コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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言葉はとは呪いに近い物かもしれない。
内容は、フランス映画エールのアメリカ版リメイクにあたる。手話を第一語とする過程に唯一健常に生まれた少女の葛藤・焦燥・夢・希望・家族の和解をテーマにしたコメディドラマ。好きな言葉は『ハッピバースディトゥユー』冒頭の自分のやりたい事を見つけたが不安に駆られる感情を1人湖に向かって歌い上げる言葉。あの時に、主人公はもう1人の自分に気付き生まれ変わったのではないかと思う。そして青と緑に囲まれた映像も美しかった。素晴らしいロケーションです。好きなシーンは『自分の為に歌ってくれ!』という父親に車の🛻2台に隣同士で座り喉の振動で聴こえない歌を必死に聴き取ろうとする父親の姿に胸を打たれる。耳で👂聞くだけでなく身体で聴く聾唖者の感覚が少しでも分かり違った感覚が新鮮で楽しかった。双方の映画作品を通して言葉は意味をなさず気持ちを伝えるには不十分な事が良くわかる。家族を大切に思うあまりの呪いにも似た縛りや社会生活をしていく上で生きにくい区別された仲間意識の壁など簡単に解決出来ない問題に光を少しでも当たる事が出来た素晴らしい作品だと思う。エールとコーダを観て、どちからが好きかと問われれば前者が自分的には好みです。なぜならば元々TVドラマ形式での放送でもあり、家族関係がウェットに富んだ面白かったからです。でも人前でマリファナは駄目だよな。
気づいてるけど知らない世界
かなり前にフランスの「エール!」を観て面白いなぁと思ってたので、それのリメイクだと知って映画館で鑑賞。
最初に「コーダ」ってなんだろ?って思いました。主人公の名前かな?とか思ってました…。
「CODA」とは「Children of Deaf Adults」の略語で聴覚障がいのある大人の中で育った、聴こえる子供のことを指すそうです。コーダは、産まれたのち音声言語より先に手話を身に付けることも多く、幼いころから健常者との通訳係を担うことになり、年齢に合わない責任を負っている子もいるそうです。
鑑賞後、コーダに限らず世の中には家族の犠牲(単純なこの言葉で表現していいのか分からないけど)になって夢や好きなことを諦めざるおえない状況の人ってけっこういるよなと…。あっ、でもこの作品はハピエンなので大丈夫です!
たしか、フランスの元作品では全員健常者の俳優さんが演じてますが、こちらの作品では父、母、兄を聴覚障がいのある俳優さんが演じてます。そして、父役のトロイ・コッツァー氏の演技が良い!強面だけど渋くて優しいお父さん!この作品でアカデミー賞助演男優賞を受賞したはず。
そしてもう一つ、手話を交えながら主人公がジョニー・ミッチェルの「青春の光と影」を家族に向けて歌うシーンは感動しました!
当たり前に障害を持ってる俳優さんを採用するとか、いろんなライブや舞台などでも手話通訳の方がいるとかあげたらキリがないけど、そういうことが日常になるために自分には何ができるのかなと思う今日このごろです。
この作品が気に入った方はフランの元作品もぜひ観てくださーい。こちらの方がコメディ色が強いかな。
そういえば、この映画を観て韓国の女性監督が聴覚障がいを抱える両親を娘の目線から撮っているというドキュメンタリー映画「きらめく拍手の音」という作品があったのも思い出したので、今度はそちらもどうにかして観てみたいなと思っています。
仕事早退、劇場直行。2本立て1本目。素敵に泣ける作品だった。さすが...
家族愛 本当に泣けた
月並みな言い方になってしまうが、心洗われる珠玉のストーリー。
中盤までは何となく観ていたが、ラスト30分は涙の連続。ルビーを説得する兄の迫真の手話のシーンから一気にスイッチが入った。
手話がメインなので家族皆表情が素晴らしい。色々変化する表情や、手話から生じる音、そして息づかい、一時も目が離せなかった。
全体的にしっとりしそうなところを、多少お下品なトークや、音楽の先生の個性的なキャラ等々により明るい作品になっていたのもとても良い。
皆に勧めよう。
コーダの意味を知る
長い事生きてるのに 知りませんでした。
日本でそういう言い方するようになったのは近年なのでしょうか?
と思って調べたら
1980年代にアメリカで生まれた言葉である。1994年、D-PRO主催 THE DEAF DAY'94でのレスリー・グリア氏(米国/ろう者)の講演にて、日本で初めて『CODA』という名称と概要が紹介された。その後、成人したコーダが初めて集まり「J-CODA(ジェイコーダ、Japan Children of Deaf Adults)」が結成された。以降、一時期活動に間が空いたものの2000年頃に活動を再開。2015年に組織化して会員登録を開始した。
だそうで、なるほど。
という出だしが 無粋なくらい良い映画である事は間違いなくて
エールっていうフランス映画見た時の
あのあまりの荒削りっぷりにびっくりして
アメリカ映画にリメイクは そりゃあアリだろうと思ったが
その通りに 素晴らしくリメイクされていた。
牛を飼うチーズ農家が 漁業へと変換され
それに伴う事故が 彼女を家族に縛り付ける理由となり
弟は兄になり
彼女に家を出ろという。
あとフランス映画の方では かなりとっ散らかった印象のお父さんの選挙もなかった。
歌のうまさも極め付けで
オーディションでプロダクションというのではなく
大学に というのも 真っ当に見えた。
と つらつらと 違いを並べてしまったけれど
そういう事でなく とても良い作品となっていた。
コーダ(聞こえない親をもつ聞こえる子供のこと)
思ったより下ネタ過激でびっくり
お母さんと娘のシーンで大号泣
小学生の時にお母さん亡くしてるからああいう関係憧れる。いいなぁ。
お兄ちゃんも優しすぎて泣いた。
映画館であの静寂シーン体験したかった。
家族3人は実際にも耳が聞こえないらしい。だからあれほどリアルな演技ができるのか。耳が聞こえる有名俳優が演じるよりもこっちの方が大正解。
愛が包む名作。
Amazonプライム 吹替版にて視聴
フランス映画「エール!」を米リメイクした作品。
障碍者を題材にしたフランス版のリメイクと言うと「最強の二人」を思い浮かべてしまうが、
こちらは舞台設定をよりドラマチックに修正したようだ。
「エール!」については未視聴なので、対比については割愛。
聾者の家族の中、通訳のように生きる主人公のルビー。
しかし、召使のような訳ではなく、家族の愛の中で身を寄せ合って暮らしている。
彼女は歌が好きだが、家族の理解は得られない。そんな中、音楽の先生に才能を見出され……
と言った内容の本作。
本作のテーマは「理解と共感におけるハンディキャップの壁」と「家族の中の犠牲を是とするか」の2点だと感じた。
話者とのコミュニケーションの難しさ。これは聾を扱う上では必須だ。近年の映画では「聲の形」が一番適格に描いていたと思う(ヒロインの非現実性以外)
そこに主人公の音楽的才能を理解する事の難しさも加わってくる。
なるほど、これは共感出来ないことを共感させられる。とても苦しい演出だ。
しかし本作は、むしろそこから先を越えた、家族として娘の夢を後押しする事を描いている。
愛が全てを包むような読後感を与えてくれる。それが素晴らしい。
この物語の性質上、主人公の才能を説得力のある描写で表す必要があるのだが、
ルビーことエミリア・ジョーンスの歌が上手すぎて納得させられる。
特にラストの歌唱シーンは最高だ。
あそこまでの歌唱シーンは近年類を見ないくらいの心の揺さぶり方だ。
例えるなら「バーレスク」のテス(シェール)の歌唱シーン「You Haven't Seen the Last of Me」クラスの出来だった。
劇場で観たかったような。一人で静かに観たいような。
そんな宝箱のような作品だったと思う。
大切な出会い…
聴覚障害者の両親、兄の通訳をし、高校卒業後には経済的理由から家業である漁師になろうとしていたルビー。しかし、音楽教師に出会うことによって、才能を見出され、歌うことの楽しさ、友達との交流など、人間的に成長していく。家族も彼女の歌は聞こえないが、周囲の人の反応を見て、娘の才能、やりたいことに気付き、音楽大学への進学への夢を後押しする。聴覚障害というハンデを描くが、良い意味でも悪い意味でも、彼ら家族を聖人君子のようには描かいておらず、ユーモアを交えており、見ているこちらを元気付けてくれるような作品だった。彼女も素晴らしいが先生や家族も素晴らしかった。
後味のいい映画
無欲の潔さ
きょうび、ネットに帰属するわたしたちがいちばん腐心していること──といえば、自然さである。
ほんとは、ぜんぶ作為でやっている。
たとえば美容系インフルエンサーが一日をつづった動画は、寝室にカメラをセットして、いかにも起きました体で起きる。そこから一度もカメラ目線することなく、普段やっていないような朝食をつくりメイク・身支度をして仕事へでかける。帰宅した体でマンションの扉が開き、普段やってないような夜食をつくり、バスタイムからお肌のお手入れなどを見せて就寝する。・・・。
平素を装っているが、まちがいなく総てテイクを見て、なんなら何度か撮り直している。
自然にやっていないのに自然なように見せるのが、配信者の前提にある。だからこそ天然をもっている人がウケる。たとえホントの天然でなくても、天然が自然にみえる人がウケる。
論争の際、汲々と反駁したときなどに「おや必死だね」といなされることがある。必死はよく使われる嘲弄の表現であり、必死さは見えてしまうと見苦しいクールorスマートの反義語である。ところがYoutube、Tiktok、SNS、ブログetc、それらのオーナーで、PVや再生をかせごうと必死でない人間など一人も存在しない。
たんなる偶然やふとしたはずみでネットに動画や文をあげることはない。すでに成功した者からじぶんのような無名の者に至るまで、誰もが作為と承認欲をもって投稿するわけである。
だからこそ、どうしても欲しいのが、それをなんの気もなしにやっているのだという自然さである。「おれはなにも期待してはいないよ」というナチュラルor無欲な空気感である。
映画も登場人物の生活環境を自然に見せたい。
コーダは漁師一家の底引き網漁からはじまる。
父と兄とルビー(エミリア・ジョーンズ)が網にかかった魚を選別している。かれらの様子も船もロケーションもそれを日常としている気配=自然さが際立っていた。
率直なところ、リメイクのコーダが海外で絶賛されているのを知ったとき、権利を買い取ったとはいえ、元映画(La Famille Bélier、2014)よりも大きな栄誉に浴しているのが、なんとなく不可解だった。日本には二番煎じという言葉がある。
おそらくコーダはリメイクを二番煎じととらえられないよう、徹底的に、環境や人物のつくり込みをしたはずだった。自然さに腐心したはずだった。その意気込みが冒頭から伝わってきたわけである。
ルビーはちいさな体躯にぶかぶかのマリンフォードをはき、それがルーチンのように高らかに歌っていた。そのはじまりで、彼女が歌がうまいことや生活環境、塵塚の鶴orとびが鷹を生む──物語の概観を察知することができた。自然さに説得力があった。
また、母ジャッキーを演じた聴覚障害者のマーリー・マトリンはシアン・ヘダー監督のオファーにたいして、相手役となる夫をじっさいのろう役者から選ばなければ出演しないと突っぱねたそうだ。
その要求が飲まれTroy Kotsurがえらばれ(男性の)ろう者として初めてオスカーを獲った。
つくり込まれた自然さとほんとのろう者をつかったリアリティ。──外堀から再構築している気配がリメイクの枠を超え、海外での絶賛は頷けるものだった。
映画の核心は歌の才能に自覚のないルビーの自然さだと思う。
前述したとおり、自然さの対義語は作為である。もしルビーが歌がうまいことを自覚し、自己顕示欲をむきだしにしてしまえば、映画の魅力は半減どころか、失われてしまったに違いない。
思春期にある自信のない少女、漁師や荒波の似合わない少女、家族4人中ただひとりの健常者、その境遇がコーダを青天井にドラマチックにしている。琴線をくすぐられた。
漁師の娘事情を描きながら、しっかりコメディもしつつ、弱者(=家族の障がいや家計の苦しさ)をひけらかすことなく、きれいなシンデレラ曲線が描かれる。──もっとも観衆寄りの映画祭サンダンスでの観客賞は当然だろう。
逆境を跳ね返すうつくしい多幸感の映画。
ルビーの夢に寄り添った濃密な2時間だった。
(なお、マイルズくん目当てに合唱部入るときガーティが、
If you start, you know, beatboxing or doing that cup clapping thing, we’re done, yeah?(ボイパとかCupsとかはじめたら絶交だかんね)と釘差したところ、ツボりました。)
余談になるが、かえりみて、成功する人とは、その能力に無自覚なものではなかろうか。
バズりのような得体の知れない名利のために、わたしたちはネット上へ文や動画をあげることがある。
その単なる作為を、野心とか野望のようなものだと勘違いしているふしがある。
しかし夢を追っている人は、作為的ではない。
コーダがかぎりなくさわやかに見えるのは、承認欲まみれの現代人から見てルビーの自然さがうらやましいから──なのかもしれない。なんてね。
自分を愛して信じて生きる
明日も笑顔で生きていこうと思える作品。
聴覚障害をもっているがユーモアのある両親。
周りからバカにされようと、家族が楽しければそれでいいといった仲の良さが伝わってくる。
障害を持っていても明るいところは見習おうと思う。
でも、やっぱり声も歌も聞きたいんだよね。それが、娘だとよっぽど。そんな、少し弱い部分も見せてくれる。
この映画を見て、今までに無いほど綺麗でサラサラな涙が流れた気がする。
真にあいのうた。
昨年度のアカデミー作品賞に輝いた作品。
何故劇場で観に行かなかったのか、、、非常に後悔。
CODAとはChild of Deaf Adultsの略称で、聾者の親に育てられた子供の略。
主人公の少女は家族の中で唯一耳が聞こえるために、いつも通訳をしなくてはいけない。
音楽の道に進みたい気持ちはあるのだが、そもそも家族は音楽そのものを理解できない。
こうした逆境を用意するというのは話作りの基本なのだが、ここまで設定が生きた作品はなかなかない。
非常に演出や役者の演技が素晴らしく、ラストシーンはえも言われぬ感動がこれでもかと押し寄せてくる。
どれだけ嫌いになっても憎もうとも、家族は結局愛を伝えたくなる存在。
このことを如実に体験させてくれる素晴らしい映画。
個人的な満足度は34000円ほど。
旅立ちのとき
「コーダ(coda)」とは聴こえない親を持つ、聴こえる子供をさす言葉だと言う。
ルビーはまさしく「コーダ」である。
だから日常生活の多くを耳の聴こえない両親・兄の通訳者として、
お金のこと、役所のこと、医院の付き添いと、17歳のルビーには荷の重い
過酷な日々。
オマケに早朝から漁の手伝いまで・・・。
この映画は2022年のアカデミー賞作品賞を受賞した映画で、
父親役のトロイ・コッツアーは助演男優賞を受賞した。
トロイ・コッツアーは自身も聾唖の俳優です。
彼無くしてこの映画の成功無し・・・そう思うほど、強烈な印象を
残しました。
本当に今時珍しいほどアクが強く個性的!
一番に胸を打たれたのは、
合唱の発表会でルビーが歌うので聴きに行きます。
合唱が終わりマイルズとのデュエットの途中で、
映画が突然、無音になります。
聾唖の両親には、こんな風に「無音のステージ」なのですね!
まわりが喝采をしてはじめて、娘の歌が素晴らしいことを知るのです。
「聴こえない」ことの切なさを、私も追体験しました。
映画は合唱指導のヴェルナルド先生の強烈に個性も有り、
音楽に溢れた楽しい映画です。
音楽シーン。
オーディションの「青春の光と影」
随分の古い曲をルビーは歌います。
カーペンターズの好きな私はとても懐かしく嬉しかったです。
2番からは会場の両親たちに手話を付けて歌うルビー。
グッと込み上げるシーンでした。
人生のステージに代打の必要な時は必ず来ます。
代打がレギュラーを取って変わることも普通に有りますね。
ルビーが音楽の勉強にボストンへ旅立つことになり・・・
住み慣れた我が家を離れて行きます。
(SEXが大好きなお父さんとお母さん)
その元気があればまだまだ頑張れます。
湿っぽくならずに前向きな素敵な映画でした。
チョッと期待値上げすぎたかな^^;
自宅レイトショーAmazonプライムビデオ『コーダ あいのうた』
話題作ながらコロナ期間でのタイミング悪く劇場鑑賞出来なかった作品
アカデミー賞で、作品・助演男優・脚色賞受賞
耳の聞こえない両親に育てられた娘の家族・仕事・スクールライフの日常を描いた作品
家族の中で、1人だけ健常者の娘の葛藤の描写は絶妙で・・・
ろう者俳優初のオスカー受賞のお父さん役の俳優さんの演技もリアルを超えたリアル
日常描写も生々しく、周囲との壁を感じながらも明るく生きれる理由は”家族愛”
主人公のルビーの歌の才能を見出す先生との関係は、セッションを彷彿とさせるも・・・・
音楽シーンも凄いんだと思ってたので、チョッと期待値下回った感じ^^;;;
ラストの合唱会場でのシーンも家族には娘の声は聞こえないだけに、そういう演出だったんでしょうね。
その部分含めて、配信でも十分伝わってくる良作でした。
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