コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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注目!
元ネタとなったフランス映画「エール!」を観ているのでスルー予定だったのだけど、あまりにも評判が良くて鑑賞。結果、大正解!
正直、こっちの方が良いかもと思います。
違いは大きく二つあって…
1. 元は農家の娘だったんだけど、どうしても家族を助けなくてはならない、という理由が薄い。本作は漁業であることで健常者の必要性が明確で、その分カタルシスが強い。
2.主人公の魅力についての説得力がスゴい!
フランス版の主人公の魅力が弱い訳ではないんだが、エミリア・ジョーンズの素朴さと優美さがないまぜになったルビーの説得力がスゴい!
オーディションのシーンなど、ニコニコしながら観ちゃいますね…
とにかく、エミリア・ジョーンズ、注目です!
お涙頂戴じゃないのにウルウルが止まらなかった。
両親と兄は聾唖で自分だけ健常者の主人公ルビーは歌が大好き。家業の漁業に出ている時も大声で歌っていた。で、学校の合唱部に入ったルビーは先生に才能を見出され、音大への進学を薦められる。しかし、通訳が必要な両親は進学に反対。本人も家族の為に自分の人生を捧げようと考える。そりゃそうだ、仕事ができなくなったら生きていけないもんな。しかしそれ程仲が良くない感じの兄は妹の独立に賛成。果たして両親はどう転ぶのか?
最近流行りのジェンダーレスとはまた違う障害者の社会活動がテーマ。実際、聾唖者だけで漁に出る事は危険すぎると思う。そりゃ問題視されるでしょ。
とにかく、ルビー役のエミリア・ジョーンズが可愛くて歌が上手い。個人的には清原果耶ちゃんに似てるな〜って観てた。合唱したりデュエットしたり恋をしたりと、大好きなドラマのグリーをバージョンアップした様な楽しさ。
家族で喧嘩をしても手話なので、うるさくなくてちょっとコミカル。声に出さなくても手話で会話できるって事は、言葉の通じない外国人家族と同じに思えた。
愛のある人達ばかりで、心が癒されっぱなしで、ずーっとウルウルしっぱなし。
皆んなに観て欲しい超超オススメ映画です。
音、音楽って素晴らしい
#06 『エール』のほうが絶対良かった
この作品だけ見ると家族愛が描かれてて、皆さん良いと思うんだろう。
でも『エール』の大ファンだった私にはなんかテーマが違って感じて嫌〜。
家族の変なところが振り切れてないし、主人公が家族の犠牲になってるところが全面に押し出されているのがなんだかな〜。
原作は主人公がもっと純粋に歌が好きだったような。
そして家族も地域にもっと馴染んでたような。
どこかで『エール』をもう一回上映して。
手話は世界で一番優しさを秘めた言語なのかもしれない。
想像以上に素晴らしい作品
エミリア
そして響くあいのうた
描かれるのは人生。泣いた。
そうだ、手話から始めよう‼️
たまにあるんです、こういうのが。
ルビーの歌声の一部しか流れていない予告編なのに、〝これはきてる❗️絶対泣くだろうな〟と高い満足度が設定されてしまい、いい映画であることがデフォルトになってしまう(『クライ・マッチョ』なんかもそのひとつでと思います)。
なので、実際に見て予想通りだとアレ⁈こんなもんだったっけ?という感じで、期待していたほどは刺さってこない(感じがする)。
そのせいなのか、感動した、というよりも、感心した、という印象のほうが強く残りました。
早朝3時に目覚まし時計をセット、父と兄の操業する漁船でともに働き、新規事業も手助けしつつ授業は居眠りして体力を回復、そのまま自分の歌のレッスンに向かう。こんな健気な若者を応援しないわけにはいかない。
家族の身体的な障害に限らず、貧困や虐待など、自分が生まれた家族の状況を当たり前のように背負い、自分の人生に〝選択肢〟はないのは仕方がないことと思い込まされている人たち。
もしそんな人が身近にいたら、どんなにささやかであっても、その人を応援する側につかなきゃいけないよね。
そんなことを爽やかに感じさせてくれるとても暖かで心地良い映画です。
【追記 2022.1.27】
お母さん役のマーリー・マトリンさんが気になり、アカデミー主演女優賞を獲得した『愛は静けさの中に』を鑑賞。
顔のすべてのパーツが純正品で完璧に整っている、そんな感じの綺麗な方でした。
この作品の中でも「子どもは私と同じ聾唖であって欲しい」というようなセリフがありました。『コーダ』の脚本と繋がっていたのですね。脚本家のリスペクトが伝わってくるようです。
『愛は…』の原題はChildren of a Lesser God
全知全能ではないやや劣った神の子どもたち、すなわち機能の不完全な障害のある子どもたち。
邦題も悪くはないけれど、原題のニュアンスのほうが、愛の意味がより大きく寛く響いてきます。そして、完璧に整った顔のマーリーの存在自体が別の何かを問いかけてくる。
そんな映画でした。
泣いて笑って、笑って泣いて…
でかい音量でhiphopをならしながらクルマを走らせ、その振動音(ビート)を楽しむ漁師の親父、激しい身振り手振りで話し、笑い、泣き、怒る家族たち。なんてお喋りな人たちなんだ。健聴者で生まれたルビーが歌手になるのは必然だった。
歌を歌うときの気持ちを言ってみなさいと音楽教師に言われたときに、ルビーがその思いを手話で表現したとき僕は泣いた。そうか、この子にとってのNATIVEは家族と語り合うときの手話なんだ。そういうことなんだ。
最後のオーディションでルビーは「青春の光と影」を歌った。そしてその会場にこっそり忍び込んできた家族たちを見つけ、ルビーは手話を交えて歌い始めた。生きること、生きることの素晴らしさには、必ず光と影(both side)がある。それこそが素晴らしいんだ。僕は号泣した。
切なく爽やか
V先生がとてもすてき
問題提起型と見るか原作ありと見るか…。
今年18本目(合計291本目/今月18本目)。
多くの方が書かれている通り、フランス映画を参考にして作られたという事情があるため、それが下敷きで、ある程度オリジナル設定があるというところはありますが「下敷き」がある以上、元ネタは大きく超えていないというところです。
もっとも元ネタ映画も見ていませんが…(元ネタ映画を見たことは前提な作りになっていない)。
このような「コーダ」(デフファミリーで、聴者の存在)をどうとらえるかは、現在ではいわゆるヤングケアラーの問題として今も議論されているところです。当然それは法律等は違ってもどの国でも同じでしょう。
ただ、そこに関する論点はあまりなく(一応はあるが、表立っては登場しない)、「コーダ」の方(女性の主人公)の歌の部分に大半寄せているので、問題提起型ととらえると、そこの部分が不足しているかな…という点は避けられないと思います。
かつ、この映画は実話ベースではないとはいえ、現在の日本(2021~2022)ではよく知られているヤングケアラーをどう考えるか、という点に気が付く方はかなり多いので、そこをどう取るか…(まったく無視するか、個人で考えるか…)という論点になりそうな気がします。
ひるがえって日本の事情を見ると、日本では「このような」家族も、基本的には民法の範囲でまずは考慮されます。しかし民法の親族編を見ると、特に「親→子」という概念で書かれていることに気が付きます(親族総則)。つまり、「子は親の指定する住居に住まなければならない」や、(今は改正が議論されていますが、俗にいう)「懲戒権」は定められているものの、「親→子」に対する条文ばかりであり、逆に「子は親を大切にしなければならない」などは一切存在せず、せいぜい親族相続の総則として「直系内では互いに扶養しましょう」という程度の、もはや理念条文というようにしか取れないものしかなかったりします。
すると、親がどうであれ(この映画のケースであれ、知的(精神)障害であれ)、子がどのような人生を選択するかは子の自由であり、どのような職業を選択するかも自由な話です(憲法22)。ここで、子が特定の職業についたときに、育てた親側が経済的に行き詰ったとき、日本でいえば生活保護法等が存在しますが…、それを頼ったときに、行政が子に対して「お互いに助け合わなきゃいけないんだから、大学(職業)をやめろとか、職業はこれにしろとか介入し始める」のが無理なのは、どう考えても明らかです。
一方でそればかりを主張すると親側は誰が面倒を見るのかという問題は残り続けるので、最悪、行政が合理的に判断して生活保護を受給させることしかできず、そうするとこの映画でいう「ヤングケアラーの子の将来の選択権」という、この映画で述べたかったであろう点がほぼほぼ存在せず(もちろん、日米で法律の差はあるとしても、根幹となる法律自体は多少の条文の差はあるとしても存在すると考えるのが妥当)、どのように解するのか…というのがかなり微妙です。
このような点まで考慮して下記のように採点しています。
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(減点0.2) この映画はアメリカ映画です。したがって手話もアメリカ手話(ASL)基準ですが、日本手話(中間手話/JSL)とはまったく違います。しかし俗にいう「バリアフリー上映」ではありません。一方でアメリカ手話をテーマにした「サウンド・オブ・メタル」がそうだった(ちゃんと字幕がついていた)のも事実です。
であるなら、趣旨内容的に「バリアフリー上映にすることが常識的に見て望まれるし、かつ、そうあるべき」映画でそうでないのは、結局「誰に見てほしいのか」が怪しく、趣旨として「(全員が)デフファミリーの家族」か「コーダの子がいるデフファミリー」の家庭「も」当然に想定していると解するのが妥当ですが、この映画は「無聾」以上にバリアフリーではないので(アメリカ手話は日本手話(中間手話)と互換性がないため)、趣旨が理解しがたいという点はあろうかと思います。
(減点0.1) この映画はPG12 の扱いです。これは多少なりとも性表現が出るからであり実際の表現こそ最小限(それでもPG12)なものの、「字幕でうまくかわしている」パターンです。
しかし、この「字幕のかわし方」が比ゆ的にすぎるため、言葉(日本語)の習得に苦労する当事者には「やや」きついのではないか…と思える点もなきにしもあらずというところです(今のろう教育と30~40年くらい前のそれは、まったく教え方が異なる)。
※ このことは「(ろう教育における)9歳の壁」という論点があり、「比ゆ的な表現が多く登場する小学3年くらいの国語から、一気に理解できなくなる」ということは広く言われていることで、今現在(2021~2022)はかなり克服されているとされますが、既卒の方には十分な教育が提供されなかった過去もあるのであり(事実、2000年ころまでは「高等部まで出ても、国語だけ極端に成績が悪い」ということはよく言われていた)、「当事者の方」が行かれても、理解の差はかなりわかれるのではないか…と思います。
※ 日本では、日本国憲法で「義務教育を受けさせる義務」(「受ける義務」ではないので注意)が定められていた一方で、1979年(昭和54年)までは「義務教育免除・猶予」という名の「教育拒否」が公然と行われていた(この年に旧養護学校(現:特殊支援学校)ができた)こともあり、その関係から、50歳くらいの方以上と、制度が充実した20~30代で、ある程度国語力に差があると言われます。
※ このことは、今でも「大検」(高認)とは別に「中学校卒業程度認定試験」(中認)という試験が存在することと大きくかかわってきます。この「中学校卒業程度認定試験」は正式名称が「就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験」なのです。
日本ではこのような事情があり、実際に「当事者の方」が行かれることも想定できる(ただし、バリアフリー上映ではない)のに、字幕が極端に比ゆ的表現になっており(←PG12なので)、それもそれで「巻き込んで「当然想定すべき視聴者が」理解不能になるのはやめてね」ということであって、そこはどうなのか…というところです。
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特報‼️❓日本でのリメイクは、ヒロインは高畑充希、彼氏は北村匠海‼️❓
また新しい世界を知ることができた
優しい気持ちになるなー。
かなり物足りない。
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