茶飲友達のレビュー・感想・評価
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「希望を持ちたかったから死にたくなった」
「茶飲友達、 募集」という新聞広告を出す、高齢者専用の売春クラブ、ティーフレンズ。マナを中心とした若者で運営され、高齢女性のティーガールが所属する。高齢男性の客、マナらの若者、ティーガールらも悩みを抱えていた。スーパーで万引きをしていた松子をマナは、ティーガールに誘い。
実際の事件をもとにしているとのこと。老人ホームや寝たきりの人にもニーズがあったのか。高齢者の性欲は、むしろ旺盛という話も聞いたことがあります。有っても良いのではないかと思いました。さらに物語は高齢者だけのものではなく、様々な親子関係にも。パン屋の話が良かった。
高齢化の問題
茶飲み友達募集、て広告見たら素直に茶飲み友達と思うよね。でもこの広告は希望者には売春買春の斡旋。確かに、高齢化する世の中、切実な問題なんだろう。
ただもうそんなことはどうでもいいけど、寂しさを感じてお茶飲みながらお話しする友達が欲しいと思う人ももちろん居るだろうし、まだまだ現役〜だけどもう相手がいない、受け入れてもらえない人にとっては欲しいシステムなのかも。
経営者のマナは実の母と確執があり、茶飲友達に募集してくる老人や社員と家族のような繋がりを求めている。
映画を観ているだけでは冷静に深入りしすぎでは?と思える。妊娠してしまった社員の女の子に、みんながいるよ、一緒に育てれば、、、と言っていたけど、甘いよね。
1人のコールガールの事件からマナは逮捕されてしまうが、警官の女性とのやりとりが面白かった。マナの言っていることもわかるが、警官の言っていることも正しいと思った。確かに母との確執から寂しさを埋めるためということもあったんだろうな。面会に来たマナのお母さん、もっと早くあの言葉を言ってあげてたら良かったのに。
高齢者の性の問題、シングルマザーになることの大変さと社会の問題を突きつけられる映画。
渡辺哲さん以外がオーディションということも驚き。
コールガールを演じた方々、すごいね!
自分の寂しさを他人の孤独でうめるんじゃないよ
寂しさを癒す=性欲を解消するという公式が成り立つ限り、茶飲友達(ティーフレンド)の売春行為は正当化される。
妻に先立たれたり、妻から相手にされなくなったり、話し相手がいなくなったりと、理由は高齢者の男性の孤独に起因する。孤独感は動物的本能とマッチングし、性欲の解消の提供側の運営側の若者たちとコールガールたちの孤独感とも微妙に連鎖していく。
寂しさを癒す手段はこれしかないのか。他に解消する方法があるだろう。この昔から受け継がれてきた大人の問いは、この空間では、「正しいことだけが幸せじゃないんだよ」という主宰者の若い女性の言葉でかき消される。
この主宰者は元風俗嬢で、余命いくばくもない母親とはそりが合わず、親子関係は決裂している。
でも、主宰者は、正しいことではないということは認識しているようにも見える。
善悪や幸せの輪郭が、性欲による快楽によってボーダレス化していく世界。
「自分の寂しさを他人の孤独でうめるんじゃないよ」
主宰者を取り調べる女性警察官の言葉。この言葉が正解とはけっして思わない。だが、少なくとも眠気眼が、一気にカッと見開くような衝撃が走ったことは間違いない。
高齢者の性を描くことで、若者の生を浮き彫りにする
茶飲友達の紹介と題してコールガールを斡旋する高齢者風俗を営む若者と、そこで働く女性、そしてお客さんとの繋がりを描く。
高齢者の性に興味があって、軽いノリで見ようと思ってるそこのあなた。
想像を絶する展開で、吐き気がする程胸糞悪いから安易に手を出さない方がいいと思う。
私は既に「子宮に沈める」以来の引きずり方してますwwww
見ない方がいいわけじゃない。すごく元気つけられるシーンもあるし私は後悔していない。
ただ、色々な方向から裏切られ一人ぼっちにされた気分なんだよ。
これがまさに高齢者、若者の抱える孤独の重みなのかもしれない。
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高齢者の性。なるべく目を背けたいテーマであり、どこかタブー視された問題に切り込んだ作品でもあるんですが、その反面、現代を生きる若者の生活も浮き彫りになる社会派な映画だった。
妻に先立たれ生きる目標もなく孤独に生きる高齢者に”茶飲み友達”を紹介し、ひと時の安らぎと快楽を与える。
彼女たちはそれを”ホームヘルパー”ないしは”人助け”と呼ぶ。
確かに作品に登場するお客さんで不幸になっている人なんてひとりもいない。
風俗嬢も必要とされる喜びと、有り余る大金を手に入れる。
そんな高齢者の新たな幸せを描く光があれば、若者のくすぶる闇もあるのがこの映画。
夢は?、子どもは?、家族は?
人助けと言う名のマスターベーションで課題を見てみぬふりする感じがリアル。
家族とのつながりが希薄になってきた我々には、仲間という新たなファミリーがあって
それを作り上げようとしたひとりの女の子の話なんだよね…
でも完成したのはバベルの塔であり、それがあまりに浅はかで、脆くい。
現代における家族が何なのか、その儚さと残酷さまでが詰まりに詰まった映画。
135分は長いようで、あまりにもこのテーマを扱うには短すぎる。
映画の冒頭とラストのシーンが、彼女の信じた正義へのアンサーだよ。
映画としてのバランスが 完璧に近いと思った。 考えさせられるところ...
映画「茶飲友達」のバトンの行方
■シニアの性というタブー
シニアは性欲をもたない、性的なスキンシップを求めないという先入観、そうあって欲しいという願望、さらにそれが社会的なタブーになっています。
しかし、中世の昔から年老いた男の悪癖は「強欲と好色」(ちなみに、女性は「虚栄心」)といわれるように、現実に生きるシニアとの間に大きなギャップを生んでいます。
この映画は、特に映像を通して、そこに切り込みます。
外山監督のシニアの婚活をテーマにした前作『燦々』でも、シニアの性欲のタブーに触れていましたが、今回はそれを通り越してシニアの「売春」という日常を描くことで、このタブーの解体に成功したように思えます。
ただ、性欲に限らず、今なお「老人」や「高齢者」にまつわる固定観念は、数多く残っていてシニアの活動を縛っています。
例えば、老人は若者の手本になる賢人たれ。ある年齢になったら引退して老後をすごす、などなど・・。
そう考えると、性のタブーの問題は、氷山の一角だともいえます。
■二つの異なるテーマが混在
この映画は、2013年に警視庁に摘発された実在のビジネスが元になっています。
ただし、若者が登場するところは映画のオリジナルです。実際の売春組織の胴元は若者ではなく70歳の男性です。
そのことで、この映画は単にシニアのタブーを扱うだけでなく、現代社会の異なる一面を描く作品へと拡がりをみせます。
ティ・フレンドに集う若者、高齢女性、高齢男性に共通しているのは、孤独で、居場所がないことです。他人とのつながりが稀薄で、日常生活にどうしても生きている実感が得られない。
そこに主人公マナが売春ビジネスを成功させながら、持ち前の求心力を発揮してメンバーを取り込み疑似家族(「ファミリー」)を築いていきます。
しかし、そこには血縁家族が持つような絶対的価値観が備わっていません。子どもを生む・生まないという女性メンバーが抱える問題に答えが出せず、結局摘発を契機に疑似家族は崩壊していきます。
ダメなものはダメといってくれる居場所がないまま人は生きていけるのか、考えさせられますが、一方でシニアのタブーの問題は、オブラートに包まれてしまった感があります。
このように、この映画には「シニアのタブー」、「孤独と絆」という明らかに異なる二つがテーマが並存しています。
■持続可能な取り組みへのバトン
しかし、超長寿化による影響という点でみると、二つのテーマは同根といえるかもしれません。
2003年頃、この映画の元になった売春ビジネスがスタートし、その10年後の2013年、会員が1000人を超えるなどビジネスが拡大、警視庁に摘発されました。そしてさらに10年後の2023年、外山監督が映画化します。
映画公開に至る20年間、日本には様々な変化がありました。その中で平均寿命は3歳程度伸び、「人生100年時代」という言葉が定着しました。
超長寿化には功罪があります。特にシニアの生きにくさが増している点は見逃せません。
その要因の一つが、シニアが持つアクティビティと社会とのミスマッチです。シニアが自立して生活する期間が長期化する一方、60歳で引退し老後を迎えるという社会システムは変わらない。シニアのエネルギーの使い場所がないという問題が浮上しています。
そればかりか、シニアをめぐるタブーが無言の圧力となって、シニアの活力を奪っています。
もう一つ、居場所がない、あるいは孤独や孤立の問題があります。そして、この問題は若者とは違った形で無慈悲に訪れます。
シニア世代は、どの世代と比較しても経済的、社会的、身体的に多様です。その中で一定割合を占める貧困の問題は、より深刻です。また、長寿化に伴い、夫の死別後の寡婦期間が長期化しています。
こうした孤独や孤立のなかで「老い」と直面することが、シニアの生きる希望を失わせます。
その隙間を埋めるべく半ば必然的に売春ビジネスが誕生・拡大しました。そこで働く高齢女性は、ティー・フレンド同様、仕事を持ち、居場所を得ることで、そんな不安を忘れられていたかもしれません。
しかし、それは長続きしなかった。
この消えかけたベクトルを10年ぶりに拾ってくれたのがこの映画といえます。
今後は、シニアが活躍できる場所や、家族に代わる居場所づくりに、持続可能な形で取り組んでいく必要があります。
そんな新しい課題に取り組む人を待つ。そんな映画だと思います。
若い人が観たほうが良いかも
序盤から中盤にかけては、
①孤独な老人が救われるなら、ある程度は法律や規則に反しても仕方ない
②たとえ血のつながりはなくても心で家族のようにつながることはできる
という二つのテーマを軸に進んで行きます。
色々と問題がありながらも、すべてが上手く行きそうになったところで終盤になるのですが、そこでこの作品は何を思ったのか、終盤からラストにかけて今まで積み上げてきた話を全部ひっくり返してしまいます。
そして、最終的には
①たとえ孤独な老人が救われようとも、法律や規則に反するのは絶対駄目
②どんなに心でつながっていても所詮は赤の他人で簡単に裏切られる、最後に頼れるのは血のつながった家族
というかたちで終わってしまいます。
感想としては、中盤までは興味深く観れましたが、最終的に孤独な年寄りには救いがなく、また人と人とのつながりを否定するような終わらせ方にした監督の意図が理解できず、とても残念に思いました。
私の勝手な想像ですが、作り手としては、あのままハッピーエンドにしたら売春を肯定している作品と思われるのを恐れたのではないでしょうか?だとしたら、例えばの話ですが、「主人公が身代わりになって単独犯として捕まり、売春組織は無くなってしまうけど、組織にいた人達のつながりは守られ、皆で新たに法に触れない別な商売を始める」とかにした方が観客はスッキリしたのではないでしょうか?
作品の評価という点では、役者さんは皆さん頑張っていたと思いますが、私は否定だけしておいて、救いを描かない作品は好みではないので評価を3としました。
追記>
お年寄りが観ても救われることはないので、むしろ若い人が観た方が、お年寄りに対する接し方や自分がどう歳を取って行くかを考えるきっかけとなるのではと思います。あと、お年寄りのベッドシーンはあんなに多くなくても、他にも演出の方法はあるだろうと思いました。
生々しくて重くて虚しいけど何も無いよりは良い
扱っているテーマからどーしても観ておきたかったのですが、地元では既に上映が終わっており、今回は早朝アラームからの〜2つ隣の県まで遠征鑑賞しに行きました🚊
映画館やカルチャースクール・消費生活センターなども入る その小さな商業ビルの他は、特に目ぼしいものが何も無さそうな町の駅へと降り立ち、真面目に検温カメラや手消毒をされる(時間帯&扱ってる題材からか)ほぼシニアな他の皆さんに(そのうちシニアになる私も)混じって小シアタールームの中へとお邪魔しました。
観ていてちょっと小恥ずかしいシーンなどで気持ちをふっと外した時に、呉越同舟(?別に仲が悪い訳ではないケド)で観ている他のシニア男女の方々👥は今どのように感じておられるのかな‥とたまに気になったりしつつ、👆🏼タイトル通りな物語の推移を見守る。
若葉さん役の俳優さんで一回り上か〜
💁🏻♂️いつかゆく道…
立場が悪くなったら、若葉さんもハスキーヴォイスの子も最後にダメンタル発奮したなぁ〜
🤦🏻♂️金銭的に困窮すれば誰だって‥
互いのちょっとしたボタンの掛け違いでいちいち問題が重(or ややこし)くなる。面倒臭せぇな〜人間って奴ぁ〜🤷🏻♂️
命を繋ぐお金が稼げれば取りあえず正義だという考えも解る。
最後にどこか森三中を思い出させる女検察官にこき下ろされてたけれど、今回のお話に関しては❶風営法の届け出を出さずに❷ヘルス行為から逸脱した本番行為をしていたことが問題か❓🤔
あと公序良俗に反する場所を使用したこと。
死体遺棄の件は、相手の立場と自らの過去が同調し、気持ちを汲んで刑法のルールから逸れてしまったと。でも放置して逃げたらアカンね。
お互いに命の燈❤️🔥を持て余してて利害が一致するなら、擬似家族だろうが何だろうが、お上にしょっ引かれないようにやれば良いじゃない? 弁護士?センセは何故に闇営業で続行させてたの⁉️
家族の定義は何かと自問したら🤔‥取りあえず結局は放って置けない相手ということか。
タイトルに虚しいと書いたけれど、虚しいのと虚しくないのとの違いってなんだろ❓🤔
その場限りの付き合いか、今後、多少の事があっても別れませんという気になり、その時は一定期間(望むべくは一生涯)を帯同する契りを交わしたり、そんな相手と子を儲けたりするか の違い?
そもそもこの世の何もかもが浮世の儚い出来事なのだけれどね。
∴尚更その場限りの相手にでも思い遣る心を持って接したい。理想はレジ係の人にも😌
これから現実的に起こりそうな話
本当にありそうな話。
若者達は色々抱えながらも楽しそうなサークル活動の様に、年寄り達は自分が必要とされていると半分言い聞かせながら、それぞれの立場で違法行為を明るくしている。
若者達は日本の未来のためとか大きく堂々と言葉に出して顧客を掴んでいくが、蓋を開ければそこは非常にローカルで自分本位であり、言葉に酔ってるところに気づいていないのが現代的。それは最後にちゃんと表されており、いざとなったら自分の事だけ考えて関係無いと言い張ったり、金を金庫から奪って逃げていく。
主人公は最後まで年寄に寄り添おうとするが年寄りからは拒絶される。
この映画の登場人物は(お客である男性も含めて)誰もが誰かから必要とされたり認められたいという気持ちがあるが、それを他人への無意識的なマウンティングで満たそうとしてる様に感じそこが現実的。
ただこういう産業はこれから本当にニーズはありそう。
心のパンツを脱ぎ捨てて
非常にリアルで、散りばめられた問題ひとつひとつが身につまされる作品でした。
何より岡本玲の演技が素晴らしい。
“ファミリー”の前、一人のとき、家族と接する際と全然違う顔を、地続きとして成り立たせている。
『茶飲友達』への勧誘も、ビジネス的とも福祉的とも、宗教的とも取れる匙加減で絶妙です。
脇を固める面々も地に足のついた自然な演技で、身近に感じる。
パン屋の息子が好きでした。
ただ、ラストが急転直下すぎたのは少し残念。
松子がいきなり虚無の表情に戻り、「出会わなければよかった」と…
それまでの態度と、自分の中ではうまく繋がりませんでした。
逆に千佳や自殺した男性は、一貫して自分勝手さが滲んでいたので、(嫌いですが)実在感アリ。
お祝いのシーン(マナのくしゃっとした笑顔が印象的)からラストのギャップはエグい。
摘発のニュースも、他のものに紛れさせることで特別にしない姿勢が好ましい。
どちらが正義と一概に言えない問題を、誠実に扱っていたように思います。
まぁ、サスガにあそこまで的確にズバズバ言ってくる刑事もいないだろうけど。笑
群像劇として、周りのオチをもう少し描いてくれればなぁ、と思わないでもない。
割烹着のオプションは面白かった。
正しいことだけが幸せじゃないでしょう
2023年劇場鑑賞18本目 良作 64点
わたくし御用達の社会問題系ヒューマン映画で期待していた作品
正直、当サイトほどの好評価を感じなかった
なんか詰め込みすぎな印象で、高齢者売春もあれば、孤独を感じる若者と手と手を合わせて家族になりましょうとか、若者要素を絡めずに純粋に高齢者買春ドラマで良かった気がする
まあでも個人的に年配の方々の濡れ場やお色気シーンとか、もっといったら性よくある様をみるのが見てられなかったけどね
主人公の家庭事情によるこの取り組みに至る動機や理屈は説明もあるし、理解はできるけど、ちょっと純粋すぎるかな。確か実話ベース?だったっけ?もう少しビジネスとして割り切って上手くやれる気もするのにもったいない
見たときは期待もしていたからだと思うけど、思うようにハマらずだったから、また見たら印象変わるのかなぁ、機会があればまたみよう
まぁエロ期待する方がどうかしてるし、人情噺にもならんわね
2023年劇場鑑賞98本目。
高齢者女性を売春させていた実際の事件から着想を得たフィクション。だから実際は映画のような思想はなく、単に儲かるからやってたんだろうな、というのは前提であるのでしょう。
自分も福祉の仕事をしていて、色々本など読む過程で、福祉と性の話が出てくることがあります。自分は障害者と関わる方なのですが、高齢者にしても障害者にしても、福祉を受けるからには性的刺激は一切与えてはならない的な考えはもはや虐待だと思います。ただ、虐待防止法には「無理やり性的な映像等を見せてはいけない」などもあり、その無理やりの定義が自分では意思表示の難しい人にどこまで当てはまるのか、という問題もあります。性に限った話ではありませんが。なので高齢者が性的行為をすることに関しては全く抵抗はないです。自分の性的欲求を満たすためにこの映画を観たいとは全く思わないですが。
この映画の売春斡旋団体は一回につき5万から10万取っていた描写があり、みんな寂しいんだよ!とか言っていてもなんの説得力もない(まぁ女性側からしたらそれくらいもらわないとやってられないというのはあるかもしれないけど)と思いました。だったら晩婚活斡旋とかすればいいし。男も同じ額でもっと若い人いる風俗いけるのにやっぱり同じくらいの年齢の方がいいんですかね。風俗摘発は被害者のない犯罪と言われますが、そういった意味ではかわいそうに思いますが主義主張には共感できないなと思いました。
途中まで良いことしてるのかと思って観てたが
佐々木マナは、仲間とともに高齢男性者専門の熟女派遣クラブ、茶飲友達、を設立した。新聞に「茶飲友達募集」の三行広告を掲載し、男性たちのもとへ熟女を派遣するビジネスを行っていた。ティー・ガールと呼ばれている在籍女性には、介護生活に疲れた女性、ギャンブル依存症の女性など、いろいろと事情を抱える人たちがいた。マナと共に、茶飲友達、を運営する若者たちも、現代社会で閉塞感を抱え生きていたので、マナは、みんなをファミリーと呼び、暖かい擬似家族のようにしてビジネスを行っていた。そんなある日、1人のティーガールの客がホテルで自殺したのに放っておいて帰ってしまった事により売春ビジネスが発覚し、・・・さてどうなる、という話。
途中まで、お金を持っている高齢男性と一緒にお茶を飲み、話を聞いたりして、良いことをしてるのかな?、なんて思って観ていたが、やはり売春は法律違反だよなぁ、ってふと我に返ったような感覚を持った。ここから先は自由恋愛ですから、と言ってもお金をもらってセックスすると法律違反なんだろう。男がいかなかったらOKなのかな?なんてちょっと思ったけど、違うんだろうな。
奥さんを亡くし、お金を持ってる男性にとって、ただ単にセックスしたいのではなく、話を聞いてもらって、肌のぬくもりを感じたい、という心境なんだろうと思う。何かしらかの老人クラブのような所には行きにくいものなのかなぁ、なんて、自分の将来について考えさせられた作品だった。
大変面白かったです!
もっと若いのが
「人生100年時代」
恐ろしい時代です。
良くも悪くも長生きするいま
必ずしもそれが「良」とはならない現実が
この作品にはギュッと詰まってる気がしました。
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孤独に苛まれ、生きる活力が見いだせない
そんな思いで過ごしている人は
きっと老若男女問わなくて
そしてそんな人たちは、
ただ人と人との繋がりを感じたい。
人の温もりを感じたい(性的な意味ではなく)
それだけで十分な人も多かったのではないかと
言う気がします。
綺麗事でしょうか(苦笑)
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多くの人にとって他人事ではない「老」
貧困に喘ぐ若者と老人
いつまでも目を背けてはいられないそんな作品。
いそいそとおめかしをする男
大切に切り取っておいた新聞の広告を手に取り
電話をかけるも
「おかけになった電話番号は現在使われておりません」
受話器を落とし、膝から崩れ落ちる男の絶望感、悲壮感が
なんとも言えません。
「承知です」
なかなかきつく、居たたまれないストーリーと画作りであり、現実に起こり得る内容である
自分もそうだが、何故人は寂しいのか、そしてそれが年齢を重ねる毎に加速されていくのか、『人生100年』なんてそんな悪夢をよくもキャッチフレーズにしてしまうこの世に恨めしさしか思い浮かばない
そんな寂しさの中の人間達を冷徹に撮り続ける目線が本当に痛々しい
ただし、構成的に間延びしてしまった感が窺える もう少しコンパクトに仕上げてもよかったのではないだろうか?
妊娠の件、パン屋の件は、差込む事で重層感を演出したかったのは理解出来る ならば、あの家のファミリー感を演出するシークエンスはしつこくなってしまったのではないだろうか ラストの母との対面も、残念ながら違和感を禁じ得ない
なんだか、否定的感想が続いてしまったが、着想や妙齢の方のベッドシーンの連続はチャレンジングで大変素晴らしく、今後の超高齢時代の未来を描いてみせた先進的作品として称賛を送りたい
高齢化社会が抱える闇
高齢化社会をおける問題点を実際の事件を基にした社会派ドラマ。寂しさを埋め合う秘密の関係を見事に描いている。高齢者売春クラブは確かに違法行為ではあるがそれを知っていても寂しさには勝てない思いに共感した。まさに高齢化社会が抱える闇である。主演・岡本玲の演技力も素晴らしく彼女に感情移入し引き込まれた。
2023-57
【”砂上の楼閣上の新たなる高齢者セーフティネットと疑似ファミリー。”今作は、老人の生と性と死を軸に描きながら、人間の孤独や家族の本質について、観る側に問いかけてくる作品なのである。
ー 高齢者専門の売春クラブ”茶飲友達”を営む佐々木マナ(岡本玲)は、厳しき実母とは反りが合わず、家を出て売春をした後に、”茶飲友達”を立ち上げる。
独りで寂しき想いを抱える老人を対象にし、クラブを運営するマナ。そして、町でも高齢者には優しい。クラブの運営者達や、”ティー・ガールズ”と呼ばれるコールガールも彼女を頼りにしている。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・当初から違和感を感じていたのは、マナが”茶飲友達”では優しく微笑んでいるのに、独りになると虚ろな表情をしている所であった。
・マナは、スーパーで死んだような目でボサボサの頭の老女松子が半額のおにぎりを盗もうとした際に、咄嗟に彼女を庇う。そして、彼女を”茶飲友達”の”ティー・ガールズ”として迎える。
ー この彼女の行為は、後半、彼女が病に倒れた実母に涙を流しながら言った”一度でも、頭を撫でた事がある?””褒めたことが有る?”と言う彼女自身の母に愛されない寂しき人生の代償行動であろう。ー
・そして、松子はクラブの売れっ子になって行く。男性と肌を重ねるうちに、ドンドン綺麗になって行く松子の姿。
ー 70代の老人の7割が性欲があると語られる。-
・又、妻を亡くした男や他の初老の男も松子と抱き合う事で、生の実感を得て行く姿。
ー だが、一人の男が松子がシャワーを浴びている間に首を吊る。松子はそれに気づいていても止めない・・。問い詰めるマナに彼女が言った”貴女には分からないわよ・・。一人では死にたくなかったのよ。”
そして、全てがここから瓦解して行くのである。-
・警察が介入する前、”茶飲友達”のスタッフや”ティー・ガールズ”は逃亡。相手に認知してもらえない妊娠をした女性スタッフも金庫の金を全て持ち逃げする。
ー 残ったのは、松子とマナ。そして、松子が言った言葉”貴女になんか、会うんじゃなかった・・。”マナの自分の寂しさを癒すために造った”ファミリー”はアッサリと崩壊するのである。-
■警察の取調室で、マナは女性警官に”ルールに捕らわれない正義がある”と主張するが、”ルールはルール”と相手にもして貰えない。
マナの方に心が行っていたので、”そーいう杓子定規な対応をしているから、高年齢化社会の現状は変わらないんだよ。!”と内心思う。
そして、面会者が来る。マナの実母である。実母が言った言葉。”家族でしょ。”
物凄い、シニカルな展開である。
<劇中、”自分の孤独を他人の孤独で埋めるな!”という台詞があるが、マナの行為が正にそれである。
けれど、きっと、マナは本当に孤独な老人たちに生の喜びを与えたかったのだと思う。
だが、法を犯した報いは大きい。
マナたちが新たな客層として目を付けた老人ホームの男性達はホームを追い出されると、婦人警官は素っ気なく言うのである。
今作は、老人の生と性と死を軸に描きながら、人間の孤独や家族の関係性について、観る側に問いかけてくる作品なのである。>
<2023年4月16日 刈谷日劇にて鑑賞>
全74件中、21~40件目を表示