コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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とあるシーンに息を飲む
本作は名作です。見たこと無い人は是非見てください。
とくに学校の発表会のシーンでは両親の視点になると”ある演出”が起きるのですが、そこに息を飲みました。
(ああ…今まで映画を見てきたけどこの人たちには世界がこう見えていたのか…)
と思い知らされました…
名作です。
愛情表現の多様性
いよいよ歌が聴ける!というシーンで無音になる演出には驚いた。普通に歌が聞こえれば感動の場面になるはずが、無音の演出により不安感が引き出される。そして、娘の歌を聴きたい、娘の歌を感じたい、と願う父の思いに感情移入させられる。
登場人物がそれぞれ、独自の手法で愛情表現しており対比が面白い。
聴こえる私が守らなきゃいけない
以前、仕事で手話を大勢の前でしなければいけない時があった。全くの経験が無いのに。
堪能な同僚に指導してもらい自分のパート分を必死に練習し、一応習得でき役目を果たせた。
その時、思っていたのは、
大勢の前でなく居られるならその方のところでやればいいのに、
不特定多数に対してなので、する必要性あるのかどうか、パフォーマンスでは⁉︎
など。
不得手だし、大勢の前で失敗したらとか消極的思考。
その後はする機会もなく。
もし、健聴者の誰もが母国語を話すように手話を習得していてそれが当たり前の世の中なら、
このお話のルビーは、もっと自由で肩に両親の期待がズッシリと乗る事もなくレッスンに遅刻もせずにいた筈だし、本作は生まれてはいなかったかも?
そんな世の中ではないので、本作はヒットした。
ただ、手話を身には付けていないが、代わるものがあった。
人々の心だ。
ルビーへの
父•母•兄の心、BFや先生の心、友人や保護者の心、そして、父と兄への漁師仲間の心。
多くの人の心がルビーを家族を温かく包み込む。そんな人々の温かい心たっぷりの作品だった。
『エール』と見比べましたが、どちらも良かった。ポーラとルビーが最後に歌う歌も。
[追記]
映画を観て良かった、とは思うが、
また別にこの作品がどうしろ、と訴えている訳ではないが、エンタメとして考えればいいのだが、何か心にそれでいいのか?と聞く声も聞こえそうで、しかし、多分、何もしないと思う。
わかり合えないのは障害のせい?
ルビー自身の物語と家族の事業の物語が重なり、交差しながらストーリーが進んでいく。
家族で唯一耳が聞こえるという立場上、ずっと自分を犠牲にしてきたルビー。やがてそれが音楽のレッスンにも影響しはじめる。せっかくマイルズと仲直り出来たのに父親の漁業が免許停止になってしまい……
正直、どこまでもルビーを頼り切りな母親は見ていてイライラした。音痴かもしれないとか、失敗したらかわいそうだとか言うけれど、結局頼れる娘がいなくなるのが困るからでしょ、と思いながら見ていた。だけど母娘が二人きりで話すシーンで、ルビーが「ダメな母親なのは耳のせいじゃない」と言ってのけたとき、この会話が出来るという時点でこの母娘はとても健全なのだとわかった。一方お兄ちゃんはルビーに頼り切ることに否定的で、それは親子でなく兄妹だからこその複雑な気持ちなんだろうなと思った。妹にばかり頼るのが情けないとか、自分を頼ってもらえないことのふがいなさとか、妹の将来を案ずるお兄ちゃんとしての優しさとか……そしてお父さん!一見チャラチャラして見えるけど、それはままならない現実を笑い飛ばす豪快さであり、娘を、家族を大事に思っている気持ちの表れのように見えた。だからコンサートの後のシーンがクるんですよね……
そのコンサートのシーンは、歌がポイントなはずの映画の中で、あえて無音にすることでどれだけルビーの歌がみんなの心をつかんだか、どれだけ両親の心が動かされているかを表現していてとてもよかった。もしかしたら、両親は聞こえないことに甘えていたのかもしれない。お兄ちゃんも、お前が生まれるまで家族は平和だったって言ってたし。家族、ひいては社会の中で異質であり続けることの苦悩が垣間見えた瞬間でもあった。
身体的なハンデ以外にも、人と人を隔てる障害っていくらでもあると思う。わかり合えないのは、その障害を言い訳にしているだけなのかもしれない。ルビーの喉に触れてその歌を感じたお父さんみたいに、わかろうとする姿勢を持つことの大切さを教えてもらったような気がする。
どちらが好きか分かれる作品
音楽教師の1989年卒業の意味は…
英国映画「リトル・ダンサー」に心打たれた
観客は同じような感動を得られたのでは
ないだろうか。
苦しい生活の中でも、才能ある子供を
より高度な世界に送り出す構図は一緒だ。
キネマ旬報の読者部門での第1位に
選出された作品が早々とTV放映されたが、
短縮版だったような印象だったので、
改めてDVDレンタルして鑑賞した。
「CODA」が聴覚障害の親を持つ子供のこと
を意味することを初めて知ったし、
こういった作品が、健常者と障害者の
意識疎通の障害を取り除く力をなることも
期待させられた。
この作品が心地良いのは、
聴覚障害の家族に日常生活の中での卑屈さを
感じないことだが、
一方で、現状の難しい生活の中では、
娘はかけがえのない家族の支えだ。
実は、家族は彼女の歌声を知るすべもなく、
合唱サークルの発表会のシーンで、
監督は観客に、
家族の“沈黙の世界”を我々に示した。
そんなハンディの中でも、
その才能と歌への想いを
徐々に理解をして、
彼女を音楽大学に送り出す。
家族だからこその想いが私にも共振して、
ラストの家族との別れのシーンには
号泣させられるばかりだった。
それにしても、音楽教師の存在は
この作品のテーマに関連して
意味深に感じる。
大学入学試験での主人公に、
改めて音楽への想いを思い出させるために、
わざと伴奏を間違える機転には頭が下がり、
また、彼の大学卒業の年を
ベルリンの壁崩壊の1989年にしたのは、
この作品で触れる、健常者と障害者の垣根や
貧富や教育格差を打破したいがための
象徴として設定したのではないかと
想像したが、どうだったんだろうか。
また、「青春の光と影」の歌詞は、
この作品のテーマにフィットする
見事な選曲に思え、
感動を後押ししてくれた。
「言葉にできない」愛
コーダ(Coda)とは、耳の聞こえない「ろう者」の両親に育てられた子供の事を言うそう。
両親、兄も先天的に耳が聞こえない家庭で育った少女の愛の物語。
いやー、泣いた。
家族愛に弱い私なんかにはぶっ刺さりの映画でした。
そしてそんな少女が歌を生業に生きていこうというのだから、それだけでもう面白い。
手話って凄く良いな、と、健常者だからこそ思えるのかもしれないが、よりそう思わせてくれる素敵な映画だなと感じました。
こういうテーマを取り上げると、どうしても重たいストーリーになりがちな中、ちゃんと笑えるシーンもいっぱいあり、ちゃんと最後には泣かせてくれるんだから、もう最高です。
もう家族が皆それぞれを愛してるんだなっていうのが節々で感じられて、本当に温かくなる映画だったなー。
やはり主役のエミリアジョーンズの歌唱力は凄まじく、演技力も持ち合わせているお陰で、しっかり作品に感情移入出来る点も◎。
また映像美も素晴らしく、音がなくても感動出来るようになっている気がして、かなりの良作だと思った。
何度見てもきっと感動するし、心が温かくなる。
そんな映画でした。
高校生、家族を背負って生きる辛さ
仏版のオリジナルは鑑賞済み。そちらもすごく感動的でおもしろかった!!
仏版は下ネタが過激でおもしろさもあるけれど、ちょっと刺激強めなので、こちらの方がおすすめ。
あと、年齢が三歳違う。仏版は中3でこちらは高3。その違いは大きい!
中学生が自分を犠牲にして家族のフォローしたり、大人と渡り合わなきゃいけないのは、仏版の方が胸が痛かった。
両親、兄共に聾唖で、一人だけ耳が聞こえる主人公(ルビー)。
家族は他人とのコミュニケーションせず、ルビーの手話通訳頼み。
それに、健聴に対しての敵意が強くて板挟み。
家族が手話で目立つので、学校では浮いた存在。なのに、家族で唯一の健聴者なので家族とも分かり合えない孤独感。
そんなルビーの特技は歌。でも、聾の両親は歌の良さが分からない。ましてや、歌手なんて未知の世界!全く理解してもらえない。
私がいないと家族が生きていけない、でも、自分の夢も出来た。周りの同級生とは違う、家族を背負ってるルビーの辛さや責任感が痛いほど伝わって来る。
ルビーの気持ちが込められた歌は、観客の心を激しく打つので涙なしでは観ていられない。
世界中で愛された映画、必見です。
<吹替 金ロー>
「あい」に溢れた素晴らしい作品
試写会の機会をいただいきTOHOシネマで鑑賞。ありがとうございました。
4人家族のロッシ家(労働者階級なんでなんとか家って自分で書いて違和感あるなあ)、家業としての漁業で生計を立てていますが、主人公のルビー以外は聾唖者。ルビーが3人、特に父親、兄貴と社会との通訳者として機能しています。そして、ルビーは音楽が好きで歌うことが好きで才能を見いだされ、自我に目覚めていきます。で、実際に聾唖の役者さんがやってるんですよね。
・家族同士、お互いに思ったことをぶつけ合う。でも、最後は穏やかに。
・愛の相対性について考えさせられた。自分は幸せを感じていなくても、客観的に幸せそうに見えるんだな、とか。
・才能を拾い上げ、育てるあい。ルビーの歌唱力を見抜き、その才能を伸ばそうと尽力していくV先生の献身の表現が上手い。V先生の欲求の俗っぽさもちゃんと描かれている。
・漁獲規制やら買いたたきが進んでいく中で、それに対抗するためにロッシ家が立ち上がり業業組合を作り、周りが協力していくという、聾唖者を無力なものとしていない、意志も行動も確固たる「人格」としている。
・圧倒されたシーンがありました。聾唖者なら当たり前に感じるところですがその場面では身動きがとれなくなりました。初めての経験でした。この場面を体験するだけでも映画館で鑑賞する価値はあります。
・ルビー役のエミリア・ジョーンズ、相当に頑張ったんだろうな。もともと手話が出来た人なんだろうか?手話を繰り出すところがあまりに見事。あ、歌唱も見事でした。
・夫婦愛がよろしいのは何よりですw
・粗なんですけど卑ではないです。多分。
最後の手話の意味を知ってまた泣く
家族の愛
金曜ロードショーで見ました。
これは泣いちゃうよね…
家族の愛を感じるし、挿入歌よ良かったと思います。
耳の聞こえない家族、懸命に助け合う姿も良い。
でもね、映っていない障害と生活シーンを考えるだけで多分、漁師として暮らしていくって、健常者との距離など、難しいだろうなと想像すると、それもまた過酷さを感じる。
話せば分かる
自分以外の家族はみんなろう者、ということは、こどもの時から、他者と家族の橋渡し役を自然に担うわけだ。本人も、その役割が当然のことと認識してしまう。負担だと感じても言えない。これは息苦しいよね。
漁師の父ちゃんと兄ちゃんは、なかなか口が悪い。意に反することには、従わない強さもある。母はルックスが良く、自意識が高いが、その分ろう者であることに引け目を感じている。社会と関わることは避け、娘に依存している。
家族のケアと学校で忙しく、自分自身のことまで気が回らないルビーは、夢や希望も持つ余裕がない。歌うことは好きだが、ろう者の家族には理解されない。音楽の先生が唯一、彼女の才能を買ってくれている。この先生、絶対ゲイだと思ってたら、妻と子がいた。勝手な想像してすみませんでした。
高校で開催されたコンサートの途中、無音になるところが出色。あと、バークリーの試験での手話、ここは泣きどころ。個人的にはデビッド・ボウイの「スターマン」のコーラス版に感動した。アレンジいいじゃん!
多少、うまく行きすぎだろ、とツッコミたくなるが、主人公の成長と、ともに成長する家族の姿に、あたたかい気持ちになった。あと、マイルズ、いいヤツだ。ルビーと彼は、一生の付き合いになるといいね。
日テレ金曜ロードショーを視聴。
受賞に見合った作品とは思えませんでした
立ち止まっていても何も変わらない、行動する勇気を持て
第94回アカデミー賞作品賞受賞作。家族の中で唯一健常者である高校生ルビーが夢を追っていくことで、ルビー自身と聴覚障害者の家族(両親と兄)が成長していくヒューマンドラマである。
本作で登場するのは、健常者の少女が献身的に家族を支え、家族は少女に感謝するという模範的な家庭ではない。リアルな家庭である。ルビーは家族の通訳であり続けることに苛立ち、音楽への夢をどうするか苦悩している。漁業を家業にしている家族は、当然のように遠慮なくルビーに依存する。健常者の家族のように自己主張はするし、喧嘩もする。障害者=弱者という意識は希薄であり、対等に健常者と交流する。日本との違いに愕然とする。邦画『こんな夜更けにバナナかよ』の障害者役の大泉洋の自由奔放さを思い出す。
そんな家族に変化が起きる。ルビーは新学期を迎え、突如、合唱部に入部する。ルビーは苦悩の末、夢を追う行動を起こす。顧問の先生は彼女の歌の才能を見抜き、音楽大学への受験を勧める。ルビーは両親に音楽大学受験を懇願するが、両親にはルビーの歌声が聞こえない。ルビーの歌の才能が分からない。彼女抜きでは家業が成り立たない両親は猛反対する。ルビーは夢を捨て、今まで通り家業を手伝おうとするが、兄に背中を押され、夢を掴む道を選ぶ。
ルビーが高校の音楽発表会で歌唱するシーンに、両親の想いが凝縮されている。会場にルビーの歌声が響き渡った後、暫くの間、静寂が映画館内を支配する。両親が感じている無音の世界に導かれる。両親にはルビーの声は届かない。ルビーの才能の確認はできない。しかし、両親は、ルビーの音楽大学受験を許す。ルビーの才能を信じ、ルビーの家族からの巣立ちを許す。同時に、ルビーへの依存を止め自立を目指していく。
ルビーは、音楽大学に合格する。夢への扉は開かれる。
本作は、夢を諦めず行動したルビーが自身を成長させるとともに、家族の絆を強めた作品である。行動する勇気の大切さを教えてくれる作品である。
演技はよかったが、脚本は普通。
家族愛、恋、夢
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