、ちゃんといるんだな、っていう。
届く人には、届く。 届かない人には、届かない。
創作ってのは、結局はそういうものだ。
荒木監督もここでへこたれず、捲土重来でまた次に向けてぜひ頑張ってほしい。
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