「人生はループしない春夏秋冬」土を喰らう十二ヵ月 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
人生はループしない春夏秋冬
タクシードライバーだったオジキが亡くなって何年経ったのだろう。そんな事を考えると、彼は二十一世紀を迎えられなかったので、もう、25年経ったとふと思う。それで、明快な結論を急ぐと
「勉さんは我がオジキとそっくり」
自慢話になんのか?
でも、似ている。死んでしまっているので、無責任なフィクションとして聞いて頂いて結構だが、似ている。たがしかし、それが彼自身には良かった訳ではなく、
多分、彼の命を縮めた原因と僕は見ている。
僕にとってはわがまま亡父の弟にあたり、
典型的なわがままな美男子だった。
勿論、勉さんも研二さんも我がオジキとは違う。
まぁ
彼らの母親からすれば、放蕩息子な美男子だったのだ。
だがしかし、2種免許をとって、個人タクシーを開業する予定で、人生を再起動の矢先だった。
残念ながら、運命はループしない春夏秋冬。彼は沢山のアナログレコードと身の丈に合った借金を残してポックリ行ってしまった。
どこへ行ったかは知らない。
すれすれ、天国へ行けたかもしれないが、多分地獄であろう。どでかい骨壷に入った所までは見ている。残されたアナログレコードは専門家が喉から手がでるような物ばかりだったが、何も知らない彼の家族がもくずと変えた。もう二度と戻らないねぇ。人生なんてループしない春夏秋冬なんだよ。
ちなみに、僕は母親似。親父に似たのは根性だけとガキの頃からよく言われたものだ。
とまぁ、77歳の研二さんを見ての話だから、オジキは美男子じゃなくて、老けていたかもね。イヤイヤ、オジキは50歳前に亡くなっているので、研二さんが若いんだね。
勉さんと言うので「誰だ」と思って見ていたら、
「飢餓海峡」の、先生だと知った。古本屋で一冊の文庫本として出会い、1988年の青函連絡船の廃止決定を憂いでわざわざ時間のかかる常磐線経由の「ゆうづる」に乗って、飢餓海峡を読んだ事を思い出す。語り口が明確な社会派の話で、あっと言う間に読み終わった。夜の青函連絡船に乗り、仏ヶ浦の海に遺灰を巻くが如くその文庫本を投げ捨てた。


