劇場公開日 2022年8月26日

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「老練ウド・キアー、一世一代の名演でしょう。深々とした余韻が快かったです。」スワンソング 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5老練ウド・キアー、一世一代の名演でしょう。深々とした余韻が快かったです。

2022年9月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 アメリカの小さな町の、小さな話である。老いたヘアドレッサーが、がっての顧客の遺言で、彼女に死に化粧を施すという話です。
 余生もわずかになった。何かを残して、人生を締めくくりたい。しかし、そうは思っても、老骨にむち打っての大仕事は難しい。と諦めてしまう前に、本作の主人公を見てぼしい。しみじみと味わい深く、堂々と楽しげに、白鳥の歌を歌うこともできるのです。

 アメリカの小さな田舎町の道、店、風景がいい。老人ホームを抜け出したパットのロードムービーは、彼の人生を見つめる軌跡であり、寂れゆく町は演出効果そのものというべきでしょう。夕日に輝き、ダンスを踊り、死化粧を施す姿に、スティーブンス監督のゲイ文化への敬意が刻まれていました。

 舞台は、米オハイオ州サンタスキー。かつて人気のヘアメークドレッサーで「ミスター・パット」と呼ばれたパトリック(ウド・キア)は、老人ホームで退屈な隠居生活を送っいました。
 かつては、多くの顧客を抱えていたが、現役引退後は老人ホームでひっそりと暮らしていたのです。そこへ、仕事が舞い込んできます。お得意様たった大金持ちの女性、リタ(リンダ・エヴァンス)が亡くなり、死化粧を施してほしいと頼まれたのでした。しかし、パットは、途方もない報酬のその仕事を断ります。リタにはわだかまりを持っていたのでした。
 やがて気を変え、ホームを抜け出します。そこにはゲイとして生きてきた人生や最愛の人の死、リタヘの複雑な思いがあったのでした。
 パトリックは他の老人と違い、足腰もしっかりし、白いスニーカーがまぶしく映ります。食堂のナプキンを一枚一枚折り目正しく折るのは、元ヘアメイクドレッサーの手際が体に染みついている証し。だから、リタとは過去に確執があっても、依頼を引き受けることは目に見えていました。老いて堂々人生たどる旅。老人ホームを飛び出して、ふる里の町へ、パトリックはひたすら歩き続けます。それは空間を移動しながら、過去と出会う時間の旅でもあったのです
 大ぶりな指輪をスッと着ける、そのエレガンスな仕草だけで、亡き友のために人生最後の仕事をすると覚悟を決めたことを鮮やかに伝えるパットでした。

 古いたばこの銘柄を注文して不審がられ、化粧品店だと思って飛び込んだ美容院で冷やかされても、エレガントにかわしてみせます。自分のアシスタントから独立し、商売敵になった女性とも堂々と渡り合うのでした。そして昔の客と出会ったら直ぐに心を通わすことができました。ネットのバーチャル旅行や頭の中の空想でなく、自分の足で歩く旅。パトリックは、目の前の現実を通して、過去と向き合う旅人なのです。
 旅の途中、パトリックが最も心を動かされるのは、同性愛を巡る社会の変化を目にした時。恋人だった男性の墓を訪ねて、死を悼んだり、昔毎週ステージに立っていたゲイバーを訪ねだり。ノスタルジーに浸りそうになります。いきつけだったゲイバーは明日閉じるというし、彼の愛用したヘアクリームはすでに製造中止だと聞かされます。
 友と昔を懐かしんでいる目の前に、男性のカップルが子育てをする光景が現れます。そんなことは、かつては想像などできなかったことでしょう。
 最後には、恋人の死を巡って、わだかまりが残っていたリタと対面することに。パトリックと一緒に旅をしてきた観客は、導かれる結論にうなずくはずです。

 脚本、監督のトッド・スティーブンスはサンタスキーの出身です。パットは実在の人物がモデルで、エンドロールで紹介されていました。1984年、17歳のドットはゲイバーで彼が踊るのを見ているそうです。以来、パットはドットの「女神」だというのです。
 パットはまずパートナーだったデビッドの墓に額ずきます。最愛の人はエイズが最も恐れられていた90年代半ばに死んでいました。時の流れが身に染みます。
 湖のほとりのベンチで旧友と語り合う場面の何と切ないことでしょうか。ふと気づくとパットはベンチにひとり。旧友はデビッドと前後して死んでいたのです。
 追憶の中では、全てが美しく、はかないものです。そして郷愁がひとしお募ります。ここに描かれるのは、勇気と衿持を保ち凛として生きたあるカリスマの肖像です。老練ウド・キアー、一世一代の名演でしょう。深々とした余韻が快かったです。

流山の小地蔵