冬薔薇(ふゆそうび)のレビュー・感想・評価
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出てくれた役者さんへ
☆は出演してくれた役者さん達へです。
おかげさまで飽きないで最後まで見れました。
本当、適材適所と言うか、役者さんの役どころが上手くマッチしていました。
石橋蓮司氏の船員キャラは、良かった。ああいうおっちゃん好きだなあ。
しかし、映画全体を通して言うと、あまりにも陳腐というか、『これ、俺でも書けるんじゃ!?』
と思ってしまった。
胸糞系ではないので、不快ではない分全然良いがシーンとシーンのつなぎが雑だし、
全体を通した主旨が見えない。
チンピラの描き方が、本当「いつの時代だよ!」と突っ込みたくなる。不良役のスペシャリスト、毎熊克哉氏でなかったらあれはグダグダだった。
正直、阪本監督って名前だけでこれだけの俳優陣集めてるのかな、と思ってしまった。
劇場で見ててちょっと恥ずかしくなってしまった。
伊藤健太郎氏は色々問題があったが、俳優としては良い俳優だと思っているので、またどこかで『宇宙でいちばんあかるい屋根』とトオルみたいな良い役をやってほしい。
いいものもある。 わるいものもある。
ベテラン俳優は巧いし、若手俳優も頑張っている (空振りしている感もあるけれども)。 構造物などもよく揃えたものだと感心する。
が、これらの材を使って、どうしてここまで身も蓋も無いつまらない作品になってしまうのか。 とにかく観るのに疲れる。 だめな邦画の典型だと思う。
俳優は大変だね。
伊藤健太郎を人間臭く活かした、阪本順治監督の巧妙。
人間の弱さを赤裸々に剥き出しにした人間ドラマの今作。
様々な向かい合うべき事を避けて、いい加減にここまで生きてきた 渡口淳(伊藤健太郎)
彼は生きる希望も目的も特にない。何もない。
そんな彼が本当は欲しかったもの。感じていたこととは何だったのか。
人から逃げ続け、人に逃げられ続けた彼が、最後に自ら選び手にするものは∙∙∙。
ろとても阪本順治監督らしい作品どぁり、
ご自身でも投げっぱなしのような作品で申し訳ないと仰られていたが、
それこそが今作品の真意だと思う。
この作品を 伊藤健太郎 さんで撮ろうと思った。と、
以前のインタビューで仰られてたのが
「なるほど、この感じか」と観てみてピタッとハマった。
それは彼自身の内省というだけでなく、良い意味も悪い意味も含めた
内から滲み出る”どうしようもなさ”や”流動的な佇まい”が
とても人間臭い説得力を携えていた。
監督自身が仰られていたように〔答えはない〕作品。
それぞれ個々が何を感じ、何を思うか。
誰もが陥る、そんなつもりじゃなかった普遍的なループ。
もういいや。と、手放す事の容易さに慣れてしまう日常。
別に不真面目なつもりはない。
苦しさも悲しさも心に抱えて、それなりに自分なりに一生懸命に生きている。
自分を取り巻く友情と家族と∙∙∙。いつのまにか暗黙のうちに出来上がっている関係性。
そして自分ならどうだろう∙∙∙。その関係性に甘んじているだろうか。
当たり前にある日々のちょっとした躓きを考えてみる。
良いことも悪いことも。でも生活して生きていくしかないのだから。
脇を固める俳優陣の個性がとてつもなく濃いのだが、
それがなんとも自然に馴染む土や海の匂いがするような作品だった。
その個性派の中で 坂東龍汰が素晴らしかった。
あんな演技もできるんだなぁと驚かされました。
阪本監督の伊藤健太郎へのメッセージ
阪本監督が伊藤さんとの話をして書いた脚本とのこと。
画面から映る伊藤さんへのイメージをそのまま表現したような作品だった。
人間的魅力のない人の周りにはどんどん人が離れていき、逆に利用しようとする人は近づいてくる。
しかし、それでも見捨てない人もいる。
このタイトルの花言葉って何だろう?と調べて見ると、この作品での伊藤さんへのメッセージかと想像する。
周りを固める俳優陣もこれでもか!!というくらい豪華。
この中で主演として帰れる場所があることに感謝して、頑張って欲しい。
阪本監督らしいメッセージ性の強い映画。
脚本が少し強引なのは時間の関係かな?
見る人をかなり選びそうだけど、それでも見る人さえ間違わなければ良作。
今年158本目(合計434本目/今月(2022年6月度)5本目)。
※ 先だって「ガンダムの映画」「極主夫道 ザ・シネマ」も見ましたが(時間あわせのため)、これらの映画にレビューの需要はないと思うので飛ばします。
さて、こちらの映画。
究極論にいえば、職業選択の自由(憲法22)というところに全部しまうのかな…とい印象です。
どうもおひとりは弁護士の資格をお持ちの方らしいのですが(ストーリー上)、本当なんでしょうかねぇ…。
ストーリーの性質上、殴り合いだの何だの、あの時の恨みが何だといった話が大半というよりそればかりになってくるので、実質、どういう観点で見るのか…という点は難しいです。
法律枠としてみるなら、民法上の不法行為や不当利得、事務管理といった概念、さらには、相殺の概念などかなり高度な話がどんどん飛んできますが、「出るだけ」なので無視することも可能です(まぁどう解しても、あんな殴り合いワールドで民法で救済を求めること自体が「事実上」意味なし)。それよりも「冬薔薇」と書いて「ふゆそうび」と読ませるこの花が映画内で何を述べたかったのか…、この部分はいろいろ考えたのですがわからなかったところです(パンフレットも、その「ガンダムの映画」のおかげで入れない状況だった)。
難しいなぁ…と思う一方で、映画ののべたい趣旨自体は一応わかるし(全部はわからない)、仮に多少つらく採点しても4.5にしかならないと思います。
特に減点要素とすべき点もないので、フルスコアです。
伊藤健太郎君の復帰映画ってだけだった。
主人公の淳(じゅん)は家業を継ぎたいと思っていたのに、父親が言ってくれなかったので、諦めて、ファッションデザイナーになろうと学校に通っている。が?ほとんど授業に出ていない。授業なんて出なくても、独学でプレゼンすればいいだとさ。じゃ、なんで学校入った?
こいつ全てが中途半端。美崎をリーダーとする不良仲間とつるんでいるけど、不良は向いてない。だから怪我させられちゃう。恋愛感情もないのに年上女とやりまくって最後は訴えられる。友人だと思っていた奴の所で働かせてもらおうと思っていたのに断られる。
最後まで何もやり遂げられない。監督、人生は思い通りにいかないよって言いたかったのか?
とにかく個人的に嫌いなシーンだらけなのよ。やたら怒鳴ってすぐケンカ。年寄り騙して金儲け。タバコ吸ってリラックス。もう~っ!!
若者達と違ってオヤジの仲間達は楽しかったな。本筋と関係無かったのがちょっとね。
観終わっても終わった感じしなかった。残念。
不寛容な社会で不器用に生きる若者
不寛容な社会で、居場所を探して苦悩しながら不器用に生きていく若者の姿を泥臭く丁寧に描いた作品である。不寛容な社会の構成員である我々の心に深く刺さる秀作である。
本作の主人公はある港町で暮らす渡口淳(伊藤健太郎)。彼は、デザイン関連の仕事をしたくて専門学校に入るが、学校には行かず、不良仲間とつるんで、友人や女性から金をせびり、自堕落な日々を過ごしていた。両親の義一(小林薫)と道子(余貴美子)は、埋め立て用の土砂を船で運ぶ仕事をしていたが、年々売り上げは減り、ギリギリの生活をしていた。親子に会話は殆どなく、埋められない深い溝ができ、もどかしい関係が続いていた。ある日、淳の仲間が襲われ、意外な犯人像が浮かび上がってくる・・・。
主人公は、自分の人生に対して最初から最後まで何も自分から主体的に行動しない。否、できない。彼は、人と繋がることを強く望む。自分を必要としてくれる人を渇望する。過去を断ち切って未来に進んでいくために。しかし、彼の素行を知っている者は彼と繋がることを拒む。彼から離れていく。残るのは、彼が断ち切りたい不良グループだけ。だから、彼はいつまでも不良グループから離れられない悪循環に苦悩する。そこにしか彼の居場所はない。
唯一、彼を温かく見守っているのは、父親の船で働く乗組員達だけである。彼らは、過去を抱えて生きてきた。だから、主人公の苦悩が理解できる。芸達者な個性派俳優陣のなかで、機関長役・石橋蓮司が過去を抱えて生きる孤独を語るシーンには説得力があり、過去を抱えて生きる者の過酷さが胸を打つ。
傍観者として本作を鑑賞することはできない。本作の背景である不寛容な社会を構成しているのは我々である。不寛容な社会の構成員という自覚を持って観るべき作品である。
ラストはハッピーとは言えないが、本作の題名が本作のメッセージである。不寛容な社会という厳冬のような過酷な環境にあっても、人との繋がりを求めて粘り強く生きていけば、花咲く時は必ず来る。
強力な護送船団(キャスト)で伊藤健太郎の船出を企てた阪本順治監督に無条件降伏
冬薔薇🌹と書いてふゆそうび。
谷村新司の群青(映画連合艦隊の主題歌)の歌詞に出て来ますが、当時は全く気にしていなかった。
意味もちゃんと知らないのに、昔、何度カラオケでやったことでしょう。群青のカラオケ映像は暗い海に降りしきる雪。こちらは薔薇の花に雪が降り積むカットシーンでした。
そんなウカツで思慮の浅いワタクシですので、ジュンのことを一方的に責められるわけがありません。おバカなことは30過ぎてもやっていましたから。
土砂運搬船会社を経営する渡口夫妻には二人の息子がいた。可愛い盛りにお兄ちゃん(アツシ)をガット船での転落事故で死なせてしまった。親父の代からの長い付き合いの機関士を演じるのは石橋蓮司。船の中で暮らしている。ギャンブルで妻子から捨てられて、ひとり。その他、船員には伊武雅刀、笠松伴助。ガット船の小林薫は操舵席のマイクでメシ!と一言。船のキッチンでまかないを作り、四人一緒に食べるのをとても大事にしている。家庭のことは棚にあげて。彼にとっては唯一息抜きできる時間で、いわばシェルターなのだと思う。余貴美子の母親は港のバラックの事務所を切り盛りしている。アツシの死後、ジュンの育て方を間違えた様子。お互いに口を開けば、責任を擦り付けあい、平行線。
母親役の余貴美子がせっせと薔薇の世話をするのは尽くし甲斐のない旦那と息子の代わり。石橋蓮司が先代の奥さんは事務所のまわりを花でいっぱいにしていたと渡口に思い出話をしたのをきっかけに渡口が買ってきた苗だった。
ジュンは忍耐力ゼロ。何をやっても続かない。場当たり的行動。見栄っ張り
で嘘つき。不遜な言いぐさ。金づかいはルーズ。返せる当てもないのに借金する。人の良心につけこんで騙すことに罪悪感なし。誠意がないので、親友はいない。一方で、他人に依存し騙されやすい。ちゃんと人と話せない。
ゲン(毎熊克哉)が一番ちゃんとしていて、カッコいい!トモカ(河合優美)がゲンのひとり娘を抱いて車で逃避行のシーンだけがなぜか希望の灯りが見えたような。毎熊克哉と河合優美のセリフがキレキレ。
澤地さん(和田光沙)。実年齢も健太郎とは一回り以上も上。世話を焼きたくなっちゃうんだよね。健太郎君可愛いもんね。くさいジュンの芝居。ホントにヤベー奴。
眞木蔵人(余貴美子の弟役)と板東龍汰の親子はけっこうなくせ者だった。ヤクザに頼んで示談にした?息子のかたきをとる?
でも本当にくせ者なのは、健太郎に当て書きした脚本を書いて、このキャストを集めた阪本順治監督ですね。
感服しました。完敗です。
まだまだ無限に出口のない日常は続き、悪いこともまだまだ続きそう。
それでも母親は黙って冬に咲く薔薇の手入れをするんでしょうね。
追記
小林薫と余貴美子は深夜食堂のマスターとマスターにほの字の料亭の女将役をスライドしてきたのか?船の中でまかないを作る小林薫をみていると、ついそう思ってしまいます。「あいよっ」て言わないだけで。でも、「どうよ!焼きそば」って言ってたような。二人の演技は惰性と諦めにどっぷり浸かった夫婦のやるせなさが良く出ていました。さすがですね。
親と子への教訓 言葉にしないと分からない人もいる 人や自分と向き合うこと
父と子の物語。古典的でシンプルなメッセージを持った映画の教科書的作品。解りにくい、つまらないと感じる人がいるとしたら、主人公が最初から最後まで何も分かっていない顔(もちろん演出、演技で)をしていて、一度も目の色変えて「本気」になる場面がなかったからだと思う。この作品では主人公の心中はよく分からない。というかこの主人公は本当に何も分かっていない(分かろうとしない)、見ていて苛立ちしか覚えない人物だ。
そしてその父親もまた息子と向き合おうとしない。面と向かっては言えず、最後に思い切って息子に電話をかけ「父親っていうのはそういうもんだ」と言うが、結局息子には何も伝わらなかった。
主人公は始めから最後まで「本気」で人や自分と向き合うことを一度もしなかった。
それは人も自分も大事にしてないこと。
向き合うべきものに向き合わず、本気にもならず、ヌルヌルと生きてきてしまった人たちは、ある時にふと、なぜこうなってしまったのかともう後戻り出来ないほどに過ぎた時間に気づき、愕然として背すじが凍る思いをするのだろう。
主人公はまだ若い。けれどぼんやりとしていたらあっという間に歳を取る。
まだ変わること、変えることは出来る。
監督の強いメッセージを感じる。
この何も分かっていない役を演じた伊藤健太郎さんは本当にいい役者だと思う。
なぜ、このタイトル??
冬薔薇(ふゆそうび)、冬に咲くバラ。
冬枯れの風景の中の一輪のバラのごとく、恵まれない環境の中、懸命に生きる心美しい青年の物語・・・ではない。
イケメンだけが取り柄の、どうしようもなくグダグダな男の話。
話の構成に不自然なところがあり、どうにも気持ち悪さを感じる。
無理やり主人公を不幸にするように、監督が画策しているようにさえ思える。
なぜ学校にいかないの?(行けない理由なんてない)
なぜ、チンピラの言うことは聞くのに、支援してくれてる金持ち美人の言うことを聞かないの?
そして、最後がアレではね。感情移入なんてとても無理。
伊藤健太郎くんも頑張って、脇役陣の演技も良いのに、まあ残念な作品でした。
どこにも居場所を見つけることができない男
ドストエフスキーの「地下室の手記」の中で、主人公の独白にこんな部分があります。
『わたしは単に意地悪な人間ばかりでなく、結局なにものにもなれなかった。悪人にも、善人にも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにもなれなかった。(青空文庫より引用)』
どこにも所属することができない人間はいつの時代にも一定数いると思います。
この映画の主人公もまさにそれで、どこかに行きたい、誰かに必要とされたい、成功して周りに認められたいという本心がありながらも、あまりにも自己中心的な性格のせいでどこにも所属できず、何者にもなれずにいます。
それどころか自分の言動のせいで、周りの人間を不幸にしたり、傷つけたりしてしまう。
こういう人、いるよねと思わせる主人公でした。
ただ単に生きているだけで、悪い意味で周りに波紋を与えてしまうような人間がよく描けていると思いました。
この映画が万人ウケするかと言われればそうは思えませんが、邦画の中では佳作に入ると僕は思います。
オリジナル脚本だということですが、もっと書き込んだ小説にならないかなぁ、とあり得ないことまで思ってしまいました。
それはそうと伊藤健太郎さんの復帰は個人的には歓迎です。彼には才能があると思います。
以前のような軽いノリの作品には出づらくなっただろうし、お茶の間で再度受け入れられるのにはもう少し時間がかかるかもしれない。
しかし、別の視点から見れば、本当に実力が問われているのは今だと思います。
もっと色々な映画に出て、演技の幅を見せることができれば、きっと今回の再起は成功するのではないかと思います。
青汁映画
なんか、張り紙貼るな、の張り紙の様な映画の感じが。主人公はじめ、出てる人物皆、どうしょうもない人間で、その人間達を淡々と画いた映画も、どうしょうもない映画の様な。それが、ラストシーンに現れてる様な。
しかし、観終わって、こんな作品感をもたらすのは、さすが、阪本順治。
せめて救いを
主人公は口だけ達者で何もできない、どうしようもない堕落したやつである。
が、この主人公に僕は非常に共感した。
こんなことをしたい、あんなことをしたいとは思っても努力できないそんな人は現代にも一定数いるように思う。
だからこそラストの結末に救いが欲しかった。
もちろんそんな救いを求めるのも甘いのだろうが、それでも希望が欲しかった。
健太郎さんの演技も多少ブランクを感じるところもあるものの陰の具合が素晴らしかった。
小林薫さんや伊武さんや石橋さんといった素晴らしいレジェンドに支えられて主演で復帰できるとは素晴らしく幸せ者だと思った。
やった事は許されない事だが、素晴らしい素質を持っているのでしっかり反省してこれからの芸能界でも活躍してもらいたい。
他の演者も皆さん素晴らしい演技だった
確固たる目標もなく、流されるまま生きている主人公淳。 その主人公と...
確固たる目標もなく、流されるまま生きている主人公淳。
その主人公とは真逆ともいえる人生を歩んできた伊藤健太郎が、この役をどう演じるのか興味があった。
意思のない虚ろな表情に覇気のないその風貌、伊藤健太郎とは別人の淳であった。
演者は役になりきる時、愛情を持つほどにその人物を深く理解し、初めてその人物になれるのだと思う。
その演者の淳への愛情が、殺伐とした人物をも、愛おしく思わせるのだろうか。
淳が愛おしくてしょうがないのである。
淳の両親(父義一:小林薫、母道子:余貴美子)の思いが私に宿ったのも多分にありそうだ。
この淳という人物を救ってほしい、心をあたためてあげてほしいと強く思った。
しかし、まだまだ淳は彷徨わなければならないのか…
雪が降る中の三崎(永山絢人)と淳の二人のシーンは圧巻だった。
(敬称略)
全体的なことを言うと、
この映画、静かに内面に切り込んでくる。
自分の生きてきた過程を顧みずにはおれない。
いつもは、見ないようにしてきたことが、浮き彫りにされる。
ボディブローを喰らったようなダメージを受けた。
阪本監督でなければ成しえなかった、とんでもない傑作。
阪本監督の前作「弟とアンドロイドと僕」が個人的に好みの映画だったので、その次回作に当たる本作も楽しみにしていました。前作は難解な作風ながら、何故か飽きる事無く引き込まれてしまうという、不思議な魅力に溢れた作品でしたが、今回はあのような難解要素は殆ど排除されて、一般向けに分かりやすい印象の作風になっています。
しかし、一見分かりやすいような映画ですが、しっかりと細部に目を凝らして鑑賞すると、実は一筋縄ではいかない、多くの深い意味が絶妙に彩られた凄い映画だという事が分かります。ちょうど最近リバイバル上映された名優ジェームズ・ディーンの青春映画を久々に鑑賞した後でもあり、伊藤健太郎とディーンを重ね合わせて、考察する楽しみ方も出来ました。本作での伊藤演じる主人公は、ディーンの役柄とはタイプが違いますが、根底で共通する要素が少なくありません。不器用で傷つきやすく、若くて未熟ゆえ、自分で自分をコントロール出来ず、愛に飢えていながら、欲しいものが手に入らない、苦々しくも若き時代。誰もが若い頃に経験して通過しながらも、大人になってしまうとすっかり忘れてしまう純粋過ぎる若者の青春像が、鋭い切り口で描かれています。
専門学校をサボりまくり、何かと言えば人から金をせびりたがり、周囲からは理解されず、自分の相手をしてくれるのは、ろくでもないゴミクズ不良集団だけという、どうしようもなく救いようが無いダメな若者が主人公です。そして、彼の周囲にいる親世代も、実は色々な事で傷つき、多くの悩みを抱えています。しかしながら、ここで描かれる主人公や大人達は、現実世界で生きていれば誰もが必ず背負う問題を抱えているに過ぎない、普通の人間の範疇であり、我々自身と全く変わりが無い存在なのだという事が分かります。私は金をせびる事も不良集団入りも無かったんですが、若い時期の私と似た苦しみや問題を抱えている部分が多く見られ、このダメな主人公は自分自身の若き頃と全く同じだと思いました。
彼は不良集団に属しても、悪に憧れているわけではない事が分かります。家族に迷惑をかけ続けるわけにもいかないので、独り立ちをして社会に出たい、と言う普通の若者らしい意志も持っています。しかし、そんな彼を覆っているのは、生き難く冷酷な現実社会だったりします。その現実世界を形作っているのは誰かと言えば、我々自身でもあります。この映画は主人公・渡口淳の物語を描いてるように見せかけて、実は我々の今の現実世界の歪みを映し出しているんだという事にも、だんだんと気づかされます。彼は象徴として描かれている部分もあり、「この主人公に共感出来るかどうか」みたいな見方に固執してしまうと、この映画の真の面白さを見落としてしまいます。そもそもダメな若者に共感は無意味です。
一般受けを狙った商業娯楽映画で多く見られる、ファンタジー的なハッピー要素などは、ここには描かれていません。そういうのを期待する人が観に行っても、この映画の本当の面白さは理解できないかもしれません。一時期マスメディアに叩きターゲットにされた伊藤健太郎を主役に抜擢して映画を作り上げた阪本監督ですが、その話題性を利用して一般受けする娯楽映画を作ろうなんて事は、全く1ミリも考えてない事が、この映画を観ると非常に良く分かります。ここに描かれているのは実のところ、今を生きる我々自身が投影されたリアルな姿なのだとも言えます。この映画が何を伝えようとしているのか、それは観る側の感性にもよりますが、鈍感で思考停止している人でなければ、作品に込められた多くのメッセージが必ず伝わる映画だと感じます。
私はこの作品から発せられる重要なメッセージの豊富さには、すっかり魅了されてしまいました。一見何てこと無さそうと思って通り過ぎてしまいそうなシーンでも、足を止めて、その瞬間を見逃さないようにしていると、面白い発見があったり、思いがけない気づきがあったりする。そんな絶妙な仕掛けも散りばめられている作品です。この映画は本当に面白かった。阪本監督で無ければ成し遂げられなかった傑作が誕生した!と感じます。文句無しの最高点です。
脇の役者さん達のキャスティングが絶妙
ストーリーは何とも言えません。
どうしようもないクズだった息子が、何かのきっかけで再起に奮闘して、新たな道を切り開くみたいな内容だったら、今の伊藤健太郎の未来を予感させてくれてよかったかなと思ったけど、クズのまま、いろんなことあったのに何か心境の変化あったのか、成長したのか、ようわからんまま終わる。ただ、今の伊藤健太郎だからこそ、この八方塞がり感、手も足も出ない感じが表現できたのでしょう。
救われたのが、共演者のベテラン勢の役者さん達と成長株の若手の俳優さん達が見事に演じられてたこと。その中でも毎熊克哉さんと河合優実さんをカップリングさせたのは天才的だった。あの2人は雰囲気がぴったりだった。
健太郎くんもこのベテラン勢の俳優さん達に囲まれ、自分の役者人生をもう一度しっかりと見直し、これから誠実に真摯に感謝を忘れず芝居に取り組んでほしい。復帰作を作り上げた阪本順治監督にも拍手を送りたい。
ベテラン俳優の演技に注目
タイトルからして重そうな映画だと思っていたのであまり期待せずに観に行きました。ここまで自己中心的な主人公を見たのは初めてで、「結末がいいほうに転がってくれたらいいなぁ」と願っていましたが、「あぁ、そうなっちゃうか」という感想を持ちました。
唯一ホッとしたのが淳の父である義一の仕事仲間、永原と沖島を演じる伊武さんと石橋さんの存在がとても大きかったです。船の中でまかないを食べているシーンや、義一と酒を飲みかわすシーンは不良や淳のことは忘れるくらい楽しい会話で安心できました。
全体的にどんよりした映画ですが、100分くらいで邦画では良作といっても良いくらいきれいにまとまった作品でした。
全62件中、21~40件目を表示