「最後の手話の意味は?」コーダ あいのうた 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
最後の手話の意味は?
以前、同じようなシチュエーションの映画を観た記憶があるけど、それよりも判りやすく美しく、面白みのある映画だったと思います。開始して数分で世界観を全て描ききる明解さ、「ろうあ者の家族に囲まれ、話相手はラジオの音楽だけ、だからヒロインは歌が好き」という説明書きが一瞬で説明されていて、そこからスイスイと没入していきました。障害者の映画だからと云って、決して何とかポルノじゃない、下品な手話もシーンも満載w そして歌好きにもちゃんと見応え聞き応えのあるシーンも満載。
といって、ただ綺麗な歌声を流すだけじゃ無い、「ろうあ者にはどのように聞こえる(見える)のか」を再現するため、途中で音を消すという、ちょっと骨太い演出に関心。そして、最後のオーディションのシーンにも感動しました。それは手話というのは単なる言葉の代わりだけじゃない、言葉にならない想いを伝える手段にもなり得ると云うこと。ろうあ者にとって唯一の言語かも知れないけど、ヒロインの彼女にとって、小さい頃から家族とやり取りしてきたもう一つの言葉、もう一つの思い、彼女の体には私達と比べて二倍の厚みの辞書が埋め込まれていて、思わず言葉だけじゃ無く手話が出てしまう。だから、劇中で先生に想いを伝えられず手話で表現せざるを得なくなった。だから、最後のオーディションで想いが募り、思わず歌声と共に手話で表現してしまった。あの場に家族が来ていたからでは無いと私は想います。彼女はもはや、独り言すら手話で出てしまう、思わず手話で思いを語る人ではないのかと――。
最後の手話の意味は「あいしてる」なのだそうです。そして、エンドロールと共に流れる歌は彼女自身の生い立ち、家族と共に夜明け前から漁に出ていた頃を表した彼女自身の歌なのに気が付き、最後の最後まで聞き入り、字幕を読み込んでしまいました。また、タイトルのコーダが音楽用語でも有り、「Children of Deaf Adults」→「耳の聞こえない親のもとに生まれ、手話を第一言語とする人」という意味でも有るというのが面白いですね。