コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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そうだ、手話から始めよう‼️
たまにあるんです、こういうのが。
ルビーの歌声の一部しか流れていない予告編なのに、〝これはきてる❗️絶対泣くだろうな〟と高い満足度が設定されてしまい、いい映画であることがデフォルトになってしまう(『クライ・マッチョ』なんかもそのひとつでと思います)。
なので、実際に見て予想通りだとアレ⁈こんなもんだったっけ?という感じで、期待していたほどは刺さってこない(感じがする)。
そのせいなのか、感動した、というよりも、感心した、という印象のほうが強く残りました。
早朝3時に目覚まし時計をセット、父と兄の操業する漁船でともに働き、新規事業も手助けしつつ授業は居眠りして体力を回復、そのまま自分の歌のレッスンに向かう。こんな健気な若者を応援しないわけにはいかない。
家族の身体的な障害に限らず、貧困や虐待など、自分が生まれた家族の状況を当たり前のように背負い、自分の人生に〝選択肢〟はないのは仕方がないことと思い込まされている人たち。
もしそんな人が身近にいたら、どんなにささやかであっても、その人を応援する側につかなきゃいけないよね。
そんなことを爽やかに感じさせてくれるとても暖かで心地良い映画です。
【追記 2022.1.27】
お母さん役のマーリー・マトリンさんが気になり、アカデミー主演女優賞を獲得した『愛は静けさの中に』を鑑賞。
顔のすべてのパーツが純正品で完璧に整っている、そんな感じの綺麗な方でした。
この作品の中でも「子どもは私と同じ聾唖であって欲しい」というようなセリフがありました。『コーダ』の脚本と繋がっていたのですね。脚本家のリスペクトが伝わってくるようです。
『愛は…』の原題はChildren of a Lesser God
全知全能ではないやや劣った神の子どもたち、すなわち機能の不完全な障害のある子どもたち。
邦題も悪くはないけれど、原題のニュアンスのほうが、愛の意味がより大きく寛く響いてきます。そして、完璧に整った顔のマーリーの存在自体が別の何かを問いかけてくる。
そんな映画でした。
泣いて笑って、笑って泣いて…
でかい音量でhiphopをならしながらクルマを走らせ、その振動音(ビート)を楽しむ漁師の親父、激しい身振り手振りで話し、笑い、泣き、怒る家族たち。なんてお喋りな人たちなんだ。健聴者で生まれたルビーが歌手になるのは必然だった。
歌を歌うときの気持ちを言ってみなさいと音楽教師に言われたときに、ルビーがその思いを手話で表現したとき僕は泣いた。そうか、この子にとってのNATIVEは家族と語り合うときの手話なんだ。そういうことなんだ。
最後のオーディションでルビーは「青春の光と影」を歌った。そしてその会場にこっそり忍び込んできた家族たちを見つけ、ルビーは手話を交えて歌い始めた。生きること、生きることの素晴らしさには、必ず光と影(both side)がある。それこそが素晴らしいんだ。僕は号泣した。
切なく爽やか
V先生がとてもすてき
問題提起型と見るか原作ありと見るか…。
今年18本目(合計291本目/今月18本目)。
多くの方が書かれている通り、フランス映画を参考にして作られたという事情があるため、それが下敷きで、ある程度オリジナル設定があるというところはありますが「下敷き」がある以上、元ネタは大きく超えていないというところです。
もっとも元ネタ映画も見ていませんが…(元ネタ映画を見たことは前提な作りになっていない)。
このような「コーダ」(デフファミリーで、聴者の存在)をどうとらえるかは、現在ではいわゆるヤングケアラーの問題として今も議論されているところです。当然それは法律等は違ってもどの国でも同じでしょう。
ただ、そこに関する論点はあまりなく(一応はあるが、表立っては登場しない)、「コーダ」の方(女性の主人公)の歌の部分に大半寄せているので、問題提起型ととらえると、そこの部分が不足しているかな…という点は避けられないと思います。
かつ、この映画は実話ベースではないとはいえ、現在の日本(2021~2022)ではよく知られているヤングケアラーをどう考えるか、という点に気が付く方はかなり多いので、そこをどう取るか…(まったく無視するか、個人で考えるか…)という論点になりそうな気がします。
ひるがえって日本の事情を見ると、日本では「このような」家族も、基本的には民法の範囲でまずは考慮されます。しかし民法の親族編を見ると、特に「親→子」という概念で書かれていることに気が付きます(親族総則)。つまり、「子は親の指定する住居に住まなければならない」や、(今は改正が議論されていますが、俗にいう)「懲戒権」は定められているものの、「親→子」に対する条文ばかりであり、逆に「子は親を大切にしなければならない」などは一切存在せず、せいぜい親族相続の総則として「直系内では互いに扶養しましょう」という程度の、もはや理念条文というようにしか取れないものしかなかったりします。
すると、親がどうであれ(この映画のケースであれ、知的(精神)障害であれ)、子がどのような人生を選択するかは子の自由であり、どのような職業を選択するかも自由な話です(憲法22)。ここで、子が特定の職業についたときに、育てた親側が経済的に行き詰ったとき、日本でいえば生活保護法等が存在しますが…、それを頼ったときに、行政が子に対して「お互いに助け合わなきゃいけないんだから、大学(職業)をやめろとか、職業はこれにしろとか介入し始める」のが無理なのは、どう考えても明らかです。
一方でそればかりを主張すると親側は誰が面倒を見るのかという問題は残り続けるので、最悪、行政が合理的に判断して生活保護を受給させることしかできず、そうするとこの映画でいう「ヤングケアラーの子の将来の選択権」という、この映画で述べたかったであろう点がほぼほぼ存在せず(もちろん、日米で法律の差はあるとしても、根幹となる法律自体は多少の条文の差はあるとしても存在すると考えるのが妥当)、どのように解するのか…というのがかなり微妙です。
このような点まで考慮して下記のように採点しています。
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(減点0.2) この映画はアメリカ映画です。したがって手話もアメリカ手話(ASL)基準ですが、日本手話(中間手話/JSL)とはまったく違います。しかし俗にいう「バリアフリー上映」ではありません。一方でアメリカ手話をテーマにした「サウンド・オブ・メタル」がそうだった(ちゃんと字幕がついていた)のも事実です。
であるなら、趣旨内容的に「バリアフリー上映にすることが常識的に見て望まれるし、かつ、そうあるべき」映画でそうでないのは、結局「誰に見てほしいのか」が怪しく、趣旨として「(全員が)デフファミリーの家族」か「コーダの子がいるデフファミリー」の家庭「も」当然に想定していると解するのが妥当ですが、この映画は「無聾」以上にバリアフリーではないので(アメリカ手話は日本手話(中間手話)と互換性がないため)、趣旨が理解しがたいという点はあろうかと思います。
(減点0.1) この映画はPG12 の扱いです。これは多少なりとも性表現が出るからであり実際の表現こそ最小限(それでもPG12)なものの、「字幕でうまくかわしている」パターンです。
しかし、この「字幕のかわし方」が比ゆ的にすぎるため、言葉(日本語)の習得に苦労する当事者には「やや」きついのではないか…と思える点もなきにしもあらずというところです(今のろう教育と30~40年くらい前のそれは、まったく教え方が異なる)。
※ このことは「(ろう教育における)9歳の壁」という論点があり、「比ゆ的な表現が多く登場する小学3年くらいの国語から、一気に理解できなくなる」ということは広く言われていることで、今現在(2021~2022)はかなり克服されているとされますが、既卒の方には十分な教育が提供されなかった過去もあるのであり(事実、2000年ころまでは「高等部まで出ても、国語だけ極端に成績が悪い」ということはよく言われていた)、「当事者の方」が行かれても、理解の差はかなりわかれるのではないか…と思います。
※ 日本では、日本国憲法で「義務教育を受けさせる義務」(「受ける義務」ではないので注意)が定められていた一方で、1979年(昭和54年)までは「義務教育免除・猶予」という名の「教育拒否」が公然と行われていた(この年に旧養護学校(現:特殊支援学校)ができた)こともあり、その関係から、50歳くらいの方以上と、制度が充実した20~30代で、ある程度国語力に差があると言われます。
※ このことは、今でも「大検」(高認)とは別に「中学校卒業程度認定試験」(中認)という試験が存在することと大きくかかわってきます。この「中学校卒業程度認定試験」は正式名称が「就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験」なのです。
日本ではこのような事情があり、実際に「当事者の方」が行かれることも想定できる(ただし、バリアフリー上映ではない)のに、字幕が極端に比ゆ的表現になっており(←PG12なので)、それもそれで「巻き込んで「当然想定すべき視聴者が」理解不能になるのはやめてね」ということであって、そこはどうなのか…というところです。
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特報‼️❓日本でのリメイクは、ヒロインは高畑充希、彼氏は北村匠海‼️❓
また新しい世界を知ることができた
優しい気持ちになるなー。
かなり物足りない。
ラスト泣けます
美しい歌声と物語に何度も涙が頬をつたう
歌うことが生きがいのルビー、合唱部の先生に才能を認められ音大受験に挑むも、家族の中で唯一健聴者として家族を助けているルビーは進学を諦めこれまで通り家族を支えるか、自分の夢を追うのかで選択を迫られる。
どのようにしてその思いが届くのだろうか。。。
【文句なしの脚本と楽曲と歌】
脚本がずば抜けて素晴らしい。
ルビーを優しく見守り背中を押すキャラの濃いメキシコ出身のV先生の存在も素晴らしかった!
美しく伸びやかな歌声が心を大きく揺さぶる。
学校でのコンサート、ルビーと父の夜空の下でのシーン、ラストのオーディションシーンは圧巻です。何度涙を拭ったことか、、、。
一見、暗い作品と思いきや、時にコミカルに、ロマンスもあって、笑って泣ける最高にハッピーな作品です。今年入って一番のオススメ作品かと。
コーダとは、耳の聞こえない親を持つ子どもを意味する。そして本作は音楽記号の“コーダ”とも掛けている。
ちなみに、普段パンフレットを買わない私が今作では買いました。楽譜に見立てたパンフレット(見た目もソナチネやソナタの楽譜の表紙に似てる)もとっても素敵!じっくり読み込んで、また追記するかもです!
漁師なのにはワケがある
『エール!』は大好きな映画なので、アメリカでリメイクすると、いったいどんな違いが出るのか?とても楽しみでした。
やっぱり圧巻のラストシーンには号泣!!
まず一番気になっていた下ネタ問題(←そこ?)
てっきりアメリカ版は別のアプローチでくるかと思ってましたが、ガッツリ入れてきた〜〜!
むしろ増量ww
父親の手話のディテールが細かくて、パントマイムを見ているかのように、言葉でなくてもしっかり伝わる下ネタ。すごい(^^;)
PG12です。
生きていくうえで下の問題は避けては通れません。(エロに限らず)
病院のシーンでは、社会と家族との仲介者であるということが、どういったことなのかが具体的にわかって、ハッとさせられます。
そして、主人公のリアクションの違いから、それぞれの映画の違いも見えてきます。
『エール!』のポーラちゃんは一生懸命に通訳していたけど
『コーダ』のルビーちゃんは、口にするのを少しためらっている。
邦題のダブルミーニングからしても
◾️『エール!』yell応援の掛け声 フランス語のaileは翼
⇒ 家族からの巣立ちがテーマ。社会と家族の仲介者であることが家族の中の居場所だった少女が、自分の翼に気づいて親の理解を超えた世界へ羽ばたいていく物語
◾️『コーダ』音楽用語coda 両親が聾唖者の子供(Children of Deaf Adults)
⇒ ヤングケアラー問題がテーマ。もちろん巣立ちの物語ですが、それに至るまでの葛藤には聾唖者の家族が抱える問題とCODAにかかる負荷が描かれている。
しかしアメリカ映画ってすごいですね。
多くの人にわかりやすく伝わるように組み立てられている。
家族を愛するがゆえの葛藤が生まれる状況を作るのがホントに上手い!
だから家族のなりわいを漁師にしたのか!!
海の上には他の船もいるし、魚は新鮮なうちに売らなければいけない。
健常者のコミュニティと関わらざるを得ない状況下では、仲介者の存在は必須。
すぐに通訳が手配出来ない(費用もかかる)自分が居なくなると家族が困る。
より依存性の強いヤングケアラー問題が浮き彫りになってきます。
ちなみに『エール!』は酪農家。マーケットでチーズを売ったり、自分達のペースで生活している。確かに仲介者としての負荷はあるものの、社会問題としてまでは描かれていないように感じました。
それはフランスのお国柄もあるのかも?
聾唖者を無理に健常者のコミュニティに入れることなく、健常者の物差しで見ない。耳が聞こえないのも個性と言い切れる。イジメのようなシーンが無いのもそのせい?
主人公の交友関係で言うと
『エール!』のポーラの親友マチルドの、ちょっと変なキャラクターが好きだったので、『コーダ』では出番が少なくて残念でした。
恋愛エピソードは多めでしたね。恋愛を通して人として成長していく過程も良かった。
合唱部の仲間たちは皆んな個性的なキャラがたってて、練習シーンも楽しかった♪
『エール!』に負けず劣らず音楽の先生がクセ者なところも良かったし、練習方法もユニーク。
歌う時の気持ちを語るシーンには感動しました。
よくもこれだけ盛りだくさんの内容をスッキリと纏められたもんだ。
やっぱりアメリカ映画って抑えるポイントがキチッとしていてすごい。
そして、『エール!』と『コーダ』の両方に言えることは
間違いなく歌の持つ力と映画の持つ力を堪能できる作品だということです。
オリジナル版を意識しつつ独自の設定を散りばめることで繊細な人物描写を実現した!!
フランス映画『エール!』のアメリカリメイク作品。
大まかなプロットや演出などは、似た部分も多く、セリフに関してもそのまま使用しているものも多い。
恋愛要素が追加されていたり、楽曲はアメリカで親しまれている曲に変更されていたり、細かい設定などが変更されている。
細かい部分でいえば、例えばオリジナル版では農場という設定だったが、今作では漁師という設定に変更されているし、音楽教師の個性が強調されていて、既婚者になっている。弟ではなく兄がいる設定など、随所にオリジナル設定が散りばめられている。
実際に聴覚障害のある俳優をキャスティングしていった結果として、オリジナル版と似た俳優になっているのは奇跡といえるだろう。
設定を漁師にしたことで、健聴者が船に同乗しないといけない状況をより具体的に作り、家族が依存しているという環境を強調しているのと同時に、ルビーも家族を手伝うことで、ひとりだけ健聴者であることへの疎外感を埋めていることも描いていて、互いに依存し合う関係性が強固なものとなっている様子が、オリジナル版よりも凄く感じられた。
自分の歌声に対して、可能性を見出していくことが、結果的に家族と孤立してしまうことになる。
理想と現実の絶妙な距離感、一番歌声を聴いてほしい家族に聴いてもらうことのもどかしさの中で、どう歌を伝えるのか、そしてそれが家族にどう伝わるかの描き方は、オリジナル版に沿っていながらも、ストーリーを通して今作独自に繊細に描いてきた結果的要素が加わり、見事なまでの完成形となった。
ルビー役のエミリア・ジョーンズの歌唱力も大きな役割を果たしていて、ちゃんと才能があると感じさせる説得力には感心するのみだ。
泣かされました
惹き込まれる歌唱力✨
前向きになる作品
試写会で観ました。
CODA(コーダ)とは
Children of Deaf Adults の頭文字で
「耳の聞こえない親のもとで育った
耳の聞こえる子ども」のこと。
両親と兄が耳が聴こえなくて
主人公の妹だけが健聴者
という家族の話。
必然的に手話通訳者となっている主人公。
つねに家族から頼られて生きてきた。
でも、
家族のためだけに生きるのが
彼女の人生ではない。
彼女が自分の夢に向かって動き出した時、
彼女ナシで生きていくことを
余儀なくされる家族。
しかも、彼女の夢は「歌」
彼女の声が聴こえない家族は困惑します。
家族のためには
夢を諦めた方がいいのではないか?
思い悩みます。
最終的には
爽やかな前向きな結末が待っています。
ぜひ観てほしい。オススメです。
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