「四半世紀を経ち世代交代。この覚悟を受け入れられるかは自分次第。」名探偵コナン ハロウィンの花嫁 馬さんの映画レビュー(感想・評価)
四半世紀を経ち世代交代。この覚悟を受け入れられるかは自分次第。
一言で言うと…
そうか、第25作…四半世紀過ぎたか……と痛切に実感する作品。
今までの劇場版名探偵コナンでなくなっても、新しい劇場版名探偵コナンをみせていくという製作陣の覚悟の表れの一作。
演出も作画も背景やCGやキャラの動きも、現代はそうなるだろうな、そうであって欲しいと願ったクオリティが遂にコナンにきた!という完全に納得な仕上がり。
第1作から今まで監督や脚本が変わって都度変化はあったけれど今回は明らかに違う。完全なる「断絶」を感じた。「これが世代交代か。なるほど。」という納得とともに、失われたものへ壮絶な郷愁をおぼえると同時に、「この覚悟を受け入れるかどうか?」と迫られているように思えた。
覚悟が受け入れられないファンを切り捨ててでも、次の世代に繋ごうとしている製作陣には拍手しかない。嫌味でなく本当に凄い。
今年は新監督で、通常だとコナンらしさで考えてしまうが、新監督にはそれがないから新しいことができるという話があった。コナンらしさを無くすならそもそも他の作品でやればいいのではと思うが、そのコナンらしさを排除することによって手の届かなかった新規顧客を獲得しにいくわけだから、相当な覚悟だ。
それを受けて自分はどう思ったかというと「つらい」
今までの劇場版名探偵コナンに感じていた良さが無くなっていて、新・劇場版名探偵コナン最高‼︎と言えない自分は、次世代行きの船から降ろされる側だと思った。
自分の子が、自分が第1作『時計じかけの摩天楼』を観たのともうすぐ同じ年齢になる。製作陣の世代交代とともに、観客側も世代交代なのかとしみじみ思う。
仕上がりは予想と違って落胆したわけでなく、予想をはるかに超えて良い。何もかも。ただ製作陣も昔からのファンだからこそ楽しめるところも入れていると仰っていて、冷静に見るとそう思うはずのに、そこの世界線に自分の心が入り込めなかったのが辛い。
自分は比較的新しいコナンも受け入れてきた方だと思う。ゲスト声優のような商業的側面も、遊び心として許容できていたし、他のアニメ作品と比べて諸々クオリティ低いところもまぁいいかというスタンスだったし、近年のキャラ押しでも好きな作品もある。
その自分が「ここからは全く別世界だ」と感じたのが自分自身で意外だった。
細かいところを見ると、この辺り。
①松田の携帯がスマホ
②コナン自身が話の中心にいる/驚く場面など漫画の誌面的表現の多用で没入感失われる
③降谷さんの隔離室シーンがギャグと化してる
④CMに使えるような印象の強いシーンが多いことでダイジェスト版に感じる
⑤勘違いがほぼないストレートなお話
⑥エレニカを抱きしめるのは新一的であったのだろうか…
① 松田の携帯がスマホになっていた違和感を拭いきれず、最後までいって損した。松田激推しではないが、それでもキツイ。フリック入力はキツイ。2シーンだけであれば入力音だけにしてスクリーン上に携帯の存在を出さなければよかった。サンデーの全サで松田の折りたたみ携帯を高額で出すならば、映画もこだわって欲しかった。このシーン過ぎから、全体を通して粗探しするような視点になってしまった。
② 通常は一歩引いた所で冷静さがあり、物語の主役なのに観客側にいるようなコナンが、今回はギャグのど真ん中にいる。特に少年探偵団と一緒にいる時やパイプで降りるところの「黙ってろよ!」を初めとした一連のギャグが強烈な違和感…(アチッて言ってるコマ、超絶可愛かったけど… 指パッチンは全く意味わからなかった… 公安、指鳴らすとスライドするオシャレ機能を資料に付けてるんか…)驚いた時などに、体の外まで出ている効果線や汗など。急なギャグ漫画っぽさで現実に戻されてコナン世界観から強制的に引き剥がされるのが苦手。
③ 隔離室シーン、試写会で貴族的降谷さんの登場に笑い起きて。イメージボードのようにもっとシリアスにして欲しかった。これは試写会が良くなかっただけなのか…?
④ 確かに各シーンは素晴らしいけど…各所に間が無い。最近の2倍速で動画観るタイプの方からすると過去作が間延び・つまらない、ということかもしれないが。観客に任せてくれる何とも言えない間が好きだった。一秒も飽きさせないっていうのは今時らしいけど…映画館に流れるあの重みのある間が好きだったな…
⑤ 彼女の登場で「あ、犯人だな」と思ったが、犯人が事前にわかってもその動機やそこまでに至るまでに踏み込んでくれたらいい。自分は「人は勘違いをして、すぐすれ違う」「その勘違いを真実という鍵で解き明かす名探偵」という要素が入った話が好きなんだと思う。今回、プラーミャも真っ当に犯罪者だし、エレニカ達も真っ直ぐに復讐者だし、警察たちも真っ直ぐに事件追ったし、コナンも寄り道せずに真っ直ぐに解決したし。誰も何もすれ違っていなくて少し物足りなさはあったかも(無くはないけど薄いというか)
⑥ 新一があれをしたのかと思ったら強烈な違和感。別に蘭以外を抱きしめるのは浮気!とかは全く思わないけど、あの行動は新一は絶対やらない。
「人が人を殺す動機なんて、知ったこっちゃねーが…」って言った新一が?拳銃向けて相手を撃とう人を抱きしめる?殺人未遂の動機に「気持ちわかるよ」って寄り添うの?
せめて手を握るコマで止めてエレニカが泣く傍らで、ただ静かにいてくれたら最高に新一だったのに……と思った。
高山みなみさんがここに触れておられて。驚いたと。なので違和感を持つこと自体は正しい認識だったと思う。普段のコナン(=新一)は絶対に取らない行動。
ただしそれを敢えてさせた。
みなみさんは解釈として「人が人を助ける理由に…論理的な思考は存在しねーだろ?」を挙げていらっしゃって。
個人的には、前文の「人が人を殺す動機なんて、知ったこっちゃねーが…」にも重きを置いているので、どうにも納得できなかったけれど。
素直な人の解釈ならエレニカを想って息子の代わりとして辛かった彼女を思い抱きしめたこと、そして目の前で殺人は絶対させないための抱擁になるんだろうな。自分には違和感が強過ぎた。
「君は一体何者なんだい?」と揺れる警視庁との交差。高木刑事には裏があることを話したのに、安室さんには微妙な笑顔。ヒロの死について触れる時の表現。警察学校編の細かなオマージュ。初期作のオマージュ(赤青の爆弾=摩天楼/ヘリ回転落下=14番目/ロシア語=世紀末/蘭の視覚記憶に犯人の情報=瞳/高いビル2棟あっての飛び降り=天カウ…)。「下で待ってるから」「下で待っていてくれ!」。エレニカの回想のサッカーボールや、炎に包まれる屋敷とクライマックスの月光を遮るコナン。空を見上げる降谷。これでもかと詰め込まれ、考察好き歓喜案件。
作画は神だし、印象的なシーンも多い、音楽は予定調和では無くとも良かったし、なんなら感動で目頭熱くなったし、主題歌も泣けるし、子供時代に警察学校組に会ってるの胸アツだし、高木刑事は最高に可愛いし‼︎‼︎‼︎(力説)
ただ、全体通して「なんか違う、コナン?本当に今コナン観てるんだっけ?」という違和感。
ド派手さは初見さんにも良くて、細部は初期推しにも原作推しにもスピンオフ警察学校編推しにも配慮されていて、音楽担当変更でも君がいればを復活させて。これだけやっても「ついていけない!」という頭の固い初期厨原作厨はもう知らん!と言われたら、ごもっとも。
ここまでやってもらって、何が違和感だ?と自分でも最初わからなかった。
自分がモヤモヤした理由は…
「工藤新一の消失」だった。
工藤新一というキャラは、コナンになってから変化していて、明美さん・成実さんの死を始め、いろいろな事件を通して心も態度も変わっていっている。原作でも描かれているし、劇場版でも変化は描かれている。
ただ、今回は単純に新一(勝平さん)の出番が無かっただけでなく、細かな態度の違いやエレニカへのシーンによって、コナンを演じつつ成長する工藤新一ではなく、コナンが確立しその中に沈んで消えた工藤新一を感じてしまい、強烈な違和感とともに一気に悲しさが押し寄せたんだと思う。
今までどんなに変化したって、そこに工藤新一がいた。蘭を通して、平次や他のキャラを通して、コナンを通して、工藤新一を感じていた。江戸川コナンはずっと工藤新一だった。けれどハロ嫁のコナンは、工藤新一ではなく江戸川コナンだった。視聴者が求める、包容力があって優しくて強くてかっこいい「江戸川コナン」だった。
ハロ嫁にもった違和感を納得できた瞬間に悲しさで涙が止まらなくなった。
新一、お願い、戻ってきて欲しい。
工藤新一という存在無しでも成立する名探偵コナンは、すごくすごく寂しい。
これは本当に勝手な解釈で、身勝手な願望だけど。
過去に残る人は過去作を楽しめばいい、新世代行きの船に乗りたい人はこれからを楽しめばいい。何より原作は続いているので安心して本来の『名探偵コナン』楽しむこともできる。コナンファンは贅沢な環境だなと思う。
新世代劇場版行きの船から降りてくださいと肩たたきにあっている側と自認しつつも、あと数回観に行く。もしかしたら少しは馴染むかもしれないし。拒絶反応が強くなれば潔く観客を辞めるしかないけど。
クロノスタシス…時の流れには逆らえないもの… 劇場版名探偵コナンを深く楽しむほどの気力・体力がなくなった自分に原因があるんだろう。
これだけ時代が変わったなんだ深刻そうに言っておいて、来年監督が違ってまた元に戻ってたらそれはそれで面白すぎるけども。それすらも劇場版名探偵コナンかな。
伏線が深すぎて、何回観ても楽しめるので皆さんにもおすすめしたいし、楽しんで欲しい。劇場版名探偵コナンを観たことがない、もしくは過去作がハマらなかった人はぜひ。初期作と近年作を繋ぐような作品でもあり、全く新しい作品でもあり、切なくも楽しいです。松田刑事スマホなんか、工藤新一らしさなんか、引っかからないで素直に観られる方々には最高なエンタメ性&メッセージ性の高い作品だと思います。
監督さんも初とのことで…ハイキューアニメ好きです。
個人的にはテイストが違うな…と。ハイキューは通常時ギャグ寄りからの真剣モードがカッコイイ。主人公が話の中心に居る。コナンは真剣モードの中に笑いをスッと差し込む。主人公が観客寄りの第三者目線でいる。ハイキュー以外もご担当されている凄い方なのでハイキュー単体と比べるのもナンセンスですが。
動きのあるシーンはさすが。今までのコナンでは見られないレベルでの人の動きが自然できれいなカットで。
せめて…せめて…ピコン!みたいな、漫画誌面的(YouTubeっぽい?)表現を避けてもらえたら話の内容に集中できたのになぁとは思います………でも細部が気になるのも全体のクオリティが高かったからこそでした。
もし劇場版に最終作があるならば、青山先生に全部仕切ってもらいたいな…(それはそれで地味でしっとりしたお話になっちゃうかもですね…でも最後は原作との齟齬にモヤモヤを抱えないでスッキリ観たい…その時に自分が生きてるかすらわからないけど…)
青山先生がどんなに素晴らしくても、お一人で映画を作れるわけではなく。劇場版には多くの方が携わってくださってるわけで。劇場版名探偵コナン製作陣の皆様、今作も製作くださり有難うございます。毎年、原作勢・アニメ勢・少々かじり層・未視聴層・大人から子ども・スポンサーの方々や各方面への配慮など大変なことばかりと思います。
それぞれの立場で、合う合わないはあるし、好き嫌いもあります。
自分は「名探偵コナンと付いていれば何でも最高!文句はいいません!」ということはできないファンなので、たくさん書きましたが。
毎年劇場版があって幸せ者です。追いきれないほどのキャンペーンも楽しませていただきました。
今年もやってやる!という物凄いパワーは感じました。
有難うございました。
※ このレビューは、劇場版は第1作から全て劇場で観ているが「その跡を見て難癖つける、ただの批評家に過ぎない」単なる一般人一個人の感想です。
※数回追加鑑賞後の追記
この映画は「思い出のアルバム」として観るのが一番しっくりきました。
一つの起きた大きな事件を名探偵が解決する新たなるストーリーというより、今までのさまざまなキャラや名探偵コナンの歴史をアルバムにしたような。
ただアルバムなので写真として美化されていて細かい泥臭さとかは見えない。人の嫌なところより素敵な部分をたくさん詰め込んだようなシーンやカット割が多い。そして過去をザッとなぞっていくので、観る人によっての解釈違いが大きい。(製作側がキャラの捉え方が大きくズレているということではない)
ただただ素敵で温かくて思い出すとキュッと心が動くような…そんな思い出のアルバムかな。
10周年の時もキャラが多くてお祭りみたいという批判もあったので、今回も似たような周年作品感を感じつつ。でも過去に焦点があるので今現在起きているお祭りというよりは、アルバムをペラペラ捲りながらみんなあの時はそうだったね…と感傷に浸る感じかなぁ。
個人的には泣けそうなのに泣けない…🎃泣きたいのに泣けない…🥺アルバム見ながら気持ちが温かくなったり、でも現実にそこに自分はいなかったから詳細はわからなくて泣けない感じ。
唯一、高木刑事が佐藤刑事を叱咤激励するところだけ「今ココ感」があって涙腺刺激されました。
個人的な好みかと思いますが、名探偵と一緒に歩き回ったり飛び回ったりして、泥臭いところやなんか無駄な動きしてるのをヤキモキして見たりしつつ事件を解決していくそばに付いて行ってる感があるストーリーの方が好きです。
今回は置いてけぼり感(むしろ事件が全部終わってからアルバムでこうだったんだよと説明されている感)がありました。
逆に数年経ってから「こんな年もあったな…」って鑑賞に浸りながら観るのもいいかも?
コメントくださり、有難うございます!
登場人物が増えたことで新蘭好きの視聴者だけでなくなった点と、メインキャラクターが据えられるようになった点があり、新蘭の描写がおざなりになること自体は近年ずっとなので仕方ないかなと思ってはきたのですが、今年は工藤新一という存在そのものがいなくなったことが辛くて、思いのまま書いた感想でした。
こんな駄文にお目通しいただけたとのこと恐縮です。
「工藤新一の消失」という特殊な字面に共感いただけるなんて恐れ多いです!笑
過去の人物との繋がりにおいて新一は登場はしていましたが、あくまで事件を解決するために思い出された過去であって、それが信念であったり事件解決への想い、ストーリーの根幹に繋がったわけではないので(取りようによっては5人の想いを背負って(死者のいる夜空と月を背負って)最後を決めたということにもなりますが)それは新一というよりやはり皆の期待を一身に背負った「コナン的」かなと感じます。
できれば、蘭にはメモの方ではなく、過去の出来事を思い出すキッカケの方を担って欲しかったです。そうすれば蘭を通して、新一がそこに「いる」と思えたかもしれません。
世界を守るくらいの高尚な皆の期待を背負ったコナンがヒーローとして活躍する内面に、とても自分勝手な、とても小さいところ(大人への対抗心や探偵としての意地や、事件への執着や、蘭への恋心とか)を動力として持つ「工藤新一」が感じられるのが個人的に好きなんです……。
今回は、セリフでは蘭!とは言いつつ、特に動力とはならず、そのまま皆の期待に応えて高尚な目的を達成する「皆のヒーロー 江戸川コナン」だったなと。
でも毎年細かいこと言いつつ、結局毎年観てしまうんですよね(笑)
同じく名探偵コナン、大好きです!!!
来年も期待しすぎないようにしつつ、楽しみにして4月を迎えたいと思います。
ものすごく共感し、ついコメントしてしまいました。
新しいコナンもこれはこれで面白いと思いますし、製作陣の覚悟、、なるほど!!と思いました。
これを名探偵コナンとして受け入れられず「初期のコナンとは別世界、こだま監督のコナンが観たい」と感じる私も次世代行きの船から降ろされているんだなと感じています。
それと工藤新一の消失、まさにそのとおりで、自分の中で上手く説明できなかった違和感がわかった気がしました。
でもこれからもコナンずっと大好きです!
ちなみに私も初めてコナンに出会った時は新一くんと蘭ちゃんよりも年下でしたが今や毛利のおっちゃんよりも年上になってしまい、子供は少年探偵団と同じくらいです。