コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
全546件中、1~20件目を表示
言葉が汚い彼ら、美しい音色を奏でる生活
聴覚障害者の彼らが聖人として描かれることなく、言葉は汚く、性的な人間として描かれているのがよかった。
過度に障害/障害者像を脚色することなく、普遍的なヒューマンドラマに翻案したからこそ、アカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞を受賞したのだと改めて思う。
秋の学内コンサートのシーンで、ルビーの歌声を掻き消し、彼女の家族の音が聴こえない世界を表現していることはやっぱりいいと思った。しかもこの視聴覚経験は映画館で観たからこそより際立つものであった。
他にも彼らがルビーを搭乗させず漁をすることで取り締まりを受けるシーンとルビーが気になっている彼と遊泳禁止の海で戯れるシーンが編集で繋がっている。
家族が法を破って罰則を受けることとルビーが法を破って恋を成就させることが見事な非対称性を帯びていてそれもよかった。
そして音楽の力も凄いなと。
音は振動する波である。それらが合唱で共振する時、共通感覚が生み出され、美しい作品になる。また例え音色として誰かに届かなくても、音の波が聴いた者の心にしっかり届くのである。ルビーに触れて父が歌声を享受するように。
魚の不当な搾取に抵抗するために協同組合を組織することーしかもルビーの家族が当たり前にトップを務めているーも示唆深く、みてよかったです。
「伝わらない」もどかしさ、苛立ち、諦め「伝わる」喜び、希望、温かさ、繋がり
いろんな考察や感想が頭のなかで渦巻いているんだけど、何を言ってもきれいごとになってしまう。私はルビーの葛藤を理解できても共感することはできない。ルビーは幼い頃から健聴の「CODA」として役割を担い、その役割を果たさないと親兄弟が家族として機能できない。
言い方は悪いが「親」を人質に取られているようなもんだ。親として機能してもらうには自分がいなくてはならない。
ルビーの両親だって、愛のない人たちではない。精いっぱいの努力で地域で子育てをしてきて、聴こえない分の情報の少なさもどうにか補って生きてきたたくましい人た ちだ。ただ、自分たちが知らない世界に娘を送り出すって誰だって怖いよね。
本作では「歌」を家族の役割再編成のツールとして効果的に使っている。
もうひとつの「coda」へと向かって。
最後にマイルズも言ってたけど、ルビーはもう実家に帰って来なくていいと思うんだ。両親と兄貴もルビーがいたから考えなかったことを考えるときが来たんだよ。いくら親子だからって誰かが犠牲を払って成り立つことはホントはちゃんと成り立ってない。だからルビーはルビーの人生を歩くべきなんだ。
好感度満点の家族たちに魅せられる。
実際のろう者やCODAの人たちのこの映画に対する批判や違和感についての記事やコメントをいくつか読んだ。聴者である自分なりに想像して、納得のできることがほとんどだが、それでもどこまで理解が及んでいるのかは自信がないし、この映画を手放しで賞賛するのは、確かに聴者の特権かも知れないとも思う。
ただ、自分自身の感じ方を優先させてもらうと、ろう者の俳優が本当に生き生きと芝居をしている映画を初めて観た気がするし(『サウンド・オブ・メタル』の場合はむしろドキュメンタリー的な演出が光って見えた)、とにもかくにもあのやかましい家族たちへの愛着が湧いてくる作品に仕上がっていた。
終わりどころを見失いかけたように感じたり、恋人役の男の子が笑うくらい添え物感があったり、完璧な映画ではないが、好感度の高さでは2022年のアカデミー賞候補作ではピカイチかも知れない。
明るくてユーモラスな家族の風景が物語るものとは
今年のアカデミー作品賞候補作の中でも、見終わった後の感触の良さではピカイチ。家族の中で唯一健聴者である娘が、生まれながらに恵まれた美しい声と音楽の才能を武器に羽ばたこうとした時、家族それぞれがしがらみや常識にとらわれない自由な生き方を受け入れ、肩を押す。その過程で、なぜ、自分がそんな家族の言葉となって他者との橋渡し役を請け負わなければならないのか?と言う娘の不満や、彼女を引き止めたい母親の思いや、聞こえないことのハンデそのものが描かれるが、なぜか、それほど悲劇的な雰囲気はない。すべては、めちゃめちゃ明るくてユーモラスで、時々"奔放な"家族の風景にあると思う。この種の突き抜けたユーモアはアメリカ映画ならではだろう。
結果、この家族が持つハンデの大きさが逆説的に伝わり、一方で、我が子が年頃を迎えて自立しようとした時、世の親たちはいかにエゴを捨て、子供の未来を信じられるかというテーマが浮かび上がる本作。聴覚障害者の父親を豪快に演じるトロイ・コッツァーは助演男優賞を本命だが、惜しくも候補から漏れたものの、エミリア・ジョーンズ演じるヒロインと絶妙の掛け合いで笑わせる兄役のダニエル・デュラントの好感度が抜群だ。もし、興味があれば、YouTubeにアップされている撮影の舞台裏を映した映像の中で、撮影最終日を迎えたデュラントが号泣しながら共演者たちと抱き合うシーンがあるので見てみて欲しい。そこには、製作の過程で彼らの中に生まれた絆の強さがしっかりと残されていて、もう一度感動が蘇って来るはずだから。
あざやかなリメイク
フランス版『エール!』の精神はそのままに、いくつかのアレンジを加えてより洗練された家族ドラマに仕上がっていた。フランス版では畜産農家だった一家を漁師になっており、一家の息子は主人公の少女より年上に設定し直されている。物語の根幹に変化はないが、色々なアレンジが物語の深度を深めている。
朝早くからの仕事で疲れて、授業中に寝てしまった主人公が教師に起こされるシーンが印象的だ。急に起こされた主人公は、とっさに無意識で手話を繰り出す。彼女にとって手話は自然言語であることがよくわかる、さりげなく重要なシーンになっている。
家族で唯一健聴である主人公は、家族と世間の媒介役とならねばならない。聾唖の世界はそれ自体が1つの文化であり、『サウンド・オブ・メタル』ほど強く打ち出していないが、ある種の異文化衝突的な側面が描かれる作品でもある。
主人公の合唱を会場で見る家族は聞こえないがゆえに疎外感を体感させる演出は、フランス版でもあった。フランス版はわずかに風が吹いているみたいな音を残していたが、こちらは完全に無音を作った。どちらがリアルに近いのかはさておき、完全無音はより強いインパクトを残すなと思った。
人生を潤わせ、力強く後押ししてくれるもの
そうきたかと何度も笑い、心揺さぶられた。歌や家族やハンディキャップや自己確立などの要素を織り交ぜ、やがて無二のハーモニーへ昇華させていくひととき。観ている序盤はこの映画をなんらかの既存の枠組みに当てはめようとする自分がいたが、途中からそんなことは何の意味も持たないことに気づいた。本作を介すと、これまで見えてなかったものが見えてきて、聞こえてなかったものが聞こえてくる。最たるものと言えば、思いがけない手法で描かれるコンサートの一場面か。その瞬間、眼から鱗が落ちたというか、ああ、この映画を観てよかった、大きな気づきをもらえたと、感じた。何かが欠けてるとか、秀でているとかではない。あらゆる人々が各々のやり方で懸命に人生を奏で、なおかつ大切な人のハーモニーを全身で受け止め、応援したいと願っているーーー。家族というかけがえのない存在を抱きしめ、己の人生を前進させようとするバイタリティに満ちた秀作だ。
説得力ある伸びやかな歌唱。名曲『青春の光と影』の選曲も秀逸
主演の英出身女優エミリア・ジョーンズ、あまり記憶に残っていなかったのだが、プロフィールを見たら「ゴーストランドの惨劇」(2018)に若い時のベス役で出演していた。同作では黒髪だったこともあってか、10代後半の約3年でずいぶん印象が変わるものだと驚かされる(現在19歳)。そしてその柔らかな声質と表現力豊かな歌唱にも感心したが、8歳で子役としてキャリアをスタートさせ、9歳でミュージカルの舞台に立っていたとか。なるほど納得のパフォーマンスで、彼女が歌う映画をもっと作ってと切に願う。
両親と兄がいずれも聴覚障がい者で、家族で唯一健聴者の高校生ルビーが、合唱部顧問に歌の才能を見出され、バークリー音楽大学を目指す話。家族同士の会話や罵り文句に性的な表現をよく使う両親など、聴覚障がいのある3人を個性豊かなキャラクターとして描いているが、家業の頼りにされ夢を追うことを反対される子の悩みといった普遍的なテーマもわかりやすくストーリーに織り込まれている。基本的にルビーの視点で進むのだが、父兄を招いた高校の発表会、ルビーがボーイフレンドとデュエットして他の聴衆が盛り上がる場面で、無音になり家族3人の“聴こえない感覚”を疑似体験させる演出は胸に迫るものがあった。
ルビーが入試で歌うのは、ジョニ・ミッチェルの名曲『青春の光と影』(Both Sides, Now)。「若い頃の楽しい体験と、苦労や悲しみといった両面も、振り返ってみると幻のよう、人生なんてわからないもの」といった内容の曲で、映画のストーリーにもぴたりとはまっている。ほかにも合唱部で歌うデビッド・ボウイの『スターマン』など、選曲のセンスもとてもいい。
題名の「CODA(コーダ)」が「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」を指すというのは初めて知ったが、もちろん音楽用語で終結部を意味する「coda」にもかけたダブルミーニングだろう。唯一の健聴者として家族を支えた子供時代の終わりを描く本作は、ひとり立ちして大人の時代へと歩き出すすべての若者を祝福する応援歌でもある。
歌と脚本が良い作品は、かなりの確率で名作! 少しでも気になる人は是非見てほしい作品!
私が一番相性の良いと思っている映画祭にサンダンス映画祭があります。特に観客が選ぶ「観客賞」は割と名作が多い印象です。
本作は、数々の名作を送り出してきたサンダンス映画祭において、2021年に「観客賞」「審査員賞」「監督賞」「アンサンブルキャスト賞」という史上最多となる4冠に輝いているのです!
そして、配給権がサンダンス映画祭史上最高額の約26億円で落札されています。
これは分かりやすい事例では、2006年の「リトル・ミス・サンシャイン」があります。2006年にサンダンス映画祭で上映され、フォックス・サーチライト・ピクチャーズが当時のサンダンス映画祭史上最高額で配給権を獲得しています。
その後「リトル・ミス・サンシャイン」はアカデミー賞で作品賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞の主要4部門でノミネートされ、助演男優賞と脚本賞を受賞。
本作「コーダ あいのうた」は、私の中では「リトル・ミス・サンシャイン」に近いイメージがあります。
特に物凄い事件が起きたりはしませんが、家族などの日常をユーモアを交えながら丁寧に描いているのです。
そして、本作は何といっても歌が良い。しかも、その演出手法も独自性があって上手いのです。
タイトルの「CODA(コーダ)」は、「Children Of Deaf Adults= “⽿の聴こえない両親に育てられた⼦ども”」を意味しています。
もっと具体的に言うと、父・母・兄との4人家族の中で、主人公の女子高生ルビーだけ耳が聞こえます。
そのような設定のため、「割と暗めな作品?」と思う人もいるでしょう。
ところが、脚本やキャストの演技が最高で、決して嫌な暗さは感じさせません。
本作は現時点ではアカデミー賞の前哨戦であるゴールデングローブ賞で作品賞(ドラマ部門)、助演男優賞にノミネートされています。
「リトル・ミス・サンシャイン」のようにアカデミー賞にも期待がかかりますが、もう本作は賞レースとかどうでも良いとさえ思えるくらいの「名作」だと思います。
なので「リトル・ミス・サンシャイン」が好きな人など、本作が少しでも気になる人には是非とも見てほしい作品です。
Another Welcome Drama on Deaf Community
Coda is the story of a a deaf family's hearing daughter. The father is a fisherman, and when the local feudal lord toughens working conditions, her service is needed. But her pursuit for a music academy becomes an obstacle. It sounds like a Disney movie, but it's more like Sound of Metal mixed with Manchester by the Sea. A welcome film for exploring society's inclusion of the deaf community.
チャレンジ
聴覚障害の家族に生まれた一人の健常者の高校生が家族や学校、進路を考えて成長する物語
いい話だった それは間違いない
ただ一言言いたい、全て娘に頼らずとも父母兄でなんとかできた場面が多すぎる
読み書きや電子機器が使えないのかと思いきや兄はスマホ使っているし、父は文字を書いている
兄に至っては女の子とメッセージでやりとりしている
それだけできれば問題なく意思疎通くらいはできるのではないだろうか
娘がいなくなってしまうと生計もままらなくなるというには余りにも雑
とはいえ演出は素晴らしかった
聴覚障害からの見た世界の演出
目線や表情での見せ方
聴覚障害がある中どうやって娘の歌の才能を感じるのかと思っていたが、感嘆した
そして何よりも先生
先生がいたから世界が全て変わった
厳しいが決して間違ったことは言わない教師の鑑
全弾の通り多少気になるところはあったが全体を通していい作品だった
コーダと呼ばれる人たちの生き方
前半デリカシーの無い親見てイライラ。 後半家族の絆、家族愛で盛り返...
前半デリカシーの無い親見てイライラ。
後半家族の絆、家族愛で盛り返してラストはハッピーエンド。
まず歌声に透明感があって良かった。
田舎の風景も美しくていい。
恋愛描写は甘酸っぱい感じがすごく出てる。
個性的なV先生が最後頼りになるー。
家族の犠牲になるな。と突き放すお兄ちゃんの不器用な優しさにグッときた。
引き込まれました。
爽やかなハートフル・コメディの傑作だ。
リメイク元の『エール!』(仏・ベルギー合作)に比べ、主人公の弟→兄への変更が、主人公を後押しするのに、兄貴のほうがより説得力があると感じた。
同じ設定のインド映画『Khamoshi: The Musical』やドイツ映画『ビヨンド・サイレンス』などに比べて、障害者を性や仕事に対して、オープンでエネルギッシュな人物として描いているのが、とても目新しい点だ。
変わり者だが、愛すべきファミリーを面白おかしく、でも、下品になり過ぎず、ハートフル・コメディとして描き切っている。鮮やかで清々しい物語だし、非常に好感が持てる。
米国の障害者や漁師という労働者=ブルーカラーが題材だが、潔いほど娯楽色に振り切った映画だ。1人の少女の瑞々しい成長物語として(エミリア・ジョーンズが自然で等身大の好演!)、何度でも感動できる、爽やかなハートフル・コメディの傑作だ。
歌声だけでなく、おしゃれで綺麗な景色にも目が留まった
家族愛にあふれる感動作
もう何度見たかも忘れるくらい繰り返し視聴している一本。
タイトルの「CODA」というのはChildren of Deaf Adultsの略で、親がろう者で子供が健聴者の場合の子を差す。
「コーダの子」は幼いころから親の通訳として連れ添う事が多く、それ故に時に重要な責任を負う事もあるため、心的ストレスが問題視されることもある。
その責任感から一般的な親子よりも結びつきが強く、なによりも家族を優先する自己犠牲の傾向が強いとされる。
この映画の素晴らしいところはやはり「ろう」の俳優さんを使っているところだ。
両親と兄役を本当のろう者を使う事でよりリアルな演技となり、作品の世界観に引き込まれる。
また、従来の障碍者を描いた作品というのは彼らを「社会的弱者」として扱うことが多いが、この作品は(娘のおかげとはいえ)健常者と同等の生活をしており、自立した人間として描かれていることに好感が持てる。
主人公ルビー・ロッシ役のエミリア・ジョーンズさんもまた多感な高校生を好演。
9か月の間手話とボイストレーニングを行ったとの事だが、手話の上手さもさることながら彼女の美声には思わずうっとりしてしまう。
どんなに良い作品でも、キャラクターに魅力が無いとつまらなく感じてしまうものだが、その点では非常に成功している。
内容もまた素晴らしく、「コーダの子」が抱える問題を積極的に描き、家族への愛と自分の夢との葛藤する様が見ている側の心をも揺さぶるのだ。
この作品はリメイクではあるが、非常に優れた名作であると評価したい。
音のある世界と無い世界をつなぐもの
映画を観るときは、できるだけ原作や事前情報を頭に入れずに観るようにしている(この情報洪水社会では意図せず情報がインプットされてしまうことも多いのだが・・・)。
しかし、このように身体に障害がある人々が登場する作品だと、事前情報を入れていなくても、「健常者としての自分」をどうしても意識してしまう。従って、映画を正当に評価できるかどうかというとそれは疑わしい。
もし、ルビーの家族が健常者だったら、この作品はここまでの支持を勝ち得ただろうか?サンダンス映画祭で見いだされ、オスカーを獲得しただろうか?恐らくそうはなっていないだろう。ありふれた家族愛と成功を描いたストーリーだ。
しかし、だからといって、この作品が過大に評価されているとは思わない。
主人公ルビーは、この一家にとって音のある世界と無い世界を繋ぐ役目を果たしている。家族もそれを頼りに生活している。しかし、彼女は家族が最も理解しがたいであろう「音楽」の世界へ進もうとする。これを宗教や価値観の違いを乗り越えて互いを理解をする、応援する物語だと読み替えるとどうなるか?とても困難な話のように思う。
それを乗り越えたられたのは、家族の愛の力だ、と言ってしまえばそうかもしれないが、そんな単純なものではないと思いたい。家族も、ルビーのことを理解しようという意思を持ち、行動しなければ、わかり合えることはなかったはずだ。
ルビーのステージでの歌唱シーンは、この作品の表現手法の素晴らしさを堪能できる。
高校生の娘の晴れ舞台。その澄んだ歌声が一転、無音のトーキー映画の世界になる。我々は父や母と同じ世界に、束の間、入り込む。周囲の人々の反応を確かめる父母。音がなくとも、娘の声が人々を感動させる本物だと知る。そして、彼女の本心を理解する。
バークリーの入学試験。手話を交えて歌う娘。音は聴こえなくても、その声は家族に届く。
父は、娘に言う。俺におまえの歌を聴かせてくれ。もっと大きな声で歌ってくれ。
そして、首を、頬をさわりながらその歌声を手触りで、感じ取る。
娘の歌を聴きたい。この身体で感じたい。その強い意思が伝わってきた。
父親を演じたトロイ・コッツァーの演技は、際立っていた。
愛があればわかり合えるなんて、そんな簡単なもんじゃない。理解しようという意思と心がなければ。
この家族を繋いだもの。それは、ルビーの歌。そして、互いを理解し、支えよう、応援しようという家族の前向きな意思の力だったように思う。
「青春の光と影」いい曲ですね。
家族愛を描いた傑作
今から十数年前、とあるきっかけで両親は聾者だが本人は聴者である人の講演を聞く機会があった。彼曰く、いわゆるCODA(Children of Deaf Adultsの略、本人は聴者であるが、両親は聾者であることの略称)は、生まれた時から、両親と外部の人とを繋ぐ「翻訳者」としての立場を担うことが運命づけられているとのことだった。
まさにこの映画のルビーそのものである。
この映画を見て、児童虐待だとか、支配的な両親であるといった意見も見受けられるが、CODAの実態をよく理解していないと思う。
聾者の両親にとって、CODAは外界と自分たちを繋ぐ唯一の存在、自分の半身のような存在なのである。
そこには、一般的な親子関係では想像のつかないような強い関係性が存在している。
しかし、この映画はその強い関係性を超えてまで主人公が夢を追うのと同時に家族をものすごく大切に思っていること、つまり家族愛が大きなテーマとなっている映画だと思っている。
そのような常識では考えられないくらいの強烈な、宿命づけられた関係性を断ち切ってまで自分の人生を生きていこうとするルビーの姿に心が打たれる映画なのである。
よく話題になる、コンサート中の無音の演出だが、私からすればこれは表面的な演出・テクニックにすぎないと思っている。
この映画は、難聴者の疎外感をテーマにしているわけではなく、ルビーとその家族たちの絆を描いているのだ。
絶賛すべきは、ジョニ・ミッチェルを歌うオーディションのシーンと、何といってもラストの家を出ていくシーンであろう。
一度家族に別れを言うのものの、いざ車を動かすと耐えがたい寂しさが込み上げてくる。
そこで、「ちょっと待って」と車を止めて、家族と抱擁を交わしに行く。
残された家族からすれば、ルビーがいなくなることは自分たちの半身を失うのと同じようなものだ。
しかし、彼らは「行ってこい」とルビーの背中を優しく押す。ルビーを愛しているからこそ彼女を送り出し、別々の生き方を選んだのである。
お互い、自分の半身である、かけがえのない存在との別れなのだ。
このシーンがこの映画のすべてであると感じた。
ルビーと家族が本当に大切に思い合っていることがすごく伝わる名シーンだと思う。
映画のパッケージにも使われている「本当に愛している」のサインを送るルビーの姿から、家族愛と青春、夢や希望を一度に感じられる、稀に見る傑作であると感じた。
全546件中、1~20件目を表示