「大事なのは、自分と相手とのあいだの空間で 何を伝えられるかだ」コーダ あいのうた きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
大事なのは、自分と相手とのあいだの空間で 何を伝えられるかだ
【聴こえない世界の可視化】
無音のシーンが幾度もはさみ込まれる事でよくわかる―
ものすごい疎外感と不安が押し寄せること。
それはお互いに本当に別々の、裏側同士の世界に生きていたのだという現実の 可視化。
「両面から見てみよう」とルビーが歌う青春の光と影、
ジョニー・ミッチェルのBoth Sides Nowがしみじみと聴かせる。
「Babyじゃないよ。ルビーは昔から大人だったんだ」。
このパパの言葉で、我が娘がずっと今までヤングケアラーのくびきを担ってくれていたこと、その娘の置かれていた境遇にハッとするお母さん。
その手元をじっと見る兄貴。
”反対側にいる存在"に三人が気付くいいシーンだ。
聞きしに勝るいい映画だった。
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【コミュニケーションの冒険は、怖気づかなくてもいいんだと、この映画は教えてくれている】
この音楽の先生=V先生がとーっても良かった!
ルビーがCodaであることは知ってはいても、
その実情はよく知らずに、ただ歌うことの楽しさを夢中になって語り、そして自らが踊り、ルビーに大声で「歌心」を伝えた。
そしてこの先生は、Codaの境遇がわからずにルビーに対してバークレー音楽院への進学を勧めた。無頓着にだ。
この彼の無頓着ぶり、不見識ぶり、無神経ぶりがたまらなく良いのだ。
その真剣な無理解とルビーへの圧倒的な興味こそが、いずれルビーたちに事件を起こさせてくれるからだ。
V先生は、(ありがちな)おっかなびっくりの知ったかぶりをするとか、あるいは「配慮」という名の気遣いをしたりといった、Codaのルビーを腫れ物のようにしていたわるような慈善はしなかった。
時間を守らないルビーに対してあそこまで怒りまくった。
先生は大好きな音楽に彼自身がのめり込んでおり、自分の生活リズムも頑なに固持するキャラクター。
でも先生は本気で仲間を作ろうとする。ルビーに対しても遠慮知らずに「歌うことの喜び」をば、本気でルビーと共有したくて、その思いを爆発させていたのだ。
本作を観ていて、V先生とルビーの、掴み合いと叫びながらの取っ組み合いを見ていて、僕らも怖気づくことはないのだと思わせてもらった。
「好きとか嫌いとか」、
「怖いとか楽しいとか」、
そういう本心をこそ、腹式呼吸で、腹の底から、相手に伝えたいこと・吐き出したいことが、そこにあるから、それ故のあの二人の熱量 なのだ。
「ハッ ハッ ハッ ハッ」呼気吐息で語る胸の内。
手話で歌のイメージを表すルビー。
それを絶句して目撃するV先生。
鼻の奥が熱くなった。
あの音楽室での二人。
未知の世界への出会いとカルチャーショックは、戸惑いと対立を生み出す。けれどそれが事件を起こし、心を揺さぶる新しい生き方をルビーに引き起こさせたのだと思う。
家の中でも、家の外でも、ルビーは闘っていたのだ。
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【アイラブユーの手話サインは、とても難しい】
車の窓から手を出す。
梅津かずおのまことちゃんの「グワシ」に似ている。あの手の形は練習が必要だ。
だけれど、《それ》を伝える思いこそが、練習が本当に必要で、またそれが難しいのだねぇ。
僕たちは、
手話をしている人たちのそばにいると、話せないはずの人たちから意外にもたくさんの音が聞こえることに驚く。
バタバタと衣(キヌ)の擦れる音、
手がビュンビュンと風を切る音、
手首や指が振り回されてポキポキ鳴って、
興が乗ると、“会話”には弾む息遣いや、漏れる喉の声や、汗の香りもこちらにビジビシと伝わってくる。
五感がそれをレシーブするから、
こちらもそれに応えてがっつりとアタックするのだ。
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【ご近所のケアマネさん】
うちの両親の住む家に通って下さるケアマネジャーさん。
不思議な気遣いと配慮を見せてくれるので、母が問うてみたところまさしくご本人「Codaなのだ」と。
御両親が聴覚障がい者で、
「健聴の子(ご本人)が生まれてしまい、親御さんはどう育てていいのか分からず、未知の世界が不安で、戸惑ってしまった」のだそうだ。
これ映画のお母さんの述懐がそのままですね・・
「ザ・トライブ」
「エール!」
「サウンド・オブ・メタル」
「私だけ聴こえる」
こういう映画が次々と発信されて、
世の中にはまだまだ僕らが知らないコトバがあるのだと発見が出来て、
これは なんと素晴らしいこの時代ではないだろうか。
ZOOMなどを使って「リモートの手話通訳仲介」を、ホテルなどの受付けカウンターで、チェックイン時に利用することも出来る。
音声⇔文字変換のアプリも便利になった。健聴者・失聴者や視覚障害者同士の会話にもこのアイテムが使える。
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【対話に必要なのはハートと工夫、そして跳躍だ】
バークレー入学のために家を出るルビーにパパが言ってくれた渾身の「 GO 」が沁みた。
あれ、お父さん本人には聴こえないけれど、ルビーと鑑賞者の僕たちにはちゃんとあれが聴こえた。
語れ、歌え、聴き取れ、そして 伝えよ!と
お父さんの「 GO 」は、観る者すべてに励ましをくれているようだった。
◆「お前が生まれるまではうちは平和だった」「出てけ」
憎まれ口を叩いて妹を実家から“追放”する兄ちゃん、
妹思いの素晴らしい演技で、あれには泣けた。
◆「どうせ追い出すならみんなで見届けなくちゃ」と、涙をを隠してひょうきんな母ちゃん。
◆「声を出すのが怖いのか?そのCodaの醜い声を思いっきり出してみろ」とあのV先生。
大きな海原の、漁業のシーンから始まったこの映画、
〜親と子と、
〜兄ちゃんと妹と、
〜教師とその生徒と、
みんなが一石を投じ合って、港町の水面に、愛のさざ波を立てたんだね。
親と子の、別々の船での
これは新しい船出なんだ。
そして
劇中で、繰り返し湖水に飛び込んでいた若者たちの姿も、印象的に心に残った、
「ためらうと足が震えるからすぐに飛び込むのよ」
DISTANCEを飛び越えようとするBoth Sides Nowの跳躍。
娘無しに生きてみようと決心する親たちと、愛ゆえのためらいを抱えつつ自分の人生を選んでみる娘と。
・・家族の中にも 親友たちの間にも Both Sides Nowがしみじみと流れていたのだ。
言葉は振動。
思いはビート。
パパはルビーの喉と胸に手を当てて言葉を受け取る。
ルビーもパパをハグする。
本気で伝えたいなら、手段を探して奔走をすればいい。飛び込めばいい。ハグすればいい。
それはきっと伝わるんだよ。
ドキドキしてきた。
(了)
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「左耳の聴力が落ちていますね」と検診で言われてしまった僕。
同僚たちの立ち話にうまく加われない猛烈な疎外感があって、なおさらこの映画には感じるものがありました。
共感ありがとうございました。
この作品はめっちゃ笑えるところと、ハラハラするところ、嬉し泣き、青春萌え…色んな演出が押し付けがましくなく盛り込まれた、素晴らしい作品でした。
いつまでも記憶に残る名作です。
きりんさん、いつもコメントありがとうございます。
上から目線という言葉も流行ってしまいましたが、今の政治家たちがまさしく上からしか見ていない。やっぱりジョニ・ミッチェルはいい曲を書いていますね~
新車になっての冬道を初めて経験するので期待と不安でいっぱいです。今日から交通安全週間も始まったことだし、安全運転に心がけましょう♪
素晴らしいレビューありがとうございます。かなり忘れかけていたシーンも思い出すことができました。
私は手話の50音まで覚えて、一旦休止というか、サボってます。今度の4月に会社変わるので、再開予定です。
きりんさんのアラビア語の難解さに比べたらやらなきゃいかんですね😅
励みになりました。
頑張ります❗️