マイスモールランドのレビュー・感想・評価
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【帰る国の無いクルドの民に対する、出入国在留管理庁の体質、法制度の仕組みを背景に、日本で生きるクルドの民の心情を綴った切なき作品。”弱き者に視点を置く、”分福”の映画製作の姿勢には頭が下がります。 】
ー 私が、法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質及び仕組みを知ったのは、名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの事件を知り、その後、昨年秋「東京クルド」というドキュメンタリー映画を見たことが切っ掛けである。(お時間のある方は、「東京クルド」のレビューも、記載したので飛ばし読みして頂けると、当方の想い(鑑賞直後に書いたので、怒りの余り日本語がオカシイ所もあるが、敢えてそのまま記載。)
”これで、良く法治国家等と言えたものだ!”。と可なり憤慨した事を覚えている。
だが、ウクライナ情勢と同様に、出来る事と言えば僅かな応援資金提供位で、何も出来ていないという事が恥ずかしい限りである。ー
◆今作の感想
・「東京クルド」で描かれた多くのクルドの民の生き様を一つの物語にしたように感じ、法制度も理解していたので、今作は冷静に観る事が出来た。
- 出入国在留管理庁の若き職員が淡々と、在留資格証を使えなくする様が、現実味を帯びて見えた。-
・難民申請が不認定となり、デモに参加した事でサーリャ(嵐莉奈)や妹、弟が幼き頃、日本に来た父が入管監獄に入れられ、サーリャ達もの行動も制限されてしまうシーンは、切ないし、申し訳ないという気持ちになる。
・サーリャが淡い恋心を抱く”東京にある”コンビニバイト仲間のソータに2度、”クルド式出会いと別れの挨拶”をするシーンは彼女の苦しい日々の中、少しだけリラックスしている彼女の”人形の様な”美しき表情が印象的であった。
・入管の面会室にて、父に対して涙の講義をするサーリャ。
”私達をこの国に連れてきて、自分だけ国に帰るの!”
それに対して、父は穏やかな表情で言う。
”お前が生まれた時にオリーブの木を植えたんだよ。お母さんが亡くなった時もね・・。見て来ておくれよ。”
・父が身の危険を顧みず、脱出して来た国に戻る決意をした理由。それを彼女らを守る人権弁護士(平泉成)がサーリャに語るシーンも沁みる。
“数少ないんだが、親が帰国する事で、子供に在留資格が発行されるケースがあるんだよ・・。”
<切ないし、申し訳ない限りだが、この作品で語られた事は、現代日本で起こっている現実である。私達には今、何が出来るのだろうか・・。と考えさせられた作品である。>
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<以下、「東京クルド」のレビューです。>
ー 名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの無念さや、ご家族の怒りに対し、日本人であり、愛知県に住む者として心からお詫び申しあげます。
法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質、人権を尊重する欠片もない体質は、民主主義を謳っている日本に住む者にとっては、”恥”意外の何物でもなく、あのような行政を野放しにして来た責任は、選挙権を持つ私たちにもあると思います。ー
◆感想(鑑賞中から余りに腹立たしく・・。レビュートーンがオカシイです。)
・名古屋出入国在留管理局で、ウィシュマ・サンダマリさんに、今作でも描かれた様態が悪くなったラマザンの叔父メメットさんの妻からの救急車要請を断った東京管理局の姿勢と同じように、適正な対応をしなかった“殺人致死罪”に問われてもおかしくない行為を行った小役人達は、今作を正座して5回鑑賞すべし。
・出入国在留管理庁の本来の責務を、今一度、研修により学ぶ事。
ー 法務省のHPに分かり易く、書いてあるだろうが!ー
・”難民条約”を端から端まで、キチンと読む事。
ー 描かれているように、オザンやラマザンやその家族は、命の危険がある歴史的に迫害されてきたクルド人に生まれたため、難民として遥々日本に来たのではないか。
フセインが、且つて、クルド人に行った蛮行を知らないのか!
”難民鎖国”などと、諸外国から呼ばれている事を”恥”と思え!ー
・ここで、伺えるのは日本とトルコの良好な友好関係である。
1890年に和歌山県沖で座礁したエルトゥール号海難事件に端を発した友好関係が、関係しているだろうことである。
ー この事件は映画「海難1890」で描かれている。
ちなみにこの映画は日本・トルコ合作である。つまりは、トルコにとっては厄介な存在であるクルド人と、日本の関係性を、入管が”忖度”したとも見て取れるのである。ー
・2カ月に1回、わざわざ仮放免許可期間延長に来る方々への言葉遣いを、日本人に対して話す言葉と同じように、丁寧語にする事。
ー 至極、当たり前の事である。
他の役所の方々の言葉遣いは、ここ数年で格段に向上している事は敢えて記載します。
殆どの役所の方々は、頑張っているのである。ー
<今作は、クルド人として生まれ、日本に辿り着いた将来に夢を持てないオザンと、苦しい中、夢を諦めずに努力するラマザンの聡明な姿を中心に描かれる。異国で助け合う二人の姿。
だが、徐々に日本の、出入国在留管理庁の建前と本音が見えてくる。
そして、その腐敗し切った体質と、人権侵害どころではない恐ろしい実態が見えてくる。
流石に、入管法改正案は廃案になったが、そもそもあのような法案が出てくること自体がおかしいのである。
日本が、”難民条約”に批准しながらも、国際的な役割を果たそうとしない姿勢。
”日本は、大和民族単独の国なので、多民族国家にはしたくないのです・・。”
と、どこかから聞こえてくるようだ。
微かな救いは、ラマザンが無事に大学に入学したシーン。ご両親の姿にも涙腺が緩んだし、メメット叔父さんが530日振りに、少し元気な姿で、何の罪もないのに勾留されていた入管監獄から、外界に出て来て、大きくなった長男と奥さんと再会するシーンが観れた事であろうか。
今作をきっかけに、日本国内でイロイロと大きな問題が発生する懸念(かつてのフランスの様な難民受け入れ反対運動。)は十分承知しつつ、日本が、国際的な難民支援の役割をきちんと果たす成熟した多様性を認める国に、一刻も早くなるように願っています。
それには、私の様な一般市民がカントリージェントルマンの如く、現在の政府の動向を注視し、選挙の際に正しい行動を取る事なのである・・と思った現代日本に生きる我々に、多大なる警鐘を鳴らす作品であります。>
見過ごしてきた世界を知るきっかけに
日本でも当たり前のようになってきた難民問題を、クルド人家族をとおして表現している。
主人公を演じる嵐莉菜さんが、思春期の難しさと共に、表情豊かに演じているのが印象的だった。
しかし、「万引き家族」もそうだったように、問題の本質まで深く掘り下げず、入管の非道さなども描かず、何を訴えたかったのかが分かりづらい衒いもある。
敢えてそうしているのであろうことは、是枝組の映画を見ていれば分かるものの、わざわざ「クルド」というテーマを掲げてでやる必要があったのか、という気にさえなってしまう。
もちろん、誰かが取り上げない限りは、さらに見過ごされてしまう問題なのだろうけど。そこのみにて意味があった気がする。
色々書いた割に点数がそれなりなのは、嵐莉菜さんの演技がそれ以上に良かったから。
クルド人問題
日本ではほとんど難民申請が許可されない閉ざされた国であることをまず知ってもらわなければならない。
現在、ウクライナからの人たちは難民として比較的緩やかに認められるようだか、クルド、カンボジア、ミャンマー、シリアなどから逃れてきた人たちは映画のとおりの状況のようです。
あらためて考えさせられる問題です。
主演のサーリャを演じている彼女、映画初出演でいきなりの主役立派なものでした。
エンドロールで泣いたのは初めてでした 【名前を出すことはできないけ...
エンドロールで泣いたのは初めてでした
【名前を出すことはできないけれど
この映画の制作に協力してくれた在日クルド人の皆さん】
(うろ覚え)
これを読み終えた直後から
映画館を出ても少しの間
涙が止まらなかった
マスクのご時世で良かった
ラーメンは音を立てて食べた方が美味い!
普通に暮らしている女子高生が、クルド人難民ということで、他の日本人のように自由に暮らせなくなる苦悩を嵐莉菜が見事に演じていた。登場する妹役もよく似ているなと思ったら、なんと父親役も妹役も弟役も本物の家族とのこと。道理で・・・でもラーメンを食べる時は音を立てたい!
主人公の横顔に滲む刹那が胸に突き刺さる、国境のメタファーである荒川に寄り添うようにして暮らす家族の物語
祖国を追われた父に連れられ幼い頃に妹と弟と一緒に日本にやってきたサーリャ。高校生となったサーリャは友人にも恵まれごく普通の高校生活を謳歌していたが、父親の難民申請が認定されず一家全員の在留許可が剥奪されてしまったことから少しずつ生活が色褪せていく。
小学校の先生になりたいという夢を追い、父親に内緒で部活も辞めてコンビニのバイト代をせっせと貯金するサーリャがバイト仲間で美大進学を目指す聡太とデートするのは荒川の河川敷。在留資格を奪われたサーリャ達は許可なく県境を越えることを禁じられているので彼らにとって荒川は国境そのもの。東京に住む颯太と河原で語り合ったり、幾度となく橋を渡ったりするというごく普通の行為も許されない理不尽に心が折れそうになるサーリャも、彼女を何とか支えようとする聡太も、彼女達に手を差し伸べようとする優しい人達も誰もが余りにも非力。そんな絶望が残した傷に塩を擦り込むような無慈悲で下品な大人達。
在日クルド人の家族の物語でありながらそこに横たわっているテーマは普遍的なもの、当たり前のように享受していた自由がいとも簡単に奪われる残酷な世界に今我々が住んでいることを突きつけられる重厚な作品。主演の嵐莉菜が見せる刹那がグサリと胸に刺さって抜けません。
ウクライナ人同様クルド人の難民もなんとかならないのか
クルド人の家族(父、妹、弟)と一緒に故郷から逃れ、小学生の時から日本で育った17歳のサーリャは、埼玉県の高校に通い、日本語も問題無く読み書きでき、日本人と変わらない生活をしていた。大学進学の資金を貯めるためコンビニでアルバイトを始めた彼女は、バイト先で高校生の聡太と出会い話をする様になった。そんなある日、難民申請が不認定となり、一家が在留資格を失ったことでサーリャの日常は一変した。在留証明書を取り上げられて働いてはいけないと言われ、それでも生活のため働いていた父が捕まり、サーリャはバイト先をクビになり、収入がなくなった姉弟の3人はどうなるのか、という話。
国を持たない最大の民族と言われてるクルド人の家族が日本の入国管理局に難民申請を却下されたことによる苦悩をテーマに描いた作品で、以前観た「東京クルド」に続きクルド人の苦悩を知る事が出来た。
クルド人に在留資格を与えると日本人の失業率が高くなるという懸念からなのだろうか?
もしみんなに在留資格を与えたら世界中からクルド人が日本に来ると懸念しているのだろうか?
あれだけ日本に馴染もうと努力している少女たちを救う方法は無いのだろうか?
サーリャ役の嵐莉菜が美人で可愛いからよけいにそう思ってしまうのかもしれない。
ウクライナ人だけでなくクルド人やミャンマー人の難民も何とかならないものかと思う。
なるべく多くの人に観て知ってもらいたい作品です。
【5/8追記】主人公目線にしたために、本質の筋がわかりにくい…
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(5/8追記) 他の方のレビューでわかりにくいという部分について、私の知識水準でわかる範囲で補足を入れました。
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今年130本目(合計404本目/今月(2022年5月度)7本目)。
さて、こちらの作品。私自身は行政書士試験合格者レベル(難民申請は(難民問題を専門にする)行政書士と弁護士の共管業務です)という知識です。
この映画「それ自体」は架空のお話ですが、クルド人難民の話は、特に「埼玉県で」は多いお話です。外国人問題といっても大きく分けて2つあり、一つは「適法に在留している外国人の問題」、もう一つは「適法には在留しているが(途中で難民認定が不認定になることもあるが)、いわゆる難民問題」の2つで、この2つをまず分けないとアウトです。この映画は後者であり、前者の話(いわゆる、在日韓国人等や、さらに言えば、今日、日が当たっている実習技能生などの話)ではない、ということをまず理解しないと正直ハマリが生じます。
※ このことは、「日本に暮らす在日外国人の割合」と「日本での難民申請の割合」がそもそも根本的に違う、という点がポイントになります。後者、つまり「難民申請の割合」は、2020年(令和2年度)では「トルコ」(21.2%)、ついで「ミャンマー」(15.3%)、「ネパール」(11.8%)と、トルコが妙に多いことに気が付きます(「韓国・北朝鮮」は円グラフの中にすら存在しない)。これには事情があります(後述)。
映画自体は他の方も書かれている通り、主人公のサーリャ目線です(高校1~3年)。主人公が彼女でありそこに寄せた部分があるため、クルド人難民問題の根本が何であるのか等の話がほとんどなく、正確な知識がないと「在日韓国・ブラジル人」や「実習技能生」の話と混乱したり、とにかく理解難易度は高い上に、ハードルを低くしたために固有名詞や法律的な話をぼかしたために、前提知識がないと何の話をしているのか全く不明であり、最悪ハマリ現象が発生します。
もっとも、クルド人難民問題を真向面にテーマにした映画としては「東京クルド」という映画もあり(大阪市では放映なし?)、それと分ける意味で、主人公のサーリャを目線にしたかったのだと思うのですが、日本で「クルド人難民問題」というのが何なのか、というのが大半の方では???という状況が現在(2021~2022)では、最低限の説明もないと本当にわからず混乱するのはもう仕方がないし、一方でそれらを全部説明すると180分(3時間)コースで、もうこうするしかなかったのかな…というのは否めません。
とかく前提知識がないと本当にわかりにくいので、さっそく採点にいきましょう。
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(減点1.2/説明不足等)
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・ なぜ、(難民)クルド人が埼玉県に多く在住するようになったのか?
→ 日本では、例えば大阪の鶴橋がコリアタウンと呼ばれるように、在日外国人(難民も含む)は一か所に集まる傾向があります。そのほうが相互の協力を得やすいからです。まだ難民問題や、「外国人の移住」ということが余り意識されていなかった1990年ごろ、ある方が埼玉県南部(=東京都北部)に移住したことがきっかけで、埼玉県南部(川口市など)に多く集まるようになりました(日本には2000~3000人ほどいるとされる難民クルド人のうち、7割近くが埼玉県在住という特異な状況)。
※ そして、当時(1990年時代も現在も)、埼玉県南部では工場・解体作業などの単純作業で、特に中小企業が外国人を受け入れることに需要があったことも影響しています(映画内で、クルド人が工事現場?などで多く働いている描写があるのも、これによります)。
・ なぜ、日本は難民申請に対して許可しないのか?
→ 映画中でもヒントはありますが、「クルド」という国は「存在せず」、トルコやイラン、イラク等、このあたりの国で発生した紛争による難民です。
一方、「国籍」は必ず存在しますが、「難民クルド人」の国籍は大半は「トルコ」です。そしてトルコは一般に「親日国」として知られます。したがって、日本政府がトルコを親日国として考慮している前提で「難民申請」を認めると、当該国(ここでは、トルコ)に「戦争など、何らかの問題がある」ということを認めてしまうことになります。それは日本の政府の今の立場ではないので(繰り返すように、トルコは数少ない親日国)、これらが認められないのです。
※ このこと(クルド人難民の難民申請が通りにくい事情が、トルコに配慮している、ということ)は、行政書士・弁護士の方で難民申請を扱う方では、どちらのサイド(行政書士・弁護士)でも常識扱いです。
※ 「難民申請」が全て通らないのではなく、出身国によっては通る場合もあり、実際に例もあります。ただ、クルド人に限っていえば現在(2022年)まで認められたケースは「ありません」。
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(映画内での説明不足・配慮不足)
▼ 映画内では弁護士と思われる方が出ます(「裁判で司法に認めてもらいましょう!」という発言が出るが、行政書士には裁判まで来ると関われないため)。
ただ、難民の不認定処分に対しては審査請求が可能です(行政不服審査法、入管法)。ただ、入管法のほうが特別法なのでそちらが適用されますが、「不認定通知を受けてから7日以内」と短いのが特徴です。
行政不服審査法で救済されるケースは少ないものの、難民申請に対する審査請求は7日以内と短い一方、「難民申請が不許可になっても、それらの権利行使を妨げるものではない」ので(事実、法務省でさえこの手続きは説明をしている)、この間に、裁判で争う場合の証拠集めなどをする「時間稼ぎ」には使えます。ただ、映画内ではこの話は一切出てこず。これを「時間稼ぎ」として問題視する立場も理解はしますが、裁判で争うには当然、証拠集め(ここでは、難民認定されるべき客観的な証拠集め)に時間がかかることは事実なので、権利の濫用にあたらない限り問題視はされません(そもそも、法務省でさえ審査請求の説明がある)。
※ 仮に難民申請をしていたり、仮放免されていても、裁判を受ける権利等、基本的人権は(日本国民を対象としていることが明確でない限り)その保障は等しく及ぶ、というのが判例のとる立場です(→マクリーン事件)。
さらに、入管施設に収容されると面会が許可されますが、「裁判で戦いましょう!」という割に、一体「何の裁判で何を戦うのか」がまったく説明がなく。まるで不明になってしまいます。ここは、行政事件訴訟法の中の「取消訴訟」です(要は、難民申請の不許可を取り消せ、という趣旨で争う類型の裁判)。この話が一切ないため、国賠(国家賠償法)ではないかと考えたりしても、それもそれで一理ありうる(ただし、知識を持っていれば、それではないことは一瞬でわかる)ため、ここがかなり難しい状況です。
(ほか、その他)
・ 家賃の滞納については、1~2か月の家賃の滞納では賃貸人から一方的に解約することはできない、というのが判例の立場です(特に家の賃貸借については、「居住という特異な性質」から借主の保護という観点と、「家主と借主の信頼関係が完全に破壊された」といえるほどでないと認められない)。
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★以下、5/8追記★
Q. 外国人、特に難民にも基本的人権は及ばないの?
A. 上記に書いた通り、(参政権のように)日本国民を前提とした権利であることが明確でない限り、その保障は等しく及ぶ、というのが判例の立場です(マクリーン事件)。
一方で、合理的な制約をかけることも許されます。「県外から出てはいけない」(憲法22条の1、国内移動の自由)というのも、本質は「逃亡の恐れがあるから」であり、それは外国人・難民に「のみ」及ぶような規制ではなく、日本人でも科せられることがあります。破産が絡んでくるようなケースです(これも債権者保護の観点)。
問題なのは、映画内でも「許可があれば県外にも行ける」とは描かれているものの、その申請が「異様に細かい」点であることです(実際に、中学生の子が修学旅行に行こうとしたら、どこのホテルに泊まるのか、どこの観光名所に行くのか地図まで出して全部書け、といった、つり合いが取れない(中学生が修学旅行中に逃亡する、という行政の発想が不自然)という部分です)。
Q. クルド人と日本人とのかかわりは?
A. 上記に触れた通り、大半が埼玉県南部に在住されています。日本では立場が非常に狭いということ、また、「可能性は限りなく低くても難民申請が認められる可能性」を考えて、日本語の学習も(この地域の日本人ボランティアの方の協力もあって)驚くほど速いのです(映画内でも、父親の日本語はそん色ないレベルですね)。
※ 日本語学習では、漢字圏か非漢字圏かで学習のスピードが大きく異なること、また、トルコなどは「当然に非漢字圏」という点に注意。
また、川口市をはじめとした埼玉県南部の鉄道駅などの掃除のボランティアに従事されていることでも知られますし、「文化を知って欲しい」ということで、ケバブなどを安価に提供していたりなど、「相互理解」にお互いが協力しているところで、「当地でのもめごとはほとんど聞いたことがない」ところです。
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嵐莉那さん
5つのルーツなんですね!
この役にぴったりですね。
兄弟姉妹も同時出演とは、スゴいですね!
お父さんの気持ち、娘の気持ち、とてもよくわかります。
ほんと、現実は厳しいですね!
ドキュメンタリーのように感じました。素晴らしい作品だと思います。
嵐莉那さんの今後に期待です。
今後の活躍がとても楽しみ
試写会鑑賞
在留資格を失った在日クルド人家族の物語。
監督は是枝監督率いる映像チーム出身らしく、ここでも家族の在り方を描いていました。
この儚い物語にサーリャ役の嵐莉菜の空気がぴったりで、その佇まいは幻想的ですらあるでしょう。
高校生の少女が抱えるにはあまりにも大きい問題に翻弄されて、揺れ動いて、小さな恋をして、「ずっとここにいたい」たったそれが叶わない現実。
“かわいそう”そんな気持ちだけで片付く問題でないのは十分わかっているんです。
が、選択の余地無しに子どもが犠牲になってしまうのはどうしても辛い。
そんな中、家族皆でラーメンを食べるシーン。
ごく当たり前な風景だけど、それがすごく愛おしい時間でした。
また、高校生の目線で描かれているのも作品のテーマに即して良かったです。
物語の最後。「私たちの未来に…」と言葉を詰まらせながらも、決意を持った眼差しが素晴らしい余韻でした。
監督の川和田恵真さんに主演の嵐莉菜さん、今後の活躍がとても楽しみです。
難民の苦悩
難民家族のリアルな生活を描いた切ない作品でした。理不尽な日本の社会の中で生きざるを得ない状況は、本当に心が痛みます。感受性の豊かな女子高生にターゲットを向けた監督思いは、揺れ動く心の描写を中心に、作品の中にとても鮮やかに描かれており、素晴らしい作品に仕上がっていました。
素晴らしい!
日本社会にはまだ知られざる闇があり、それを知るべき大切な作品だと思いました。サーリャの美しいだけではない複雑な表情が良かったです。胸が締め付けられる様でした。弟くんも可愛いかったです。多様なキャストが魅力的で邦画も変わったなー、と感じました。素晴らしい!
関心を持たなければ
試写会で鑑賞しました。今まで知らなかったクルド人の難民問題を17才の女子高校生を通して熱く訴えられる映画です。自分周りにクルド人の方がいたら何をしてあげられるんだろうと考えながらみていました。これからは難民問題に対して自分のアンテナを広げていきたいと思いました。
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