「愛のうたというタイトル」コーダ あいのうた toro koiさんの映画レビュー(感想・評価)
愛のうたというタイトル
あまり納得する日本語タイトルの少ない今日この頃。愛のうたという表現は肌にあった。
どうしてこの作品に感情移入できたのか、それは私がヤングケアラーだった過去があるからだと思う。主人公は聾唖者の家族を支えるために自分を時間を使う。姿は異にするが、祖母の背中の垢を風呂の中ヘチマで落とす自分に重なる瞬間があった。彼女は(いや、我々は)世間が思うより幸せで、自分の置かれた状況を十分に理解している。ただ、私も、彼女も、家族から解放されるタイミングがあり、それは同様に幸せなのだ。
作品を見た方ならわかると思うが、家族に寄り添うことはは決して間違ったことではない、という表現をされている。家族に寄り添い、支える人生もまた、美しい。彼女がひたむきに自分の好きなこと(歌であったり、家族であったり、パートナーであったり)に向き合っているから。ただ、時間は有限で身の回りの全てに取捨選択が必要となる時は必ず来る。選べる立場にあった彼女は幸せだった。才能に気づいてくれた人、愛してくれる人、そして背中を押してくれる家族がいることは何よりの幸福なのだと感じた。
最近勉強を始めた手話をじっくり見ることができたのも面白かった。「綺麗」「嬉しい・楽しい」と言った単語は日本のものと酷似していた。また、口に出すことが憚れる単語たちも見ているだけで理解できるし、そこにユーモアを持って行った脚本にも拍手を送りたい。これをきっかけに(ドライブマイカーの時も思ったが)違う言語として手話を身近に感じてくれる人が増えることを切に願う。
合唱祭の演出も映画を見ている我々を違う世界に誘うタームになっていた。父親が「俺のためにもう一度…」と歌をねだるセリフに愛を感じた。