「物語になりにくい話を鑑賞に耐えるまで頑張った」大河への道 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
物語になりにくい話を鑑賞に耐えるまで頑張った
原作は、立川志の輔の創作落語である。千葉県香取市に生まれた伊能忠敬を大河ドラマにしようとする香取市役所の職員を主人公にした現代編と、伊能忠敬の恩師の息子高橋景保を主人公にした江戸時代編が交錯する作りになっているが、伊能忠敬本人はどちらにも登場しないという作風である。人類初の世界一周を果たしたとされるマゼランも、実は途中のフィリピンで落命しているが、偉業はマゼランの名を冠して讃えられているのと同様であり、あたかもマゼランの物語にマゼランが登場しなかったという作りになっている。
伊能忠敬が日本地図を作るための測量を始めたのは 55 歳になってからの話で、平均寿命が 40 歳に満たなかった江戸時代の実情考えれば、現在に例えると 100 歳近い老人が日本全国を一周して地図を作ろうという途方もない話に感じられたはずである。その事業に人生最後の 19 年を費やし、74 歳まで従事したが、志半ばで没した。地図の完成は、忠敬の没後3年目の話で、伊能組と呼ばれた弟子たちの手によるものである。
伊能組の測量精度は、緯度については約 1/1000 という驚嘆すべき精度であったが、経度については天体観測による校正が不十分であり、各地域の地図を繋いだときに正確に繋がらず、誤差が蓄積されたために、北海道と九州で大きな誤差が生じている。そうした点が触れられず、北海道のズレを指摘しただけというのは物足りなかった。また、伊能がこの事業に投じた私費は、現在の金額に換算して 1200 万円を下らないと言われているのだが、それも触れられていなかったのは残念であった。
地図は国防の要であり、自国の姿をどれほど正確に把握しているかというのはどれほどの国防意識を持っているかという指標に他ならず、伊能忠敬の作った地図に驚嘆して幕末に他国が日本を侮れないと認識するのに大いに役立っている。逆に言えば、伊能図が登場するまで日本人は日本の正確な姿を知らなかったということであるので、平城京を中心にして、伊勢神宮や熊野本宮を頂点にした五芒星が形成できるなどという話も、現代の地図から誰かが捏造したものに違いないのである。
伊能忠敬の日本地図を作った話が大河ドラマになるかというと、到底1年間の尺を埋めるのは非常に困難だと思うが、高橋景保が将軍家斉に復命した場面は非常に感動的であった。伊能図は大図、中図、小図の3種作られて幕府に納められたが、明治時代になって皇居が火災を起こした際に大図は焼失してしまっている。しかし、後に写しがあったことが判明し、現在見られるのはその写しの方である。江戸城の大広間に敷き詰められた大図のシーンは圧巻であった。
物語の起伏は必ずしも多くなく、ハリウッド映画のテンポの良さに比べれば実に日本的なのんびりした物語であるが、その分フィクションは少なかったと思う。伊能の墓が恩師の墓の隣にあるというのも事実であり、後に高橋景保もその隣に埋葬されている。物語を進める力となっているのは、将軍に真実を話さず経費を出させ続けたとなると関係者一同死罪もありうるというプレッシャーであるが、その回収も見事であった。
役者は中井貴一や西村雅彦など実力者を集めてあり、草刈正雄の存在感も流石であった。中井貴一は企画にも名を連ねており、入れ込み振りが感じられた。現代も絡めた物語の作り方にはかなり工夫が施されていた。それが届かない客もいるのだろうが、自分の感受性の乏しさを、作品のせいだとする思い上がりには与したくないものである。
(映像5+脚本4+役者4+音楽4+演出4)×4= 84 点